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2023年10月22日日曜日

10月22日日曜日/勉強のために読む

◇ ラジオ・テレビ

 朝はラジオ。「安住紳一郎の日曜天国」をつけていると、谷村新司が昨年3月に出演した回の音声をここでもまた流していた。この音声は、昨夜の「Nキャス」でも流されていた。ウィキペディアに書いてあるジェームス・ブラウンを呼んだ話をここでしていたんだな。

 録画していた今朝の「サンデージャポン」を観ると、昨夜に「キングオブコント」で優勝したばかりのサルゴリラが生出演していた。サルゴリラをひととおり紹介してから、ガザ地区のニュースに移る。今週もテルアビブにいる須賀川記者と生中継でつなぐ。そのあとは、猿之助の初公判のニュース。村上湛が取材に応えていた。それから、日大問題、旧統一教会問題、ジャニーズ問題と続くが、それにしても、カズレーザーはあらゆるニュースに対して細かいコメントをする。サルゴリラと並んでいたけれども、ウィキペディアにあたってみると、カズレーザーのほうが後輩なんだよな。かまいたち山内の弟にまた感謝状が贈られたというニュースや、やす子の焼き芋のレポートなどがあり、最後にはまたサルゴリラの時間があった。昨夜の1本目、マジシャンのコントをここでもまた披露した。

◇ 赤坂見附

 午後から都内に。赤坂見附に出て、まず、昼食。てんやに入り、天丼を食べた。560円。隣りのマクドナルドに入り、ひと休み。読書の時間を作る。

 図書館で借りた「文學界」10月号の絲山秋子特集を読んだ。デビュー20年の特集、まずは辻原登と絲山秋子の対談(構成・吉田大助)を。辻原登という作家はよく知らないのだが、対談はとても面白かった。小説を書くうえで、一貫したところがあるとすれば、アンチ進歩主義者なんですと辻原は語る。辻原「人間は一生懸命勉強したり、鍛えたり経験を積んだりすれば、必ず進歩して成長していくとたいてい思います。(略)僕もある時期まではそう思っていたんですが、それはちょっと違うんじゃないか、人間には進歩も退歩もないんじゃないか、と。人類の歴史も同じ。小説を書く時、この人物をどういうふうに造形するかを考える時に、この考え方は非常に有効だなと僕は思っているんです。」 辻原登は神奈川近代文学館にも関わっていて、絲山秋子が編集委員を務めた井伏鱒二展の話にもなった。辻原「「遥拝隊長」の主人公は何者かというと、要は粗忽者ですよね。僕は粗忽という言葉が好きなんです。粗忽というのはものすごく罪深いことであると同時に、その人の隠し持っている絶望みたいなものも表している。井伏は、粗忽を描く達人だと思います。」 絲山「落語ともちょっと繋がりますよね。粗忽者はバカでおかしいと笑うだけではなくて、その中にはものすごくまっすぐでピュアなものがある。」「粗忽な人を描くことには、ものすごく鋭利な刃物をふるうような怖さがある気がします。そういう意味で井伏さんの作品は、本当によく研がれた刃物のような面がありますね。」


