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2024年6月6日木曜日

6月6日木曜日/横浜トリエンナーレ

◇ テレビ・雑誌・ラジオ

 朝、録画していたテレビ番組をいくつか。今朝の「虎に翼」を観ると、このドラマでは戦争をしっかりと描いている。過去の朝ドラは知らないが、「ブギウギ」でも戦争をしっかりと描くんだなと思ったが、「虎に翼」の描きかたのほうがさらにショッキングだ。ナチスの資料映像も挿入される。

 4月に放送された「日曜美術館」を、横浜トリエンナーレの特集だから録画しておいたのだが、過去の録画を確認してみると、4年前のトリエンナーレのときの特集も録画したまま観ていなかった。この番組を観るのもひさしぶりだが、ちょうどこの回から司会が新しくなり、坂本美雨と守本奈実アナウンサーが務めている。ゲストの井上涼とともにトリエンナーレの会場をまわる。坂本美雨はだんだん矢野顕子成分が増してきたな。

 楽天マガジンのチェックをすると、「週刊新潮」に島田さんの「長い読書」の書評が載っていた。「Tarzan」の特集は「カラダを蝕む悪いクセ」。「利き脳」のタイプというものがあるのを初めて知った。指の組みかた、腕の組みかたでそのタイプがわかる。やってみると、インプットは左脳、アウトプットは右脳となり、自分は「ブレないマイルール」というタイプだった。これもまた、分析を読むともっともな感じがする。

 家を出るまではラジオをつけておく。今日の「ビバリー昼ズ」は清水ミチコがお休み、ナイツと鈴木拓が出演している。

◇ みなとみらい

 正午過ぎから外出する。気温が半端で服装に困るが、夜は涼しくなるかと思い、カバンにパーカーを入れたものの、外に出てみると日差しがけっこう強い。しかし、半袖で平気な気候になれば、あとは一気に猛暑に突入しそうでいやだ。

 横浜東口、ポルタから日産ギャラリーを抜け、みなとみらいに出る。ドラッグストアに寄りたいと思い、グーグルマップで探していたら、グランモールの手前、シンフォステージという建物の1階にクリエイトがあるのを見つけた。先月にオープンしたばかりのようだ。ここにクリエイトがあるのは助かる。さっそく寄り、パンをひとつ買って、グランモールのベンチで食べる。

 会期終了が迫る横浜トリエンナーレをまわる時間がようやく作れた。3月から開催されていたのに、結局、終了間際になってしまうんだな。会場とチケットの複雑さがそうなってしまう要因のひとつで、どうやったらうまくまわれるだろうかと、きちんと調べて、計画を立てようと考えているうちに、その手間を果たせもせず、こうして大急ぎでまわるはめになる。しかし、最終週は開催時間も延びているから、気楽にまわれるのではないだろうか。

 まずは横浜美術館からまわりたいとは思っていた。13時半過ぎに入場する。平日の昼間なのに、けっこう少なくない客がいる感じがする。チケットはとっくに買ってあった。スマホにQRコードを出し、読んでもらって、入り口のエスカレーターを昇っていく。最初に入ったのは「密林の火」というエリアだった。「密林の火」とはなんだろうか。わからない。壁には言葉が書かれていて、これは厨川白村というアーティストの作品のようだ。このアーティストの作品は別の部屋にもあった。小林昭夫とBゼミの作品、浜口タカシという報道写真家の写真に惹かれる。つぎの円形の部屋には富山妙子という画家の作品が展示されている。この部屋は撮影不可だった。続いては「流れと岩」というエリアだった。「流れと岩」とはなんだろうか。わからない。エクスパー・エクサ―というパフォーマーが使った道具が展示されていたのは面白かった。なかなか過激な活動をやっているひとのようだ。李平凡というひとを中心にした日中版画交流相関図というものにも興味をもった。この部屋には有名なラリー・クラークの写真も展示されていた。カーブしている部屋を通り抜けると、その先は「鏡との対話」というエリア。佃弘樹というアーティストの絵には目を奪われる。このエリアでは縄文の特集もあった。つぎの四角い部屋には你哥影視社というグループの作品。ひとまわりして、下の階に降りていく。階段に展示されている作品はチケットなしでも観ることができたのかな。グッズ売り場を覗き、その先の外のギャラリーにある展示も観ていく。けっこうのんびりと眺め、ここまでで2時間ぐらいかかった。これだけでなく、横浜美術館のランドマークプラザ側の外壁にもダイナミックに作品が描かれている。

