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2024年6月18日火曜日

6月18日火曜日/日本の歪み

◇ ラジオ・テレビ・雑誌

 朝、目が覚め、つけっぱなしにしていたラジオを聴いていると、パンサー向井の「#ふらっと」の生放送にビビる大木が乱入し、テレビで生放送中の「ラヴィット!」と中継がつながる。今日のパートナーのココリコ田中とスタッフは知っていて、向井だけに仕掛けるドッキリだったのだが、ビビる大木は「ジョン万次郎」として出演している。向井は意味がわからなかったようだが、ラジオだけで聴いているリスナーも同じように意味がわからない。

 ラジオを消して、ブログの更新をひとつ。外は大雨。今日は寒くなった。録画していたテレビ番組をあれこれと。今朝の「虎に翼」を観て、それから、昨夜の「キョコロヒー」を観る。以前もやったエレベータートークの第2弾、今回は、河合郁人、平野ノラが挑戦する。そのあとにはもうひとつ、世間でいろいろ言われがちなひとを庇えるか庇えないかをジャッジするという企画。ヒコロヒーが電車で会った痴漢の話をした。

 昨夜の「バカリヅカ」は「釣りのいいとこどりをしよう」という企画。釣りがしたい飯塚のために、釣り名人が釣れたところから代わってもらう「いいとこどり」の釣りをする。釣れるまでの待機中には、ゲストの板倉俊之とともにファミコンで遊ぶ3人だったが、そのあとはスーパーカー消しゴムで遊ぶ時間になり、趣旨とは違う部分が長い。20分経って初めて、ようやく板倉担当の名人が釣れるが、結局、この1回だけで収録時間が終わってしまった。

 観そびれていた「ガキの使いやあらへんで!」を数回、3月放送の「クイズ郷ひろみの100のコト」では、松本の代わりに千原ジュニアが出演していた。4月放送の「なんやったっけ?部」では、レギュラーチームの対戦相手に、蛍原徹、原田龍二、TKO木下、錦鯉まさのりが登場した。この企画は観ていて、他人事ではないくらいに思い出せない。

 日曜の「週刊さんまとマツコ」は TVer で観る。ローカルスター特集の特別編として、ゴリけん、カンニング竹山、タイムマシーン3号の関太が出演し、それぞれの事務所の地方進出戦略を語る。ブッチャーブラザーズのリッキーさんがサンミュージックの社長になったことを、さんまはここで初めて知った様子だった。

 楽天マガジンで雑誌のチェックをすると、「FLASH」では、小池百合子の不仲の兄が取材に応え、なんと、学歴詐称疑惑を否定している。そのほか、5ページにわたる「爆笑オンエアバトル」が特集があり、テツandトモ、ハマカーン、マシンガンズ、U字工事のインタビューが載っていた。

◇ 読書

 今日は外出せず、部屋で読書をしていた。養老孟司・茂木健一郎・東浩紀「日本の歪み」を読み終える。2023年刊、講談社現代新書。近代以降の日本社会の歪みを主題にした鼎談。養老孟司と東浩紀の顔合わせが珍しいと思い、読んでみたくなったのだが、ここに茂木健一郎がいないほうが売れる本になったんじゃないかという気もした。以下、気になった箇所を引用。

P23-24 東「僕もここニ、三十年の日本の空気の変化には戸惑います。天皇制にしても、平成期は日本人の天皇に対する感覚が大きく変わった時期で、多くの人が天皇や皇室に親近感をもつようになりました。(略)むしろ安倍政権期に入ってからは、天皇のほうが政権よりも「リベラル」で、左派は天皇に頼るべきという言説すら出てきた。内田樹さんなんかは「天皇主義者」と自身を評しています。加えて、昔は右派といえば保守でナショナリズムを大切にし、左派のほうがグローバリズムだったのが、いまは右派こそ新自由主義でグローバリズムを謳い、左派のほうが国民国家の利害を大切にしろと訴えるようになっている。そういう歪みもあります。」