◇ 読書

 帰りの電車内でも読書を続ける。同じく、「文學界」10月号に載っていた若林正恭と國分功一郎の対談を読んだ。これが三度目の対談になるのか、いずれ単行本にでもするつもりなのだろう。対談には「ビッグモーター化する世界の中で」というタイトルがついている。夏休みに沖縄に行った際に「暇」について考えた若林。「(略)そこで今一度、暇ってなんだろうと調べていたら、ギリシャ語で暇はスコレー、それがラテン語のスコラになり、スクール(学校)の語源になったと知りました。スコラは議論や哲学、スポーツをしていた場所のことなんですよね。それを知って、暇がないと勉強しない、暇は勉強に繋がるんだ、と。今まであまりそういうイメージがなくて、暇ってちょっとネガティヴな言葉じゃないですか。資本主義がそうさせたのかもしれないですけど。だから考える時間がないっていうのは、なかなか危ないことではありますよね。」 國分「そうなんです。ギリシャ語でスコレーは余暇という意味。余暇は神聖な時間でした。余暇を持っている人こそ、きちんと自分を磨くことができている立派な人間とみなされていた。だって、日々の仕事に追われていたら考えを磨いたりできませんよね? 哲学的なことを考えることができる立派な人とは、きちんとスコレーを持っている人のことだったんですね。」 この対談で語られているのは資本主義に対する懐疑だ。ビッグモーターの問題から、若林が「人間がひとつの集団に入ると自分やその集団を客観的に見れなくなる傾向、そういうのはあると思いますか。」と問うと、國分「そのようなことは確実にあると思いますし、しかも実はその論点は哲学の起源の話に繋がっているんです。集団の中にいると、その中で習慣でやっていることと、どこに行っても変わらないことの区別がつかなくなってしまいます。(略)哲学は自然の探究として始まったと言われていますが、その際に発見されるのは、自然であるものと自然でないものの区別なんですね。哲学の始まりが自然の発見であるという話が面白いのは、他の集団との接触が不可欠な条件として現れているところです。人間が哲学をしていく上でも移動は実に大切であるわけです。だから集団の中に移動せずにとどまっていたら、メタ視点を失ってしまうのも不思議なことではありません。」 若林「仕事をしていて1日に2現場あるとするじゃないですか。相方はワーカホリック大賛成なので、仕事の間に空き時間があるのが嫌だと言う。無限に働ける男なんですよ。僕はひとつ仕事が終わったら、1時間だけドトールで時間が欲しい。そうしないと自分の頭の中が砂嵐状態になって、収まりがつかないんです。それがなぜなのか、自分でもわからなかった。でもその時間で、仕事していることに理由をつけるというか、言語化しないと次にいけないんですよね。でも他の人にとっては、その時間が必要な意味がわからない。」「でもそういう時間を大事にしようというのは、資本主義が簡単に吹っ飛ばせる価値観だと思うんです。資本の魔物の強さを感じます。」 國分「今、自分の心の持ちようでなんとか難題を乗り越えるっていう本がたくさん出てると思うんですけど、哲学的に見るとこれらはすべてストア派の哲学を単純化したものです。ストア派っていうのは、英語で言うと「ストイシズム」。日本語でもよく言うストイックというのは、ストア派的って意味なんですね。そのストア派の代表的な哲学者にエピクテトスという人がいます。彼は解放された元奴隷でした。奴隷は身体的な事由がない。だから心の中でなんとかやりくりしようとする。エピクテトスの哲学の根源には、元奴隷の経験があります。」

