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2025年2月11日火曜日

2月11日火/モダニズムの美学

◇ ラジオ・読書

 午前中にブログの更新をひとつ。タイムフリーで、ラジオ番組をあれこれと。先週木曜の「トーキョー・エフエムロヒー」は松倉海斗がゲスト。ヒコロヒー脚本のドラマに出演している。先週の「伊集院光のタネ」を聴き、昼は「ちょいタネ」からオンタイムで聴き始めるが、「ビバリー昼ズ」を聴きながら眠ってしまった。午後になってから、ブログの更新をもうふたつ。SNSから、マジカル・パワー・マコの訃報に驚いた。

 午後、部屋で読書。菅野昭正・編「書物の達人 丸谷才一」を読み終えた。2014年刊、集英社新書。丸谷才一が亡くなった翌年に、世田谷文学館で行われた講演シリーズをまとめたもの。5回連続の講座は、川本三郎、湯川豊、岡野弘彦、鹿島茂、関容子が務め、湯川豊の回だけは体調不良のために行われなかったようだが、その原稿は収録されている。この5人のなかでは、鹿島茂の講演がいちばん面白かった。鹿島は丸谷才一のアンソロジストとしての傑出した才能に注目し、その根幹にはモダニズムの美学があると語る。あるいは、座談の名手としての丸谷才一。以下、引用は鹿島茂の講演から。

P131-133「ロマン主義に始まる文学の系譜というのは何かというと、それは、この世に新しいものはある、その新しいものを見つけた人間が勝ちであるという考え方です。新しいものはいいものだと考えるのが、ロマン主義に始まる文学のもっとも基本的な姿勢ではないかと思います。(略)時間軸、空間軸で、より遠くに行けば、新しいものが発見できると信じる態度がロマン主義で、新しいものを発見した人間が勝ちという考え方です。自然主義は、遠い国や遠い昔に行くのではなく、逆のベクトルで、われわれの卑近な日常生活のほうに新しいものを求めます。(略)そういう卑近な現実の中に新しいものはあるんだという方向へと舵を切りましたが、基本的には同じで、やはり新しいものはあると考える点では変わりありません。では、モダニズムとは一体何かというと、(略)モダニズムの本質とは、実は、この世に新しいものは存在しないと認識することにあります。この世に新しいものは一つもない。全部言われてしまって、描かれてしまっている。では、われわれがクリエイトすべきものはどこにあるかといったら、それは新しいものではなくて、むしろ古いものを並び替えたところに求めるべきだ。つまり、アレンジメント、配置転換なんだ。その配置転換とアレンジメントの中にこそ真に二〇世紀的な新しいものがあるんだ、と考える。これがモダニズムの本質です。」

P142「丸谷さんの文章を読んでいると、常に対話が行われている文体なんですね。それは、エッセイでも小説でも全部そうです。対話を活かしながら話が進んでいく。常に他者がいて、その他者との会話で論点を深めながら小説なり、エッセイを進めていくのが丸谷さんのやり方です。」

P142-143「私小説が丸谷さんの文学的な最大の敵だったことはよく知られていますが、私小説で丸谷さんが一番嫌いだったのは、そこには対話がないということなんです。日本的な私小説は、とにかくおれが、おれがということだけで済んでしまう。そこには、他者との対話がない。これは批評性のなさに通じます。(略)先ほど言いましたように、丸谷さんの美学はモダニズムなんです。モダニズムというのは、基本的にアンソロジーです。私小説的な、おれが、おれがではなくて、さまざまな要素を一人の編集者がさまざまに取り入れたうえで、それぞれに対話させながら、あれもいい、これもいい、どうしようかというような感じでつくっていくものです。」

P150「小林秀雄という人は文芸評論というかたちで私小説を書いた人です。いろいろなカムフラージュがしてあるけれども、基本的には小林秀雄は私小説家です。本来は詩人になりたかった。評論はそれのカムフラージュの姿です。その小林秀雄的な私小説で丸谷さんの一番嫌いだったことは何かというと、それは「いきなり」性なんです。ダイレクト性なんです。小林秀雄はランボー論に「人生斫断家」という難しい言葉をつけた。「斫断」というのはぶった切るということです。人生をいきなりぶった切ってしまう人、それが、ランボーだと言うのが小林秀雄です。」