P40-42 茂木「東日本大震災の被害と空襲の被害が似ていたと伺いましたが、日本人は空襲による焼け野原も、人災ではなく天災のように捉えてしまうと言われます。」(略)養老「受けた側からすると同じですからね。結果的には同じです。」 東「ドイツの哲学者のギュンター・アンダースも、日本人について同じような観察を残しています。彼は一九五八年に広島に行くのですが、当時すでに人々が原爆を地震や洪水のように語り、原爆を投下したアメリカに憎悪を持たなくなっていたことに驚いている。だから、日本人全体にそういう傾向があるのかもしれません。けれど、僕はやはり人間がやったことと人間がやっていないことは分けるべきだとも思います。養老さんの考えでは、一緒くたになるのは仕方がないということでしょうか。」 養老「それは「考え」ではないですね。印象です。そこらへんがたぶん「日本」流の思考の根源にあるという気がします。人為と自然を強いて分けないというか。他人のせいにしても、仕方がないことがある。そういう態度は長い目で見て、自分の為にならない。どうせまた来ますしね。」

P47 東「(略)ただ、繰り返しになりますが、いま僕たちが直面しているのは、加害と被害の関係をはっきりさせることが戦略的に有利になる世界です。たしかに現実は養老さんのおっしゃる通りで、どんな事件でも加害者と被害者が簡単に明確に分かれることはあり得ない。しかし、それでもあえて「被害は絶対だ」と言うことが、大きな政治から小さな政治まで、戦略的に非常に強くなっている時代です。そういう世界で、すべては成り成りて成った、とか言っていると防衛力が低く、大きなところから小さなところまで全てで負けていくことになります。そういう意味では日本のその感覚はあまり役に立たない。これは日本の戦争責任や慰安婦問題に限った話ではなくて、あらゆるところで起きている話だと思うのです。」

P48-49 茂木「脳の研究をしている立場からすると、そもそも人間には「自由意志」は実体としてはなく、すべては幻想であるとも言えます。(略)もちろん、刑事法など、人間の文化は自由意志という「フィクション」に基づいて運用されているわけですが。」 東「僕も究極的には自由意志はないと思っています。」 茂木「養老さんは自由意志はあると思いますか?」 養老「ないない。」(略)東「僕の考えでは、自由意志というのはレトロスペクティブ(遡行的)にしか現れないものなんじゃないかと思います。これは素人の推測でしかないのですが、進化の過程において、意識というのはそもそも、過去の行動で失敗したときに、それを捉え返すプロセスにおいて生じたものではないかと思うのです。何かを決定して行動するという前向きなものではなく、何かを後悔し、「あのとき別のことができたかもしれない」という後ろ向きの働きが、意識というものの基本的な構えなのではないか。」

P51 東「後付けがなくなったら主体性も何もかもなくなってしまう。その点において、さきほど茂木さんはアイデンティティ・ポリティクスは科学的世界観と整合していないとおっしゃったけど、僕はちょっと意見が違う。僕たちは自由意志とか主体とか責任というフィクションを、社会秩序を作るために必要としている。だから一周して、後付けでいいから責任は問うべきだし、自由意志もあると考えるべきである、というのが僕の主張で、同じところに戻ってくる。」

P95-96 養老「僕は、死というのは二人称しかないと思っています。死を悼むことは、二人称の誰かを悼むことです。反対意見があるとか、そんなの雑音ですから、それに気を取られているうちは本気でやっていないだけだと思います。慰霊ってそういうものでしょう。」 東「死は二人称しかないというのは重要なことだと思います。ヨーロッパの哲学には、死について語る言葉が一人称か三人称しかない印象があります。なぜ二人称がないか。これはぼくの直感ですが、ヨーロッパの哲学において二人称的な「親密さ」があまり重視されていないからじゃないでしょうか。(略)このように二人称的な親密さをなるべく消すことがカント的な倫理学の方向性です。これに対して実存主義は一人称を入れたわけですが、いずれにせよヨーロッパの哲学は二人称で考えることが苦手だという印象がある。「近い他者」という問題について考えるのが苦手なんですよ。ちなみに、その傾向はいまの日本のリベラルにも流れ込んでいて、たとえば日本人と外国人を区別するのはおかしい、というよくある議論がその一例です。普遍的な制度設計としてはその通りではあるんだけど、現実には、なにか問題が起きたとき、実際には自分の家族と知らない他人だったら家族のほうを助けてしまうのが人間というものですよね。それは避けられないと思うんだけど、断固そんな贔屓をやってはいけないと言い続けるのがリベラルの立場です。」

