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2024年4月12日金曜日

4月12日金曜日/天津麺の謎の価格設定

◇ テレビ・雑誌・ラジオ

 早朝に目覚め、ゴミを出しに行こうとするのに土曜と錯覚してしまったが、今日は金曜だ。出すゴミを間違えるところだった。ブログをひとつ更新してから、もう少し眠りなおした。起きあがり、録画していたテレビ番組をあれこれと。「虎に翼」はまだ2週目が終わったところだが、本当に素晴らしいと感じる。終盤に出ていたのはサスペンダーズではなかったかと思い、オープニングのクレジットを確認しなおしてみたがすぐには見つけられず、見つけられないはずで、コンビそれぞれの名前でクレジットされていた。コンビ名でクレジットしてあげればいいのになあ。

 水曜に放送された「週刊ナイナイミュージック拡大号」を観ると、さんまが出るから録画しておいたのだが、前半は Number_i がゲスト、続いてのゲストは YOASOBI。Ayase はオカザイルを観て、EXILE を聴き始めたんだそうで、いや、この影響力は本当にあなどれない。番組終盤になり、アルフィーと一緒にさんまが登場した。今度放送される「心はロンリー」の主題歌をアルフィーが手掛けたのだ。過去の「心はロンリー」の名場面を流してくれたのが嬉しい。

 火曜に放送された「さんま御殿」の3時間特番は最初のブロックだけ先に観ていたが、その続きを観る。2ブロック目は「体調すぐ悪くなる有名人」。永尾柚乃ちゃんが初登場。柚乃ちゃんとのやりとりはさんまの真骨頂だ。はいだしょうこも可笑しいひとだな。3ブロック目は「妻たちの財布見直しSP」。ひろゆきの妻、西村ゆかが出演していたのだが、しゃべるとやっぱり、ひろゆきと似た口調と表情が出るものだ。ものが捨てられないという松本伊代に、さんまも「俺ら、それができないからな。」「思い出やん、別にいるもんではないねん。」「オブジェにしてる。本が何冊もあったら、それを部屋のデザインに合わせて置いたり。」

 今日の「徹子の部屋」は睡眠学者の柳沢正史がゲスト。睡眠でいちばん大事なことは「量」であるという。必要な睡眠量には個人差があるそうで、「4日間チャレンジ」というのを説明し始めると、徹子さんはメモをとり始めた。「4日間チャレンジ」とは、まず、4日間連続して眠りたいだけ眠れる環境を用意する。多くのひとは、ひと晩目はすごくたくさん眠る。2晩目、3晩目と短くなり、4晩目に落ち着いてくる。その4晩目に何時間眠れたか、それがそのひとにとっての充分な睡眠量ということだ。日本の住宅は夜は照明が明るすぎるんだそうで、ちょっと薄暗い程度のほうが生物学的にはいいというのだが、眼は悪くならないのだろうかという疑問は湧いてしまうな。徹子さんの睡眠について訊かれると、徹子さんは 23時頃に眠り、9時か10時頃に起きる。たまに4時頃に目が覚めて、ちょっとお湯を飲んだり、チョコレートを食べたりして眠りなおす。昼間に眠くなるということはないそうだ。

 楽天マガジンで雑誌のチェックをすると、「週刊ポスト」に爆笑問題のインタビューがあり、インタビュアーはてれびのスキマさんだった。「週刊現代」には「ガキの使い」の中村喜伸プロデューサーの金銭トラブルの記事が出ている。

 タイムフリーで、今日の「ビバリー昼ズ」を聴くと、曙の訃報について、松村邦洋が貴乃花親方になって語っていた。さらに、貴闘力を磯山さやかが翻訳する新コンビネーションが誕生。ミチコさんの室井佑月と土屋のコンビの応用だ。そのあとには、加藤和彦のドキュメンタリーを観てきた高田先生がそれをクイズにするが、松村、磯山が、加藤和彦という名前をまったく当てられずに、それだけでオープニングが終わってしまった。

◇ 星川

 夕方から外出。星川に出て、保土ヶ谷図書館に寄り、返却する本が1冊あったのだが、また新たに6冊も借りた。イオン天王町1階の餃子の王将にて、遅めの昼食。極王天津麺と餃子を食べる。1067円。千円を超えるとは罰当たりな昼食だ。普通の天津麺を食べたかったのだが、いつの間にか値上げしていて、極王天津麺と同じ値段になっていた。だったら極王天津麺を頼むに決まっているじゃないか。なんなんだろうか、この謎の価格設定は。3階のフードコートに移り、マクドナルドのアイスコーヒーを飲みながら、しばらく読書していく。小林信彦「決定版 世界の喜劇人」を第二部の序章まで読んだ。

◇ テレビ

 夜遅くに帰宅し、夜にもまた録画していたテレビ番組をいくつか。今日放送されていた「ミュージックステーション」の2時間特番を観ると、出演者が階段から降りてくるオープニングがひさしぶりに復活されていた。はっきりとは記憶していないけど、コロナからやらなくなっていたんだっけ。柏木由紀がAKBとしては最後の出演だったのだが、今日が100回目の出演という回数にはちょっと驚く。「人気アーティスト20組のデビュー曲一気見せ!」という企画もあり、B.B.クイーンズ「おどるポンポコリン」に超豪華アーティストが参加したといって、森高千里、Wink、中森明菜、工藤静香、中山美穂、光GENJI が一緒に踊っている映像が流されたのだが、生島ヒロシだけは名前のテロップが出されず、出してあげればいいのにと思った。

