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2023年10月22日日曜日

10月22日日曜日/勉強のために読む

◇ ラジオ・テレビ

 朝はラジオ。「安住紳一郎の日曜天国」をつけていると、谷村新司が昨年3月に出演した回の音声をここでもまた流していた。この音声は、昨夜の「Nキャス」でも流されていた。ウィキペディアに書いてあるジェームス・ブラウンを呼んだ話をここでしていたんだな。

 録画していた今朝の「サンデージャポン」を観ると、昨夜に「キングオブコント」で優勝したばかりのサルゴリラが生出演していた。サルゴリラをひととおり紹介してから、ガザ地区のニュースに移る。今週もテルアビブにいる須賀川記者と生中継でつなぐ。そのあとは、猿之助の初公判のニュース。村上湛が取材に応えていた。それから、日大問題、旧統一教会問題、ジャニーズ問題と続くが、それにしても、カズレーザーはあらゆるニュースに対して細かいコメントをする。サルゴリラと並んでいたけれども、ウィキペディアにあたってみると、カズレーザーのほうが後輩なんだよな。かまいたち山内の弟にまた感謝状が贈られたというニュースや、やす子の焼き芋のレポートなどがあり、最後にはまたサルゴリラの時間があった。昨夜の1本目、マジシャンのコントをここでもまた披露した。

◇ 赤坂見附

 午後から都内に。赤坂見附に出て、まず、昼食。てんやに入り、天丼を食べた。560円。隣りのマクドナルドに入り、ひと休み。読書の時間を作る。

 図書館で借りた「文學界」10月号の絲山秋子特集を読んだ。デビュー20年の特集、まずは辻原登と絲山秋子の対談(構成・吉田大助)を。辻原登という作家はよく知らないのだが、対談はとても面白かった。小説を書くうえで、一貫したところがあるとすれば、アンチ進歩主義者なんですと辻原は語る。辻原「人間は一生懸命勉強したり、鍛えたり経験を積んだりすれば、必ず進歩して成長していくとたいてい思います。(略)僕もある時期まではそう思っていたんですが、それはちょっと違うんじゃないか、人間には進歩も退歩もないんじゃないか、と。人類の歴史も同じ。小説を書く時、この人物をどういうふうに造形するかを考える時に、この考え方は非常に有効だなと僕は思っているんです。」 辻原登は神奈川近代文学館にも関わっていて、絲山秋子が編集委員を務めた井伏鱒二展の話にもなった。辻原「「遥拝隊長」の主人公は何者かというと、要は粗忽者ですよね。僕は粗忽という言葉が好きなんです。粗忽というのはものすごく罪深いことであると同時に、その人の隠し持っている絶望みたいなものも表している。井伏は、粗忽を描く達人だと思います。」 絲山「落語ともちょっと繋がりますよね。粗忽者はバカでおかしいと笑うだけではなくて、その中にはものすごくまっすぐでピュアなものがある。」「粗忽な人を描くことには、ものすごく鋭利な刃物をふるうような怖さがある気がします。そういう意味で井伏さんの作品は、本当によく研がれた刃物のような面がありますね。」


