◇ テレビ・ラジオ
今朝は雨降り、強風のため、ゴミを出す準備はしてあったのだが出すのはやめる。朝、目覚めるとやはりのどが痛い。まずいな。今日は老健の面会に行くつもりだったが、どうも疲れがたまっている。面会は明日に変更する。
テレビ番組をいくつか。昨夜の「アメトーーク!」は「スタッフの接し方分からない芸人」。ウエストランド井口、ヒコロヒー、銀シャリ橋本、ダイアン津田、フジモン、さや香新山、宮下草薙草薙、囲碁将棋根建が出演、MC側には田村淳が座る。井口やヒコロヒーは売れない時代にスタッフに見下されていた記憶が強くあるようだ。大阪芸人はスタッフと仲良くしても面白くなければ意味がないと考える。フジモンは若いスタッフとの付き合いかたに悩んでいる。
先週土曜に放送された「みのもんたさん、ありがとう! 元祖!スポーツ珍プレー好プレー大賞」という特番を録画しておいた。みのもんた追悼の4時間超生放送、司会はアンタッチャブル、三宅正治アナ、佐久間みなみアナ。審査員がなぜかいて、徳光和夫、芳根京子、井森美幸、磯山さやか、そのほかにアスリートたちも、ラモス瑠偉、清水宏保、谷亮子、上原浩治、吉田沙保里、田中史朗、内村航平、達川光男が並んでいる。てっきり、みのもんたがナレーションをやった「珍プレー好プレー」だけで4時間の特番なのかと思ったら、そういうわけではなかった。プロ野球以外のスポーツの珍プレー好プレーもある。アンタッチャブルが「珍プレー好プレー」のナレーションを入れていたこともぜんぜん知らなかったが、基本的にはみのもんたのスタイルを踏襲している。しかし、これはかったるい番組だ。みのもんた追悼だけだったら保存したかったが、これはざっと観ただけで消去する。
昼はラジオ。「ビバリー昼ズ」をつけておく。「芸能IQクイズ」で、鶴太郎がゲストの「人生最高レストラン」からの問題につけ加え、鶴太郎が「マッチでーす!」というのを今の若いひとはマッチ棒だと思ってるという「水曜日のダウンタウン」の「みんなの説」を高田先生がしゃべっていた。なんの番組で観たかは忘れてしゃべってるんだろうが、高田先生は「水曜日のダウンタウン」も昨夜の「アメトーーク!」もどうやら観ている。
◇ 読書
夕方から外出。とても暖かい。まず、昼食。吉野家に入り、牛プルコギ丼を食べた。50円引きクーポンがあったので、これを使いたかった。駅前の郵便局に寄り、振り込みをしなければならなかった。それから、ドトールに入り、読書をしていく。
森本あんり「宗教国家アメリカのふしぎな論理」を読み終えた。2017年刊、NHK出版新書。「企業トップが学ぶリベラルアーツ」というシリーズの1冊のようで、中谷巌が主宰する「不識塾」の講義が書籍化されたもの。講義が行われたのは2016年5月、最初のトランプ政権誕生前、候補者となって、トランプ旋風が吹き荒れる最中だったようだ。この本はトランプ政権誕生後に出されている。「ファスト教養」という本を先月に読んだばかりで、ビジネスパーソンのためのリベラルアーツを謳った本を読むのもどうなんだとは思うが、今のトランプ政権が誕生した背景を知るにはとてもいい本だった。以下、引用をたくさん。
P17-18「本書では冒頭で述べたとおり、以上のような矛盾に満ちた現代アメリカを、とりわけ独自の宗教性に着目することで読み解くことを目的としています。というのも、アメリカ独特の思考や論理が形成されるうえで、「アメリカに土着化したキリスト教」という要素が決定的な役割を果たしているからです。(略)みなさんのなかに、「アメリカはキリスト教の本場だ」と思っている人があれば、その考えは今日からきっぱり捨てていただかねばなりません。キリスト教は、アメリカにとっても外来の宗教です。アメリカだけでなく、キリスト教はヨーロッパにとっても、いや、どこの国のどの文化にとっても、異質な外来宗教です。その外来の宗教が、土着化の程度に応じて変異するのです。」
P20「ポピュリズムの隆盛とは神学的に言うと、「正統」と「異端」の関係に変化が生じているということです。」
