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2025年2月28日金曜日

2月28日金/ブックの日とファスト教養

◇ テレビ・ラジオ

 朝、ブログの更新をひとつ。楽天マガジンで雑誌のチェックをすると、「FRIDAY」に渡邊渚のインタビューが載っていた。TVer を使い、テレビ番組をいくつか。昨夜の「アメトーーク!」は「マンガ大好き芸人」。ハライチ岩井と熊元プロレスがこの企画は初登場、そのほか、ケンドーコバヤシ、バカリズム、川島明、野田クリスタル、MC側には千鳥ノブが座る。バカリズムが紹介した「ベー革」が面白そう。

 昨夜の「私のバカせまい史」は、せいやがプレゼンターの「古畑任三郎 パロディーで生き続ける史」。せいやの古畑シリーズはこれでファイナルだって。古畑のものまねが初めて披露されたのはファーストシーズンから1年半後の 1995年、栗田貫一が「ものまね王座」でやっていたものだという。同時期には北海道テレビの「水曜どうでしょう」の前身番組「モザイクな夜」でパロディが行われ、古畑を鈴井貴之、今泉を大泉洋がやっていた。1996年に「古畑任三郎」シーズン2が放送され、「スマスマ」と「みなさんのおかげです」でパロディが行われる。「スマスマ」のパロディにも三谷幸喜が脚本を提供していた。「みなさん」のほうの脚本は秋元康、ゲストに、和田アキ子、桂文枝、美川憲一、沢口靖子が出演していたようだ。マンガでは「新コータローまかりとおる!」、アニメでは「金田一少年の事件簿」「かいけつゾロリ」でパロディが確認される。マギー審司が「ものまね紅白」に初出場したときにも古畑のものまねを披露、フォーリンラブハジメ、我が家坪倉のものまねの映像も流された。「徹座」のフライヤーのデザインもじつは古畑のパロディ。そして、古畑のものまねを究極形に押し上げた人物として、まずはツートン青木の存在があげられる。さらにもうひとり、ハリウッドザコシショウの存在もあり、これがともに 2016年に登場と紹介されたが、ツートン青木はもっと前から活躍していなかったかな。古畑シリーズの監督、河野圭太のコメントもあり、今回のこの番組はエンドクレジットも古畑パロディになっていた。

 昼はラジオ。「ビバリー昼ズ」を聴くと、オープニングでは「山藤亭」の話をする。主催の中村さんも熱があったんだそうで、打ち上げは松村、松本明子、山田雅人といういつものメンバーだったって。そのあとには塙さんの怪我の話になる。続けて、「中川家 ザ・ラジオショー」を聴くと、こちらのオープニングでも塙さんの怪我の話。

 注文のお届け先がどうも怪しく、検索してみるとホテルのようなのだが、マンションがなくなり、ホテルになったということなのか。お届け先はそのマンションの名前ではないかと思うのだが、これはもうわからないからその住所で出してしまうことにする。こうしてまた返送されてくるパターンもあるのだが。

◇ ブックの日

 午後から外出。暖かいが、昨日も夜になるとそれなりに寒くなったから、ジャンパーを着ていく。2月のブックの日は29日がないから28日になる。ブックオフをまわらなければならないため、まずは鶴ヶ峰に出る。先に昼食、ココロットのすき家に入り、温玉黒ビビンバ牛丼を食べる。740円。ブックオフ、1店目では、220円の単行本を1冊、330円の雑誌を1冊買う。

 鶴ヶ峰から横浜に移動し、2店目はビフレのブックオフ。なかなかいい本が見つからず、苦労しながら、110円の文庫本を1冊、220円の文庫本を1冊買っていく。横浜から横須賀線に乗り、東戸塚に移動。電車内では、先週金曜の「伊集院光のタネ」を聴いた。パートナーは安田美香、テーマは「嘘だと思っていたら本当だった話」。以前、干支がパンダ年とウソをついたというリスナーのメールがあったが、その後、パンダ年というのが本当にあった時代があるというメールが届いたようで、伊集院が調べたら本当だったというのだけど、にわかには信じられないな。そのほか、お父さんが歌っていた「駐車場の猫がアクビをしながら…」という歌が、お父さんが適当に作って歌ってる歌だと思っていた娘さんが、高学年になったときに本当にあった曲だと知って驚いたという話。このテーマ、どんでん返しがあるからどれも面白い。

 3店目は東戸塚のオリンピックのブックオフ。ここも苦戦し、110円の文庫本を2冊、新書を1冊買うが、いずれもたいした本ではない。駅のほうに戻り、マクドナルドに入り、ひと休み。アイスコーヒーとアップルパイを食べながら、読書をする。最後は東口のブックオフ。110円の文庫本を1冊、220円の新書を2冊、ここでようやくいい本が買えた。横須賀線で帰ってくるが、暖かくなってなにが嬉しいかというと、ホームで電車を待つあいだにポケットから手を出して本を開けることだ。帰りの電車内もひたすら読書を続ける。

◇ テレビ・読書

 夜遅くに帰宅し、TVer を使い、テレビ番組をいくつか。今日の「徹子の部屋」は林真理子がゲスト。昨年、古希を迎えた。日大の理事長の仕事が忙しく、7本あった連載を今はエッセイ2本だけに減らしているという。林真理子は手書き原稿なのだ。1984年放送、30歳のときに出演した回の映像が流され、その自分のすがたを観た林真理子は「やっぱり、テレビで観ると異質な感じしますよね。どうですか、この頃、よくテレビ出てましたけれども、やっぱり、なんか変ですよね。今、こんなひと出ていないもんね。すごいなあと思って、今、観てますけど。(笑)」 1994年放送、40歳のときに出演した回では結婚のことを語っていた。その当時はそのまま放送されていたんだろうが、夫の写真には改めて顔を隠す加工が施されていた。

 深夜、部屋で読書の続き。図書館で借りている、レジー「ファスト教養 10分で答えが欲しい人たち」を読み終えた。2022年刊、集英社新書。なにしろ、明日返却しなきゃならないからがんばって読んでいた。読む前にはなぜかすぐ読める本だと思っていたのだが、これがなかなか読み応えのある本だった。ファスト教養に批判的な内容だが、単にファスト教養の合わせ鏡のように批判しているのではなく、細やかな分析が積み重ねられていく。著者は1981年生まれのライターであり、ブロガーでもあるというひとだが、この肩書きにも先入観があって、専門家ではないブロガーによる分析というものに警戒心があり、ちょっと軽んじていたのである。しかし、この本はそのような先入観も批判の対象だろう。以下、引用がやや多くなる。

P12「文化を愛する人たちは、ファスト教養の「浅さ」や「不完全さ」を否定する。確かにその指摘は正しいかもしれないが、そういった意見は日々の仕事に追われるビジネスパーソンの焦燥感を理解していないからこそ発せられるものである。(略)ファスト教養が流布している今の状況は批判的に捉えられるべきというのが筆者の基本的な意見である。ただ、だからと言って、ビジネス系のインフルエンサーを見下し、「古き良き教養に戻れ」といったメッセージを出したところで何の役にも立たないこともよく理解しているつもりである。本書が目指すのは、理想を示しながらも、より現実的で、かつ実践的な行動指針を導き出すことだ。」

P17-18「「教養」や「リベラルアーツ」という高尚な言葉で語られる概念は、現代の日本において結局のところ「個人の小金稼ぎのツール」として位置づけられている――まずはこんな仮説に基づいて論を進めていきたい。そうした価値観のもとで、教養という言葉の持っていたさまざまな意味が剥ぎ取られた結果、「ビジネスの場で使える小ネタ」としての機能が残り、そしてそこに多くの人たちが飛びついている。それが昨今の教養をめぐる状況なのではないだろうか。」

P22-23「そもそも出口(注:出口治明)が掲げる教養の意義において、「ビジネスシーンで話を合わせるために必要」という側面は一部にすぎない。(略)あくまでも「結果として」蓄積した教養がビジネスの助けになるケースもある、というのが出口の基本的な考え方である。起業家として成功を収めたあとにアカデミズムの世界に転じた出口の本は、ビジネスパーソンにとって「ビジネスにおいて必要な教養について学べる本」として受容されているように見える。ただ、出口のベースにあるのは「教養のためにはビジネス書ではなく古典を読むべき」という考え方である。(略)このようにビジネス書に対して冷淡な態度をとる出口の著作が、ビジネス書を熱心に読むビジネスパーソンに受け入れられているのは何ともアイロニカルな状況である。」

P27「「楽しいから」「気分転換できるから」ではなく「ビジネスに役立てられるから(つまり、お金儲けに役立つから)」という動機でいろいろな文化に触れる。その際自分自身がそれを好きかどうかは大事ではないし、だからこそ何かに深く没入するよりは大雑把に「全体」を知ればよい。そうやって手広い知識を持ってビジネスシーンをうまく渡り歩く人こそ、「現代における教養あるビジネスパーソン」である。着実に勢力を広げつつあるそんな考え方を、筆者は「ファスト教養」という言葉で定義する。」