2024年2月14日水曜日

2月14日水曜日/広尾を歩く・読書論

◇ 広尾

 早朝、つけっぱなしだったラジオから、生島ヒロシの番組に池畑慎之介が出ている声がして、池畑慎之介が、目が覚めても横になる時間を作るというような話をしていたのを、なるほどと思いながら聴いた。からだを起こしていると背骨に負担がかかるその疲れがあるというわけだ。クルマのなかや電車のなかでよく眠ろうと、からだは疲れているのだろう。今日も朝から都内に。今朝はあたまが冴えていて、電車のなかで読書がずいぶん進んだ。昼には広尾のほうまで行くことになり、広尾なんて街はほとんど知らないから、駅の近くの商店街を端っこまで歩いてみた。広尾散歩通りという名前がついている。寿という焼き鳥屋に入り、ランチメニューのスパイシーチキンカレーを食べた。600円。これがなかなかにスパイシーすぎて、口内がぴりぴりし、水をたくさん飲んだ。スプーンをコップに差して出す店だった。

 広尾プラザというショッピングビルを覗き、向かいの広尾ガーデンにも行ってみると、こちらは2階に文教堂が入っている。近くに大きな公園があり、有栖川宮記念公園という。ニセ有栖川宮の結婚式というのがあったが、あの有栖川宮か。行ってみると、大きな池があり、木々の向こうには六本木ヒルズのてっぺんが見える。子どもたちが遊んでいて、日本人の子たちに見えたが、はしゃいでいる声が英語だった。敷地内には図書館もあった。

 帰りは東京駅のほうにまわり、八重洲のベローチェに入り、ひと休み。ラジオを聴きながら少し眠る。東海道線に乗り、横浜に戻ってきて、ビブレのブックオフに寄っていく。220円の文庫本を1冊、単行本を1冊買う。

◇ 読書

 帰りの電車内で、津野海太郎「読書と日本人」を読み終えた。これも図書館で借りた本。2016年刊、岩波新書。年末に読んだ「最後の読書」(2018/新潮社 → 2021/新潮文庫)から、今年に入ってからは「本はどのように変わっていくのか」(2019/SURE)を読み、津野海太郎の読書論を続けて読みたくなっている。出版順でいうと、この「読書と日本人」のほうが先だ。前半は「日本人の読書小史」として、読書という行為がどのように作られてきたのかを「源氏物語」の時代から探っていく。音読から黙読、仮名文字の普及による読書の変化。後半は「読書の黄金時代」と題し、自分にとってはこの後半のほうが面白く、興味があった。二十世紀という時代は、読書にとって、特殊で例外的な時代であったということ。特に、自分が体験してきた時代のなかでは、〈かたい本〉から〈やわらかい本〉へという変化が進んでいったということが書かれていた。80年代のニューアカブームは、津野海太郎は「〈かたい本〉の復権というよりも、〈かたい本〉が読書の中心にあった時代の終わりを告げる最後のお祭りという感のほうがつよい。」と書いている。その変化が、今は図書館にも影響を及ぼしているという。以下、気になった箇所の引用。

P20「科学史家の中山茂が、その著『パラダイムと科学革命の歴史』で、ヨーロッパの学問を推しすすめるエンジンは「論争」だったが、中国の学問では「記録の集積」が優先された、という意味のことをのべています。したがって中国の教育では、他人を説得する〈弁論力〉ではなく、紙や竹簡にしるされた先行者の言動(先例)を、繰りかえし声にだして読み、そのすべてを頭に叩きこんで、必要なとき瞬時に思いだせるようにすること、つまり〈記憶力〉がもっとも重視されることになる。」

P38「宮廷の女性たちを最初の読書とする『源氏物語』が、その後、定家にはじまり実隆や宗祇にいたる古典化運動をへて、伝統的な宮廷社会のそとの大名や一般の武士のあいだにまでひろまってゆく。いってみれば源氏読者の地方化、全国化です。そして、そのきっかけになったのが、生まれも定かでない連歌師と由緒ただしい宮廷貴族との階級差をこえた共同作業だったというあたりが、いかにも乱世ふうでおもしろい。」

P42「まずは仮名文字の普及に反比例して、貴族や僧侶など、専門知識人以外の一般の知識人の漢字能力が徐々におとろえを見せはじめたこと。そして第二に、この時代も終わりに近づくにつれて、それまで文字には縁のなかった下層武士や村の名主クラスの百姓、ひいてはその妻や娘までが、公文書をはじめとする、さまざまな文章を書いたり読んだりできるようになったこと――。」

P52-53「関連してもうひとつ、おおくの中世史家たちが見るところでは、公私を問わず、平仮名の普及によって文書のかずが増えるにつれて、文字から品格がうしなわれ、急速に読みづらくなってゆく傾向がめだつそうです。どうやらこのあたりから、人びとが文字にいだいていた「畏敬の感情」が薄れ、「文字にたいする社会の感覚」が変わってきたらしい。そう網野善彦も『日本の歴史をよみなおす』で指摘しています。」