◇ 読書

 帰りの電車内でも読書を続ける。同じく、「文學界」10月号に載っていた若林正恭と國分功一郎の対談を読んだ。これが三度目の対談になるのか、いずれ単行本にでもするつもりなのだろう。対談には「ビッグモーター化する世界の中で」というタイトルがついている。夏休みに沖縄に行った際に「暇」について考えた若林。「(略)そこで今一度、暇ってなんだろうと調べていたら、ギリシャ語で暇はスコレー、それがラテン語のスコラになり、スクール(学校)の語源になったと知りました。スコラは議論や哲学、スポーツをしていた場所のことなんですよね。それを知って、暇がないと勉強しない、暇は勉強に繋がるんだ、と。今まであまりそういうイメージがなくて、暇ってちょっとネガティヴな言葉じゃないですか。資本主義がそうさせたのかもしれないですけど。だから考える時間がないっていうのは、なかなか危ないことではありますよね。」 國分「そうなんです。ギリシャ語でスコレーは余暇という意味。余暇は神聖な時間でした。余暇を持っている人こそ、きちんと自分を磨くことができている立派な人間とみなされていた。だって、日々の仕事に追われていたら考えを磨いたりできませんよね? 哲学的なことを考えることができる立派な人とは、きちんとスコレーを持っている人のことだったんですね。」 この対談で語られているのは資本主義に対する懐疑だ。ビッグモーターの問題から、若林が「人間がひとつの集団に入ると自分やその集団を客観的に見れなくなる傾向、そういうのはあると思いますか。」と問うと、國分「そのようなことは確実にあると思いますし、しかも実はその論点は哲学の起源の話に繋がっているんです。集団の中にいると、その中で習慣でやっていることと、どこに行っても変わらないことの区別がつかなくなってしまいます。(略)哲学は自然の探究として始まったと言われていますが、その際に発見されるのは、自然であるものと自然でないものの区別なんですね。哲学の始まりが自然の発見であるという話が面白いのは、他の集団との接触が不可欠な条件として現れているところです。人間が哲学をしていく上でも移動は実に大切であるわけです。だから集団の中に移動せずにとどまっていたら、メタ視点を失ってしまうのも不思議なことではありません。」 若林「仕事をしていて1日に2現場あるとするじゃないですか。相方はワーカホリック大賛成なので、仕事の間に空き時間があるのが嫌だと言う。無限に働ける男なんですよ。僕はひとつ仕事が終わったら、1時間だけドトールで時間が欲しい。そうしないと自分の頭の中が砂嵐状態になって、収まりがつかないんです。それがなぜなのか、自分でもわからなかった。でもその時間で、仕事していることに理由をつけるというか、言語化しないと次にいけないんですよね。でも他の人にとっては、その時間が必要な意味がわからない。」「でもそういう時間を大事にしようというのは、資本主義が簡単に吹っ飛ばせる価値観だと思うんです。資本の魔物の強さを感じます。」 國分「今、自分の心の持ちようでなんとか難題を乗り越えるっていう本がたくさん出てると思うんですけど、哲学的に見るとこれらはすべてストア派の哲学を単純化したものです。ストア派っていうのは、英語で言うと「ストイシズム」。日本語でもよく言うストイックというのは、ストア派的って意味なんですね。そのストア派の代表的な哲学者にエピクテトスという人がいます。彼は解放された元奴隷でした。奴隷は身体的な事由がない。だから心の中でなんとかやりくりしようとする。エピクテトスの哲学の根源には、元奴隷の経験があります。」