P26-27「(略)物事は多面的ですから、どんなことでも肯定的な面を見ようと思えば見ることができると言えます。ピール牧師は、今日まで続く自己啓発的なセラピーの元祖でもあります。つまり、同じ事実でも見方によって変わる。これぞ、「ポスト真実」の世界ではないでしょうか。半世紀以上も昔の彼の本に、今日しばしば話題になるこの論理が展開されているのです。それを多くの人が実行に移す。その意味で、ポジティブ思考というのは、「何かを記述する方法」ではなく「何かを行う方法」なのです。だから、それが正しいかどうかを第三者に認定してもらう必要がない。ここには、アメリカが生んだ哲学、すなわちプラグマティズムの伝統がよく表れています。プラグマティズムでは、ある命題が真理であるかどうかは、迂遠な議論によってではなく、「そう考えることでうまく機能するかどうか」で決まります。」
P30「ここで重要なのは、トランプの奇妙な信心深さは、アメリカ的なキリスト教の文脈ではけっして特殊な例ではないということです。そこに伏在しているのは、むしろ一七世紀のピューリタン――イギリス国教会を批判し、信仰の自由を求めて新天地に渡ってきたプロテスタント――以来、アメリカのキリスト教史に一貫して流れる神学的な論理です。」
P31-33「もともと聖書には、神と人間との関係を「契約」の概念で理解する要素が含まれています。(略)その中心的なモチーフはあくまでも「片務契約」、すなわち神は人間の不服従にもかかわらず一方的に恵みを与えてくれる存在である、という点です。(略)ところが、ピューリタニズムがアメリカに移植され、「土着化」するにつれ、次第にその強調点が転移して「双務契約」化します。(略)神は、正しい者には祝福を与え、悪い者には罰を与えます。因果応報、信賞必罰の論理です。そうするとどうなるか。ひとたび人間が義務を果たしたら、今度は神が義務を果たす番になる。つまり、正しい者は神に祝福を強要する権利をもつ、ということになるのです。(略)しかし、やがてこの論理は逆回転を始めます。「正しい者ならば、神の祝福を受ける」が逆になり、「神の祝福を受けているならば、正しい者だ」となるのです。」
P35「その固有の発展の結果、作られた福音が「富と成功」です。」
P41「じつは「申命記」のように単純な道徳論は、聖書のなかではやや例外的です。聖書に限らず、およそ宗教というものは、単純な道徳論を超えて、「善人なおもて往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」という逆説があるから宗教なのです。ところが、アメリカの歴史は、そのごく例外的なところから始まってしまいました。」
P44「みなさんはかつて世界史の授業で、「明白な天命」(マニフェスト・デスティニー)という言葉に出会ったことがあるかもしれません。この言葉を最初に使ったのが、ジャーナリストのジョン・オサリヴァンでした。彼は、一八四五年にテキサス併合を「明白な天命」として正当化します。すなわち、アメリカの大陸横断的な拡大は、神から与えられた使命だというのです。」
P47「ただし、「富と成功」の論理は明らかに「勝ち組」の論理です。自分の「勝ち」を説明するには役立ちますが、「負け」を説明することは難しい。」
P50-51「ふりかえってみると、アメリカは「負ける」という経験をしたことがありません。(略)だから、いざ二一世紀に入ってアメリカ国家が相対的に沈降を始めると、彼らはどうして自分たちが負けているのかを理解できないのです。理解というより、納得ができない。負けるということを神学的に説明する論理が欠落しているからです。」
P52「その意味で、アメリカのキリスト教は逆説の福音がない。双務契約であれ、幸福の神議論であれ、すべて順接の論理なのです。」
P56「シンギュラリティやポスト・ヒューマンという発想は、アメリカの「勝ち組」の論理ときわめて親和性が高いように思います。「有限である」という負けを認められない。身体や死を超えて、無限の命を手に入れることが、「明白な天命」だと考えているのです。」