 もう少し読書を続けたく、横浜西口のマクドナルドに寄っていく。これも図書館で借りた、岩波ブックレットの土井敏邦「ガザの悲劇はおわっていない」を読む。2009年刊。わずか60ページほどの冊子だが、とても勉強になる。いや、ニュースを観ていても、現実に起きていることの異常さに対し、わからないことがあまりにも多いのに愕然とし、勉強しなければまずいとさすがに思い、そう思うには遅すぎるような気もするが、とりあえず、この薄い本ならば読めると思った。刊行されたその時代、2008年、2009年のイスラエル軍の空爆のことも当時は無関心だったわけだが、そのときにガザではなにが起きていたのか、第1章には、イスラエル軍による虐殺の様子が、生存者たちの証言をもとに事細かに描写されている。ある生存者は「私たちの家への爆撃の目的は、占領の野蛮さとしてよく知られているように、できるだけ多くの民間人とりわけ一〇歳以下の子どもたちを標的にすることなのです」と語る。あるいは、農地は戦車により踏みつぶされ、工場が破壊される。産業破壊について、ガザ経済の専門家という人物は「つまり、イスラエル軍は意図的に、ガザの経済を破壊しようとした。ガザ住民の生活の基盤を破壊しようとしたんです。だから、この攻撃は「セキュリティ」や「軍事行動」などとは関係がない。ましてやハマスなどとはまったく関係がないんです」と語る。第2章では、著者はガザ地区の友人知人たちに電話インタビューによる取材をしている。ある回答では「イスラエルはハマスを攻撃していると主張しているが、実際はパレスチナ人全体を標的にしています。この無差別爆撃の犠牲者や負傷者の大半は民間人なのです。このような現実を前に、民衆はハマスに対してではなく、イスラエル軍に激しい怒りを抱いています。」 また別のある回答では「ハマスが今の事態の原因だと話す人はまったくいません。人びとには一種の団結ができています。人びとはこの戦争の原因はイスラエルにあるとわかっているからです。これは単にハマスに対する攻撃ではなく、パレスチナ人全体に対する攻撃です。」 しかし、著者は「取材を続けていくうちに、被害住民の心の奥にハマスに対する怒りが見え隠れするのに気づき始めた」とも語る。「では、なぜこの声は公にならないのか。「ハマスへの恐怖です」と、多くの住民がカメラを止めた私に告白した。「その声をもう一度」と再びカメラのスイッチを入れて促すと、相手は再び口をつぐむ。「もし、自分の声が公になれば、ハマスに連行されるか、撃たれる」というのである。」 第3章では、今度はイスラエルの市民たちの声を取材する。世論調査では、なんと、94パーセントのユダヤ系市民がガザ攻撃を支持している。「この調査結果の中でも最も注目すべき点は、この攻撃がガザ地区のインフラに大きな被害をもたらし、多くの民間人が苦難を強いられていることを認識しながらも、空爆を〝正当化〟しているユダヤ系市民が九二%もいるという現実である。」 ここにある高校生たちの声には、ひどい差別意識が感じられ、とても生々しい。ある平和活動家は「「ハマス」は「大義名分」であり、口実でしかありません。パレスチナ人をイメージするとき、また歴史を学ぶときに、イスラエルの若者は心の中の深いところで、「相手のパレスチナ人は自分たちよりも劣っている。自分たちが彼らよりも優れている。自分たちの持つ文化が彼らの文化よりも勝っているのだ」と教えられるんです。それは心の中にとても深く刷り込まれています。その考え方から抜け出し、相手の人間性に目を向けるということは、成長して大人になったとしても、非常に難しいことなんです」 最後の第4章は、ガザの復興について。UNDPガザ代表のハーレド・アブドゥルシャーフィーという人物は語る。「国際社会がパレスチナ人を支援すると主張するなら、今回の「戦争」の真の原因をきちんとみつめるべきです。そうでないと、さらに犠牲者が増え、さらに破壊が続くからです」「では「真の原因」とは何なのか。ハーレドは「この問題の根源は〝占領〟」と言い切った。」 さらにハーレドは「国際社会やイスラエルは、ガザ地区のパレスチナ人の問題を「人道支援の問題」にしようとしています。「住民は食べ物を求めている」のだと、まるで動物園の動物に、餌を与えるかのように考えている。イスラエルがわずかな食料と燃料を与えれば、国際社会はそれを「平和な状態」だと勘違いするんです。これは完全に間違っています。」

 深夜に帰宅し、録画していた今朝の「ワイドナショー」を観る。三四郎小宮が初登場のほか、田村淳、安藤優子、呂布カルマというメンバー。谷村新司の訃報を扱っていたのだが、東野は若いころからけっこう関わりがあったようだ。ツイッターを覗いてみると、もんたよしのりの訃報も。深夜2時前に眠る。

2023年10月5日木曜日

10月5日木曜日/昼食はイートイン



◇ 梶が谷

 朝から川崎市に。田園都市線の梶が谷駅で下車、なじみのない土地だが、駅から30分ぐらい歩いた団地のほうまで用があり、グーグルマップを確認しながら歩き続け、帰りにはスマホのバッテリーがピンチになり、フジスーパーのイートインにコンセントがあるのを見つけ、ここでお茶とおにぎりを買って食べていく。これが今日の昼食。スマホを充電し、ラジオを聴きながら少し眠る。読書もしたかったが、眠気がひどくてしかたがない。夕方になると、半袖では寒いくらいになった。梶が谷駅のほうに戻り、ブックオフに寄っていく。そういえば、以前、ここのブックオフには寄ったことがあったんだ。お気に入り登録なし、390円の単行本を2冊、220円の新書を1冊買っていく。