 もう少し読書を続けたく、横浜西口のマクドナルドに寄っていく。これも図書館で借りた、岩波ブックレットの土井敏邦「ガザの悲劇はおわっていない」を読む。2009年刊。わずか60ページほどの冊子だが、とても勉強になる。いや、ニュースを観ていても、現実に起きていることの異常さに対し、わからないことがあまりにも多いのに愕然とし、勉強しなければまずいとさすがに思い、そう思うには遅すぎるような気もするが、とりあえず、この薄い本ならば読めると思った。刊行されたその時代、2008年、2009年のイスラエル軍の空爆のことも当時は無関心だったわけだが、そのときにガザではなにが起きていたのか、第1章には、イスラエル軍による虐殺の様子が、生存者たちの証言をもとに事細かに描写されている。ある生存者は「私たちの家への爆撃の目的は、占領の野蛮さとしてよく知られているように、できるだけ多くの民間人とりわけ一〇歳以下の子どもたちを標的にすることなのです」と語る。あるいは、農地は戦車により踏みつぶされ、工場が破壊される。産業破壊について、ガザ経済の専門家という人物は「つまり、イスラエル軍は意図的に、ガザの経済を破壊しようとした。ガザ住民の生活の基盤を破壊しようとしたんです。だから、この攻撃は「セキュリティ」や「軍事行動」などとは関係がない。ましてやハマスなどとはまったく関係がないんです」と語る。第2章では、著者はガザ地区の友人知人たちに電話インタビューによる取材をしている。ある回答では「イスラエルはハマスを攻撃していると主張しているが、実際はパレスチナ人全体を標的にしています。この無差別爆撃の犠牲者や負傷者の大半は民間人なのです。このような現実を前に、民衆はハマスに対してではなく、イスラエル軍に激しい怒りを抱いています。」 また別のある回答では「ハマスが今の事態の原因だと話す人はまったくいません。人びとには一種の団結ができています。人びとはこの戦争の原因はイスラエルにあるとわかっているからです。これは単にハマスに対する攻撃ではなく、パレスチナ人全体に対する攻撃です。」 しかし、著者は「取材を続けていくうちに、被害住民の心の奥にハマスに対する怒りが見え隠れするのに気づき始めた」とも語る。「では、なぜこの声は公にならないのか。「ハマスへの恐怖です」と、多くの住民がカメラを止めた私に告白した。「その声をもう一度」と再びカメラのスイッチを入れて促すと、相手は再び口をつぐむ。「もし、自分の声が公になれば、ハマスに連行されるか、撃たれる」というのである。」 第3章では、今度はイスラエルの市民たちの声を取材する。世論調査では、なんと、94パーセントのユダヤ系市民がガザ攻撃を支持している。「この調査結果の中でも最も注目すべき点は、この攻撃がガザ地区のインフラに大きな被害をもたらし、多くの民間人が苦難を強いられていることを認識しながらも、空爆を〝正当化〟しているユダヤ系市民が九二%もいるという現実である。」 ここにある高校生たちの声には、ひどい差別意識が感じられ、とても生々しい。ある平和活動家は「「ハマス」は「大義名分」であり、口実でしかありません。パレスチナ人をイメージするとき、また歴史を学ぶときに、イスラエルの若者は心の中の深いところで、「相手のパレスチナ人は自分たちよりも劣っている。自分たちが彼らよりも優れている。自分たちの持つ文化が彼らの文化よりも勝っているのだ」と教えられるんです。それは心の中にとても深く刷り込まれています。その考え方から抜け出し、相手の人間性に目を向けるということは、成長して大人になったとしても、非常に難しいことなんです」 最後の第4章は、ガザの復興について。UNDPガザ代表のハーレド・アブドゥルシャーフィーという人物は語る。「国際社会がパレスチナ人を支援すると主張するなら、今回の「戦争」の真の原因をきちんとみつめるべきです。そうでないと、さらに犠牲者が増え、さらに破壊が続くからです」「では「真の原因」とは何なのか。ハーレドは「この問題の根源は〝占領〟」と言い切った。」 さらにハーレドは「国際社会やイスラエルは、ガザ地区のパレスチナ人の問題を「人道支援の問題」にしようとしています。「住民は食べ物を求めている」のだと、まるで動物園の動物に、餌を与えるかのように考えている。イスラエルがわずかな食料と燃料を与えれば、国際社会はそれを「平和な状態」だと勘違いするんです。これは完全に間違っています。」

 深夜に帰宅し、録画していた今朝の「ワイドナショー」を観る。三四郎小宮が初登場のほか、田村淳、安藤優子、呂布カルマというメンバー。谷村新司の訃報を扱っていたのだが、東野は若いころからけっこう関わりがあったようだ。ツイッターを覗いてみると、もんたよしのりの訃報も。深夜2時前に眠る。

2023年9月14日木曜日

9月14日木曜日/池袋から帰ってくる

◇ 池袋

 早朝から眠ろうとすると、眠るまで時間がかかる。いつの間にか眠り、目が覚めるともう時間がない。午前中から都内に。昨日買ったシェフパンツを履いていくが、すぐに慣れるかどうか。池袋に出て、まず、昼食。サンシャインシティ、地下1階のてんやに入り、天丼を食べた。560円。急いで食べたら、汗をかいた。それにしても、シェフパンツというのはずり下がってくるものだ。夕方、サンシャインシティのすぐ外のベローチェに入り、ひと休み。スマホの充電をしながら、しばらく読書をしていく。ブックオフに寄り、220円の単行本を1冊、390円の単行本を1冊買っていく。