P30-31「ここには大きく二つの切り口があるように思える。一つ目は「精神的に豊かになる」「自分自身のなかで咀嚼して育て広げていく」「人生を豊かにする」「存在の深さを耕す」という言葉に象徴される、知識をじっくりと自分の中にしみこませることで生き方そのものを見直そうとするスタンス(ちなみに英語で「耕す」を表す cultivate には「才能・品性・習慣などを養う、磨く、洗練する」という意味もある)。二つ目は「役に立つから、利益があるから知識を得ようとする、のではない」、言い換えると「学びたいからこそ学ぶ」とでも言うべき考え方。これらの考え方は、先ほど説明したファスト教養の特徴でもある「手早く大雑把に知りたい」「いかにお金儲けの役に立つかが大事」というスタンスとは完全に真逆の価値観を提唱している。いわば「古き良き教養」といったところだろうか。こういった古き良き教養がファスト教養に押されつつある、というのが昨今の状況に対する見立てである。教養のあり方が「人生」や「存在」と結び付く以上、「人生」や「存在」のあり方を規定する時代の流れが教養というものに対して影響を与える。現在のムードからすると「人生を豊かにする」と「お金儲けをする」はダイレクトにつながりやすく、それゆえファスト教養が「今の時代らしい教養」となるのも無理のない話ではある。」

P34-35「もともと教養と隣接する文化圏にあった明治後期の「修養」という考え方は「努力して人格を向上・完成させること」を指しており、その発想は立身出世主義ともつながっていた。人格に目を向ける修養と成功を目指す立身出世主義の関係性について当時から課題として捉えられていたことを考えると、ファスト教養の「教養と金儲けを一直線に結ぶ」発想は決して突然変異ではなく、教養という概念の大きな流れの中で登場するべくして登場した(あるいは時代の変化の中で満を持して再登場した)現象ともいえるだろう。古き良き教養を「教養のベーシックな姿」と固定して現状把握を進めようとすると二〇二〇年代に浸透している「ファスト教養」のあり方との乖離が大きくなり、またファスト教養を毛嫌いしすぎるとこの考え方に(ほんの少しではあるが)含まれていると思われる「歴史的な正当性」を見逃してしまう。ファスト教養以降における教養のあるべき姿(理想的かつ現実的な姿)を構想するにあたっては、双方に「橋を架ける」発想が必要になってくる。」

P39-40「ビジネスシーンで使える「話を合わせるのに最適なネタ」をクイックに仕入れて、「うまく立ち回る」ことによってお金を稼ぐ。そのためのツールとして最適なのが教養である、といった風潮をファスト教養というキーワードで説明してきた。(略)その背景にあるのは、「うまく立ち回る」ことを是とする時代の空気の移り変わりである。たとえば、昨今定着した感のある「ワンチャン」という言葉は「『がんばれば報われる』という成長神話が崩れた『偶然性の時代』を生きる感性」とつながっているのではないかという指摘がある。」

P45「かつて慶應義塾の塾長を務めた小泉信三は一九五〇年に出版した自著でこんなエピソード(注:谷村豊太郎のエピソード)を引きつつ、続けて「すぐ役に立つ人間はすぐ役に立たなくなるとは至言である。同様の意味において、すぐ役に立つ本はすぐ役に立たなくなる本であるといえる」と述べている。七〇年以上前に示されたこの考え方は、情報が流通してから忘れられるまでのスピードがますます加速している今の時代にこそ重要度を増していると言えるだろう。「すぐ役に立つ」を突き詰めたものは基本的に普遍性を失う。なぜなら、それはすなわち個別事情に最適化したものだからである。」

P48「一方で、「教養はすぐに役に立つものではないが大事」と伝えたいはずなのに結果的には「教養は役に立つツール」というメッセージが伝わってしまう……という状況においても出口(注:出口治明)と池上(注:池上彰)は共通している。」

P50-52「教養を「人生を豊かにするツール」ではなく「ビジネスシーンですぐに役立つツール=ファスト教養」として捉え返す風潮の背景にあるのは、「時代が変化する中で生き残らなければならない」というビジネスパーソンの焦燥感である。(略)ここで指摘したいのは、「この状況を過剰に煽るために教養が都合よく持ち出されているのではないか」という点である。「変化の激しい時代には教養を学ぶべし」となった時に、では本当に学ぶべき教養とは具体的に何なのか。その教養を学ぶことで、時代の変化にどういう形で対応できるようになるのか。そんな話は当然示されることなく、「教養が必要」という漠然としたメッセージと「教養を学ばないとやばい」というそこはかとない不安が増幅されていく。そこから生まれるのは「学びの楽しみ」や「自己成長への期待」といったポジティブな感情ではなく、「転落への恐怖」とでも言うべきネガティブなものである。」

P67「最近ではビジネスにおいて自身の気づきから発想する「アート思考」と呼ばれる考え方が徐々に浸透しつつあり、また佐藤可士和のように従来はクリエイティブ領域で仕事をしていた人間が企業経営における参謀のような立ち位置を確保するケースも出てきている。そのような状況において、「美意識を鍛えろ」というメッセージは目端が利くビジネスパーソンほど魅力的なメッセージとして受け取るはずである。」

P69「東京大学教授の中村高康は著書『暴走する能力主義―教育と現代社会の病理』の中で、昨今の社会で必要なものとして政府などから提示される「コミュニケーション能力」「協調性」「問題解決能力」といった「新しい能力」が実際には「これまでも求められていたし、これからも求められるであろう陳腐な能力であって、新しい時代になったからはじめて必要ないし重要になってきた能力などでは決してない」と看破している。そのうえで、「いま人々が渇望しているのは、『新しい能力を求めなければならない』という議論それ自体である」という仮説を提示する。」

P76-77「受験における偏差値が高くても、その能力をおかしなことに使ってしまっては元も子もない。カルトにはまらないための多様な視点を身につけるとともに、人としての倫理を獲得するための方策として教養というものが求められた――そんな過去の流れと現在の状況を改めて見比べた時に、ビジネスシーンで振り回すための大雑把な知識をコスパ重視で学ぼうという今のファスト教養のあり方は「オウム」的なものへの対抗策になっているのだろうか。ビジネスでの成功に何よりも高い価値を置く人たちの示す教養が主流になることで、経済的なメリットのために深い思考プロセスや守るべき倫理観を平気で放棄できる新しい「オウム」が生まれかねないのではないか。」

P79-80「Daigo の一件に関連して「税金」という切り口からの論考を行っているのが、教師として働きながら批評家としても活動する矢野利裕である。矢野は自身の note にアップした記事「《メンバーシップ》と《共感》について―Daigo の発言から」において、社会における「メンバーシップ」について考える際に学生の中で「税金を払っているか否か」がとくに重要視されがちだと指摘している。(略)矢野は当該記事において「ここ数年の実感で言うと、この《メンバーシップ》をめぐって、税金(そして、税金を払える《能力》)というイシューがヘンに存在感を持っている」と自身の実感を述べているが、こういった「税金を払っているからこそサポートが受けられる(=税金を納めていない人はサポートを受けられなくても仕方がない)」という考え方は社会に明確に巣食いつつある。」

P81「結論を先取りすると、キーワードは「自己責任」「スキルアップ」、そして「公共との乖離」。小泉内閣の構造改革路線に合わせてとくに叫ばれ始めた「自己責任」という概念とリンクするタイミングで、自らの力で旧来の社会システムを変えようとする新たなプレーヤーたちが注目を集めるようになった。」

P83「もともとこの「自己責任」という言葉は、「金融商品への投資において損失を被るリスクは自らとらなくてはいけない」といったシチュエーションを説明するために使われる言葉だったという。そういった経済用語が人々の一般的な行動や思想を説明する概念として広まったのは二〇〇四年である。」

P88-89「次に、堀江の文化に対する関心の薄さについても触れておきたい。(略)このこと自体はとくに悪いというものでもないし、ビジネスで明確に成果を出している人にとってこういった指摘は野暮なのかもしれない。それにしても、金を稼ぐという彼のイメージする成功のロールモデルの中にカルチャーの入り込む余地を感じられないことには何ともいえない不気味さを覚える。(略)文化との距離が遠いからこそたどり着けたとも言えるだろう思考プロセスは、以降の「ビジネスで一発当てたい人たち」にとっての標準装備になっていく。堀江貴文の登場は自己責任の風潮を加速させるとともに、ビジネスがカルチャーの上位に陣取る空気を醸成することにもなった。そのキャラクターの強烈さと成し遂げようとしていたことのダイナミックさによって、堀江のスタンスは瞬く間に多くの人に伝播した。」 

P94-95「「拝金主義」の悪評の裏に「若い世代で新しい社会を作っていきたい」という自身のビジョンを持っていたのが当時の堀江だった。こう言うと「堀江とライブドアを美化しすぎている」と思われるかもしれないが、何か新しいことが始まりそうな予感は確実にあった。近年堀江は世の中の注目を集め始めた時代の発言について「露悪的」だったことを認めている。これは収監を経て二〇一三年に刊行した書籍『ゼロ』以降における、自身の人間らしさを開示していくというスタンスの変化によるものである。より素直な自己開示を進めること自体は価値判断が挟まれることではない。ただ、そういった流れの中で、時に大言壮語でありながらも社会全体のあり方に向けられてきた視点はどこかにいってしまった印象を近年の堀江からは受ける。」

P97「公に対する意識が消えうせ、個々人のライフハック的自己啓発に特化するようになった堀江が、教養を語る。この構図はファスト教養のわかりやすい事象であり、「周りを出し抜いてお金を稼げ」「そのためには教養も必要」というコンテンツの典型例である。第一章で述べた出口、第二章で述べた池上のケースと同様に、メディア側が教養をファストに扱う構図がここでも現出している。」