◇ テレビ

 夜に帰宅し、録画していたテレビ番組をいくつか。今朝の「ブギウギ」を観て、それから、今日の「徹子の部屋」を。ゲストは加藤登紀子。森繫久彌が「徹子の部屋」初回に「知床旅情」を歌っている映像が流され、スタジオでは加藤登紀子も「知床旅情」を歌った。NHKの「ニュース7」では、ジャニーズ会見NGリストの続報があった。ジャニーズの見解がホームページに公開されたんだな。

 昨夜の「水曜日のダウンタウン」は「水曜日のダウンタウン意外な初登場SP」。この番組、初期のころはぜんぜん観ていなかったから、初めて観る映像が多かった。しかし、多くが無名の段階で登場しているから、観ていたところで認識はできなかったものがほとんどだろう。カズレーザーの初登場は2014年、「下積み時代の芸人行き着く先は謎のバイト説」に「カネコ」という芸名で出演していた。2018年放送「ミックスルール対決 人脈×サッカー」には、カラテカ入江に呼ばれた芸人たちのなかに、空気階段、りんたろー、お見送り芸人しんいちがまぎれていた。2016年放送「どんなモノでも一週間煮込めば一緒説」には、マテンロウの大トニーに呼ばれたまだ別コンビだった兼近が登場。2017年放送「No.1じゃない方芸人もうそろそろ俺じゃない説」にも、ロケ中の大トニーにあいさつする兼近のすがたがあった。そして、2017年放送「サンシャイン池崎超えの実家貧乏はいるのか?」にて、兼近がようやく、ついでではなく出演する。2020年放送「コウメ太夫にネタのダメ出しされた後輩誰一人何一つ直さない説」にはやす子が登場。これがテレビ初登場でもあったようだ。2017年放送「売れてなくても芸人の彼女はカワイイ説」には、いち・もく・さんのプロポーズの場面にヒコロヒーとみなみかわが映っている。そして、2019年放送「ソフトクリーム買った直後に説教食らったら食べるわけにいかず溶けて無くなっちゃう説」には、TKO木本に説教を受ける役として、みなみかわが二度目の登場を果たしている。2017年放送「社長がバンザイやめない限り部下は絶対にやめられない説」では、河本準一に仕掛けられる若手たちのなかにニューヨーク屋敷が混じり、まったく臆せずにつっこむすがたがあった。ちなみに、ダウンタウンのテレビ初出演は「素人名人会」とのこと。

2021年7月18日日曜日

7月18日日曜日/小山田圭吾をめぐり

◇ ラジオ・テレビ・ツイッター

 朝早く目覚め、「石橋貴明のGATE7」をオンタイムで聴く。離婚の話をするかと思ったからだが、オープニングではまったく触れず、あとは聴かなかったが、この番組は野球の話をする番組だから、まあ、しかたがないだろう。タイムフリーで、昨日の「ナイツのちゃきちゃき大放送」を聴くと、能町みね子が小山田圭吾についてしゃべっていたが、どうも、首をひねるようなことばかりを言っていた。組織委員会は今のタイミングでこのメンバーを発表して一発逆転を狙っていたんじゃないか、というのがまずひとつ。それから、ネット上では有名な小山田圭吾のいじめの問題を内部の人間が知らないわけがないというが、それはどうだろうか。開会式には作曲家のひとりとして関わるに過ぎない小山田圭吾について、少なくとも、丸川珠代がそこまで詳しく知っていたら、そのほうがびっくりする。能町みね子は、二十代なんかはコーネリアスもフリッパーズ・ギターも知らないし、小山田圭吾で検索するとすぐにいじめ発言が出てくるというのだが、しかし、それを言うなら、サブスクや YouTube で検索すれば、楽曲もすぐに聴けるじゃないか。さらにいえば、二十代にかぎらず、われわれ四十代にとっても、小山田圭吾というのは(たとえば、椎名林檎なんかに比べれば)けして知名度のあるアーティストではない。オープニングの漫才では石橋貴明の離婚をネタにしていたが、そのあとのトークで、昨日の「木梨の会」にサンドウィッチマンが出たと知り、聴いてみると、貴明の番組よりも、こちらのほうが貴明の離婚についてたくさんしゃべっている。13時からは「爆笑問題の日曜サンデー」をオンタイムで聴いた。14時台には、豊川悦司がゲストで登場した。こういう番組に出るとは珍しく、楽しみにしていたが、そういえば、豊川悦司は劇団3〇〇出身で、太田と演劇の話にもなる。良原アナの父とはサーフィン仲間だというつながりもあり、良原アナの父がむしろ何者なのか。