◇ 読書・テレビ

 帰りの電車内でも読書を続け、九龍ジョー「伝統芸能の革命児たち」を読み終えた。2020年刊、文藝春秋。「文學界」の連載を中心に、2015年から2020年にかけての原稿が収録されている。「文學界」の連載中にも何度か読んでいるはずだ。前半では、歌舞伎、能、狂言、文楽を、後半では、落語、講談、浪曲、ストリップを扱っている。ここにストリップを入れるのが九龍ジョーならではだが、意図も理解するが、それにしたって違和感はある。歌舞伎についての文章がいちばん多いだろうか。能や狂言については教わることが多かったが、寄席演芸については意外と幅が狭いんじゃないか。時期的に中心になるのは伯山であり、「革命児」というテーマだからこういう人選であるとは思うのだが、どうもバランスが悪い。九龍ジョーは、業界にかなり関わっているわりには、落語に関しては意外と経験値が低いという気がするな。いや、経験値の低さはいいんだけど、ブラック師匠についてなぜもっと書かないんだとはいっぽうでは思った。談志師匠が「小猿七之助」をやったあのシアターDの客席に九龍ジョーもいたんだというのは初めて知ることだった。

 夜遅くに帰宅し、録画していたテレビ番組をいくつか。昨日の「徹子の部屋」は夏木マリがゲスト。16年ぶりの出演だとは少々意外だ。今日放送された「NHK MUSIC EXPO 2023」という番組に、新しい学校のリーダーズが出演するので録画しておいた。世界で活躍するアーティストが集結するという番組、司会は山里亮太、New Jeans や YOASOBI も出演していた。新しい学校のリーダーズは「オトナブルー」と「マ人間」の2曲を披露した。「オトナブルー」は変なアドリブを入れてたりしていて、まだまだ飽きない。

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2023年6月19日月曜日

6月19日月曜日/天丼 その他

◇ テレビ

 早朝から眠り、起きあがり、まず、ブログの更新をひとつ。それから、録画していたテレビ番組をいくつか。昨夜の「まつも to なかい」は伊藤英明と佐久間宣行がゲスト。ふたりとも、1975年生まれの同い年なんだ。伊藤英明が先に登場し、松本に会わせたいひととして佐久間が登場する。ダウンタウンはテレビ東京に出演したことがないんだなあ。伊藤英明が松本の大ファンだということも知らなかったが、佐久間の番組のDVDを石橋貴明に渡したこともあるそうで、ダウンタウン、とんねるず、両方が大好きだったというのは世代的に理解できる。松本にサインをしてもらおうと、伊藤英明がカバンから「ごっつ」のDVDなどを取り出すと、そのなかの「松風'95」に松本が反応した。佐久間に対しては、松本が「僕のだめなとこってどこですかね?」と訊くと、佐久間はまず、松本の立ち上げた企画の耐用年数の長さを評価する。しかし、「ヴィジュアルバム」や映画のような松本のイマジナリーの部分を世に出すブレインがいないんじゃないかという指摘だった。逆に、ダウンタウンやSMAPのようなスターはこれから生まれるのかと佐久間が質問すると、松本は、答えになるかどうかと断りながら、お笑いはいったん劇場に戻るのではと予測した。番組後半は、解散直前の BiSH が登場。今回はセットを移動せず、前半と同じセットのまま、アインシュタイン稲田が加わり、佐久間も残った。

 ツイッターを覗いたら、お笑いナタリーの記事から、ナイツ塙さんが漫才協会の会長に就任したことを知った。驚いたな。ついに会長か。「ビバリー昼ズ」のオープニングをオンタイムで聴いていたが、このことにはなかなか触れようとしない。オープニングのあとにはどこかでしゃべっていただろうか。

◇ 綱島

 正午過ぎから外出。綱島に用があり、夕方になってからブックオフに寄っていく。樽町の店舗にはひさしぶりに寄った。110円の文庫本を3冊、コミックを1冊、220円の雑誌を1冊買う。西口のブックオフにも寄り、こちらでは 110円の文庫本を2冊、220円の単行本を1冊買う。昼食は遅くなり、日が暮れてからになった。てんやに入り、天丼を食べる。560円。

