2024年9月14日土曜日

9月14日土曜日/クレイジーキャッツ特集

◇ テレビ

 早朝に起きあがり、ゴミを出してからまた眠りなおす。目が覚めて、「ナイツのちゃきちゃき大放送」をつけておく。「常連さん」はやくみつる。10時になり、チケット購入に挑戦。12月のイッセー尾形の公演のチケットを買うことができた。イッセー尾形を生で観たのは「寄席山藤亭」の一度だけ。四半世紀ぶりぐらいではないかな。

 録画していたテレビ番組をいくつか。今朝の「週刊フジテレビ批評」と「虎に翼」の今週のダイジェスト。昨夜の「NHKニュース7」を観ると、日野市でイチョウの枝が落下し、36歳の男性が死亡したというニュースをやっていた。倒木の事故が増えているようだ。

 録りためてあった「私のバカせまい史」をこつこつ観ていて、ようやく半年前、3月の放送までたどりついた。せいやがプレゼンターの「ものまね番組一回戦敗退史」は、フジテレビのアーカイブが大いに活用される。記念すべき最初の一回戦敗退は、1985年放送、おぼん・こぼんの和田アキ子のものまね。対戦相手はなんと、阪神巨人のアグネス・チャンだった。1987年、野々村真が板東英二のものまねで敗退する対戦相手は稲川淳二。ゴッホの自画像のものまねで「勝手にしやがれ」を歌うという番組史上に残る珍ものまねだが、稲川淳二はほかの回ではピカソの「勝手にしやがれ」もやっていたとは知らなかった。1987年には「一回戦敗退四天王」が誕生したというこの番組独自の見解が出たが、ダチョウ俱楽部、しのざき美知、ピンクの電話、笑福亭笑瓶というこの4組は、当時は「ものまねお笑い四天王」と呼ばれていたはずだ。ダチョウ俱楽部はものまねのクオリティがあがり、定岡正二のものまねで優勝してしまう。ここからは笑福亭笑瓶の歴史が掘り下げられるが、1994年には「笑瓶メソッド」が流出し、笑瓶が得意としていたトレンドものまねを桑野信義がやるようにやるようになった。1995年、笑瓶は英語の歌詞を歌う本格派路線に挑戦するが、これにはガダルカナル・タカの証言があり、笑瓶は四天王の仲間入りをもくろんでいたという。針すなおの「歌になったらしんみりなっちゃって」というコメントに青ざめる笑瓶が可笑しい。その後、1998年には、スキージャンプの船木選手のものまねで「笑瓶メソッド」が復活するという歴史だった。この回は、後半の「ダンディ坂野ゲッツ史」も面白かった。1996年放送「ウモクビ」の映像が流れ、この番組は観た記憶があるが、このころは「ゲッツ」ではなく「ゲットゥ」だった。フジテレビに残る映像のなかでは、2002年「超V.I.P.」という番組から「ゲッツ」になっていた。すっかり忘れていたことだったが、そういえば、ダンディ坂野はマツモトキヨシのCMからブレイクしたんだった。これが2003年のこと。ところが、2004年「とんねるずのみなさんのおかげでした」では「ゲッツ」を手放そうとしている。2006年、一発屋芸人ブームで再び脚光を浴び、「アメトーーク!」では、有吉弘行、つぶやきシローとともに「一発屋BIG3」として出演していた。じつは、CM出演本数は今がいちばん増えているそうだ。「ゲッツ」は相手に好印象を与える言葉だとする日本音響研究所の周波数分析もあった。

 午後から外出。まだまだ暑い。機動力を上げようと思い、また定期券を買っておく。1日320円使えば得になる計算だから、1日1回でも乗ればいいのだ。星川に出て、ドトールに入り、アイスコーヒーとジャーマンドックを食べる。ひたすら読書をして、そのあとはイオン天王町に移動。フードコートでさらに読書を続ける。

◇ 読書

 図書館で借りている「ユリイカ」2月号のクレイジーキャッツ特集をようやく読み終えた。特集はまず、菊地成孔と佐藤利明の対談から始まる。今や、クレイジーキャッツ関連の企画は佐藤利明の独占状態だ。ともに1963年生まれのふたり。オイルショックを指して、菊地「あれ陽気な戦争みたいな感じでしたね(笑)。ただ、六三年生まれは生まれてすぐオリンピック、成人するとバブルという、戦後の日本人の中ではジャックポットを二回引いているような奇跡的な世代なので、他のあらゆる世代から異物視されています。」 植木等が「スーダラ伝説」を引き受ける経緯を佐藤利明が語っていて、なかなか実現しなかった企画だそうだが、佐藤「植木さんが、中村雅俊さんの『金曜気分で!』(八八年四月八日ー八九年三月三一日)に出て、「ホンダラ行進曲」を所ジョージさん、中村さんと歌って「悪くないな」と思い直した。(略)その少し前、TBSの『オヨビでない奴!』(八七年一〇月ー八八年三月)というドラマでは、植木さんがおじいちゃんで所さんがお父さんで、そして高橋(良明)くんがいて、その無責任三代のドラマが若い子に受けてヒットしました。こうして、いつでも植木さんが蘇ってくる環境をメディアが用意し続けていたんですよね。」 菊地「所ジョージは、ルックスがロックンローラー、歌がフォーク、顔相が植木さんと似ている所から、無責任男継承、という結構なカルチャーミックスですが(笑)」