P102 東「人間関係を学ぶところが学校しかないことも問題でしょうね。日本では家も地域コミュニティも解体されて、残っているのは学校だけです。僕は、いま日本で起きているさまざまな問題は、子供時代に経験した学校だけが人間関係や上下関係のモデルになっていることに起因していると思います。たとえば日本の社会運動は、基本的には「先生に言いつけてやる」モデルです。運動が自立していない。キャンセルカルチャーだって、大学に手紙を出す、企業に電話をするなど、批判対象の所属する組織の「先生」に言いつける形です。」

P113 東「さきほどのカントの話にもつながりますが、このところ僕が考えているのは、「人間はあらゆるものをゲーム化するけれど、他方でルールは必ず変わるし破られるので、それを絶対化すると長期的には負ける」ということです。人間はたいへんクリエイティブなので、ルールが作られると、必ずその穴を突こうとする。(略)本当に重要なのは、ルールはたえず破られるという前提で、ルールをどんどん変えていくことなんです。」

P118-119 養老「「戦後の平和主義はなんの力も持っていない」と言われますが、そもそも平和主義なんて本当にあったのか。ただみんな戦争が嫌だと思っただけです。」(略)養老「憲法についても、問題はそこにあると思います。言葉で書かれたことでこの国はどのくらい動くのかと考えたとき、この国は言葉では規定できないのではないかと思うのです。」

P136-137 東「僕はゲンロンカフェを一〇年以上やって、たくさんの人の話を聞いてきましたが、そこで気付いたのは、日本のアカデミシャンは聞く力が弱いということです。自分の主張ばかりする。話し相手がいつも生徒や同僚なので、自分の研究の内容を「教える」という関係性しかもったことがなく、対等な対話の訓練を受けていないように思います。(略)だから僕は、書く日本語と話す日本語が違うことを教育課程できちんと教えるべきだと、昔から思っています。しゃべるように書いてはだめだし、書いたまましゃべってはだめなんです。意識的に使い分けられるようになると、みんなもっと日本語がうまくなるはずです。」

P168-169 茂木「西洋の自伝では「私はこういう意思をもち、こういうことを成した」というスタイルで書かれることが多いですが、日本では開戦の言葉すら「やむを得なかった」と、消極的であることは面白いなと思います。これは、繰り返しになりますが、現代の科学における「自由意志」は基本的に存在しないという認識とは実は整合的ですが、社会的、文化的にはポピュラーであるとも、正統であるとも言えない。」(略)東「近代化に成功した国ではめずらしいかもしれません。専門家に尋ねてみたわけではありませんが、僕はそういう「なりゆき」の世界観や主体観は辺境の国に多い思考パターンではないかと思うんです。(略)それはたいへん原始的で、たいていは小さな部族のものでしかないのに、日本はたまたまそういう古い思考パターンを保ったまま大きくなってしまった。本当は少数民族に向いているメンタリティなのだと思います。」

P188 養老「日本の法律っておもしろくて、現状が違法になるように作っている。現状よりも厳しいルールを作ることで、何か引っ掛けようと思えばいつでも引っ掛けられるような状況にすることで権力を維持している。」

P210 茂木「ロシアとウクライナも隣国同士の戦いですが、プーチンが一部で「歴史過剰」だと言われていて、その意見に僕は賛成です。「歴史に学ぶことが大切」と言っても、立場によって何が「正しい」歴史認識なのかは変わります。「正しい歴史」があるとか、精査すれば一つの正しい歴史観に収束するとか、そういう前提で過度に歴史に依拠することで今回の事態が招かれた。ウクライナ東部がロシアのものだとする根拠を歴史に求めるのは、過去の履歴を引き受けることである一方、歴史過剰でもあって、ウクライナ侵攻はまさにその弊害だと思います。」

P224 東「僕は抽象的な政治参加にはあまり興味がないんです。社会が複雑系だという話と関係すると思うのですが、ある理念のもとに知識人が大衆を導いて、それで成功した例しはない。」