P67(サムライの読書について)「そのためには儒教にかぎらず、ほかにも多くの本を読んでじぶんを変え、じぶんを磨いてゆかねばならない。しかし、なにしろいくさに明け暮れて、本にしたしむ習慣などとは無縁に生きてきた者がほとんどですから、まずはそのための入門書、本はどのようにえらび、どう読めばいいのかという即効的なマニュアルがいる。そこで江戸時代をつうじて、そのたぐいの本がさかんに出版されることになった。」

P115「ある社会の遠い過去にあった最盛期を理想化していったことば。それが「黄金時代」ですね。したがって〈読書の黄金時代〉というと、歴史上、これ以前にはなかったし、そしてこちらがより重要なのですが、この先もおそらくないであろう読書の輝かしい最盛期という意味になる。」

P125「明治初期が〈新聞の時代〉だったことはすでにのべました。つぎがこの〈雑誌の時代〉で、それに後押しされるしかたで〈書籍の時代〉がやってくる。ただし念のためにつけくわえておくと、これまた日本だけに見られた特殊な現象ではなかった。さきほどのロジェ・シャルチエが、十九世紀のフランスでも〈新聞→雑誌→書籍〉という段階を踏んで生産や流通の近代化がすすんだとのべていますし、アメリカ合衆国でもまさしくそうだったらしい。」

P156「そしてこの過程に並行して、社会の各層で、読書を健全な暮らしを乱す悪徳の一種と見なす旧来の慣習が力を失ってゆく。都市だけでなく農村でも、頭ごなしに読書を禁じた二宮金次郎の親戚のおじさんや、「本ばっかり読みなんな」と息子を叱る中野重治や三木清の母親たちのような人びとのかずが減り、それにかわって「私たちの人生にとって読書というのは基本的によい習慣なのだ」と考える新しい常識が社会に根づきはじめた。〈二十世紀読書〉の基本となり、いまもまだなんとか生きのびているのが、この新しい常識なのです。」

P163「本にはじつはふたつの顔がある。ひとつは商品としての顔。そしてもうひとつが公共的な文化遺産としての顔です。出版社は本を売り買いする商品として生産し、図書館はその本から商品性をはぎとって、だれもが自由に利用できる公共的な文化遺産としてあつかう。だから書店では金を支払って買わなければならない本も、図書館に行けばタダで読めてしまう。このふたつの顔の実現不可能とも思える共存を、出版社と図書館の双方がそろっておおやけに承認した。〈見知らぬ他人たちとともに本を読む〉という二十世紀読書の基盤には、ひとつには、そうした二重性をゆるす寛容さと大胆な制度的決断があったのです。」

P166-167「ただし小型で軽い文庫本ならともかく、小さな活字で小説や評論をぎっしりつめこんだ部厚い円本を通勤電車で読むのは、なかなか楽ではない。いきおい、かれらの関心は「それほどの集中力を必要とせずに気軽に読めるものや短い時間で読み切れるもの」のほうへと流れ、それに応じて「新しいジャンルの読物」が登場してきた。ひとつは随筆・探訪・座談会・実話・手記などの、ひとまとめに「雑文」とよばれる軽読物。(略)そしてもうひとつが新興の大衆小説。さきにふれた時代小説や通俗小説です。(略)したがって総じていえば〈かたい本〉から〈やわらかい本〉へ――その半世紀後、一九八〇年代の流行語でいえば〈重厚長大〉型読書から〈軽薄短小〉型読書への移行です。」

P168「そのことともかかわって、もうひとつ例をあげておくと、〈おそ読み〉から〈早読み〉への変化。これも二十世紀にはいって私たちの読書に生じた特有のクセといっていいでしょう。(略)のみならず出版流通がととのって読みたい本が入手しやすくなり、電化によって夜でも本が読めるようになった。〈おそ読み〉から〈早読み〉への変化は、なによりもまず、こうした近代化プロセスがもたらした必然の結果だったのです。そして〈早読み〉はただちに〈多読〉につながる。少数の本を繰りかえし読む。それが前代の読書の基本的な姿勢だったが、それが出版近代化以後、大量生産された本をできるだけおおく読むことに変わる。この変化が決定的なものになったのが、大ざっぱにいって、やはり教養主義的読書の時代だったのです。」

P224「そして、こうした現象とも関連して注意しておきたいのが、そのしばらくまえから〈読書〉にたいする人びとの態度がゆっくりと変わりはじめていたことです。変化の理由は重層的ですが、この本の文脈でいえば、高度経済成長期ののち、出版点数がふえるにつれて人びとが大量の本にかこまれて暮らすようになったことが大きい。そんななかで、いつしか飢えの時代のきまじめな読書法の力が薄れ、おびただしい量の本といかに気分よくつきあうかという、いわば満腹時代の新しい読書法がもとめられるようになった。」

P230「売れない既刊本のなかでも、とくに売れなくなったのが〈かたい本〉です。従来、この種の本(おもに人文書)の出版社は、大小を問わず、その在庫を十年とか二十年という長い時間をかけて売ることで、経営をなりたたせてきた。つまりベストセラー狙いとは正反対のロングセラー商法です。ところが前世紀の終わりごろから、本をつくる側と読む側をひっくるめて、世間に「すぐ大量に売れる本が勝ち、売れるのに時間のかかる本は負け」という気分がひろがり、それにつれて「負け」と目された既刊本の在庫が動かなくなった。そのため従来どおりのロングセラー商法をつづけてゆくことが、きわめて困難になってしまったのです。」

P232「そしてこれらの「改革」の一環として、近年、図書館が新たに購入する本に占める〈やわらかい本〉の割合が激増し、その一方で〈かたい本〉のかずがますます減らされている。」