 続いて、高平哲郎の寄稿。「タモリ経由で赤塚先生を知り、先生が大のクレージーファンであることを知る。飲み屋の個室で植木等やクレージーの歌を一緒に歌った。タモリが席を立つと、先生は、「あいつ、植木の歌も知らないし、映画も見てないみたいなんだよ」と、淋しそうな顔で言った。」「七〇年代後半、NHKのお笑い番組のディレクター滝大作さんに立川談志さんを紹介してもらった。何度か会う内、大泉の自宅に誘われた。酔っ払ってクレージーの話になった途端、談志さんはソノシートのクレージーをかけた。そのうち、ぼくも談志さんと植木さんに合わせて大声で歌った。「スーダラ節」「無責任一代男」「ハイ、それまでよ」「面倒見たよ」……二人ともフルコーラスを歌詞カードなしで歌った。談志さんもクレージーが大好きだった。」

 山本正之の寄稿。「昭和五六年のある夜、放送作家を稼業としている友人から電話があり、「今、中野で飲んでるんだけど、おいでよ」といわれて、丁度「ちょっと飲みたいなあ」という感じだったので、「いいよ、中野のどこ?と尋ねたら「ブロードウェイのマンション、〇〇〇号室、青島幸男さんちね」と聞いて、でら驚いた! あわててオシャレして、何か手土産を、と思い、お菓子とかは途中で買って、ああ、そうだ! オレの作品をお持ちして聴いていただこう、と膝を打ち、発売したばかりの、アニメ「おじゃまんが山田くん」の主題歌が収録されたLPレコードを胸にかかえ、中野の街に向かって飛び出した。(略)友人が私を紹介してくれて、これまでに残した作品なども伝えてくれる。青島幸男はひとつひとつ優しい顔で聞いてくれて、「へーそうか、ありゃ、ぼうや(私のこと)の作か」とか応えてくれる。そして私が、あわてて持参した、「おじゃまんが山田くん」のレコードをとりだし、カウンターに置いて、「こんなものですが、お暇な折に聴いてください」と申し上げる。すると青島幸男、少し目を細め、レコードのジャケットを見凝らして、一言、「おお、この歌もぼうやの作か、こりゃおもしろいよ」と仰った。」

  そのほかでは、1974年生まれの輪島裕介が、クレイジーキャッツとの出会いをつらつらと書いているのが面白かった。「植木等と出会うきっかけは有頂天のケラと雑誌『宝島』だった。それはつまり、私は「パンク」または当時の言葉で言う「ニューウェーブ」として植木等とクレージー映画に出会った、ということだ。」 その後、ケラと有頂天には冷めてしまうのも面白い。

 夜遅くに帰宅し、夜もまた、録画していたテレビ番組をいくつか。今夜の「Nキャス」は、裏のフジテレビで三谷幸喜の監督作品「記憶にございません」が放送中という珍しいケース。今夜の「NHKニュース7」では、自民党総裁選公開討論会の様子を伝えていた。候補者9人が最初に基本的な主張をフリップで見せる。経済のことを書いたのは4人、高市早苗「経済成長」、林芳正「実感できる経済再生」、加藤勝信「国民の所得倍増」、茂木敏允「「増税ゼロ」の制作推進」。小林鷹之は「世界をリードする国」と国力を語る。小泉進次郎は「政治改革」というあいかわらずなにも言ってないに等しい答え。上川陽子の「誰一人取り残さない日本の新しい景色」、河野太郎の「改革の実績 熱さと速さ」もぼんやりしている。石破茂の「全ての人に安心と安全を」がいちばん具体的で現実的な感じがする。

 深夜に、ラジオを聴きながらブログの更新をひとつ。「ユリイカ」を読んで、山本正之という存在を忘れていたことに気がついたが、Spotify で「タイムボカンシリーズ」の楽曲を改めて聴いてみると、これはたしかにクレイジーキャッツの継承者のひとりだ。天才の仕事としか言いようがない。