P234 茂木「三島由紀夫の割腹自殺事件はどうご覧になりましたか。」 養老「司馬遼太郎が、あの演説を見ていた自衛隊の反応に対して、日本の社会は健全だと書いていましたが、同じような反応でした。僕も含め、いわゆる普通の人は「変な人だな」くらいに見ていたように思います。あれを大きな問題と捉えて騒いだのはインテリ層だけだったのではないでしょうか。」 東「三島由紀夫は日本近代の歪みを正そうとした作家だと言われます。しかし所詮はインテリのあいだのゲームでしかなかったと。」

P248-249 東「人のトラウマへの接し方には、「抑圧する」と「解離する」の二つのモデルがあると言われます。ヨーロッパ人は抑圧し乗り越えるタイプの処理が好きです。ヘーゲルの弁証法というのは、要は「友がいて、敵がいる、だから戦ってどっちかが勝利者になる」というモデルです。勝者は敗者を抑圧し、その傷を乗り越えることでいっそう強くなる。けれど、「友がいて、敵がいる、だから関わらないようにする」という解離による処理もあり得るわけです。いずれにせよ、いまはなにか問題にぶつかると、「なかったことにはしない」乗り越え系の発想を取る文明が強い。だからそちらがグローバルスタンダードに見えますが、巨視的に見れば、「なかったことにする」解離系の文明もいろいろあったのではないか。」

◇ テレビ・ラジオ

 夜にもまた、録画していたテレビ番組をいくつか。今日の「さんま御殿」は「子育てに奮闘するパワフルママ」の特集。谷亮子、澤穂希、安藤美姫が並ぶ。peco をひさしぶりにバラエティで観た気がするが、今年のベストマザー賞に選ばれていたのか。

 放送されたばかりの「家事ヤロウ!!!」3時間スペシャルも観てしまう。この番組自体、一度も観たことがなかったが、黒柳徹子がゲストと知り、これは録画せざるをえなかった。いきなりバカリズムと並び、マイクを手にした徹子さん、「人生のベストテンレシピ」をランキング形式で発表していく。バカリズムと共演したことはあるんだろうか。そのほか、中丸雄一、カズレーザー、平野レミが出演。「徹子の部屋」のセットを使い、「徹子の部屋」の過去の映像もたくさん出された。「徹子の部屋」全面協力。この番組、まさか、徹子さんは3時間ぜんぶ出てるのかなと心配になったが、後半には唐沢寿明が出演するホームセンターのロケが1時間ぐらいあった。後半のこの部分は観ないで消去する。

 聴きそびれていた先週の「伊集院光のタネ」をタイムフリーでまとめて聴いた。先週火曜水曜は特別パートナーに山瀬まみが登場した。伊集院にとってはホリプロの先輩なのだが、年齢は伊集院のほうが2歳上という関係。「いいとも」で共演してたんだっけ。火曜のテーマは「昭和あるある令和ないない」、水曜のテーマは「イチオシ調味料」。そして、先週木曜金曜のパートナーには春風亭一之輔が登場。木曜のテーマは「徳積んだ!」、金曜のテーマは「聞き間違い言い間違い見間違い」。「毎度あり」を「マイダーリン」と聞き間違えたという投稿に、一之輔さんが「前田隣かもしれない」と言ったら、伊集院は前田隣がわからないような反応だった。一之輔さんは「出来心」を習ったときに、五代目小さんの系統の師匠に習ったら、小さんは「金の茶釜」を「金のちゃまが」と言い間違えているのだが、そのまま教えるといって習ったという。

 深夜1時からは「爆笑問題カーボーイ」をオンタイムで聴く。このオープニングトークを聴くまでぜんぜん知らなかったが、鶴光の番組が炎上していたようだ。検索してみると、ピンク・レディーの替え歌があまりにも低俗な内容だったとかで、ニッポン放送が謝罪をしたということか。しかし、より詳しい原因を探してみると、どうやら権利者からのクレームらしく、すると、阿久悠の関係者ということなんだろうか。かつて、「北野ファンクラブ」でやっていた亀有ブラザーズをCD化しようとしたら、阿久悠が激怒してCD化をあきらめたという話があるのだが、そうであれば、コンプライアンスとか時代にそぐわないという問題ではなく、単に、阿久悠だからそりゃ怒られるよという話じゃないのか。