P56-57「ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』によれば、成功によって得た富は、遊興や放蕩に費やされることなく、禁欲的に生産活動へと再投資され、ますます資本が増大して富が蓄積されていくことになる。この無限軌道の論理こそが「資本主義の精神」の要です。でも、そこには目的という概念がありません。(略)絶えざる前進がすなわち神の栄光を表す、という信仰があるうちはいいですが、その信仰が消失したら、富の追求は理由もなくただ稼働し続けるだけの巨大なマシンと化すでしょう。」
P58-59「(略)アメリカのリバイバリズム(信仰復興運動)の主たる担い手は、各地をまわって伝道する巡回説教師たちでした。彼らの出自は人それぞれ。共通しているのは、彼らがどこかの大学を卒業したわけでもなく、どこかの教会で任命されたわけでもない、ということです。そういう学歴や資格をまったくもたず、自分の信仰的確信だけを頼りに、ある日どこからともなく町にやってきては、人びとを集めて、怪しげな説教をするのです。」
P64「日本で「反知性主義」というと、知性そのものを蔑視する態度と捉えられることが多い。しかし、この言葉が最初に登場した時には、もう少し違った意味も含まれておりました。本来の反知性主義は、知性と権力の結びつきが固定化することへの反発を身上としています。」
P68「当時の牧師たちは、みなハーバードやイェール大学出身の知的エリートで、牧師として招聘されると、その町全体の精神的指導者として確固たる地位を築きます。ところが、新手の説教者たちは、大学教育も受けておらず、牧師としての正規の訓練を受けたこともない。つまり、どこの馬の骨ともわからぬ輩が、外から乗り込んできては、広場や河原に人を集め、平穏な暮らしを興奮と熱狂に包んでは、町を大混乱に陥らせるのです。」
P70「インテリ牧師の長々と続く難解な説教に対して、巡回説教師は単純素朴な言葉で、人の心をわしづかみにするような説教を行いました。」
P72「学者パリサイ人のたぐい――これこそ反知性主義の決めゼリフです。どんな宗教でも、その出発点では、インテリの言葉ではなく、素朴で平易な感覚が尊ばれます。反知性主義の究極の出発点は、「学者」と「パリサイ人」、つまり当時の学問と宗教の権威者を共に正面から批判したイエスの言葉なのです。」
P77-78「(略)政教分離を定めたアメリカという国家の本当の目的は、宗教が宗教として栄えることでした。ここがアメリカ史で躓きやすい箇所で、専門家にもよく理解されていないことがある、難しいところです。」
P78-79「政教分離の影響がいちばん具体的に見えるのは、お金です。教会は、国民の税金によってまかなわれるのではなく、自分たちで集めた献金によって運営されねばならなくなった、ということです。(略)教会は、いきおい大衆に迎合する路線を取らざるを得なくなりました。」
P86「アメリカは、出発点において、旧世界を批判して、新しい国家を作るという気概に満ちていた国です。(略)その意味では、アメリカそのものに、旧世界であるヨーロッパに対するセクト型精神がビルトインされているわけです。そしてそれは、宗教的な情熱や確信と密接不可分のものです。」
P100「「富と成功」の福音を支える vox populi, vox dei(人の声は神の声)の論理からすると、トランプはたしかに「成功者」と言われているから、きっと神が祝福しているに違いない、という理屈になるのです。」
P101「トランプは反知性主義の大衆駆動力を最大限に利用しました。繰り返しになりますが、反知性主義は、単なる知性への反発ではなく、知性と権力との固定的な結びつきに対する反発です。その観点から見ると、彼の言動は、反ワシントンで反ウォールストリート、つまり現在の政治や経済の中枢にいるエスタブリッシュメントへのアンチテーゼという点で一貫しています。こうした反知性主義の系譜につらなる大統領は、アメリカの歴史を見るとトランプだけではありません。そもそもアメリカの大統領に選ばれるのは、必ずしも知性にあふれた人物というわけではありません。というよりも、見るからに知性的である、目から鼻へ抜けるようなエリートは、逆にあまり好まれない。どちらかと言えば、マイナス要因なのです。」