◇ 読書・雑誌

 帰りの電車で、筒井康隆「人類よさらば」を読み終えた。2022年刊、河出文庫。先日読んだ「あるいは酒でいっぱいの海」に続き、筒井康隆のショートショート集をもう1冊。これは河出文庫のオリジナル編集で、この本の成り立ちについてはこの本も日下三蔵の解説に詳しい。今まで文庫に収録されなかったような珍しい作品が多く、年賀状まで収められている。まるで、なにを書いても作品になるかのようだ。この自由さは魅力だ。

 夜遅くに帰宅し、夜もまた、録画していたテレビ番組をいくつか。「徹子の部屋」(ゲスト・神津善行&善之介親子)などを観て、それから、楽天マガジンで雑誌のチェックもする。「週刊ポスト」のたけしの連載は上岡龍太郎追悼だった。「TVタックル」でもしゃべっていたことを、より詳しく語っている。「オイラも可愛がってもらってさ。上岡さんは(立川)談志さんと仲が良かったんで、東京に来た時は銀座のクラブへ呼び出されて飲んでたんだよ。」「ただ、やっぱり芸についてはライバル意識もあったのかな。オイラのことは認めてくれていたけど、「笑わせるだけが芸じゃないぞ」みたいに説教されたこともあったよ。オイラも上岡さんは頭のキレる人だとは思ってたけど、「漫画トリオ」のネタで大笑いしたことはなかったからね。尊敬する気持ちと、芸人としてはオイラが勝ってるってところが正直半々くらいだったんだよな(笑)。」 「週刊現代」では、巻頭グラビアページのシリーズ企画「「昭和の怪物」研究」に上岡龍太郎が登場していた。意外なところでは、中沢新一の連載が上岡龍太郎を入り口にして毒舌芸について分析していた。

 Spotify のポッドキャストで、今日配信の「エレ片のケツビ!」が2本あり、「やついフェス」初日終了後に収録した回から聴き始め、聴きながら深夜0時過ぎに眠る。


2023年1月7日土曜日

1月7日土曜日/「松竹芸能大新年会」

◇ ラジオ・テレビ

 眠ったり起きたりしながら、いつの間にかつけていたラジオから「ナイツのちゃきちゃき大放送」が流れて目が覚める。この番組は新年1回目の放送。中継コーナーのレポーター、渡部峻アナが昨年いっぱいで卒業していたが、後任にはなんと、ベテランの外山惠理アナが登場した。この人事はまったく予想していなかったが、外山さんの「土曜ワイド」への帰還が喜ばしいじゃないか。来週からも楽しみになる。

 録画していたテレビ番組もいくつか。今朝の「ワルイコあつまれ」を観ると、「慎吾ママの部屋」には大竹しのぶが演じる西太后が登場。昨夜の「ネタパレ」では、南原清隆とゾフィーのコラボコントがあり、この部分のみ、ドラマ仕立ての事前収録になっていた。タイムフリーでラジオも。先週大晦日に放送された「田村淳のNewsCLUB」を、オンタイムで聴いたかどうか、記憶がわからなくなっていたが、生放送ではないとわかって聴くのをやめたんだっけ。しかし、聴いてみると、2022年の埋もれていたニュースの特集をやっていて面白かった。

◇ 赤坂見附

 午後から都内に。赤坂見附に出て、まず、昼食。てんやに入り、冬天丼というのを食べた。890円。研修中の札をつけた店員がかなりしっかりしていない様子の青年で、カウンター席の半分は食べ終わったトレイが片づけられずに埋められていた。ほかの店員もいるのに誰も厨房から出てこない。手伝ってやればいいのにと思うが、そいつもそいつで、手が空いてもぼんやりと突っ立っているようなやつだった。新年から不安な店に入ってしまった。単純な話、飯が不味くなる。