 SNSから、立川流が一般社団法人になったことを知った。中日新聞の記事が出ていて、それによると、志の輔が代表、談春、志らくが副代表だそうで、議員連盟の会合に出席した談春がそれを明かしたようだ。

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2023年2月7日火曜日

2月7日火曜日/大森貝塚


◇ 東京

 夜中に何度も目覚めるが、なかなか起きあがれず、どうも疲れてしまっている。数日前からなぜか鼻汁がひどくなり、しょっちゅう鼻をかむから、ティッシュがどんどん減る。夜も鼻呼吸ができず、目が覚めるとくちのなかがからからに乾燥していて、そのせいだと思うが、口内炎もひどくなってきた。酸素の吸収もおそらく充分でなく、ぼんやりとした眠気にずっと覆われている。

 今日も朝から都内に。東京駅まで出て、昼食は大手町ファーストスクエア、串八珍に入り、もも焼き丼を食べた。950円。オアゾの丸善に寄り、映画関係の棚にあった「キネマ旬報」の年間ベストテンを立ち読みしていたら、近くにいた外国人のおばあさんに尋ねられた。本を探しているようで、どこかで店員に訊いてきたんだろう、棚番号と書名が書かれたメモをもっている。尋ねた相手がたまたま自分だったからよかった。英語は話せないが、元書店員としては、これは探してあげないわけにはいかない。棚番号は本棚の端には表示されているのだが、各棚にはないからこれはシロウトには難しい。探しているのは「ゴジラ VS キングギドラ」という本で、おばあさんには不似合いだが、誰かに頼まれたのか。ゴジラ関連の本がまとまっている棚はすぐに見つけたが、書名からしてどうも大判っぽいと思い、棚のいちばん上に並んでいる大判の本を目で追っていくと、見事、その本を発見した。これは丸善の店員でも見つけられたかわからない。おばあさんは大喜び。なんにせよ、棚のいちばん上では、このおばあさんの背丈では取れなかったろう。

◇ 大森

 それから、東京駅から京浜東北線に乗り、大森に移動する。そういえばと思い出し、ふと、大森貝塚を確認してみたくなった。少し前に、みうらじゅんがラジオで大森貝塚についてしゃべっていて、大森に寄ることはよくあるから、一度、確認してみたいと思っていたのだが、日が暮れる前に訪れる機会がなかなかなかった。改札前にあった地図を見てみると、もちろん、大森貝塚は載っている。大森駅の西口に出て、大井町方面に少し進む。地図によると、どうやら、NTTの建物の脇道を進んだ奥にあるらしいのだが、行ってみると、その入り口には石碑のレプリカが立てられていて、ここだとすぐにわかる。入り口の門は17時に閉まるようで、あと30分程度という時間だったから、少しもたついていたら間に合わなかった。細い道を進み、階段を降りていくと、先客の話し声が聞こえる。大森貝塚に興味がある人間がほかにもいるようで、男性がふたり、ひとりはすぐに出ていったが、ひとりのおじさんは石碑の奥に留まっていた。なにしてるんだと思うが、向こうからしたら、お前こそなにしにきたんだというところだろう。石碑の実物はでかい。すぐ目の前は線路で、スペースが狭いから、正面から写真を撮ろうとすると全体は収まらない。斜めに撮ろうとすると、先客のおじさんがどうしても写ることになる。そのおじさんがいるせいで、どうも居心地が悪かった。石碑をしみじみと眺めることもできず、写真を撮っただけですぐに上に戻った。














 大井町方面にさらに先に進んだところには大森貝塚遺跡庭園というのがあり、こちらも訪ねてみたが、残念ながら、門はすでに閉められていた。こちらの開園時間は16時までだった。また改めて訪ねてみようか。


 大森駅まで戻り、東口に移動し、西友のブックオフに寄る。110円の文庫本を1冊、220円の単行本を3冊買う。ベローチェに入り、ひと休み。タイムフリーで、今日の「ビバリー昼ズ」のオープニングを聴いた。聴いてから今日は火曜だと気がついたが、なぜか今日は水曜だと勘違いしていた。昇太師匠が「笑点」についてしゃべるだろうと思い、気が急いていた。