P102-103「「反知性主義」という言葉は、この一九五二年の大統領選挙を背景にして生まれたものです。(略)現代を生きる私たちも、トランプの勝利によって、「知識階級と民衆のあいだには、巨大で不健全な断絶がある」ことを実感したばかりです。」
P115-116「さて、アメリカ人の政治的熱狂も、外野から見ると理解に苦しむ特徴の一つです。(略)こういう熱狂の背景は、政治学を学ぶだけでは理解できません。これはすべて、前章で紹介したリバイバル集会そのままの姿です。大衆伝道が用いてきた手法がそっくりそのまま使われている。なぜかと言えば、選挙と伝道は、目的が同じだからです。つまり、どうやって人びとにアピールして心をつかみ、こちらの思うような決断をしてもらうか、ということです。ですから、昔ながらのリバイバル集会には、大衆動員のノウハウがいっぱい詰まっています。」
P124「しかし政権の中枢部分に反知性主義が侵入したいま、権威への反発はアメリカ国内というより、外へ向かいやすい。それが京都議定書やパリ協定といった国際条約への反発というかたちをとって現れるのです。」
P129「(略)アメリカには反知性主義と同時に、パラノイアすなわち偏執病的な傾向がある。自分はつねに誰かから攻撃されているのではないか、知らぬ間に危険が身近に追っているのではないか。そういう妄想思考がアメリカ政治には染みついている、とホフスタッターは指摘しています。これはほとんど陰謀論です。」
P136「反知性主義者とポピュリストはよく似ています。いずれも反エスタブリッシュメント、反権威を軸足にして、大衆の代弁者を自認するからです。しかし、ポピュリズムによって体制が変わった場合、当のポピュリストは反権威を維持することができるのでしょうか。それとも、ポピュリズムそのものが権威やエスタブリッシュメントに変質してしまうのでしょうか。この問題は、「正統」と「異端」の複雑な関係を問うことでもあります。もし「大衆迎合」という意味の悪しきポピュリズムが「異端」ならば、民主主義は異端に乗っ取られてしまった、ということなのかもしれません。しかしもし「正統」が大多数の人びとの意見と同義なのだとすれば、ポピュリズムはむしろ現代民主主義の「正統」だ、ということになります。」
P144「しかし二一世紀を迎えて、民主主義がその内部から崩壊する危険にさらされている現実を私たちは目の当たりにしています。この危険は、民主主義が外部の敵と戦っているうちは顕在化しませんでした。しかしじつは、当初から民主主義に内在していたものです。トドロフによれば、その危険とは「意志力の過信」、すなわち人間の「ヒュブリス」(思い上がり)のことです。」
P146-148「世界中の誰もが、善への能力と意思を用いて理性的な判断や選択ができるのなら、善なる世界を作り出すことができるのかもしれません。これがペラギウスの想定でしょう。しかし、それが人間の驕りや思い上がりでしかないことは、歴史を見れば明らかです。(略)ポピュリズムが蔓延する現在、近代が称揚したペラギウス的な人間観そのものを問い直す必要性があるのかもしれません。」
P149「第1章でお話しした「富と成功」の福音は、先述したペラギウス主義そのままと言っていいでしょう。つまり、過剰なまでの意志力崇拝です。そしてイーグルトンによれば、イギリスと比較して合衆国を特徴づけるのは、「なんでもできる精神」(can-do spirit)です。」