P105-106「勉強すれば年収が上がる、努力をすれば幸せになれる、といった勝間(注:勝間和代)の話は徹頭徹尾「自分の話」だけである。そしてそこには「自分に対して責任をすべて持てるのは、自分一人だけ」(『断る力』)という自己責任の発想が内在化されている。(略)ゼロ年代初頭に語られた「自助」と「自己責任」、そして堀江のブレイクによって浸透した「稼ぐが勝ち」精神、さらには堀江の逮捕による新たな社会へのビジョンを掲げる存在の失墜。そんな流れの中で「自分で努力をしてお金を稼ぐことこそ重要」「そのためのキャリアアップ・スキルアップを志すべき」「それに向けて自分の生活を管理して捧げよう」というメッセージを発信する勝間和代が支持されたのは今考えれば必然だったのだろう。そして、彼女の言うキャリアアップ・スキルアップとは「お金儲けにすぐに役立つ武器を身につける」こととほぼ同義であり、ファスト教養の世界観と完全に合致している。」

P112-113「まずは教養を身につける前に「基礎スキル」を身につけよ、というのが彼女(注:勝間和代)の主張である。ではその「基礎スキル」とは何なのかというと、「さらば!スキルアップ教 教養こそ力なり」では「ツールにすぎない」とされていた「英語、会計、IT」だという。(略)勝間の言うとおり、本来教養というものは年収アップとは関係のないものである。その観点でいえば教養は「役に立たないもの」であり、そんなものを身につけても仕方ないという発想は受け入れられやすいものだった。ただ、こういった考え方が広がりすぎた結果、ビジネスパーソンの多くはこの三つの領域については何らかの形で手をつけてしまった。(略)ここで改めて注目されたのが教養という概念である。(略)世の中が大きく変わる時期に「歴史に学ぶべき」「文系と理系の垣根を乗り越えるべき」といった観点から教養の重要性が語られ、それが多くの人に支持されていたタイミングと、「お金儲けに直接役に立つスキルアップ(英語、会計、IT)」が飽和し始めたタイミングが一致した。これによって、ビジネスシーンに教養が流れ込んでいく動きは不可逆なものとなった。こういった流れから登場したのが、「すぐに役に立つ」ツールとして教養を取り扱うファスト教養の世界観である。昨今の「教養ブーム」と呼ばれる動きは、ゼロ年代初頭から今に至るまでの大きな流れの中で発生したものであり、決して突発的な現象ではない。」

P116「露悪的に振る舞い、勝つためにはルールの抜け道を探すことをいとわず、努力を競争とお金に徹底的に価値を置く。橋下(注:橋下徹)の言動は、ここまで名前を挙げてきた面々の特徴を併せ持っている。こういう観点で見ると、彼が圧倒的な支持を得た理由も改めて理解できる。」

P118-119「たたき上げで名を成してきた橋下にとって、「教養がない」という指摘は実は自身のコンプレックスを刺激するものなのかもしれない。ただ、こういった態度は「大衆に受ける」からこそとっている側面もあるように思える。橋下は「学者やインテリは教養などといった概念を持ちだす割には役に立たない、つまりは金を稼いでいない」といったスタンスを強めに出す方が大衆の共感を得られることをよくわかっているのではないだろうか。その背景にあるのは、「自己責任」と「自助」をベースにした「能書きをたれずに自力で金を稼いでいる人にこそ価値がある」という世の中の空気である。」

P120-121「彼(注:ひろゆき)の書籍に目を向けてみると、メッセージ事態は実は思った以上に「まとも」な部分もある。(略)ただ、優しさと切れ味が両立する魅力的なパーソナリティという印象をそのまま受け取ってよいのだろうか。たとえば彼の話の中にたびたび登場する「バカ」という言葉は、他人を見下すことを是認するだけでなく、「そういう人は置いていけばいい」「自分さえ良ければいい」というスタンスと一直線でつながっているとも言えるはずである。」

P123-124「ここまでいくつかのキープレーヤーを紹介しながら論を展開してきたが、大きく共通しているのは「公共との乖離」である。彼らは人々が支え合う社会といったモデルをうっとうしいと否定するかの如く、個人としてのサバイバルを重視する。堀江や橋下、およびひろゆきそれぞれがベーシックインカムの導入を主張するのも、「一定程度金を渡すからあとはそれで何とかしろ」という手法が強烈な個人主義的思想と相性が良いからだろう。また、中田敦彦にしろ Daigo にしろ、自身の学びを社会全体や弱者に対して還元するような姿勢は見受けられない。」

P150「筆者の実感として、特定のジャンルに明るくなるためには、「はずれ」も引きながら身体でその分野の空気を覚えていく必要がある。また、自分で見つけたという感覚自体がそのカルチャーにのめりこんでいくきっかけにもなり、そのような経験も過去に何度もしてきた。しかし、稲田(注:稲田豊史)の記事を読むと、もはやこういった考え方自体が古いものになってきていると認識すべきなのかもしれないとも思わされる。いずれにせよ、表面的にでもその領域の大枠を「ざっくりと」「コスパ良く」把握することこそが、ファスト教養隆盛以後の時代の空気である。」

P164「ファスト教養の文脈で影響力を持った面々が、その影響力に乗じて雑なカルチャー観を拡散しているのが昨今の状況である。一方で、カルチャーに造詣のある人々は、この手の動きを遠巻きに馬鹿にして取り合わないことが多い。そういったスタンスは、本来広がるべきではない言説の拡散を間接的に助長しているともいえる。」

P187-188「正直に言うと、本書の執筆にあたってここまで挙げてきた関連書籍に多数目を通してきた筆者は、もともと懐疑的なスタンスでその文章に触れていたにもかかわらず、そこにある乱暴なロジックにたびたび心を持っていかれそうになった。ビジネス書を読む中で筆者の頭にふと思い浮かんだのは、「我々がファスト教養をのぞく時、ファスト教養もまたこちらをのぞいているのだ」というフレーズだ。ファスト教養とは距離をとっていると自認している人たちがその甘美な世界にはまらない保証はどこにもない。」

P190-191「第四章で触れたインタビューや読書会を通じて感じたのは、多くのビジネスパーソンが抱える「成長したい」というモチベーションだった。この成長というドグマは、今の日本社会においてかなり強固なものとなっている。(略)このような言説では、なぜ成長したいかは重要ではなく、成長することそのものが絶対正義となっている。ビジネスパーソンにとって本来必要なのは、この前提を問い直すこと、すなわちなぜ成長したいのかをもっと考えることである。深い考えもなく成長を目指したところで、自分の中での指標や具体的な目標がなければ、自己実現を果たすどころか労働者として使い倒されるだけである。」

P192「この「自己啓発ではなく知識」という考え方は、ファスト教養の世界から脱却するうえでの一つのキーワードとなる。ここで重要になってくるのは、知識への入り口は人文知ではなくビジネスにまつわるものであっても問題はないという点である。いわゆる「古き良き教養」にロマンを抱く人たち、もしくは文化を愛好している人たちは、とかく「ビジネス書」というだけで忌避する傾向がある。しかし、その発想は、すべての映画を名作から商業的に量産された作品まで同じ価値のものとして捉えるくらい乱暴である。」

P206-207「自分のここまでの趣味嗜好が形成されるプロセスには、さまざまな要素が絡み合っている。それを理解することはすなわち、今の自分は自分一人によって作られたものではないことを認識するプロセスにもなる。ファスト教養と密接に結び付く自己責任の発想は、自分の成功をすべて自分の手柄に還元する考え方も内包している。自身の構成要素をルーツとシーンから捉え直すことは、自己責任の磁場から自分のあり方を切り離し、社会のさまざまな事象が複雑に絡み合っているという世の中の基本的な仕組みに思いを馳せることにつながる。」

P213「こういった思考プロセスをカジュアルな形で自分のものとするためにヒントになるのが、雑談を基調としたコンテンツである。一つの大きなテーマをベースに思い付くままに会話を広げていき、思わぬ場所に着地する。こういった雑談のあり方は、「結論を最初に述べよ」といったビジネスシーンの常識とは相容れないものである。ただ、枠をはめずに思考とアウトプットを繰り返し、さまざまな世界を飛び回りながら、発想の自由を獲得していくプロセスこそ、主流の価値観が「ビジネスの役に立つ」「コスパ」に固まりつつある今の時代に大切にすべきものではないだろうか。」

P217「マイケル・サンデルは『実力も運のうち』の結びにおいて、「自分の運命が偶然の産物である」と理解することから生まれる謙虚さが「われわれを分断する冷酷な成功の倫理から引き返すきっかけとなる」と述べている。「圧倒的な努力」や「強い意志」とは違うところで動いている「偶然」に心を開く。これこそ、ファスト教養と決別するために求められている視点である。」

P221-222「そんな状況を改めて俯瞰した時に思うのは、もしビジネスパーソンにとって教養が必要なのだとしたら、そこに含まれるべきは小銭稼ぎを進めるための考え方ではなく、成功者を正しく支えて評価する受け皿になるためのリテラシーなのかもしれないということである。(略)この「文化の水準を左右する受け手」に求められる振る舞いこそ、本章で述べてきたポストファスト教養の哲学に他ならない。」 

P225-226「結局のところ、ファスト教養とは何なのか。その本質にあるのは、ビジネスやお金儲けに関係しない物事を無駄なものと位置づける姿勢にある。この考え方を採用すると、世の中には大量の無駄が溢れている。ファスト教養は、そんな無駄なものを「無駄ではないもの=ビジネスやお金に関係すること」に変えようとするムーブメントであるともいえる。」