 別会場の作品に寄りながら移動していく。クイーンズスクエアには森村泰昌と北島敬三の作品が展示されていた。ランドマークプラザから動く歩道を通り、桜木町駅前から市役所のほうに進む。市役所の隣りにある旧第一銀行横浜支店が二番目の大きい会場になっている。ここは以前は「BankART」の名前がついていた。ここでは松本哉と山下陽光の作品が展示されていた。3階まで覗いてから降りてくる。向かいにも会場があり、「BankART KAIKO」というギャラリーが KITANAKA BRICK & WHITE という商業施設の1階にあるのだが、この建物自体、前を通ることすら今までなかった。いつの間にできていたんだろうという感じがする。ペッパーくんを使った作品があり、しゃべるペッパーくんと会話を試してみたくもあったが、こういうときはひとり客では恥ずかしくてできない。

 トリエンナーレの有料会場はこれですべてまわり終えた。馬車道駅にも展示があり、地下に降りていく。それから、象の鼻テラスの展示を観て、最後は元町・中華街駅の通路にある展示を確認した。マリンタワーにも展示があるようだが、これはスルーを決める。桜木町駅から元町・中華街駅まで歩いてくるだけでもけっこうな距離になり、時間もかかった。今日は時間をたっぷり見ていたから、黄金町バザールもいっぺんにまわれるんじゃないかとも考えていたが、とてもじゃないけど無理だ。過去には巡回バスが出ていたこともあったんだけど、ここから黄金町には移動するだけでも厄介だ。

 黄金町バザールは日を改めざるをえないとして、中華街にて、遅めの昼食にする。秀味園に入り、魯肉飯セットを食べた。990円。さて、今日はこれで終わりにするかと思ったのだが、1箇所、新高島の「BankART Station」に先に寄っておかなかったのは失敗だった。しかし、スタートは横浜美術館からのほうが気分が出るという考えがあったのだ。会期は日曜まで。黄金町バザールをまわる日は作れるとしても、新高島を残しているのは厄介だ。今日のうちに寄れないだろうかと考え、新高島までまた歩いて戻ることにした。中華街にいたときにはまだ明るく、意外といいペースでまわれてしまったなと思ったのだが、新高島に戻ってきたときにはすっかり日が暮れた。「BankART Station」は横浜トリエンナーレとは別のイベントなのだが、セット券を買ったからここも入れるのだ。ここでもスマホにQRコードを出し、パスポートを引き換えてくれるという形式になっている。パスポートだったら、会期の最初のほうに引き換えておいてもよかったんだな。それぞれのルールが複雑だから、なかなか把握が難しい。受付では、パスポートと一緒に、けっこうしっかりとした冊子ももらえた。急いでやってきたが、作品はここにあるだけでなく、横浜のあちこちにあるということらしい。もうぜんぶ観るのは無理だ。

 横浜駅に戻ってきたときには20時を過ぎていた。もうどこも寄らずに帰る。今日は読書はまったくできなかった。帰宅してからは、疲れてしまって、寝そべってだらだらする。横浜トリエンナーレのフロアマップを改めて確認してみると、見逃している展示があることにも気がついた。坂本龍一の展示があったことを知らなかった。それこそ、坂本美雨が出ていながら「日曜美術館」でなぜ教えてくれないんだ。

2024年5月25日土曜日

5月25日土曜日/「ハマフェス」初日

◇ ラジオ・テレビ

 早朝に起きあがり、ゴミを出してから、ブログの更新をひとつ。ラジオをつけていたが聴きたい番組がなく、BAYFM の知らない番組をつけていたら、ラジオネーム「三橋のマイケル」のメールが読まれていた。いつも自分が聴いている番組でよくメールが読まれているから、趣味が近いひとなんだろうと勝手に思っていたが、こんな番組にも送っているとは驚いたな。手当たり次第に送っているだけか。早朝6時からはTBSの「木梨の会」に合わせる。いつもの所ジョージだけでなく、ドラマで共演していた光石研が生登場。憲武と光石研は同い年。光石研は10代のころに東京乾電池の公演を観に行ったあとにとんねるずのふたりと会っていた。番組終盤には DA PUMP、新浜レオン、田中あいみも登場。