P256-258「いまの学生はたしかにあまり本を読まない。だからといってかれらが「もう本なんかなくてもいいや」と考えているのかといえばさにあらず。教室でなんどか試みたアンケートによると、むしろ「なくなっては困る」と感じている者のほうが圧倒的に多いのです。(略)もちろん実際には、かれらはあまり本を読んでいません。ただし、毎日新聞社が戦後つづけてきた読書調査によると、近年は、「このごろの若い連中はちっとも本を読まない」となげく老人たちのほうが若者以上に本を読んでないらしい。とすれば、なにも「若い連中」にかぎらない。中高年をふくむすべての日本人がしだいに本を読まなくなるなかで、かれらも本を読まなくなった。そう考えておくほうがより正確なようなのです。」

P260-261「あらためて整理しておくと、この〈黄金時代〉を実質的にささえてきたのが、大正から昭和にかけて資本主義的産業として再編された出版ビジネスです。直接の動力は「亜米利加型」のあられもない利潤追求。(略)ところが二十世紀も終わりに近づくにつれて、その資本主義が変質しはじめる。すなわち「すぐ大量に売れる本がいい本」という風潮が本の市場に定着し、そんな環境を自明のものとしてそだった人びとが読者の中心を占めるようになった。そして、おそらくはその結果として、ごく少数の「いちばん売れる本」に読者が殺到し、ほかの本はまったく売れないという極端な傾斜が市場に生じてくる。(略)蔓延するハリー・ポッター現象のおかげで、〈かたい本〉と〈やわらかい本〉の別なく、いつでも、どこでも、だれもがタダで多様な本を読めるという公立図書館の理念が、もろくも破綻しかけているのです。」

◇ テレビ・ラジオ

 夜遅くに帰宅し、録画していたテレビ番組をいくつか。今日の「徹子の部屋」は傑作選「生誕100年の名優たち」。淡島千景(1980年放送)、鶴田浩二(1978年放送)、乙羽信子(1981年放送)、赤木春恵(1982年放送)の映像が流れた。昨夜の「イワクラと吉住の番組」は「クイズふまんだらけ」の2回目。この企画、前回がすごく面白かったのだが、2回目も期待どおりの面白さ。前回と同じく、進行役はパンサー向井、回答者にはウエストランド井口に加え、鬼越トマホーク坂井、お見送り芸人しんいちが登場した。

 Spotify のポッドキャストで「松尾潔の Brush up」を聴くと、「不適切にもほどがある!」を話題にしていた。


2024年2月6日火曜日

2月6日火曜日/雪・穴守稲荷

◇ 穴守稲荷

 早朝、明るくなる前に、うちの前だけ雪かきをする。昨夜のうちに一回やっておいたから、まだそれほど積もってはいなかった。朝から都内に。京浜急行に乗り、空港線の穴守稲荷まで。昼には駅前に戻り、四川食府という店に入り、ランチメニューのラーメンとチャーハンのセットを食べた。なんというラーメンだったっけ、いつもはスマホに必ずメモを残しておくのに、今日はしそこねてしまった。スマホの充電器をうちに置いてきたことに気がつき、昨日のように急にバッテリーが落ちてしまうことを恐れ、スマホを無闇にいじれなくなった。店内のテレビには「徹子の部屋」が流れていた。

 横浜駅まで戻り、東口のドトールに入り、ひと休み。しばらく読書をしていく。西口に移動し、ジョイナスのリアットに寄り、注文してあったスペアキーをもらってから帰る。夜にはもう、うちのまわりの雪はおおむね溶けていた。

◇ テレビ・ラジオ

 夜に帰宅し、録画していたテレビ番組をあれこれと。今朝の「ブギウギ」には、L字型の画面で大雪の情報が出されていた。ドラマはいよいよ「東京ブギウギ」が生まれようかというところだ。そして、楽しみにしていた今日の「徹子の部屋」は、新しい学校のリーダーズがゲスト。スタジオで「オトナブルー」の披露もあり、徹子さんを囲むようにして踊るバージョンだ。「狙いうち」のカバーの話題になると、それをすぐに実演してみせるのも素晴らしかった。

 今日の「さんま御殿」は「受験を勝ち抜いた有名人」の特集。デーモン閣下がこの番組には初登場。デーモン閣下というひともまるで色褪せることなく、ずいぶん息の長いタレントだ。田中裕二が珍しくひとりで出演。田中が受験勉強中に「さんまのオールナイトニッポン」を聴いていたというと、空気階段のかたまりは爆笑問題のラジオを聴いていたという話をする。土曜の「お笑い向上委員会」は、ものまね芸人が最初から雛壇にずらりと並んでいる。ジョニー志村、レッツゴーよしまさ、ジャッキーちゃん、キンタロー、ラパルフェ都留という面々。ゲスト向上芸人には原口あきまさが登場した。

 タイムフリーで、聴きそびれていたラジオ番組もあれこれと。先週火曜の「ナイツ ザ・ラジオショー」は、オープニングのあとにもゲストが登場、泉ピン子が出演した。好江師匠のことで、桂子師匠と大ゲンカしたことがあるというのは初めて知る話だった。しかし、いかにもありそうな話だ。14時台のゲストは山田邦子。それともうひとつ、これも先週火曜の早朝に放送された「生島ヒロシのおはよう定食・一直線」も聴いておきたかった。こちらのゲストは西川のりおだった。