P153「(略)アメリカの自由意志崇拝は、自己責任論とも直結しています。「やろうと思えばなんでもできる」の裏返しは、「できないのはやる気がないからだ」です。(略)こういう人びとにとって、「人生とはみずからが作者となって生み出すストーリー」にほかなりません。イーグルトンによれば、自分の意思だけではどうにもならない運命を背負う「オイディプス王」のような人生の不条理は、平均的アメリカ人にとってはとても想像できません。そんなまだるっこしい文学や芸術は受け入れられないのです。アメリカがここまで意志力を崇拝するのはなぜか。それは、アメリカという国がそもそもの初めから、能動的で計画的な意思の発動によって作られた国だからです。つまり、国家そのものが意思の産物だということです。」
P154-155「(略)アメリカでは「神の前での平等」という宗教的確信のもと、非常に強固な平等主義の倫理が確立しました。(略)この平等主義がエンジンとなって、反エリート、反権威の精神が形成されてきたのがアメリカです。それは大衆の反感・反発も味方につけやすい。」
P157-158「ポピュリズムはむしろ、トドロフが見たように、意志力の過信、人間の思い上がりという面で捉えたほうが見通しはよくなるように思われます。民主主義やそれが前提する人間理解に内在する危険です。ただ、このようにポピュリズムを「悪」と捉える見方自体が、じつは体制側の「上から目線」ではないか、という意見を唱える人もいます。元大阪府知事の橋下徹氏はその一人です。(略)ポピュリズムを悪と捉える見方から、ポピュリズムを擁護する意見まで、このように意見が大きく分かれるのは、ポピュリズムの定義が共有されていないからです。」
P158-159「民主主義が未熟なところでは、民主主義はポピュリズムという手法を用いて前進します。(略)しかし逆に、民主主義が成熟した西洋型社会では、近年に見られるように、むしろ反動的な力をもちやすい。じつは、このような捉えどころのなさにこそ、ポピュリズムの特徴があります。」
P161「常識的な抑制や均衡に対するこうした反発は、しばしば反知性主義と一体になって表現されます。(略)そのためポピュリストは、服装から言葉づかいに至るまで、あくまでも自分が専門家集団の外部に立つアマチュアであることを強調するのです。」
P163「ポピュリズムのもつ熱情は、本質的には宗教的な熱情と同根です。」
P164「政治とは本来、妥協と調整の世界です。一方的な善の体現者もいなければ、一方的な悪の体現者もいません。しかし、ひとたび全国民の「声なき声」を代弁する立場をまとうと、彼らの闘争には「悪に対する善の闘争」という宇宙論的な意義が与えられ、にわかに宗教的な二元論の様相を帯びてくる。だからポピュリストの発言は、妥協を許さない「あれかこれか」の原理主義へと転化しやすいのです。」
P170-171「要するに、政党政治の王道を歩まずとも、インターネットという経路を通って政治の中枢にアクセスすることができるようになった。かつて異端だったらけっして手に入れることのできないものが手に入るようになったのです。「異端であることの代償が小さくなった」と言えるでしょう。人びとは正統である必要を感じず、正統であろうと努力もしません。「みんな違ってみんないい」のであって、むしろ正統であろうとする努力こそ、自分や周囲に抑圧をもたらす根本悪だと言われてしまうのです。」
P176「(略)アメリカはいままで世界全体のことを考えてきたけれど、とうとう国益優先主義になったのか、と考えるなら、それは政治的にはナイーブすぎます。率直に言えば、アメリカが自国を後回しにしてまで他国の利益を優先させたことなど、これまでにただの一度もありません。そして、それはアメリカに限らず、どこの国の指導者も同じです。自国の利益を第一に考えなければ、政治家としてはむしろ背任行為になるでしょう。」
P181「よく知られているのは、丸山眞男という戦後の政治学者の議論です。彼によると、共産主義には正統と異端があるが、全体主義にはありません。共産主義は、かつてソ連と中国がそうだったように、自分こそ真の共産主義だという「正統争い」をしますが、ドイツと日本が自分こそ真の全体主義だといって「正統争い」をしたという話は聞きません。一般に、「正統」というと、折目正しくきちんとしていて厳格なイメージですが、歴史をふりかえると、じつは正統はいい加減で大雑把です。逆に、異端となるのは、知的にもすぐれており、道徳的にも立派な人びとばかりです。」