P151「小林秀雄は、自分自身が人生斫断家だった。いきなりダイレクトに一気に到達したいという性急さがあの時代の若い人に圧倒的人気を博した理由なんですが、その若い人に人気を博した小林秀雄の方法こそが丸谷さんの最大の敵なんです。」

◇ テレビ・ラジオ

 TVer とNHKプラスを駆使し、テレビ番組をあれこれと。今日の「徹子の部屋」は竹下景子がゲスト。西田敏行の思い出などを語っていた。

 放送直後の「#バズ英語」を観ると、森川葵は今週も体調不良のために欠席。森崎ウィンをゲストに迎え、タイの特集。タイの人気インフルエンサー、ナインさんがタイの公園をレポートする。まるで記憶になかったが、ナインさんてひとは大晦日特番にも出たんだっけ。新企画があり、鳥飼先生が映画監督になり、英語で表される表情をそれぞれが実演するというもので、さまざまな笑顔の表現の違いが問題になっていた。「grin」はにっこり笑う。「giggle」はくすくす笑う。「laugh」は声を出して笑う。「laugh(ing) out loud = lol」は爆笑。怒りの表現、「annoyed」はいらいらした、むかついた。「furious」は激怒、それがさらに進むと「outraged」。

 今日の「さんま御殿」は「家業がスゴい有名人SP」。柿澤勇人、森日菜美、笹井千織が初登場のほか、元ちとせ、SAM、鈴木福、酒井美紀、野呂佳代、三田友梨佳、こがけん、カミナリたくみ、オズワルド畠中、佐野文哉が出演。野呂佳代の実家は理美容室なんだそうで、「伊東家の食卓」の1回目に野呂家が出てるんだって。

 これも今夜の「ワルイコあつまれ」を観るが、この番組は「子ども記者会見」をすっかりやらなくなってしまった。「ワルイコTVショッピング」にはヨーガの達人だという成瀬雅春という人物が登場。商品は「ヨーガの達人が20年以上身につけていたマーラー」というもので、マーラーというのはインドの数珠のこと。空中浮遊しているという写真が出たのだが、怪しいひとではないのか。スタジオでは速歩というのを実践してみせる。

 昨夜の「キョコロヒー」は「お仕事中何を考えてる?」という新企画があり、映像監督、スタチューパフォーマー、試食販売員が仕事中に考えている本音を答える。番組後半も新企画「学問の入り口」。人類に進化した猿としなかった猿の違いはという斎藤京子の疑問に、青山学院大学の平田普三教授が答える。

 Netflix で、評判のドラマ「クジャクのダンス、誰が見た?」の第1話を観る。脚本は「東京サラダボウル」と同じ、金沢知樹。主演は広瀬すず、そのほか、松山ケンイチ、磯村勇斗、リリー・フランキーらが出演。どちらのドラマもマンガのようなセリフまわし、同じ脚本家のせいかと思ったが、どちらもマンガ原作なのか。しかし、第1話を観るかぎりでは惹きつけられるストーリーだ。CMを抜くと45分という長さも「東京サラダボウル」と同じで観やすい。

 タイムフリーで、今日の「ビバリー昼ズ」を聴きなおす。12時台ゲストはイモ欽トリオ。意外や、東貴博は長江健次と会うのは初めてだという。子どものころに「オールスター家族対抗歌合戦」で同じ場にいたことはあっても、共演というかたちはなかったのか。「ハイスクールララバイ」のイントロのビンタの振り付けは山口良一と西山浩司がふたりで作ったもの。レコーディング中、長江健次が歌入れしているときにひまだったから、イントロが何度も流れるので、そのときに遊んでいたらそれが採用された。この振りは沢田研二にも褒められたことがあるという。長江健次は大学に進学するためにイモ欽トリオを辞めたが、大阪で鶴瓶と番組を始めたために欽ちゃんを怒らせた。このあたりのことはウィキペディアにも詳しく書いてある。欽ちゃんが「24時間テレビ」でマラソンを走ったときにイモ欽トリオが集まったが、長江はそんな辞めかたをしているために呼ばれないことが多かったから、欽ちゃんに嫌われていると思っていたが、ひさしぶりに会ったそのときに「フツオ、お前、目の奥が汚れてる」と言われた。長江「だから、それ言われたとき、最初ね、落ち込んだの。まだ大将に嫌われてるわって。でも冷静に考えたらね、さっきの話ですよ、大将、絶対、右って言うたら左って言うじゃないですか。左って言うたら右って言うじゃないですか。絶対、僕には、昔から、褒められることとか、いいとかいうことは言われたことないので。もうそのあとからは、大将とこ行ってもなに言われても平気になりました。大丈夫です。そうですね、そうですねって。大将にもちょっと、明治座の楽屋行っても突っ込めるようになりました。なに言うてるんですかって、だいぶですよ。それでも怖いですよ。」「そんときは落ち込みましたよ。だって、ふたりに相談したもん。目の奥が汚れてるって言われたけど、俺はこれはここにくるなって言われてることなのかなとかね、思うじゃないですか。」 長江の話を聴いた東貴博は、自分が弟子になったときには、欽ちゃんに「お前の目は女を追っちゃってる」と言われたという話をした。