◇ ライブ

 15時半頃、草月ホールに到着する。今年の初ライブは「松竹芸能大新年会」から。松竹芸能の芸人が一堂に会するというめったにないライブで、そのわりには鶴瓶なんかは出ないのだが、それにしても、豪華ではあるから新年初ライブにはふさわしいのではと思った。チケットはなぜか売り切れずに、年末の押し迫った時期にゆうゆうと買えた。開演の1時間前にはもう開場していて、どこで時間をつぶすということもできずに早めに着いてしまう。扇形の客席、真ん中よりもやや後方の席だったが、小さい会場だからまったく問題はない。客層がよくわからなかったが、お笑いライブにしては年齢層は高めか。ベテランたちの古いファンか、あるいは、業界人が多いのか。

 16時開演。オープニングアクトは大林ひょと子(オジンオズボーン篠宮)から始まった。アメリカザリガニのふたりと、よゐこ濱口も面をつけて登場する。どういうライブかもよくわからずにチケットを買ったのだが、ここからはしっかりと演芸を披露する時間が続く。いや、このメンバーならば、お祭り的なイベントでも充分だろうと思っていたので、これは嬉しい誤算だ。なすなかにしの漫才から始まり、アメリカザリガニ、ますだおかだ、海原はるか・かなた、紺野ぶるま、みなみかわ、笑福亭茶光(落語「つる」)、よゐこ、チキチキジョニー、三日月マンハッタン、安田大サーカスと続き、森脇健児の珍しい漫談で第1部が終わった。じつに豪華な寄席で、序盤から人気者がつぎつぎに登場してしまうが、これも始まってからわかったことだが、ライブは2部構成になっていて、若手たちは第2部に登場するのだ。第1部の最後にはこのメンバーでトークをするコーナーがあり、なすなかにしが司会を務めた。第1部が終わり、ここで休憩に入るが、第1部だけで2時間が経っていた。いったい、このライブは何時間やるんだろうか。第2部のオープニングもまた、大林ひょと子から始まり、今度はなすなかにしのふたりと、アメザリ柳原が面をつけた。第2部はたくさんの若手がつぎつぎに登場する。はっぴちゃんから始まるが、大半は初めて観る若手ばかり、それぞれにネタ時間も短く、何組も登場するからさすがにこれは覚えきれなかった。しかし、終盤には知名度の高いメンバーも登場し、持ち時間もやや長くなる。河邑ミク、キンタロー、駆け抜けて軽トラ、ブリキカラス、ヒコロヒー、森本サイダーと続き、トリは風穴あけるズ。いちばん観たかったヒコロヒーはここにようやく登場した。ヒコロヒーとキンタローは第1部に混じっていてもよさそうだが、まあ、スケジュールの都合とかもあったのだろう。トークコーナーの司会はヒコロヒーともうひとり、男性のほうは三日月マンハッタンの又吉というひとだと思ったが、名前を言わず、マスクもしていため、最後まで確信がもてなかった。第1部に登場した三日月マンハッタンがエンディングまで残っていたことは間違いなく、エンディングでは、三日月マンハッタン仲嶺の考案した「一発じゃんけん」により、今年売れるひとを占うという場面があったが、全員負けてしまい、誰も売れないという結果になった。最後は「オタサーのヒメ」というトリオが目立ち、松竹の団体芸が誕生し、馬鹿馬鹿しく終わった。19時40分頃に終演。新年から長いライブを浸るように楽しんだ。

 青山一丁目駅から銀座線に乗り、渋谷に移動する。東映プラザのマクドナルドに入り、ひと休み。ホットコーヒーとチーズバーガーを食べる。読書をするが、あまり集中できず、東横線の急行で帰ってくる。電車内では、タイムフリーで、大晦日に放送された「ヒコロヒーと振り返る!2022年経済ニュース」というラジオNIKKEI の特番を聴いた。

◇ テレビ・ラジオ

 夜遅くに帰宅し、録画していた「Nキャス」を放送直後に観ると、安住紳一郎がコロナのためにお休み、三谷幸喜ひとりのあいさつから始まった。三谷幸喜は自身の舞台でもずいぶん代役をやっていたが、ここでも代役を買って出たのか。コメンテーターはいつもは2名だが、今日は3人態勢、三雲孝江、菊間千乃、池谷裕二が並び、若手の女性アナも控えているという状態での放送になったが、しかし、あくまでも三谷幸喜が進行役を務めるという、苦肉の策のふりをして、この番組はこの状況を遊んでいる。ニュースでは、岸田総理の「異次元の少子化対策」発言をここで確認した。