2025年2月6日木曜日

2月6日木/ホイコーロー丼と週刊誌

◇ 雑誌・テレビ・ラジオ

 眠りそこね、ラジオをつける。生島ヒロシのいない「おはよう一直線」を聴きながら、楽天マガジンで雑誌のチェックをする。「週刊文春」はフジテレビ問題の記事は配信ではカットされているのだが、林真理子の連載エッセイがフジテレビの会見について書いていた。「週刊文春」の訂正についても「私も長いこと仕事をさせてもらっている者として、今回のことはとても恥ずかしい。」「週刊新潮」もフジテレビ問題の記事は配信では一部カットか。森喜朗の孫娘ら、フジテレビは有名人の子弟だらけという小さい記事のほか、元TBSの吉川美代子がフジテレビの社風から受けたカルチャーショックを語っている。吉田潮の連載コラムも珍しくドラマではなく、フジテレビの会見について書いていた。ほかのページには、猿之助が「かぶき手帖」に復活という小さい記事。読書欄では、いとうせいこう「能十番」の書評を木ノ下裕一が、せいや「人生を変えたコント」の書評を乗代雄介が書いている。映画評の欄では、島敏光が「怪獣ヤロウ!」を採点。本文ではけっこう褒めてるのだが、65点をつけている。「ダ・ヴィンチ」では、男性ブランコ平井の連載小説が始まった。

 早朝から眠り、起きあがると、鼻がすっきりしている。今度こそ治ったか。タイムフリーで、今日の「ビバリー昼ズ」を追っかけ再生。ラジオを聴きながら、ブログの更新をひとつ。

 録画していたテレビ番組をいくつか。今週の「徹子の部屋」は50年目突入ウィーク、4日目の今日は浜田光夫と松原智恵子がゲスト。往年の青春スター、まったくその当時のマインドのままで歳を重ねている感じがするふたりだ。浜田光夫の娘が加藤和也の妻なんだ。

 昨夜の「ひっかかりニーチェ」は今年初の収録、令和ロマンの「M-1」連覇の話から始まる。「M-1」に行くときはこの番組に行くときと動線が一緒なんだそうで、この日の楽屋はファイナリストの楽屋と一緒。永野が「M-1」を結果を知ってから観たというと、三谷アナは仕事中に友だちにLINEで実況してもらっていたといって、ふたりとも結果を知ったうえで観ていた。

 午後、ラジオをまたつけていたら、「大竹まこと ゴールデンラジオ!」のゲストがワッキーだった。パートナーははるな愛。ワッキーはタイ料理店で働いていたからタイ語がしゃべれるという話だったが、そこで知り合ったタイの女性と付き合っていて、タイに住んでいたこともあったのだ。それがハタチのころ、まだペナルティを結成する前の話。

◇ ホイコーロー・雑誌・読書

 夕方から外出。横浜に出て、まず、かながわ県民センターに県立図書館の本を返却しに行く。地下の有隣堂を覗き、「キネマ旬報」を立ち読み。「キネ旬ベストテン」が発表になったのを確認したかったのだが、「ナミビアの砂漠」は2位だったか。助演男優賞に、青山フォール勝ちが1票獲得しているのを見つける。

 天理ビルの中華彩園に入り、ホイコーロー丼を食べる。800円。地上に出て、ビブレのブックオフに寄り、220円のコミックを1冊だけ買っていく。平沼のブックオフにも寄ろうと思っていたが、寒いなかを歩いていくのがいやになり、地下に戻ってくる。有隣堂に戻り、「週刊文春」を買っていく。地下のドトールに入り、「週刊文春」をさっそく読んだ。中居記事は4ページ。訂正も出した手前、A氏の関与を補強していくような記事になっているのだが、毎号読んでいる読者にとってみれば同じことのくり返しだ。新情報としては、別の女性アナに送られたA氏の部下からのLINEが公開された。さりげなく書いているところでは、X子さんに初めて取材をしたのは12月1日と書いてあり、「女性セブン」の記事が出るよりも前にすでに接触していたんだな。

 ドトールでは読書もするが、眠くなり、あまり進まなかった。帰りの電車内で、和泉悠「悪口ってなんだろう」を読み終える。2023年刊、ちくまプリマー新書。著者は1983年生まれ、言語哲学、意味論の専門家。興味を惹かれるテーマだったが、それほど驚くべきことが書かれているわけではなく、感覚的に誰でもわかっているようなことを論理的に書いてある部分が多いと思った。笑いの分類をするような本がよくあるが、それと同じような感じがする。著者は最後に書いている。「本書が明らかにしたのは、悪質な悪口とそれ以外の線引きが本質的に難しいことです。」

 夜遅くに帰宅し、ラジオを聴いたり、テレビを観たりなど。深夜にブログの更新をもうひとつ。アマゾンプライムで、NHKのドラマ「東京サラダボウル」を観始める。主演は奈緒と松田龍平。忠犬立ハチ高のノムラフッソが出ていた。

 深夜、コインランドリーに行ってくる。眠くなってしまい、昨日のほうが元気だったから昨日にすればよかったと思ったが、週明けにしようと思っても火曜が祝日だからあまりよくない。今夜でないと厄介かと、なんとか目を覚まして向かった。洗濯中にラジオを聴くが、イヤホンがまた壊れたようで、片耳しか聴こえない。1時間ぐらいで帰ってきて、すぐに寝る。

2025年1月30日木曜日

1月30日木/面会・はま寿司・週刊誌

◇ 雑誌・ラジオ

 早朝から眠ろうとするが、よく眠れない。起きあがり、インスタントの味噌汁にニンニクと生姜を入れて飲む。日記を書こうとするにも、寝不足であたまがすっきりしない。楽天マガジンで雑誌のチェックをすると、「週刊文春」「週刊新潮」の配信がなぜか遅く、先に「女性セブン」を読む。「女性セブン」には中居正広の人生にスポットをあてた記事が2ページ、「木村拓哉は「中居のあやうさ」を警告していた」という記事が1ページ、もう1ページは「フジテレビ減収500億円でもダメージはほとんどありません」というもので、フジ・メディア・ホールディングスのグループ全体ではフジテレビが占める利益は約16パーセントにまで低下しているのだという。「フジテレビの業績が傾いてもグループ全体への影響は軽微といっていいでしょう」という経済アナリストの分析。ほかのページには、伊藤蘭のコンサートに趣里が出演したという記事もあった。

 タイムフリーで、先週木曜の「トーキョー・エフエムロヒー」を聴き始めたらすぐに眠ってしまった。ぜんぜん眠れなかったのに、ヒコロヒーの声の導眠効果がすごい。2時間ぐらい眠り、楽天マガジンを確認すると、「文春」「新潮」が配信されていた。「新潮」には中居の記事が4ページだが、特に独自性はなし。ほかのページにはナチュラルエイトの社長が金銭トラブルのために失踪したという小さい記事があり、有働由美子、上田晋也が取材に応えている。「文春」を読むと、林真理子の連載コラムがフジテレビ問題について書いていた。フジテレビのキャンペーンキャラクターをやっていたこと、そして、作家になってからは番組審議委員も務めている。日大の理事長になってからはフジテレビに攻撃されていたというのだが、「最初は正直「いい気味」と思っていたのであるが、そのうちに空恐ろしくなってきた。」「なんか既視感のある光景が続き胸がざわつく。これは味わった者でなければわかるまい。」 テレビ評の欄は青木るえかの担当、「サンジャポ」の太田について書いているのだが、太田はこれに反応するかな。 

 昼はラジオ。「ビバリー昼ズ」を聴くと、ミチコさんがついに望月衣塑子のものまねをやり始めた。

◇ 面会・はま寿司

 午後から外出。天気がいい。鶴ヶ峰に出て、まいばすけっとに寄り、栄養ドリンクを買っていく。バスターミナルから上白根町まで乗り、上白根町のバス停から歩き、老健の面会に行く。エレベーターで3階にあがると、名前を記入しているあいだに職員さんが母を連れてきてくれた。いつもの面会スペースにて、しゃべることはいつもと同じ、変わりなし。面会は今週は今日だけになってしまうが、週に2回でも1回でも変わらないか。面会するこちら側の問題にすぎないだろうか。ベトナム人の職員さんにもうひとり若いひともいるのがわかった。みんなにこやかで、優しく対応してくれている。30分ぐらいで失礼する。

 毎度のごとく、上白根町まで歩いて戻り、はま寿司に寄っていく。今日は麺類は注文せず、握りばかり、牛カルビ、合鴨、活〆ぶり、煮あなご、まぐろ二種盛りを食べた。638円。これだけで腹いっぱいになる。小袋の甘だれを初めて使ってみた。

 鶴ヶ峰まで歩きながら、タイムフリーで、先週木曜の「トーキョー・エフエムロヒー」を聴きなおした。鶴ヶ峰に到着し、ココロットの TSUTAYA に寄り、「週刊文春」を買っていく。鶴ヶ峰から星川に移動、保土ヶ谷図書館に寄り、1冊返却、雑誌を1冊借りていく。

 イオン天王町のフードコートにて、ひと休み。マクドナルドのホットコーヒーとホワイトチョコミルクティーパイを注文し、レシートを見たら、注文した商品とは違う商品名が印字されていた。ちゃんとメニューを指差しながら注文したんだけども、レジとは別の店員さんに説明して、差額を返金してもらった。