2023年6月15日木曜日

6月15日木曜日/複雑化する乗り換え

◇ テレビ・ラジオ

 朝、録画していたテレビ番組をいくつか。昨夜の「水曜日のダウンタウン」は、ひさびさに観た芸能人のキャラが3倍増しになっているというドッキリ企画があり、まず、3倍増しにゆっくりしゃべる渡部陽一がジェラードンをだます。続いては、ダンカンが3倍増しに虎キチになっているというもので、これは予告を観た段階から怖いと思った。ダンカンが箱根を案内するというニセのロケ番組に、岡野陽一、ザ・マミィ酒井、登坂絵莉が出演するという設定。そのロケにはダンカンの息子の虎太郎が同行し、収録中に、逐一、阪神の試合展開をダンカンに知らせ、ダンカンはみるみる不機嫌になっていく。このダンカンの恐ろしさは実際にそうじゃないかと思わせる。しかし、このドッキリ、岡野と酒井だけなら面白かったかもしれないが、登坂絵莉というひとはよく知らないのだが、このひとがいることで本当に心配になってしまう。ロケの信憑性のために入れられたんだろうか。

 昨夜の「あちこちオードリー」は、堀内健とゆうちゃみがゲスト。ゆうちゃみはじつは勉強が得意で、歴史に強く、新聞を読んでいるというのは意外性があった。いやいや、さすが、みんな伊達に売れっ子なわけじゃないんだ。若林からはネプチューンの記憶が語られ、ネプチューンが売れてから、ホリケンと名倉潤のふたりが「東京笑い者」というライブで漫才をやったことがあったという。若林が「すべる」ではなく「はずす」という言葉を使っていた。爆笑問題も「はずす」という言葉をよく使っていて、関東はもともと、「すべる」ことを「はずす」と言うはずだが、オードリーの世代でもまだ使われているんだな。

 家を出るまで、文化放送の「おとなりさん」をつけていた。よく聴いていると、高山一実がどうやら休みで、オテンキのりが代打を務めている。ゲストはかが屋。

◇ 新橋

 午前中から都内に。だんだん暑くなってきて、服装に迷う。横浜から東横線に乗り、武蔵小杉から目黒線に乗り換え、あとは南北線直通だから乗り換えなしだと思っていたら、気がついたらどうも停車駅が変だ。読書に没頭していてすぐに気がつかなかったが、乗っていた電車は三田線直通だった。南北線は白金高輪で乗り換えねばならなかったのだ。いや、ここ数年、やたらといろんな路線がつながり、乗り換えがどんどん複雑になっている。これだけ長距離を走らせることになると、どこどこ行きって、終点だけ表示されてもどこに向かってるのかわからないんだよ。終点まで乗ることなんかないんだから。

 まず、市ヶ谷のほうまで用があり、それから、日比谷のほうに移動する。昼過ぎから雨がぽつぽつ降り始め、止む気配がなく、次第に強くなる。日比谷シティの地下、ダイソーに寄り、550円のビニール傘を買った。新橋まで歩き、夕方に遅めの昼食。飲み屋街のほうに進み、天下一という店に初めて入った。いつも混んでいる印象があったが、たまたま空いていたから入ってしまおうと思った。スタミナ炒め定食を食べる。970円。もともとはなんの店だったのか、水商売の店のようなソファーの椅子が並ぶ。値段はけして安くないが、様子がわかったからまた利用してみよう。


◇ 読書

 ベローチェに入り、ひと休み。スマホの充電をしながら、しばらく読書をする。マヒトゥ・ザ・ピーポー「銀河で一番静かな革命」を読み終えた。2019年刊、幻冬舎。マヒトゥ・ザ・ピーポーの書き下ろしデビュー小説。マヒトゥ・ザ・ピーポーというひとに関心があったから読んでみたくなったのだが、行きの電車で読み始め、一日で読み終えたものの、最後まであまり惹かれないまま読み終えてしまった。帯には、吉本ばなな、後藤正文、植本一子、又吉直樹のコメントが並ぶが、こういうのは人望があるんだなと思うだけで、あんまり信用できないんだよな。

 新橋から東海道線で横浜に戻り、西口のドン・キホーテでカバンを買っていく。持ち帰るためのビニール袋も買ったら、4400円ぴったり。今、使っているカバンは、ファスナーが壊れてしまい、ファスナー以外は丈夫だから悔しいのだが、ファスナーが閉まらないのは不便だ。2年と数ヶ月の付き合いだった。

◇ テレビ・音楽

 夜遅くに帰宅し、夜もまた、録画していたテレビ番組をいくつか。今日の「徹子の部屋」は生島ヒロシがゲスト。9年ぶりの出演。TBSラジオの朝の番組はときどき聴いていて、身近に感じている部分もあるひとだが、震災で妹さんを亡くしていることを知らなかった。気仙沼の出身ということすらここで初めて知った。

 先週土曜に放送された「さんまのお笑い向上委員会」には、とにかく明るい安村、チェリー吉武、ヤジマリーが登場。安村は「ブリテンズ・ゴット・タレント」で活躍後、初めての出演だが、この番組では以前から安村の新ネタを観ることができていた。チェリー吉武の、大声でシャボン玉を割る芸の発展形、大声でタンポポの綿毛を吹き飛ばす芸に、野田クリスタルが挑戦し、これがすこぶるくだらない。チェリー吉武もヤジマリーも、この番組だけでは異様な面白さを発揮している。