 少し眠りなおしてから、録画していたテレビ番組をあれこれと。「虎に翼」の今週のダイジェストは激動だった。それから、「紙とさまぁ~ず」の高岡早紀がゲストの回を前後編まとめて。高岡早紀のプロフィールを見て、以前、この番組で「バタアシ金魚」を柄本佑が薦めていたことをさまぁ~ずのふたりは覚えていた。

 放送されたばかりの「勝手にテレ東批評」を観ると、フェイクドキュメンタリーの「イシナガキクエを探しています」を話題にするなかで、伊集院は「芳賀ゆい」を仕掛けた体験を語っていた。そのあとのゲストはあのちゃん。あのちゃんに嫌われたくないという伊集院のこの感じ、ちょっと理解しがたい。

 午後はまたラジオ。「田村淳のNewsCLUB」をつけておく。ニュース解説は石戸諭。亡くなった中尾彬のストールをファッション面から分析してみせる。つばさの党のニュースも扱っていたが、つばさの党に攻撃された芸能人というのが淳のことだったとは知らなかったな。ミニ政党に取材を重ねてきた石戸諭がその背景を解説する。

◇ 桜木町・山下公園・中華街

 午後から外出。昨日ほどは暑くはなく、Tシャツで出るが、パーカーもカバンに入れていく。横浜から桜木町に出て、横浜市役所につながる歩道橋を歩いていくと、ものものしい騒音をまき散らしながら右翼の街宣車も市役所に向かっていた。市役所のアトリウムでは、今日は横浜トリエンナーレのイベントが行われていた。どんなもんだろうかと覗いてみると、大きなビニールのドームがあり、参加者は自分のアバターを作ったり、メッセージを書いたりする参加型のアートになっている。参加はせずにただ眺めて、写真を撮っていく。

 日本大通りに歩いていくと、こちらでは「ハマフェス」が開催中で、テントがいくつも建っている。そこからさらに山下公園まで歩いていく。公園の向かいの建物がなくなっていたが、なんだったっかな。「ハマフェス」では、山下公園の特設ステージにて今年もフリーライブが行われる。このライブでは、昨年、一昨年と、2年連続で瑛人の「香水」を聴いたが、今年は出演者が変わり、16時から始まる H ZETTRIO のライブをまずは目当てにやってきた。

 ライブは途中で抜けて、遅めの昼食にしようと、中華街に移動する。涼しくなってきて、カバンからパーカーを出した。中華街では獅子舞のパレードもやっている。老北京に入り、豚角煮丼定食を食べる。935円。それから、山下公園に戻るが、満腹になったら苦しくなり、ベンチで少し休んだ。

 18時半からは Crystal Kay のライブが始まる。ぎりぎりまでベンチで休んでいて、直前になってからステージのほうに向かうと、ひとでいっぱいで前に進めない。指笛を吹く男が真後ろにいて、うるさくてかなわなかったが、かと思えば、肩車されている子たちが手拍子していて、われわれの首から上の世界では子どもたちが互いに通じ合っているようでかわいかった。ちょうど空が暗くなっていく時間。写真を撮りたいと思い、観覧のエリアを離れ、後方に行ってみるが、日が落ちるとステージの照明が光り輝いてしまい、ぜんぜんうまく撮れなかった。ライブは途中で抜けようかと思っていたけど、意外と体力が残っていたようで、結局、最後まで観ていた。アンコールにはキッズダンサーたちが登場。パフォーマンスのあとには、Crystal Kay と司会の光邦が少しトークをする時間もあった。

 どこかに寄って休んでいきたいというつもりで、歩きながら考えていたが決められず、横浜駅まで歩いてきてしまった。足がくたくたになる。歩きながら、聴きそびれていた先週土曜の「HONMOKU RED HOT STREET」をタイムフリーで聴いていたら、番組最後に「ハマのビート」が流れた。「ハマのビート」は「ハマフェス」の会場でも何度もリピートされていて、今日はいったい何回聴いているかわからない。

◇ ラジオ・テレビ

 夜遅くに帰宅し、今夜の「HONMOKU RED HOT STREET」はオンタイムで聴いた。今週は1曲目に「ハマのビート」が流れる。この番組は 20周年になるそうで、記憶がはっきりしないが、この番組はラジコができる前にははたして聴いていただろうか。