◇ 週刊文春

 フードコートで、買ったばかりの「週刊文春」を読む。鶴瓶とヒロミが中居の自宅でのバーベキューに参加したという記事が先にネットに出ていたが、それに出ていたはずの情報が誌面には書かれていない。有料記事は読まず、広まっている噂しか知らないのだが、これも修正されたのだろうか。誌面ではヒロミは取材に応えている。鶴瓶も事務所を通じて回答している。それよりも、大物司会者が温泉旅行で女性アナと卑猥なダンスをしていたという情報はネットでは広まっていないのではないか。この大物司会者も事務所を通じて回答し、認めている部分もあるのだが、名前が出されないのはなぜなのだろう。しかし、この記事のいちばんの標的は日枝久で、バーベキューの話題はついでに書いている程度のものだが、とはいえ、A氏の関与を補強する大事なポイントであるとも思える。この記事が5ページ、つぎの記事はSMAPのメンバーたちの反応について、これが4ページ。記事は後半にまたぎ、橋下徹、パオロ・マッツァリーノ、江川紹子がこの問題について見解を語っている。この橋下徹のインタビューにより、第一弾の記事の記述の誤りを第二弾以降にはしれっと上書きされていたことが指摘されているのだ。「文春」は最後の「編集長より」の欄に、訂正について説明とお詫びがなされているのだが、ここでも語られているとおり、内容の印象は大きく変わるものではない。記事は最後にスポンサーの問題について2ページ、中居とフジテレビの問題に15ページを割いている。


◇ テレビ・ラジオ・Netflix

 夜に帰宅し、録画していたテレビ番組をいくつか。今日の「徹子の部屋」は「徹子の部屋コンサート」の様子を放送する。美川憲一とコロッケが出演し、コロッケだけのコーナーもあり、岩崎宏美のものまねをやるところには本人も登場していた。平原綾香も出演し、最後にみんなで「マツケンサンバ」を歌うところでは、平原綾香はサックスで参加した。

 今日の「NHKニュース7」を観ると、八潮の陥没事故はまだ救助ができず、どんどん穴が広がっているのか。今日もフジテレビのニュースがあり、清水新社長の会見では、経営刷新に向けた委員会を新たに親会社に設けることを明らかにしていた。「文春」の記事の訂正についても触れられる。

 タイムフリーで、月曜の「伊集院光 深夜の馬鹿力」を珍しく聴いてみたら、フジテレビの会見について、飛び飛びで何度か発言していた。この放送中には会見の中継はまだ続いていたのだ。

 眠れなくなり、Netflix で「イカゲーム」シーズン2を観始めたのだが、シーズン1の第1話を間違えて再生していて、半分ぐらい観るまで気がつかなかった。

2024年3月21日木曜日

3月21日木曜日/身分証を再発行する法

◇ テレビ・雑誌

 朝、テレビを観ながらパンを食べようと準備をしていたら、テレビから緊急地震速報のけたたましい音が鳴る。すぐに揺れがきて、思わず、ジャンパーを着て外に出られるかっこうになったが、小さい揺れだけでおさまった。つけていたテレビは「ラヴィット!」だったが、地震のニュースに切り換わり、茨城県で震度5だと伝えている。これだけで終わったのかな。

 録画していたテレビ番組をあれこれと。今朝の「ブギウギ」を観ると、逃げるんだったら負けたほうがいいとスズ子は娘に教えていた。日曜に放送された「ボクらの時代」は、岸谷五朗、寺脇康文、風間俊介という顔合わせ。「地球ゴージャス」30周年の公演に風間俊介が出演する。この3人だと、風間俊介が話をまわす役になる。観そびれていた先週の「イワクラと吉住の番組」は恒例企画の「拝啓、中の人」。堀井雄二から手紙が届く。奇しくも、鳥山明が亡くなったこのタイミングでの放送となった。ゲストは野田クリスタル、中川翔子、平尾帆夏。イワクラ、吉住は「ドラクエ」のことをあまり知らないようで、同じく、あまり知らずに観ていたが、貴重な話が出ていたような気がする。午後になり、「徹子の部屋」も追っかけ再生で観てしまう。ゲストは江口のりこ。柄本明の初出演の映像も流された。1994年放送、柄本明はこのとき 45歳、今の江口のりことほぼ同じ年齢だ。

 楽天マガジンで雑誌のチェックをする。「週刊文春」の林真理子の連載のイラストを目にして、これはと思ったら、古希のお祝いにマキタスポーツが「ハッピーバースデー」を歌ってくれたことが書いてあった。イラストはギターを抱えたマキタスポーツが描かれている。そういえば、マキタさんが「ビバリー昼ズ」に出たときにも、ちらっとしゃべっていた。気になるのは、志ん生の遺産が第三者に渡ったとの記事。長女美津子の認知症につけいった人間がいるということだ。ひ孫の金原亭小駒、池波志乃、そして、その遺言執行者とされるM氏、作成場所となった寺が取材に応えている。

◇ 鶴ヶ峰

 午後から外出。まず、鶴ヶ峰の旭区役所に向かい、ようやく、保険証の再発行の手続きをする。年末に紛失して、まったくいつまでかかってるんだか。どこの窓口に行っていいものかもよくわからず、まず、総合窓口で訊いてみると、あそこに立っている青い服のひとに訊くように教わり、青いおじさんに訊いたら番号札の紙をくれた。椅子に座って待っていると、さほど経たないうちに順番がまわってくる。担当してくれたのは、しっかりした雰囲気の若い女性だった。身分証を紛失したのに身分証を再発行するためには身分証が必要という難問に悩まされていたのだが、古物商の許可証があったことに少し前に気がつき、これと古い保険証があればなんとかなるのではと、訊くだけ訊いてみようと思って今日はやってきたのだが、なんてことはない、古い保険証があるだけで再発行が可能だった。そんなに簡単だったとは。ホームページにもそういうふうに書いといてくれよ。郵送で届けられるということで、届けられるまでには保険証に代用できる用紙ももらい、病院の定期検診が明日に迫っていたから心配していたのだが、これで明日も問題ない。しかし、郵送でうちに届けられることにはちょっと不安があった。郵便局留めにしてもらえないかと訊いたらできないそうで、母が認知症という事情までしゃべってしまったが、発送日を指定できるということで、そこでなんとか気をつけて自分で受け取るしかない。発送日であって、到着日ではないから難しいのだが、うまくいけば、来週の火曜には受け取れるだろう。これで一歩前進した。手続きは15分程度で終わる。

 松屋に入り、キムカル丼を食べる。590円。区役所の手続きがあっさりと片づいたので、時間があるからひさしぶりにひとりカラオケに行ってしまおうと思い、バンガローハウスに行ってみたらまさかの満室。鶴ヶ峰店はあきらめ、ここは定期券がある強みで、天王町店に行ってみる。しかし、バンガローハウスのカードも保険証とともに紛失していた。会員登録が必要だったのかも忘れてしまい、料金表にはなにも書かれていないからいいかと思い、入ってみると、やっぱり会員登録が必要だという。会員登録には身分証が必要と言われ、ついさっきもらってきた代用の紙がさっそく役に立ったが、だけど、だったらすでに会員登録されているはずではと思い、訊いてみると、名前の確認だけで登録されていることはわかった。カードをなくしたというと、カードなんてものは存在しないようなことを言われ、そんなことはないので食い下がると、昔はあったみたいなことを言う。その昔というのはどうやら、ほんの4、5年前のことで、それを昔と言う若い店員では話が通じないと思った。結局、カードが再発行されることもなく、名前を言うだけでいいようで、そんな利用法だったかなと疑問は残った。釈然としないまま、部屋に荷物を置き、ドリンクをとりに行って戻ってくると、あとからやってきたカップルがなぜかその部屋に入ろうとする。伝票をお互いに見せ合うと同じ部屋番号になっていた。彼らのほうがあとだから、彼らは受付に確認に戻っていった。

 カラオケのあとは天王町から横浜に移動し、借金を一気に片づけてしまおうと企んでいたが、限度額というものがあるから、すべて片づくのは4月半ばになるか。それでも、9年前から始まった借金地獄をこの4月でやっと終えられるのだと思うと昂揚感がすさまじい。

◇ 読書

 横浜から星川に移動し、イオン天王町のフードコートにてひと休み。マクドナルドのわらびもちパイを食べながら、しばらく読書していく。図書館で借りている「作家と楽しむ古典」を読み終えた。2017年刊、河出書房新社。池澤夏樹が編集した「日本文学全集」の訳者たちによる講義集。このシリーズ、巻数がついていないのだが、1巻目にあたるこの本では、池澤夏樹が「古事記」について、伊藤比呂美が「日本霊異記・発心集」について、森見登美彦が「竹取物語」について、町田康が「宇治拾遺物語」について、小池昌代が「百人一首」について語っている。するすると読んでしまったが、しかし、各作家が訳した肝心のその全集を読んでいないのだからわからない部分もかなりあるかもしれない。このシリーズは、引き続き読んでみよう。

 コーナンに寄り、ダンボール板を買ってから帰る。夜はだいぶ寒くなる。夜遅くに帰宅し、録画していたテレビ番組をまたいくつか観て、早めに眠ってしまい、深夜に目覚め、台所の掃除をしていた。

2023年8月15日火曜日

8月15日火曜日/終戦記念日

◇ テレビ

 朝に起きあがり、録画していたテレビ番組をいくつか。日曜の「サンデージャポン」を火曜まで観ることができないというのもひさしぶりだ。どうもやることが多く、ばてている。トップは日大アメフト部薬物問題から。理事長である林真理子の経歴を紹介し、古い映像もいろいろと流された。林真理子と友人だという茂木健一郎を良原アナが取材する。林真理子、太田光代と話す機会があったという茂木健一郎のツイートが紹介されていた。それから、自民党のエッフェル塔写真だが、あの松川るいというひとは、今さら思い出したが、「劇場版センキョナンデス」に登場していたひとだ。あの映画のなかでは、わりと好印象をもったのだけどな。

 少し眠りなおし、午後、かつやに行ってくる。ロースカツ定食を食べた。627円。25周年感謝祭だとかで、今日まで150円引き。昼食どきのかつやはさすがに混んでいた。ついでに駅前まで、買いものをして、すぐに帰ってくる。