 帰宅後もタイムフリーで、これも大晦日の年越し特番、TBSラジオの「ハライチのカウントダーーン!」を聴いた。こちらもアシスタントはヒコロヒーが務める。おおむね聴いていたのだが、最後まで聴き終わらないうちに眠ってしまった。深夜2時頃だったか。

2021年12月1日水曜日

12月1日水曜日/「ザ・東京漫才」

◇ 上野・浅草

 朝、ブログの更新をひとつ。昼はラジオ。「ビバリー昼ズ」を聴くと、12時台は、大槻ケンヂがゲスト。昇太師匠、昨日、ナイロンを観てきたといって、ケラの話から始めるこのサブカルチャー教養度の確かさ。高田先生がよく「芸能IQ」ということをいうが、乾貴美子とともに、水曜日は「サブカルチャーIQ」が高いのだ。午後はそのまま、「ナイツ ザ・ラジオショー」をつけておく。

 14時前から外出。外に出ると風が強く、髪がすぐにぼさぼさになった。まず、ヤマトの営業所まで。それから、二俣川に出て、横浜に移動し、御徒町に向かった。上野広小路のブックオフに寄るが、まるでいいものがなく、110円の文庫本を1冊だけ買った。アプリの100円引きクーポンを利用すると、10円で買えるのだからただみたいなものだ。店内には中年男のビームせどりがいて、品のよさそうなおじさんだったが、片手には白手袋をはめてバーコードを読んでいた。ブックオフを出て、アメ横を通り抜け、稲荷町方面に歩いていく。もう1店、稲荷町のブックオフではいいものが買えた。110円の文庫本を5冊と、220円の単行本を1冊買っていく。さらに、浅草まで歩き、てんやに入り、天丼を食べた。この店、記憶もあやふやだが、たしか、以前はセルフサービスになっていて、めんどうな店だと思ってしばらく敬遠していたが、ひさしぶりに入ってみたら普通のてんやに戻っていた。




 あとの予定まで1時間ぐらいあり、ROXのドトールに入り、読書をする。Netflix の映画にそなえ、「浅草キッド」を再読しておきたくなった。いったい何年ぶりに読むだろう。まず、第一章を読みなおしただけで興奮してしまったが、新宿で青春時代を過ごしていたたけしが、なぜ浅草に向かったのかという最大の謎を、長年、「浅草キッド」の冒頭を読みなおさずに考えていたのは迂闊としか言いようがない。ざっと再読しようというつもりだったが、ていねいに読めば時間がかかるだろう。新潮文庫のカバーデザインが南伸坊であることにも改めて気がついた。


◇ 演芸会

 18時半過ぎ、浅草東洋館に。「ザ・東京漫才」という漫才協会の公演を観るためで、高田文夫先生が外部理事に就任し、それを記念した初めての企画とあれば、観逃すわけにはいかない。会場に着いてから、外の看板にある貼り紙で、昭和こいるの休演を知った。先月の漫才協会の席に続き、今回も休演か。入り口が少し混み合い、階段を昇っていくひともいたが、東洋館はやはり、エレベーターで上階にあがるほうが気分が出る。今日は指定席で、早くチケットを買ったから、前のほうの席になった。3列目だが、最前列は客を入れていなかったから、実質、2列目だ。