 深夜にまた、録画していたテレビ番組をいくつか。「Nキャス」では、中尾彬の訃報を扱っていた。「ミンボーの女」「翔んで埼玉」に出演する映像と、安住と共演する「ぴったんこカン・カン」の映像も流されていた。真島茂樹の訃報もあり、これも「ぴったんこカン・カン」の映像があるんだな。そのほか、「水曜日のダウンタウン」に出演していた元タカラジェンヌというひとの詐欺事件があり、このひとは、1992年、47歳当時にもトラブルがあったそうで、その映像も残されていた。滝沢ガレソがエックスで星野源を推測させる投稿をした件も扱われていた。番組終盤の特集では、犬がボタンを使った音声で会話ができるというのを紹介していて、これには驚かされる。どうやらまぐれではなく、複数の犬がそれをやってみせている。

 今夜の「さんまのお笑い向上委員会」は、先週は出番がなかった「ゲスト向上芸人」の流れ星がようやく登場する。マシンガンズ西堀から、漫才が子どものままでアップデートされていないという鋭い指摘があった。流れ星のたきうえとアタック西本が赤ちゃん対決をするという展開になり、勝ちたがるたきうえに、ウエストランド井口が「お笑いできないんだからやめよう。」 「閉店ガラガラ」では今週も中津川弦さんがオンエアされた。このまま、6月まで出演し続けるとなるとすごいぞ。

 観そびれていた「ゴッドタン」をまとめて。先々週、先週は、2週に渡り、恒例企画の「コンビ愛確かめ選手権」。阿佐ヶ谷姉妹、Aマッソ、オズワルドが出演。加納が文化人になりすぎているというむらきゃみの悩み。今夜も恒例企画の「イチャまんグランプリ」。ちゃんぴおんず、マユリカ、シシガシラが出演。この企画はあまり好きではないからほぼ早送りするのだけど、シシガシラ脇田のところだけはつい観てしまった。

2024年5月3日金曜日

5月3日金曜日/橋本治展の客は生意気

◇ 石川町

 早朝に目覚め、ブログの更新をひとつ。今朝はやや寒い。録画していたテレビ番組をいくつか。一昨日に再放送された、みうらじゅんの「最後の講義」を録画しておいた。2019年に放送されたものだが、そのときには放送されていたことすら知らなかった。これを観てからもう少し眠りなおし、午前中から外出する。

 横浜から根岸線に乗り、石川町まで。まいばすけっとに寄り、パンをひとつ買って、歩きながら食べた。元町を通り抜け、元町・中華街駅からエスカレーターで上階に昇っていくとアメリカ山公園に出る。港の見える丘公園に向かう途中の建物がなくなっていたが、どんな建物だったかな。

 今日は天気がよく、港の見える丘公園はひとが多い。公園を抜け、神奈川近代文学館に到着したのは正午過ぎだった。お目当ては「帰って来た橋本治展」。14時からの講演を予約していて、その前に展示を観る。一般、700円。展示は3部に分かれ、第1部は「橋本治とその時代」。駒場祭のポスターがよく知られるが、橋本治のキャリアはそもそもはイラストレーターから始まった。東大では歌舞伎研究会だった。なぜ歌舞伎が好きかというと「『よく分からないもの』が好きだから」。「桃尻娘」で作家になったのは1977年、29歳のとき。1984年にはフジテレビのキャンペーンに出演する。橋本治をどの時点で知ったのか、記憶がはっきりしないが、橋本治はテレビに出ているひとだった。ここから先はどんどん多作になっていくんだな。1985年からはワープロを使用していたが、打つ速度が速すぎて基盤が壊れ、叩きすぎてキーボードが壊れ、プリントアウトの量が尋常ではないので、プリンタ部分も壊れた。さらには「ワープロで書くと文章が攻撃的になるから、小説には向かない」といって、早々に手書きに戻したという。第2部は「作家のおしごと」として、そのとおり、作家の仕事に焦点をあてる。四十代は古典に取り組みながら、評論と小説も書く。その仕事量のじつに厖大なこと。第3部は「橋本治美術館」。橋本治が編んだセーターも多数展示されていた。1時間ぐらいでまわり終え、パンフレットも買っておく。14時からの講演会までにはまだ時間があり、いったん外に出て、ベンチに座っていた。