P185「私が言う正統とは、このような社会全体を支える基礎的な信頼関係のことです。ふだんは気づかないけれど、誰もが前提してそのうえに生活世界を構成しているような信憑性の構造のことです。」
P187「アメリカ的な反知性主義の拠り所は、神の前でのラディカルな平等意識でした。つまり、政治の権力とは別のところで、自分のことを是認してもらえる権威の源泉があったのです。しかし日本では、そういう別の軸をもつ経験がほとんどありませんでした。異端からの挑戦を受けなければ、正統も育ちません。その結果、正統の側も、普遍的な理念や目的を提示できず、系譜や前例や手続きといった官僚的な正統性に依存してことを進めてしまうのです。前著『反知性主義』にも書いたことですが、教育社会学者の竹内洋は著書『大衆の幻像』で、日本にあるのは知性主義でも反知性主義でもない、どちらも中途半端な「半」知性主義だけだと言っています。」
◇ テレビ・ラジオ 夜に帰宅し、夜もまた、テレビ番組をあれこれと。「NHKニュース7」を観ると、ミャンマーで大地震があったというニュースを伝えていた。SNSからはぜんぜんその情報を目にしていなかった。
今日の「徹子の部屋」はU字工事がゲスト。2011年以来、2度目の出演。漫才を披露すると、徹子さんになかなか好感触。栃木弁で会話してみてくださいという徹子さんのリクエストにすぐに応えていたのはさすがだった。学生時代に出演した 1996年放送「AHERA」の映像が流され、初めて観る映像ではないが、ウィキペディアには正式な結成が2000年になってるけれども、「浅草お兄さん会」に出ていたのはその前だったはずだ。都会に憧れ、横浜に住みたいと思っている福田は今は杉並区に住んでいる。
今夜の「A-Studio+」は加藤シゲアキがゲスト。小説を書くようになったのは「A-Studio+」の二宮和也の回を観たのがきっかけだったという。
先週と今夜の「スイッチインタビュー」を2週分、中川家礼二とピアニストの本田聖嗣の顔合わせ。番組は東京さくらトラムの車内で待ち合わせるところから始まる。本田聖嗣が礼二を指名したようで、初対面のふたり、同世代、電車好き同士の対談となる。本田聖嗣のマネージャーとして登場したのは南田裕介、本田聖嗣はホリプロ所属なのだ。礼二の妻がピアノ講師だというのもここで初めて知った。
先週土曜の「NHKスペシャル」は「3世代が選ぶあの番組」という放送100年企画のひとつ、加藤浩次、鈴木奈穂子アナが司会を務め、今田美桜、糸井重里、ミッツ・マングローブが出演、NHKのアナウンサーたちも並ぶ。山川静夫が92歳でまだ元気なのだ。アナウンサーたちを前に番組を仕切ってみせる加藤浩次の司会術がすごい。加藤浩次が「ひょっこりひょうたん島」に反応するので、そんな歳だったかなと確認してしまったが、加藤浩次は1969年生まれ、6歳も上だとは意識したことがなかった。「ひょっこりひょうたん島」は1969年に終わっているのだが、再放送をやっていたのかもしれない。東京タワーの会場にも中継をつなぎ、そこには「オンエアバトル」の高山アナと小堺一機が登場した。「爆笑問題カーボーイ」で太田がこの場面を観た話をしていたが、小堺が思い出の番組として「少年少女ドラマシリーズ タイム・トラベラー」をあげていた、これは「時をかける少女」なのだ。
「NHKスペシャル」をもうひとつ、「未完のバトン」という新しいシリーズが4月から始まる、そのプロローグにあたる番組。ヒコロヒーが出ていたので観ておきたくなった。
深夜になってから、先週土曜の「ナイツのちゃきちゃき大放送」をタイムフリーで聴いた。「常連さん」には犬山紙子が初登場。11時台ゲストは森高千里。現在、55歳。25歳のお子さんがいるのか。ラジオを聴きながら部屋の掃除をする。ダイソーで買ったモップが役に立つ。少しモップをかけただけで、ほこりがかたまりになって出てくる。