 録画していた今朝の「ワイドナショー」を観ると、「ABCお笑いグランプリ」で優勝したオズワルドが出演していた。そのあとのコーナーでは、宇宙から帰還した野口聡一さんが出演し、松本が最後にオズワルドについて訊くと、すんなり答えるので、冗談のわかるひとだと思ったが、じつは本当にオズワルドを認識していて、「M-1」を宇宙で観ていたのだという。続けて、「サンジャポ」を観ると、こちらでは小山田圭吾の件を大きく扱っていた。たかがネット世論だと思っていたが、テレビでここまでの扱いになるとはびっくりする。今朝、昨日の「ちゃきちゃき大放送」を聴いていた段階ではまだ、能町みね子の言うことは大袈裟だと思っていたが、本当にそうでもなくなってきた。小山田圭吾を知らなかったというカズレーザーは、「このかたのことをけっこう調べたんですけど」「こういった昔のいじめ、けっこうひどいいじめのことは出てくるんですけど、それ以外の情報って、たとえば、いじめを悔いてるので今はそういった活動を反省して、こういった活動をしてます、償いのためにこんなことをしてますっていう情報はあんまり見つからなかったんですよ。」「再チャレンジっていうのは、過去のマイナスを埋め合わせる、プラマイをゼロにすることを認めるということなんで、批判と擁護の声で批判の声が大きいというのは、プラマイのマイナスを埋め合わせる作業を単純にしてなかったってことなんで、これは再チャレンジとかじゃなくて、批判されて当たり前、自業自得の話だと思うんです。」と、早口で語っていた。検索した程度の情報でなにを言ってるのかと思うが、太田は「それをやってるかやってないかを判断するのは難しくない?」と言い、少し議論になる。当時の雑誌がそれを掲載した、これを許容していた局面が当時のサブカルチャーのなかにあったということを、太田はきちんと語っていた。「俺らも、やっぱり、ネタなんかひどいですよ、今、バラされたら。」という、爆笑問題もその時代の当事者である。「その時代の価値観と今の価値観と、歴史を評価するときに…、これ、歴史だと思うんだよね。その時代の価値観を知りながら評価しないと、なかなか難しいと思う。今の価値観で断罪してしまうことっていうのは。」と、歴史として捉えている太田に比べて、カズレーザーと武井壮の意見は、このトラブルをどう対処するかという話に過ぎなかったのではないか。ところが、ツイッターをちらっと見ると、「サンジャポ」の太田の発言が小山田擁護として批判を受けているので愕然とする。

 日が暮れてから外出し、マクドナルドで読書をするが、こころが掻き乱されているようで、まるで読書が進まない。1時間ぐらいで帰ってくる。こういうときは吉田豪だと思い、吉田豪のツイートをさかのぼってみると、さすが、まともな時代認識の意見が多くリツイートされていて、ようやくほっとする。しかし、いじめの告白をする記事を許容する空気があったということを、いじめ行為そのものを許容する空気があったかのように主張していると誤解する人間がこんなにも多いのか。話がまるで通じない。時代背景の分析をすると、それだけで、いじめ行為そのものを擁護しているようにとられ、漏れなく、石をぶつけられる。この構造もまたいじめと変わらないのは、まったく皮肉なことだ。テレビを観たりなどして、23時過ぎには眠る。

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5月20日土曜日/「THE SECOND」

◇ 神保町  朝から都内に。小雨だが、予報ではすぐに止みそうなので、傘はもたずに出た。気温も読めず、パーカーを着ていく。今夜は「THE SECOND」を観なければならないから、余力を残しておきたかったが、想定していたよりも時間に余裕が作れなかった。昼は神保町。土曜はランチをや...