 深夜1時からは「爆笑問題カーボーイ」をオンタイムで聴く。先日の「タイタンライブ」の楽屋で、プリンプリン田中から、笑組が「THE SECOND」に出ていることを教わったようだ。それから、おなじみの笑組がラ・ママで南京玉すだれをやっていた話、漫才協会のことなど、そんな話を楽屋でげらげら笑いながらしゃべっていたら舞台監督がドアを閉めにきたって。そのあとにはまた先週のサンドウィッチマンと話したことにつながる話になり、「たけし杯」優勝のシティホテル3号室にも触れつつ、そこでたけしが語っていたらしいことを引用する。「日曜サンデー」にやってきた井上順と話したこと、そのときに、井上順とは「ドリフに大挑戦」の現場では会わなかったが、爆笑問題のコントを観てくれて、それを褒めてくれたことに太田はものすごく勇気づけられたという。太田は作家たちにその放送を聴かせたかったが、ところが、作家たちが太田に興味がないといって怒っていた。まあ、どこもそういう問題はあるのだろう。

2022年8月13日土曜日

8月13日土曜日/「まんが道」の再放送

◇ パソコン

 昨夜からパソコンが充電されず、原因がわからない。電源タップを交換し、ひとつのコンセントから電力をとっているから、電力が弱くなっているのではと思い、時間が経てば、充電器に電気が溜まるのかしらと考えていたが、朝を待っても状態は変わらない。今まで使っていた電源タップが熱で溶けていたことがわかり、怖いから、パソコンをつながないときはタップのスイッチを切っていたのもなにか関係しているだろうか。なんにしても、今日は台風だから外出しないつもりでいたのに、このまま一日、パソコンが使えないのは困る。家での作業はすべて止まってしまうし、ブログも更新できない。壊れるにしても、間が悪すぎる。なんとかならないかとスマホで検索し、調べてみるものの、ヨドバシカメラの相談窓口を利用するのがいちばん手っ取り早いとは思うのだが、台風の日にヨドバシカメラまで行くのはいやだ。明日になんとかするというのがいちばん楽なのだが、今日一日、パソコンは使わずに済ませられるだろうか。パソコンに悩まされながら、「ナイツのちゃきちゃき大放送」を聴いた。ラジオを聴きながら、30分ぐらい眠る。

◇ テレビ

 今日はどうしようもないから、録画していたテレビ番組を観ていくしかない。昨夜の「タモリ倶楽部」には大塚愛が出演し、「世界のたこ焼きパーティー」という企画。今朝の「週刊フジテレビ批評」は、恒例の「夏ドラマ辛口放談」に、XXCLUB の大島育宙が初参加していた。(ドラマ考察の YouTube をやっている。) 大島のほかは、吉田潮、木村隆志、梅田恵子というメンバー。常連だったこじらせハスキーの橋爪ヨウコはいなくなってしまった。「ワルイコあつまれ」も観ると、「慎吾ママの部屋」のコーナーでは、宮澤エマが紫式部を演じていた。演技をする印象があまりないなと思ったが、そういえば、「鎌倉殿の13人」にも出ていたんだった。途中で観るのをやめたから忘れてしまっていた。ウィキペディアを見ると、香取慎吾とは、やはり、三谷幸喜の「誰かが、見ている」で共演しているのだが、これも1話だけしか観てないから忘れていた。