 2階のホールにあがり、受付をすると、その脇でプレゼントを配っていた。あとでアナウンスがあり、このプレゼントの中身は橋本治所蔵のVHSビデオだとわかる。扇型の客席、入り口から奥になる右側のエリアに空席を見つけて席に着いた。「橋本治という時代」と題した講演、講師は橋爪大三郎。レジュメも配られ、メモを取りながら聴く。橋本治と同時代に、橋爪大三郎もまた東大の学生だった。東大の同級生たち、あるいはキャンパスの有名人たちとして、橋本治、芥正彦、加藤典洋、橋爪大三郎を並べる。芥正彦は「三島由紀夫vs東大全共闘」に登場していたひとだが、そういえば、あの映画には橋爪大三郎も登場し、芥正彦とは演劇仲間だったのだ。橋本治の「文体をめぐる格闘」の話が面白かった。テーマ以上に文体が重要という橋爪は、新しい文体をめぐる格闘として、加藤典洋、同年代の村上春樹、そして、橋爪大三郎自身の例を示す。大江健三郎や村上春樹が普遍性の側に抜け出ようとしたのとは正反対の方向を橋本治は向いているということを話していた。あるいは「編み物のように小説を書く」ということ。「何をつくりたいかという明確な志向と、根気と労力があれば完成する」のが編み物で、橋本治は小説もそのように書いているとする。橋本治の文章から「私が何を分析しないかと言えば、自分のあり方だけは分析しないんですもん。自分に関する疑いがないんですよ、ほんとに。…自分に不思議がないから、他人が不思議なんです。」という箇所を引用し、これは「自然科学者の態度」だとする。講演も終盤になり、橋本治の「恋愛論」を論じた千木良悠子というひとの文章について語っていると、客席から「違います!」という声があがった。なんと、声の主はその書き手、千木良悠子本人が客席に座っていた。まさか本人から解釈を否定されるとは。橋爪大三郎は動揺したようで、講演はどうもしまらないかたちになって終わる。最後に質疑応答の時間が30分ほどあり、今度はフリーライターのヤナギサワタケシと名乗るひとから質問が出たが、これに対する橋爪の答えにも、求めていた答えと微妙に違うというようなことを言われてしまい、橋本治展に集まるような客はなんだか生意気だ。そのあとに質問したひとは、橋爪のことをずっと「ハシモトさん」と間違い続けていた。

 会場には橋本治の妹さんもいて、今回の展覧会のポスターで橋本治が着ているのと同じアロハシャツを着ている。講演後に、外で妹さんと一緒に写真が撮れるという謎のサービスがあった。妹さんと写真を撮るために行列ができていて、通りすがりのひとが、誰なんだろうという目で不思議そうに見ていた。

 写真撮影には参加せず、港の見える丘公園を通り抜け、またアメリカ山公園に戻る。この公園では横浜トリエンナーレのイベントがあり、暗くなってから、並べられているロウソクが点灯されるのだと思うのだが、それまで待つ気にはならなかった。

◇ 中華街

 中華街に行ってみると、今日は獅子舞が出ている。どこかで昼食にしようと思うが、どこの店もずいぶん値上がりしてしまっているようだ。看板に書かれた値段の上から紙を貼り、新しい価格を書いている店がとても多い。それでも安い店はあり、関帝廟の脇、梅林閣という店に決め、ランチメニューの豚肉と野菜炒めを食べた。780円。食べていると、獅子舞のにぎやかな音がどうもこの店に近づいてきている。この店にやってくるんじゃないかと思い、これはせっかくだから、食べるペースもゆっくりにして、獅子舞を待つことにした。すると、期待どおり、獅子舞がやってきたので店内にいた客たちは大盛りあがり。中華街の獅子舞は何度も観ているが、自分が食べている店に獅子舞が入ってきたのは初めての経験だ。今年はいいことがありそうだな。

 中華街を出て、横浜スタジアムの脇のベローチェに入り、ひと休み。橋本治所蔵のVHSビデオをここで開けてみると、中身は中村錦之助の「宮本武蔵」だった。インスタに投稿し、それから、しばらく読書をしていく。

 夜遅くに帰宅し、録画していた「徹子の部屋」を観る。今日は桂由美の追悼だったが、過去に出演した映像ではなく、4月22日に収録したばかりだったのだ。すぐに眠りたいくらいだったが、明日出すゴミの準備をしてから深夜に眠る。

ブログ アーカイブ

4月21日日曜日/野毛大道芸

◇ 大道芸  朝、録画残量が足らず、数年前の番組を確認しては消去していく。こんなことのために、いったいいつまで忙しなく過ごしていくんだろうな。今夜までの録画残量をなんとか確保したら、今度は出掛ける支度をしなければならない。家を出るまではラジオをつけておく。「安住紳一郎の日曜天国」...