◇ ラジオ・テレビ

 タイムフリーで、これも聴きそびれていた「爆笑問題の日曜サンデー」を聴くと、オープニングには春とヒコーキが登場。そのあとの「カレンダーリクエスト」という企画では、満島ひかりがゲストだった。いつもはNHKで裏番組をやってるんだけど、高校野球の中継のために今日は休みなんだ。「石橋貴明のGATE7」は、2週にわたり、伊集院光がゲスト。最初の週はラジコで聴きそこねてしまい、これは YouTube で違法のものを聴いた。野球の話をする番組なのだが、最初の週では貴明のほうが話を脱線させ、伊集院が野球の話に戻そうとする。一昨日の2週目では、伊集院がサバンナ・バナナズについて語っていた。

 録画していた「徹子の部屋」を、まず、観そびれていた昨日の放送は海老名香葉子がゲスト。もうすぐ、90歳だとは。お元気だな。そして、今日の放送は傑作選。「戦争と私」というテーマで、三波春夫、加藤治子、高峰秀子、三代目江戸家猫八の過去の出演回の映像が流された。◆ 三波春夫の回は1977年放送。三波「とにかく、百日間、この陣地をわれわれは死んでも守らなきゃあならないって、そういう命令なんですよ。ところがとんでもない、5日間でもうそれこそお手上げですよ。退却しなくちゃならない。そりゃひどかったですよ、その、砲弾の音というのはすさまじかったですね。戦友が悲鳴あげるわけですよね。「あっ!」っつったら、まったく、肩から首からすぽーんとね、きれいになくなっちゃうんですよ。爆風ですね。それが目の前ですからね。じつにびっくりですね。」「あれは何日だったかな、たしか、(8月)14日の朝だったと思いますけどね。(略)僕ら、ぜんぜん知らんわけですよ。終戦をやっと知ったのが9月の9日の夜でした。でえ、そんときにね、ロシア語が聴こえるわけですね。目の前にくるんですよ、斥候がね。(三波春夫はにこにこして)斥候隊がね。5、6人きたんでしょうかね、あれ。入り込んできちゃったんですよ。きやがったなと思ってね。ちょうど手榴弾もってましたからね。ひとつ、(投げるしぐさ)投げたわけですよ。投げたら、それがほんとに、その朝の戦闘開始の音でした。」 徹子「それは三波さんがお投げになった?」 三波「ええ、投げた。したら、(にこにこしながら)びゅーっ、という独特の手榴弾の音でね。それから14日の激戦の火ぶたがきられましたけどね。ええ、そんとき、最後までロシアの兵隊がね、「ママ―、ママ―」って母親の名前を呼んでました。ニッポンの兵隊も「お母さん」っつってね。僕の戦友はね、僕にしっかりしがみつきながらね、「お母さん、お母さん、痛いよ痛いよ」って言いながら死んでいきましたよ。」「(略)だからそんときにまあなんという、戦争そのものの真っただ中ですから、もうなにも考える日もありませんね。自分がとにかく生きなきゃいけないんだ、相手を殺さなきゃならない、ってことですからね。ところがまったく、(にこにこしながら)顔も知らなきゃ名前も知らないやつと戦うんだから、戦争なんてじつに愚かなものだと思いましたよ。で、僕は非常に射撃が上手かったせいですかね、僕が撃つ弾がよく当たるんですよ。そうしたら、今度はソ連のほうでは飛行機を1台出しましてね。あのトーチカにいるのはその、大変その頑強なやつがいるってんでね。僕に向かって爆弾を落としましてね。ほんとに、まんまるいタドンみたいなのがすーっとくるわけですよ。それを見た瞬間にもうだめだったんですがね。ばあーっと、そのまま。3時間ぐらいよく寝てましたね。もうぜんぶコンクリートあたまからかぶっちゃいましてね。」 徹子「怪我は?」 三波「ええ、怪我はね、わずか、ここにちょっと傷が残ってますがね。(略)部隊長も誰もいないんですよ、僕が目が覚めたら。もう北詰(三波春夫の本名)は死んだもんだと思って。みんな、逃げて行っちゃってるわけですよ。(略)そりゃもう、さびしいもなにも通りこしてね、もううつろですね。背中は寒い、足の裏は寒いね。かすかにね、大砲の音が、どーんと遠くね、祭りの花火の音みたいに聴こえるわけですよ。足の裏から聴こえるもんですね、音って。そう思いましたね。耳が「あっ、これは浪花節やれなくなったな」と思いましたよ。」 ◆ 高峰秀子の回は1989年放送。高峰「もう戦後は終わった終わったってね、戦後は終わったかもしれませんよ、でも、戦前なのよ、もうね。戦後が終われば「前」なのよ。だから、けっしてね、ひとごとじゃないとわたしは思うんだけど、そういうこと言うと、古いババアだなんて言われるからね、あんまり言いたくないけど、絶対に、戦後が終わりゃあ戦前なのよ。」 高峰秀子は敗戦の日に特攻隊の慰問に行っていた話をする。長谷川一夫、山田五十鈴らと、1時間ぐらいのショーをやっていたのだ。玉音放送があっても、雑音でなにもわからず、ぴんとこないという感じだったという。戦争が終わったのに、特攻隊員たちはどんどん飛んで行ってしまったという話をしていた。◆ 三代目江戸家猫八の回は1978年放送。猫八は広島で被爆した体験を語る。兵隊として、死体を片づける作業をしていて、爆心地から2キロぐらいのところにいたのだ。猫八「ボーイングB29がきたわけですよ、そしたらね、四十代のね、二等兵がね、一つ星が、あとでみんな駆り出されたひとたちですよ。おとっつぁんみたいなひとがね、入ってきて、「(敬礼して)兵長さん、また飛行機がまいりました」って言うんですよ。「落下傘が落ちました」って言うんですよ。それが原爆なんですよ。その日はお天気でしたよ、8月6日の8時15分、晴天ですよ。太陽がさんさんと降り注いでる。それよりもっと明るかったんですよ。つまり、白い光線ってよく言いますけど。ぱあーっと明るくなった。なんだろうと思ってわたしね、おもて飛び出した途端に、どおんと音がしたの。後ろから爆風が、ばあーっときて、2メートルぐらい吹き飛ばされましたよ。これはなんかねえ、なんかわかんないけど怖いなと思ってね。臆病ですからね。すぐ、防空壕入って出てこなかったんですよ。そしたら、おもてで作業してた班長の兵隊が、兵舎に戻ってきたんですよ。「岡田(猫八の本名)、たしか、なんか、外出の支度してうろうろしてたけど、どうしたかな、あいつは。」「あいつはずるいからな。どっか逃げちゃったんじゃねえかな。」って、うわさしてるところへ「はい、ここにおります」って出てったんですよ、防空壕から。「あっ、やっぱりこいつだ。このやろう、このなかに隠れてやがった」って。とにかく、外出の支度してっからおもて行けって。見てこいって。」「だから、街へ出たときに、真っ黒に焼けただれたお母さんが赤ん坊を抱いて、それでもうとにかく、まだ小さい子もいるでしょ、ほかに。だから子どもの名を呼ぶね、おじいちゃんが孫の名を呼ぶ、奥さんが旦那の名前を呼びながら右往左往してる。まあ…、地獄ですね。地獄ですよ。ぜんぶ黒いですから。真っ黒ですよ、焼けたのが。それで、川んなかに熱くて逃げたひとが、そのまんまのこういうかたちでお亡くなりになってましたよ。わたし、今思い出してもね、泣けてきますよ。そりゃあ、二十何万というひとでしょ。なんの罪もないひとでしょ。僕ら兵隊ですからね。そのあと片づけに行くとねえ、やけどでただれたひとが道端へずーっと寝かされてんですよ。なかには目の見えないかたもいらっしゃる。足音が聴こえると、「兵隊さん、助けて。水ちょうだい。水ください」って言うの。だけど、水あげらんないんですよ。「軍医殿、水をやってもよくありますか!?」「いかん!」水やったら、ほら、なくなっちゃうでしょ。だから「いかん!」って言うんですよ。でも、このかたたちは、どうにもならないってことわかりますからね。目で、僕は軍医殿に、軍医殿に飲ませろとは言えないでしょう。目だけ(うなずいてみせる)。これでしょ? あったかくなっちゃった水筒の水を、「兵隊さん、おいしかったですよ」ってねえ。そのまんまですよ。何人も、何人も、わたしの水筒の水を飲んで息をひきとりましたよ。だから、わたしは、今だから言えますけど、そのひとたちがね、手を握りしめて、今、言っていいか悪いかわかりませんけど、「兵隊さん、かたきをとってください」ってみんな亡くなりましたよ。まあとにかく、僕はその地獄を見てきましたよね。それからその死体をぜんぶ、トラックへ積んで、太田川の堤防へ積みあげてるんですよ。どうしようもないですよ、だって。それで、ガソリンをかけて、荼毘に伏したわけですよ。そんなことってありませんよね。ですからね、再び、戦争はやっちゃいけません。」

 夜遅くにブログの更新をひとつ。今日はずっと家にいたのに、ひとつしか更新できなかった。終戦記念日に戦争に関する映画をなにか観たいとも思っていたのだが、その時間もなくなった。深夜1時からはラジオ。「爆笑問題カーボーイ」を聴きながら眠る。