 ラジオを聴きながら、ブログを更新しようとするが、眠気がひどくなり、あたまがまわらない。Spotify からニューリリースのチェックをすると、新しい学校のリーダーズ「オトナブルー」の「THE FIRST TAKE」バージョンの配信が始まっていた。深夜0時過ぎに眠る。


2021年6月23日水曜日

6月23日水曜日/神保町二往復

◇ 偶然

 早朝に目覚め、生島ヒロシのラジオ番組をつけていたら、立花隆の訃報に驚いた。睡眠3時間程度で、朝から都内に。昨夜はどういうわけか、「爆笑問題カーボーイ」を完全に忘れていて、そうえいば、ラジコの地域判定が狂っていたが、とはいえ、こんなことはまずない。電車内で、タイムフリーで聴いていくが、「美の巨人たち」の永井博特集に田中が出ていたとは知らず、観逃してしまっていた。その話から、太田が観た「日曜美術館」のベーコン特集の話をたっぷりと。それから、高田先生の漫才協会外部理事の話にもなった。東横線に乗り、座れて、ラジオを聴きながら眠ってしまうが、新宿三丁目で乗り換えるために降りようとすると、隣りの席の若い男が、なんと、ピョン吉Tシャツを着ていた。

 めったに行くことのない曙橋に用があったのだが、この駅で降りるのは、それこそ、大学生のときにフジテレビに番組観覧に行って以来ではないだろうか。地下鉄の出口を出ると、ぽつぽつと雨が降っている。天気をまったく気にしていなかったが、しかし、ヤフーの天気予報を確認すると、晴れになっているからあてにならない。その後も、雨は降ったり止んだりしていたが、間がいいことに、おもてを歩く必要があるときには小雨になってくれる。昼食は赤坂見附で、ランチメニューのある店を探し、やきとん酒場ぎんぶたという店に入り、とじない豚カツ丼というのを食べた。モツスープ、豆腐、漬け物がつき、750円。

◇ 神保町

 それから、九段下に出て、神保町に寄っていく。昨日、注文があった本が見つからず、どうやらすでに売ってしまっていたようで困っていたが、もし神保町に寄れれば、新たに買ってしまえばいいんじゃないかと思っていた。「東京人」のバックナンバーだったが、雑誌ならそろっている店はあるだろうと考えていた。しかし、なにか必要のある本が決まっていて古本屋をまわるという経験は意外となく、九段下側から、ありそうな古本屋を覗いていくが、どこにでもあるだろうという気でいたが、いざ探そうとすると、ノウハウがわからない。ましてや、雨が降ったため、通常なら外に出してある均一本が出ていない店もある。交差点からすずらん通りに入り、適当に古本屋に入っていくが、こんなやりかたでは無理だと思い、検索して、ありそうな店をあたっていこうと考えるが、しかし、どう検索していいかもわからない。「東京人」では調べられず、雑誌専門店を念入りに見ていこうと、九段下側まで往復すると、古書ヴィンテージに「東京人」のバックナンバーがそろっているのを見つけ、必要な号を見つけるが、値段が高くて躊躇する。これではなんの利益も出ない。とりあえず、ほかになければここで買うことにして、もう少し粘ることにした。それにしても、疲れもあり、交差点のドラッグストアで、エクレアを買って食べた。また、すずらん通りまで往復する。マグニフという店にも初めて入った。「東京人」はなかったが、雑誌が充実している面白いお店だった。おしゃれ風な店だと思い、今までは敬遠していたが、これからは寄ってみることにしよう。三省堂の古書売り場も覗くが、「東京人」は見当たらない。「東京人」はよっぽど人気がないのではないだろうか。三省堂を出て、なにげなくツイッターで「東京人」を検索してみると、アットワンダーの店員さんのツイートが引っかかった。「東京人」のバックナンバーを大量入荷したという5月のツイート。画像を拡大すると、必要な号がある。ヴィンテージよりも安ければ、ここで買えばいいと思い、さっきも一度寄ったのだが、また、すずらん通りから戻る。二往復することになり、アットワンダーに着き、どこにあるのだろうと店内を探したが、エレベーターであがる3階の売り場があることに初めて気がつき、ここだろうと思い、3階にあがると、ツイッターの画像そのままの本棚があったが、しかし、なんと、「東京人」のバックナンバーは全号セットで販売されていた。しかたなくあきらめて、ヴィンテージで買うことにする。ヴィンテージの店員の兄ちゃんはとても不愛想だった。2時間近く歩きまわるが、ついでに買うような本もなく、まるでたいした成果が得られない。これだけの規模の本の街がありながら、まるっきり使いこなせていない。悲しくなり、余計な出費も控えようと思い、もう帰ることにした。神保町から半蔵門線に乗り、渋谷から東横線に乗り換え。各停でのんびり帰った。


 夜に帰宅し、タイムフリーで今日の「ビバリー昼ズ」を聴く。ジャングルポケットがゲスト。聴きそびれていた、月曜の「伊集院光とらじおと」も聴いた。ケラリーノ・サンドロヴィッチがゲスト。ラジオを聴きながら、オンライン将棋を指し、ブログの更新をした。録画の都合で、再生ができず、深夜にテレビを観ようと思っていたが、その前に眠ってしまった。深夜0時前。