◇ 読書

 ベローチェで、「彼女たちの好きな鈴木邦男」を読み終えた。2020年刊、ハモニカブックス。少し前に買ってあった本だが、鈴木邦男が亡くなり、このタイミングで読んでしまいたくなった。前半は鈴木邦男の対談集。登場するのは女性ばかり、望月衣塑子、溝口紀子、赤尾由美、雨宮処凛、塩田ユキ、三浦瑠麗、ミサオ・レッドウルフ、松本麗華(アーチャリー)、入江杏という9名。こんな名前が一冊の本に並ぶことはなかなかないだろう。後半は「鈴木邦男さんへの手紙」と題し、中村真夕、香山リカ、早見慶子、ユン・スヨン、御手洗志帆、瀧澤亜希子が寄稿している。鈴木邦男という存在を知ったのはなんだったかなと記憶をたどっていたのだが、巻末に収録された年譜を見てみると、1995年にロフトプラスワンがオープンし、鈴木邦男はそこの「常連登壇者となり、90年代サブカルシーンの登場人物の一人となる」と書いてある。「SPA!」の連載をよく覚えているが、(熱心に読んではいなかったが、)もしかすると、「ゴーマニズム宣言」で知った可能性があるか。

◇ テレビ・ラジオ

 夜遅くに帰宅し、録画していたテレビ番組をいくつか。今日の「徹子の部屋」は傑作選。「昭和の笑いが蘇る」という特集で、染之助染太郎、ケーシー高峰、早野凡平、小松政夫の過去の出演回の映像が流れた。染之助染太郎は、まずは1985年放送、50歳、53歳のときの回、そして、1997年放送、62歳、65歳のときの回では、安室奈美恵「Chase the Chance」をBGMにして太神楽を披露していた。ケーシー高峰はまず先に 2013年放送、79歳のときの回では医学漫談をやっている。これが26年ぶりの出演だという話をしていて、つぎに、その30年前、1983年放送の回を流した。49歳のケーシー高峰はまじめな話をしていた。ケーシー高峰はいつからまじめな話をいっさいしなくなったのだろうか。

 今日放送の「うたコン」も録画しておいた。今日2月7日が誕生日だという阿久悠の特集があり、トップは小林旭が「熱き心に」を歌った。代表曲を紹介するVTRがあり、そのあとには、新沼謙治、山本リンダ、OCHA NORMA が登場した。OCHA NORMA ってグループは初めて知ったが、ハロプロのアイドルのようで、レコード大賞新人賞も獲ってるのか。新沼謙治「嫁に来ないか」、OCHA NORMA「UFO」、山本リンダ「狙いうち」という3曲があり、それから、石川さゆりが登場し、阿久悠の未発表曲「みち」を歌った。そのほか、今日は特集以外の出演者にも観たいひとが多い回だった。スガシカオと一緒に、カネコアヤノが番組初登場。カネコアヤノは「タオルケットは穏やかな」という新曲を歌った。ギター1本で歌うすがたには、音源だけではわからない迫力があった。在日ファンクも番組初登場。そして、最後は OCHA NORMA かと思いきや、小林旭も一緒に登場し、不思議な組み合わせになる。OCHA NORMA の「恋のクラウチングスタート」に続き、最後は小林旭が「がんばれ若僧」という新曲を歌った。今日の放送は捨てるところがなく、寺坂直毅の構成かなと思ったが、エンドクレジットを観ると作家は別のひとだった。

 深夜1時からはラジオ。「爆笑問題カーボーイ」を聴こうと待っていると、スカパラのジングルが始まり、一瞬、局を間違えたのかと思った。今日は生放送。伊集院とのイベントは今日だったんだな。ラジオを聴きながら眠る。

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4月21日日曜日/野毛大道芸

◇ 大道芸  朝、録画残量が足らず、数年前の番組を確認しては消去していく。こんなことのために、いったいいつまで忙しなく過ごしていくんだろうな。今夜までの録画残量をなんとか確保したら、今度は出掛ける支度をしなければならない。家を出るまではラジオをつけておく。「安住紳一郎の日曜天国」...