2023年3月6日月曜日

3月6日月曜日/くるくるまわるカレー



◇ 日比谷・市ヶ谷

 今日も朝から都内に。風が冷たい。日比谷公園を通り抜け、昼には市ヶ谷に移動する。昼食はカレーの王様に入り、ゴロゴロチキンカレーを食べた。650円。店のひとに、荷物を置いてからこちらに取りにきてくださいというようなことを言われ、なぜそんなことをわざわざ言うのか不思議だったが、いざトレイをもつと、カレーが盛られた皿がトレイの上で滑ったのでひやっとする。傾けないようにもっても、皿がトレイの上でくるくるとまわる。無事に席までたどりつけるか、まさか、カレーの王様でこんな試練に遭うとは思わなかった。以前はこんなに危険な皿は使ってなかったと思うが、ひっくり返すひともいるだろうよ、これは。



◇ 読書・テレビ・ラジオ

 川の向こう側に渡り、マクドナルドに入り、ひと休み。眠気で朦朧としながら読書をする。市ヶ谷から南北線、日吉から東横線に乗り換えて帰ってきた。帰りの電車内でも読書を続ける。村上春樹「女のいない男たち」を読み終えた。2016年刊、文春文庫。親本は2014年刊。「ドライブ・マイ・カー」の原作が収録されている短篇集。映画を観たときから原作を読みたいと思っていたのだが、なかなか買えなかった。今は110円で、わりと簡単に買える。映画とは違って、原作は東京から出ない話なのだな。

 夕方には帰宅し、録画していたテレビ番組をあれこれと。今日の「徹子の部屋」は、林真理子がゲスト。日大理事長になってからは初めての出演になる。1994年放送、40歳のときに出演した回の映像も流れた。それはともかく、観ている最中に変な音がすることに気がつき、部屋にネズミでも出たのかと思ったが、巻き戻して再生してみると、きゅうっという音がテレビから聴こえている。ツイッターで検索すると、徹子さんの呼吸音だと書いてるひとがちらほらあったが、本当にそうかな。

 昨夜の「ガキの使い」は、笑福亭笑瓶名場面集を放送した。映像を編集して流すだけではなく、メンバーも喪服で登場する。しかし、上島竜兵のときにも感じたことだが、リアクション芸のようなものがリスペクトされるようになったのはいいことではあるとは思うのだが、こうしてまとめて観せられると、非常に殺伐としたものを感じる。ダウンタウンとの関係の深さは疑いようもないのだが、へらへらせずに、もっときちんと追悼してあげればいいのに。

 「情熱大陸」も2回分まとめて、観そびれていた2週前の放送、森且行の回と、そして、昨夜放送の片桐はいりの回を観た。「ナイツのちゃきちゃき大放送」出演時の映像がけっこうたっぷりと使われていたが、そのときに、やくみつるからサインをお願いされた、片桐はいりが表紙の「演劇ぶっく」が届けられる場面があった。そこから、存在感と自意識について、すごく面白い話をしていた。野外劇の「嵐が丘」の様子をもっとやるのかと思っていたけど、これは短かった。

 タイムフリーで聴いた今日の「ビバリー昼ズ」は、サムネイルが違うのであれっと思ったが、冒頭から、松村が高田先生のものまねでしゃべり始める。高田先生が体調不良でお休み、松村邦洋と松本明子のコンビになったが、高田先生にも電話をつなぎ、元気そうではあった。コロナではないのか、すぐに復帰するようなことを言っているが、年齢が年齢だけに気にはなる。12時台は徳永ゆうきがゲスト。聴きながら眠り、深夜に目覚め、ブログをひとつ更新する。

2022年5月27日金曜日

5月27日金曜日/セミヌード訴訟

◇ テレビ・ラジオ・読書

 早朝から眠り、短い時間で起きあがる。珍しく、問い合わせのメールがあり、送料はいくらかという簡単に返信できる質問で助かったが、昨日の午後から一日放置してしまっていた。外は大雨。今日は外出する気なし。録画していた昨夜の「ダウンタウンDX」は「新世代スター」の特集。新しい学校のリーダーズ、Aぇ!group、フォーエイト48、ダウ90000、ヨネダ2000 というメンバーが出演したが、お笑い勢以外はまったく知らなかった。ヨネダ2000 はいちいち小ネタを用意していて、先日のランジャタイとも共通する果敢に攻める姿勢が素晴らしい。ダウ90000の紹介VTRには、いとうせいこうがコメント出演した。「そうなんだよ、言わなきゃいけないのは、変に個性的じゃないんですよ、役者が。むしろ、無個性を狙って演出しているなっていう。」

 昼はラジオ。「ビバリー昼ズ」には「漫才新人大賞」で優勝した春組織が登場した。「ビバリー」はこうしてきちんとアフターケアをするのだが、「ナイツ ザ・ラジオショー」もおおむね聴いているが、春組織を優勝後に話題にしたことはあっただろうか。午後はそのまま、「中川家 ザ・ラジオショー」を聴く。なんと、TikTok を始めたというので、よくわからないものの、さっそく確認してみたくなった。

@nakagawake.official ガサ入れ 【切り抜き】#中川家 ♬ オリジナル楽曲 - 中川家【公式】

 ずっと売れ残っていた「ウンナンの桜吹雪は知っている」の単行本がなぜか売れて、どうやら、やけに値あがりしている。裁判をバラエティにしたテレビ番組を書籍化したものだが、ぱらぱらと見てみると、水道橋博士が渡辺美奈代を訴えるセミヌード訴訟という回があり、この番組は観ていたはずだがまるで記憶になかった。今はスラップ訴訟と闘っている博士だが、まさかそれで値あがりしているわけでもあるまい。


 午後もまた、録画していたテレビ番組をいくつか。今日の「徹子の部屋」は、高橋真麻がゲスト。それから、「紙とさまぁ~ず」を2週分、吉岡里帆がゲストの前後編をまとめて観た。「好きな映画を聞かれて、何と答えれば「この人映画通だな」と思われますか?」という質問に、吉岡里帆はキアロスタミの「友だちのうちはどこ?」を挙げていたのだが、さまぁ~ずが知らないのはともかく、スタッフもひとりがかろうじて知っている程度だったのはそんなもんかという感じだ。今のテレビマンは、映画の知識はマストではないということなのか。いや、昔のテレビマンもどうだか知らないのだけど。

 テレビの合間に読書もする。井上ひさし「ふかいことをおもしろく」を一気に読んだ。2011年刊、PHP研究所。わずか100ページ強、字も大きく、四十代も後半になると、こういう本はじつにありがたい。NHKの番組のインタビューを書籍化したもので、奥付には、堀尾正明の名がインタビュアーとしてクレジットされている。ひとつ知らなかったことで興味を惹かれたのは、浅草フランス座について語っているところで、井上ひさしが文芸部員になったときの応募者が二百人いたというのも知らなかったが(大半がストリッパーのヒモ狙いだったというオチがつく。)、採用されたのは井上ひさしのほかにもう1名いて、このひとがなんと、林真理子の叔父だというのだ。検索してみても情報が見つけられず、林真理子の本は読んだことがないのだが、どこかでなにか書いてないだろうか。

 今日放送された「問わず語りの神田伯山」を聴くと、冒頭でいきなり、TBSラジオが聴取率4位に転落したという話をしているのがすごいが、検索してみると本当だ。ネットニュースを確認できたが、では、1位はどこかというと、TOKYO FM が1位で、ニッポン放送と J-WAVE が同率2位だという。TOKYO FM ってどんな番組やってるんだろうと、この機に番組表を確認してみると、4月からヒコロヒーの番組が始まっていたことを今になって知った。金曜正午に放送されている「CURIOCITY」という番組で、ちょうど金曜だから、先週今週の放送をさっそく続けて聴いてみた。昼の番組なのにトークがやけに気だるいが、ゲストを招く番組のようで、先週は「キョコロヒー」にも出ているダンサーの TAKAHIRO が、今週はシシド・カフカが登場していた。

 ラジオを聴きながら、ブログをひとつ更新し、夜もまた、録画していたテレビ番組を観る。放送されたばかりの「ネタパレ」を観ると、ゲストの鷲見玲奈が、TOKYO COOL が大好きだそうで、全力じじぃ時代のネタも YouTube で観ているというからホンモノだ。「ニュースターパレード」にはアケガラスというコンビが登場したが、このコンビ名、落語ファンとしては考えさせられる。落語のタイトルがかっこよく感じるというヤンキーっぽいセンス。深夜2時頃に眠る。

2021年8月28日土曜日

8月28日土曜日/「ラフ&ミュージック」

◇ ラジオ・テレビ

 朝になるとようやく涼しくなるが、またすぐに、じわじわと暑くなってくる。昨夜、聴きながら眠ってしまった「問わず語りの神田伯山」を聴きなおすと、「タイタンシネマライブ」のエンディングトークで言っていたとおり、円楽が圓生を襲名したいと発言しているという話をしていた。9時からは「ナイツのちゃきちゃき大放送」をつける。「常連さん」は能町みね子。横浜市長選に田中康夫が出ていたことに、ようやくこの番組で触れた。坪倉良和という候補が、我が家の坪倉の父だったとはぜんぜん知らなかった。