2021年5月24日月曜日

5月24日月曜日/喜劇映画をもう一回





◇ 東雲・豊洲

 早朝、地震で目が覚めるがもう少し眠りなおし、5時過ぎに起きあがる。左肩の痛みがずっと続いていて、座っている姿勢よりも寝転がっているほうがいい。ラジオをつけていたら、生島ヒロシが、近藤誠の本を参考にしてコロナについてしゃべっていた。

 朝から都内に。服装に迷う気候だが、Tシャツの上にパーカーを着た。外に出ると、まだまだ涼しい時間だった。出先で読む本を決められず、重くなるが、カバンに5冊入れていくが、しかし、電車に乗ると眠くなり、読書はなかなか進まない。有楽町線の辰巳というところまで行く用があり、そのまま帰るのもつまらないので、少し歩いてみるが、昼にはやや暑くなり、汗をかいた。辰巳橋をわたり、東雲のイオンに入り、フードコートで食べていく。中華101 という店のルーロー飯。さらに、東雲橋をわたり、豊洲まで歩いてみるが、豊洲には今まで行ったことがなく、しかし、疲れてしまい、あんまり歩きまわりたい気にはならなくなった。グーグルマップでドトールを見つけ、そこで休もうとしたが、地下鉄の改札のそばにある狭い店舗で、こんなところでは落ち着けないと思ってやめる。書店はないかと検索してみると、くまざわ書店がある。ホームセンターの2階にあるその店まで行ってみると、どうってことのない町の本屋という店だったが、そこで少し、雑誌を立ち読みしていく。

 豊洲駅から有楽町線に乗ろうと思い、有楽町線のホームに降りると、ホームとホームのあいだにあった真ん中の線路がつぶされ、ホームドアがトマソンになっていた。これはじつに盛大なトマソンで、面白い光景だ。ツイッターで検索してみると、去年からこうなっているらしい。





◇ 渋谷

 有楽町線で寝過ごし、池袋まで乗ってから、永田町に戻る。半蔵門線に乗り換え、渋谷に出る。まず、まんだらけに寄るが、土曜にも寄ったばかりで、買うものなし。「Nキャス」で都内のビルから店舗の看板が消えているというニュースをやっていたが、まんだらけの入り口の向かいにあるビルがまさにそうだった。センター街を歩くひとは、如実に少なくなっているように感じられる。無限大ホールのそばを通ると、1階の窓ガラスからビスケッティが漫才をやっているのが見えたが、客席は驚くほどに閑散としていた。松濤のベローチェに入り、アイスコーヒーとクリームパンを食べる。夜に映画を観ようと思い、時間をつなぐが、まだ4時間以上もある。かなり長居したが、まだ時間があり、丸善&ジュンク堂に寄った。東急百貨店の下の階は、18時半にはもう閉めていた。本屋は開いていて、エレベーターで上がり、棚をじっくり眺め、30分以上つぶした。外に戻ると、小雨になっている。ドン・キホーテに寄り、ペットボトルのお茶とランチパックを買い、歩きながら食べた。オレンジ色のキャップのホット用のお茶が、冷やして、安く売られていた。

◇ 映画

 19時半前、シネマヴェーラ渋谷に。小林信彦プレゼンツ、「これがニッポンの喜劇人だ!」に再び、「エノケンの頑張り戦術」を観るためにやってきた。19時35分の回。チケットを買う際に、一般料金でいいかを毎度確認されるが、そういえば、会員料金で観るという発想がぜんぜん浮かばなかった。1200円が800円になることを思えば迂闊だったが、何本も観るとは考えてなかったからで、今から慌てて会員になってもしかたがない。今回は整理番号52番。ビデオトークの回よりも少ないとはいえ、それなりにお客は入っているのか。今回も右端寄りの席に座る。「エノケンの頑張り戦術」という映画は、エノケン生誕百年のイベントのときに一度観ていて、確認すると、2004年だからもう17年前になるのか。そのときのシンポジウムでは、別役実もエノケンではこれがいちばん面白いと言っていた映画だ。今回、観なおしてみても、臨家の主人同士がなんの理由もなく競争を始める冒頭からいきなり可笑しい。按摩の場面が特に面白かった記憶があったが、取っ組み合いになるこの場面ではやっぱり笑わされる。終盤の展開はあんまり覚えていなかったが、サスペンス的な要素もあるのだ。こんなサイコパスな人物描写がこの時代にあるとは、なにか海外の作品からの影響でもあるのだろうか。

◇ 雑誌

 夜遅くに帰宅し、疲れて、すぐ横になった。タイムフリーで、今日の「ビバリー昼ズ」を聴いた。ゲストはロッチ。そのあとには、伊藤アキラ追悼で「邦子のアンアン小唄」も流れた。ラジオを聴きながら、楽天マガジンで雑誌のチェックもする。「週刊ポスト」のグラビアに、「ひょうきん族」の特集があった。巻頭グラビアは、高田先生が証言する「土8戦争」の歴史から始まり、たけしの独占紅白、そして、エムカク氏によるさんま考がある。たけし、高田が連載している「ポスト」ならではだが、そこにエムカク氏が混じっているのがすごい。巻末グラビアは、まず、西川のりお、片岡鶴太郎、島崎俊郎の座談会があり、岸川真さんが構成していた。最後は山村美智のインタビュー。鶴太郎と若人あきらとではマッチのかっこうをさせるならどっちがいいかと、荻野ディレクターに訊かれたというのは知らない話だった。山村美智が鶴太郎と答えたから、あのマッチが生まれたということらしい。深夜0時過ぎに眠る。