 水曜木曜の深夜に一挙再放送されていた「まんが道」を1話から順に観ていく。この2日間で全15話が放送される予定だったが、地震のニュースがあったために、9話までしか放送されなかった。続きの放送はいつになるのだろうか。このドラマはリアルタイムでも観ているのだが、ウィキペディアにあたってみると、1986年11月から「銀河テレビ小説」の枠で放送されている。ということは、小学5年生のときに観ていたのか。そのときに、原作は読んでいたのかどうか。中央公論社のぶ厚い愛蔵版が手元にあるのだが、何十年ぶりに取り出してみると、1986年10月初版になっているからドラマに合わせて発売されたのだろうか。しかし、手元にあるのは、1987年7月6版だから、明確にドラマの放送よりもあとに入手したものだとわかる。じゃあ、ドラマの翌年に読んだのかというと、よくよく記憶をたどってみると、初めて読んだときはどうも友だちに借りたような気もして、こうなるともう正確なことはわかりようがないのだが、原作との違いを感じながらドラマを観ていたような気もなんとなくしている。

 改めて観ると、子どものころには気がつかなかったキャストにも目が向く。喜劇人好きとしては、玉川良一が銭湯で浪曲を唸る場面だとか、桜井センリと犬塚弘が共演している場面などには心躍らされてしまうではないか。犬塚弘は「あばれはっちゃく」の教頭先生で知っていたが、桜井センリは当時は知らなかったんじゃないだろうか。編集者を演じるケーシー高峰は認識していたような気がする。そして、なんといっても、このドラマはイッセー尾形がすごくいい。満賀道雄の新聞社の上司にあたる人物を演じているのだが、原作でもこの変木さんというひとがもっとも印象に残っているし、満賀道雄が変木さんからさまざまな心得を教わるのと同じように、「まんが道」を読みながら、小学生だった自分も変木さんの影響を受けていたのだとすら思える。イッセー尾形は「意地悪ばあさん」のお巡りさんでもあったから、すでに親近感をもって観ていたのではとも思うが、いや、改めて観ると、一挙手一投足がすべて面白い。イッセー尾形の芝居に強く惹きつけられる。イッセー尾形だけでなく、この新聞社のひとたちのキャストは絶妙で、この新聞社のひとたちはこんなにいいひとたちだったんだというのは、小学生のころにはどこまで理解できていただろうか。子どものころには、当然、漫画家を目指す若者たちのストーリーに夢中になっていたはずだが、四十代のおとなの目で観ると、新聞社のだめな新人社員の物語に、わが身をふり返るようなところもあって、心打たれてしまう。木原光知子と小倉一郎の優しさに感動する。

◇ 読書

 「まんが道」は観始めたら止まらなくなり、結局、9話まで、録画したぶんはすべて観てしまった。23時からは「HONMOKU RED HOT STREET」をオンタイムで聴いた。

 「まんが道」もさすがにぶっとおしで観ていたわけではなく、休みながら、その合間には読書もしていた。北杜夫「私はなぜにしてカンヅメに大失敗したか」を昼に読み始め、深夜に読み終えた。2012年刊、実業之日本社文庫。親本は1991年刊。それに、1992年発表、未収録の1篇が加えられた短篇集だ。北杜夫はどうも今まで縁がなく、1冊も読んだことがなかったのだが、初めて読むのがこの本でよかったのだろうか。しかし、今さらながら、すごくシンパシーを感じる部分があった。解説は坪内祐三。「私小説であるよりもこれは余談小説」「この種の余談小説を、読者を飽きさせずに描ける(語って行ける)作家は少ない。」 あるいは、作中にある「こんな妖しげなエッセイだか私小説」という言葉を引き、「そのような「妖しげなエッセイだか私小説」だかを書くことの出来る(た)最後の一人が北杜夫だ。」と評価する。坪内は、マーク・トウェイン以来のアメリカ文学の影響も指摘し、ほら話の系譜として、ともに純文学作家にしてユーモア作家であり、青山にゆかりがあるという共通点ももつ、小林信彦の名も挙げている。

ブログ アーカイブ

8月12日月曜日/「徹子の部屋」と戦争

◇ テレビ  午前中がいちばん涼しいからよく眠れる。じわじわ暑くなってきたころに起きあがり、ブログを更新。録画していたテレビ番組をあれこれと。今朝の「虎に翼」は、ユミちゃんが大きくなって、別の子役になった。寅子、ハナエちゃんも老けづくりになり、いよいよ終盤になってきた感がある。 ...