 ラジオを中断し、録画していたバラリンピックの開会式をようやく観る。番組表では、NHK総合はあいだにニュースが入ることになっていたので、Eテレの手話付きの放送を録画しておいた。パラリンピックならば、むしろこちらでいいだろう。ショーが始まると、はるな愛がいきなり映る。知らずに観ていたら驚きはあったかもしれない。NHKの解説では、はるな愛だという紹介はしていなかった。オリンピックの開会式とは違い、こちらは子どもっぽくなく、日本的な文化を過剰に押し出すようなところもない。選手入場のプラカードもマンガの吹き出しではなかった。放送の手話の担当者は、20分ずつくらいで交代していた。さすがに、3時間近い放送を、ひとりで手話をやり続けることはないか。手話の表現力というのはすごいもので、観ていると、かなりの運動量だと思った。こちらも1時間ほどで中断し、ラジオに戻り、「田村淳のNewsCLUB」をつける。ニュース解説は石戸諭。そのあとは、林真理子がゲストに登場し、「小説8050」の話をしていた。この小説には、「グッとラック!」に出演していた高橋弁護士が取材協力しているそうである。聴きそびれていた月曜の「ナイツ ザ・ラジオショー」もようやく聴いた。桂宮治がゲスト。「笑点」の新レギュラーは宮治だと思い、塙が電話をかけてきたという話。そういえば、本当は宮治がなるはずだったが、一夜にして三平に変わったという話を某師匠がしゃべっていたのを聴いたことがあるが、事実はどうなのだろうか。中田翔の移籍の話から、塙さんが、伸衛門、遊雀の話をふろうとするのにも笑った。

 夕方、ヤマトの営業所まで。今日もひどい暑さ。かつやの前を通ると、新しいフェア丼が始まっていて、思わず入ってしまった。塩カツ丼を食べる。二俣川に出て、くまざわ書店に少し寄り、西友のイタリアントマトに入り、しばらく読書をした。西友で買いものをして、夜に帰ってくる。日が落ちてもまだまだ暑く、帰宅するまでに汗をかいた。


◇ 対談

 アマゾンプライムで配信された、松本人志と庵野秀明の対談をようやく観た。1時間程度のものかと思っていたら、前後編に分かれていて、40分ずつもある。まず、前編。そういえば、監督は品川祐だった。松本と庵野は初対面。松本が 1963年生まれ、庵野が 1960年生まれ。世代が近く、特撮モノやテレビアニメの共通体験があるのだ。松本が「赤塚不二夫さんも確実に影響受けてますねえ」と、赤塚不二夫からの影響をはっきりと口にしたことは今まであっただろうか。「ウルトラマン」よりも「ウルトラセブン」派だという松本は、実相寺昭雄、金城哲夫のタッグについても言及する。しかし、こういう話になると、庵野秀明のほうが知識が正確だし、かなわない。「全員集合」はどうかというと、庵野は裏番組の「キカイダー」と「キューティーハニー」を観ていたのだという。松本が「エヴァンゲリオン」の映画をすべて映画館で観ているというのも意外だった。しかし、そのくらいでなければこの対談は受けないか。松本が枝雀について触れているところも気になったが、これは枝雀の著書を確認する必要があると思った。後編も続けて観ると、こちらでは、松本が谷崎潤一郎「春琴抄」の話をしていて、これにも驚いた。

◇ テレビ

 深夜0時近くから、録画していた「ラフ&ミュージック」を観始めた。5時間近い放送をまともに観るのはさすがにかったるく、ざっと早まわしで観ていくが、爆笑問題の出演を最初から予告していて、最後の最後まで引っぱっていた。爆笑問題の出演は、結局、いちばん最後になるが、しかし、爆笑問題と松本人志の共演は、単に珍しいと思うだけの視聴者が大半で、この共演は、たとえば、東京03と島田紳助が共演するくらいの事件なのだと理解している視聴者は少ないのではないだろうか。漫才は昨日の「タイタンシネマライブ」のネタとも重複し、昨日からネタのクオリティを心配していたが、案の定、がちゃがちゃの漫才になった。こういう漫才にはなんだか見覚えがあると思ったが、にゃん子・金魚の漫才みたいなのだ。いつにも増して変なテンションだったが、もしかすると、昨日からもうすでにおかしかったということだろうか。松本「ここの奥さんが俺のツイッターをフォローしてんのよ。意味もわからなくて。なんか、遠まわしに威嚇されてんのかな」 太田「威嚇したのはそっちでしょ」という一瞬のやりとりに興奮する。わずか4分弱の共演。そのほかでは、生電話のコーナーが面白かった。本田翼、山田孝之はともかく、蛍原徹、鶴瓶、ウッチャンに電話していくという流れ。深夜3時過ぎに眠ろうとするが、興奮してなかなか眠れなくなった。


 

2021年6月15日火曜日

6月15日火曜日/「日本の喜劇人」を読む(7)

◇ テレビ・ラジオ

 今朝は涼しく、気持ちよく眠れた。午前中に、録画していた昨夜の「さまぁ~ず論」を観た。ゲストは見取り図、今週は後編。三村に、MCのパンサー向井が、生き残っていかなきゃみたいな時期はあったのかと訊くと、三村は「本当のこというと、生き残っていかなきゃっていうギリの、底辺の話じゃなくて、天下獲ろうっていう上の話だからね。」と答えた。うっかりすると忘れてしまうが、バカルディの時代はたしかにそうで、ダウンタウン、ウンナンに続く存在として、ホンジャマカ、バカルディが期待されていた時代の空気があった。しかし、三村は「天下を獲れてないのよ。」と。「とんねるずさん、ダウンタウンさんとかとはちょっと違うなって、ひそかに思ってますよ。」 大竹「三村さん曰く、お笑いの歴史のね、いずれ年表みたいのが出たとしたら、俺らは載らないだろうっていうの。」  三村「そんな細かい年表なんかないから。」「こっから年表に載るにはって考えると、ピークはこの先にないと載れないのよ。」

 タイムフリーで聴いた昨日月曜の「ナイツ ザ・ラジオショー」は、劇団ひとりがゲスト。「元気が出るテレビ」の「お笑い甲子園」でのデビューから、「本能のハイキック」「リチャードホール」「ゴッドタン」と、こうして話を聴いていくと、目立ったブレイクがあったわけではなく、数珠つなぎに仕事が仕事を呼び寄せていったという感じがある。「陰日向に咲く」も、幻冬舎の編集者がライブを見て、流行りのネタ本を提案されたが、書いてみたら小説っぽかったからというので、小説の企画に切り換えたという。この切り換えも見事だ。小説が監督業につながっていくわけだが、後半は土屋も出演する「浅草キッド」の話になり、聴けば聴くほど、これは観たくなる。


◇ 読書・テレビ・ラジオ

 午後、ヤマトの営業所まで。二俣川に出て、相州そばに寄り、特製肉つけ麺を食べた。780円。西友のイタリアントマトに入り、読書をしていく。小林信彦「決定版 日本の喜劇人」の続きを、暇ができた日に一章ずつ読み進めている。第七章はクレイジー・キャッツ(この本ではこの表記)。80年代以降の植木等、「スーダラ伝説」の再ブレイクについても書き足されていて、これは新潮文庫版と見比べなければならない。帰宅してから見比べてみると、なべおさみについての箇所が「決定版」ではごっそりカットされているのだ。「決定版」では、なべおさみは索引に名前すらない。

 録画していた今日の「徹子の部屋」は、小林亜星追悼になっていた。これを観るまで気がつかなかったが、「この木なんの木」は作詞が伊藤アキラなのだ。この曲は、作詞家、作曲家を、立て続けに亡くしてしまった。日曜の「笑点」を観ると、演芸コーナーに球児好児が出ていた。「ゲロゲーロ」のネタは、球児師匠がひっくり返る箇所があるが(もちろん、ひっくりカエルのシャレ)、球児師匠はもうひっくり返れない。代わりに、好児師匠がひっくり返るように変えられていて、好児師匠はお元気だ。

 タイムフリーで聴いた昨日月曜の「伊集院光とらじおと」は、林真理子がゲスト。「小説8050」という新刊が話題の中心になるが、伊集院にここまで熱っぽく語られると興味も湧く。それから、林真理子は雑誌の連載コラムなんかでも最近はずいぶん直されると言い、コンプライアンスの話にもなった。今朝の「らじおと」も、オープニングはあまり聴かないのだが、珍しく聴いてみたら、今朝は小林亜星追悼から始まっていた。今日のゲストは予告どおり、円楽が登場する。昨日の放送後に収録したもので、45分たっぷり放送した。二人会の話が中心だが、密度の濃い落語論が語られていた。伊集院が談志師匠のエピソードを話していたが、しかし、これは話が不正確だと思う。聴きながら、楽天マガジンで雑誌のチェックもする。「FLASH」の巻末の「寄港めし」というページに伯山が登場していた。浅草の蕎麦屋を紹介しながらインタビューに答え、こちらでも談志師匠の話をしている。

 続けて、昨夜の「深夜の馬鹿力」も聴く。当然、二人会の話を期待してだが、なんと、つい先週に、にぎわい座の円楽の会にまた出ていたと知り、これは悔しくてたまらない。ツイッターで検索してみても、伊集院ファンでもこれはさすがにノーチェックだろう。しかし、「タイタンシネマライブ」と同じ日だったから、一か八かで観に行くということはなかったとは思うが、それにしても、にぎわい座に毎月通っていた時期もあるのだから、そのモチベーションがあれば、二度の出演のどちらかは観ていておかしくない。思うように落語会に行けないというのはつまらないものだ。二人会の話はたっぷりと、1時間45分過ぎにようやくコーナーに入ったが、エンディングにまた二人会の話に戻った。円楽の二席について、「一文笛」という噺を初めて聴いた驚きを、筋を説明しながらえんえんと語っていたが、ほかの部分でも、落語ファンなら知っているようなことに対しても、素朴な驚きをもって語っているというところが多々あり、考えてみると、十代で落語家になり、その後に離れたという距離感は独特だ。落語ファンの段階がなく、いきなり落語家として落語とつきあい、しかし、落語家の感覚にも伊集院はなりきらなかった。

 深夜1時からは「爆笑問題カーボーイ」をつける。ぼんやり聴いていたら、いつから二人会の話になったのかわからず、いい加減なもので、じきに眠ってしまった。

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