2021年3月7日日曜日

3月7日日曜日/「R-1グランプリ2021」

◇ ラジオ

 朝7時前にいったん目覚め、ラジオをつける。「志の輔ラジオ 落語DEデート」を聴き始め、すぐにまたうとうとしてしまったが、ゲストは内田也哉子だと声でわかった。もう少し眠りなおし、今朝の「サンジャポ」を録画で観て、午後はまたラジオをつける。「爆笑問題の日曜サンデー」のゲストが優木まおみだった。優木まおみという名をひさしぶりに聴いたが、生島ヒロシの事務所なのだという。このあたりの内情はよくわからないが、来週のゲストは池畑慎之介で、このひともまた生島ヒロシの事務所だという。

 夕方、ヤマトの営業所まで。二俣川に出て、ドン・キホーテのサイゼリヤに入り、2時間ほど読書をしてから帰ってきた。サイゼリヤは混雑していた。

◇ テレビ

 夜に帰宅し、録画しておいた「R-1グランプリ」を放送直後に観た。今回から完全リニューアルとなり、かなり楽しみにしていた。司会は霜降り明星と広瀬アリス。テーマ曲を Creepy Nuts が手がける。演出面はかなり「M-1」に近づけたような印象で始まった。審査員は、陣内智則、友近、ホリ、古坂大魔王、野田クリスタル、川島明、ハリウッドザコシショウ。出場資格が芸歴10年以内になり、それに合わせてか、審査員もだいぶ若返り、歴代優勝者も混じるようになった。復活ステージ、暫定ルームのレポーターに、こがけん、おいでやす小田をそれぞれ配置したのもいい人事だったが、RGと浅越ゴエの裏実況が紹介されたあたりから関西の臭いが強くなる。そしていよいよ本戦。出演順に、マツモトクラブ、ZAZY、土屋、森本サイダー、吉住、寺田寛明、かが屋賀屋、kento fukaya、高田ぽる子、ゆりやんレトリィバァ。リニューアルはされたが、始まってみるとやっぱり今までの「R-1」とまるで変わらなくなった。20年近い歴史のなかで堆積してきた澱のようなものがある。こういうメンバーを決勝に残すというのは、予選はなにもリニューアルしていないのかもしれない。大きく分けて、ひとりコントとフリップネタのみ。フリップネタというのはそもそも、90年代から増えていった形式だと思うが、作家的な作業に留まり、演じる部分がおろそかになっているものがとても多い。これがなぜプロの芸として認められているのかと未だに思う。芸の力量を発揮できるものは、真っ向勝負のひとりコントだろうが、しかし、制限時間の問題もあって、ドラマを展開させられない。じっくり演じると、笑いが少ないという印象にもなる。吉住には期待していたが、審査員の点数はどうも伸びない。その点、かが屋賀屋はこの制限時間のなかで見事なコントをやりきっていて、いちばん面白かった。演技者として、たしかな力量を改めて認識した。高田ぽる子は初めて観たが、このひとだけはひとりコントとフリップネタの合わせ技で、ほかにもいろいろな要素を混ぜている。声の出しかた、所作など、細かいところにも意識が行き届いていて面白かったが、審査員の好みは割れたようで、やっぱり点数が伸びない。最高点をつけた審査員もいれば、最低点をつけた審査員もいる。「R-1」は長らくブロック式の対戦であり、投票制の審査だったが、今年はルールも「M-1」に近づけたかたちになり、得点制の審査になったことも大きな変化だったが、謎の点数もかなり多かった。審査員のコメントの時間もあまりなかったため、謎は余計に深まる。「M-1」と違うのはツイッター投票がある点で、投票数により、5点、3点、1点という3段階の点数が加算されるが、審査員の得点は100点満点であり、比重としては小さい。これはあってもなくてもいいと思った。ファイナルステージには、かが屋賀屋、ゆりやん、ZAZYが残り、ゆりやんが優勝した。ZAZYの失敗がなくとも、順当だろうと思う。優勝が決まった瞬間、泣くいていると見せかけて、顔を隠している手をどけると変な顔をしているというお決まりのネタをやろうとしたが、カメラマンがそれを知らない。本当に泣いているような空気になったが、実際、本当に泣いていたような気もした。番組は最後にまた、ゆりやんの1本目のネタをまるまる再放送して終わった。

 ほかにも録画した番組をいくつか観る。「笑点」ではサンドウィッチマンが漫才をやっていて、ようやくまともな演芸を観た気になった。「ガキの使い」には板尾創路がひさしぶりに登場した。キャンプ中のメンバーのところに、板尾がギャガー犬というものを連れて現れるという企画だが、これも「R-1」と通底するものがある。島田珠代にいよいよ波がきているのか。昨夜の「ゴッドタン」の「腐り芸人オンラインセラピー」も面白かった。

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4月21日日曜日/野毛大道芸

◇ 大道芸  朝、録画残量が足らず、数年前の番組を確認しては消去していく。こんなことのために、いったいいつまで忙しなく過ごしていくんだろうな。今夜までの録画残量をなんとか確保したら、今度は出掛ける支度をしなければならない。家を出るまではラジオをつけておく。「安住紳一郎の日曜天国」...