 19時開演。まず、ナイツとU字工事が登場し、企画説明などを。しかし、前説の必要がないくらいに、今日の客席は最初から熱気があった。そのあとは、漫才が5本続く。出演順に、ロケット団、ビックボーイズ、U字工事、球児好児、ナイツ。ここにビックボーイズが混じるのが珍しいが、なべかずおがフランス座で修行経験があるためだ。漫才はあいかわらずだが、パントマイムも披露した。球児好児は先月に観た際に驚かされたが、またも国定忠治のネタで、やっぱり、現在の球児好児はすさまじく面白い。ナイツは、漫才のスタイルがなぜかミルクボーイや鬼越トマホークみたいになってしまい、時事ネタ漫才をやろうとすると、今度は、球児好児の「ゲロゲーロ」のネタのスタイルになってしまう。ラジオでしゃべっていた独演会でやったネタというのはこれかとわかり、観ることができて嬉しかった。仲入りを挟み、後半はトークコーナー「漫才師の漫才史」となり、高田文夫先生が登場する。球児好児のふたり、ナイツのふたりも椅子につく。しかし、東京の漫才の歴史をふり返るはずの企画が、その前に、球児好児の歴史をふり返っていたら、これが異常に盛りあがってしまった。球児師匠の名古屋時代の話は、数年前の「お笑いセメントマッチ」にコント青年団(服部健治は球児好児の弟子)がゲストで出た際に触れられ、それで少しは知っていたが、その経緯の詳細が抱腹絶倒の面白さ。もう涙を流しながら、笑いどおしだった。しかも、球児好児ヒストリーでさえも、下積み時代までしか語りきれず、まだまだ全貌がわからない。もともとの企画内容とはまったく違ってしまったが、これはちょっと、なかなかないくらいの異常な面白さの会になった。トークに途中から加わるはずだったなべかずおも、最後に呼ばれ、宴会芸を見せるだけという変な出番になる。なべかずおと一緒にフランス座で修行をしていたのが浅草キッドで、浅草キッドの名が出て、それから映画「浅草キッド」の告知が最後にあった。2時間弱で終演。幕が閉まり出すと、閉まりかけの幕のあいだから球児師匠が顔を出し、「ゲロゲーロ」のひとことに沸いた。帰り際、客席に泉麻人を発見する。入場時はエレベーターを使ったので気がつかなかったが、塙さんの新刊に合わせ、今日の出演者を野球カード風(?)にしたものが階段の壁に展示されてあったが、じっくりと見ることもできず、下に降りてしまう。

 浅草駅に向かうのに、新仲見世を通ってみると、「浅草キッド」の宣伝の垂れ幕がずっと並んでいた。仲見世に出て、雷門をくぐり、浅草駅に着く。時間がまだ早いので、銀座線に乗り、渋谷経由で帰った。





 帰宅は夜遅くなり、録画していた「あちこちオードリー」をすぐに観た。ゲストは、ビビる大木とAマッソ。大木の「笑う犬」の苦労話が面白く、この番組では「はねトび」や「めちゃイケ」の裏話もよく語られるが、当時のフジテレビのコント番組のスケールの大きさを感じはするものの、80年代のフジテレビが築いた遺産の、そのあとに入社してきた社員たちがいかに調子に乗っていたかという話にも感じられる。だからフジテレビはだめになったという話だ。

 タイムフリーで、「ロケット団の定例ラジオ」の今日の放送を聴き、それから、Spotify でニューリリースのチェックをしたりなど。そういえば、球児好児が「ナイツ ザ・ラジオショー」にゲストで出た際にしゃべっていたことを思い出し、Spotify で「百恵ちゃんまつり」を聴いてみた。球児好児はどうやら「百恵ちゃんまつり」という山口百恵のコンサートに出演しているらしいのだが、これはライブ盤のレコードになっていて、Spotify でも聴けるのだ。ところが、「百恵ちゃんまつり」は第4回まであり、ミュージカル仕立てになっていて、芝居の部分に出ているのだと思うが、クレジットもなく、どこに出ているのかもわからない。順番に聴いていく以外に確認のしようがなく、声だけの判断では確証もないが、しかし、第4回を少し聴いてみると、「私は神の子?」という曲のあとの芝居に出てくる「うるせえなバカヤロウ!」のセリフは間違いないだろう。真相はいずれ突き止めるとして、深夜2時頃に眠る。

ブログ アーカイブ

5月20日土曜日/「THE SECOND」

◇ 神保町  朝から都内に。小雨だが、予報ではすぐに止みそうなので、傘はもたずに出た。気温も読めず、パーカーを着ていく。今夜は「THE SECOND」を観なければならないから、余力を残しておきたかったが、想定していたよりも時間に余裕が作れなかった。昼は神保町。土曜はランチをや...