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2024年9月9日月曜日

9月9日月曜日/個人として発言する

◇ テレビ・雑誌・ラジオ

 朝、ブログの更新をひとつ。すんなり更新するはずが、ネットの接続に不具合あって手間取った。なぜなんだろうな。録画していたテレビ番組をあれこれと。今朝の「虎に翼」を観て、それから、昨夜の「おかべろ」(ゲスト・井上咲楽)を観る。昨日早朝の「桂文珍の演芸図鑑」は、林家あずみと鯉昇の「うなぎ屋」、対談のゲストは伊達公子。

 土曜に放送された「さんまのお笑い向上委員会」は「ゲスト向上芸人」のヤーレンズに加え、真空ジェシカ、みなみかわが登場した。真空ジェシカ川北は陣内に扮している。永野と陣内のつかみ合いを再現するように、川北に中津川弦さんが捕まった。ランジャタイの「陣ちゃん」のネタがBGMとしてすぐに用意され、本人の陣内が中津川さんにつかみかかるという流れになる。

 楽天マガジンで雑誌のチェックをすると、「週刊ポスト」の巻頭グラビアには吉本新喜劇の特集があり、執筆者は中村計。たけしの連載では、自民党総裁選について語っている。「その点、政治資金パーティーについてもきちんと訂正やら個別の対応をすると言った石破(茂)さんは評価したい。毎度のことだけど、「政治家としての覚悟」が最も見える総理候補ではあると思うぜ。だけど、いかんせん議員仲間からの人気が悲しいほどねェというさ(笑)。これは皮肉というか、矛盾した話だよ。「派閥政治は終わらせなければいけない」というのは正論だと思うんだけど、一方で総裁選に勝つためにはその派閥を軸に〝多数の支持〟を取り付けなきゃならないというさ。そうなると、議員という〝オイシイ仕事〟にメスを入れようとする正直者は馬鹿を見るという世界なんだよな。」

 昼はラジオ。「ビバリー昼ズ」を聴く。12時台ゲストはイジリー岡田。先週のふかわりょうに続き、高田先生とは珍しい顔合わせが続く。松本明子と共演する舞台の公演があるそうで、これがあるからゲストになったのかな。イジリー岡田の歴史が詳しく語られることもなかなかないが、フジテレビの素人ものまね番組からホリプロに誘われ、ホリプロのお笑い第1号になったという。「キットカット」というコンビでニッポン放送の鶴光の番組のレギュラーになったが、相方の遅刻が多くてクビになる。イジリー岡田という芸名は雑誌の「Momoco」の連載で使ったのが最初だったのだ。そして、イジリー岡田を有名にしたのはなんといっても「ギルガメッシュないと」だが、「ギルガメ」は冬季オリンピックに視聴率で勝ってしまったこともあるという。恒例の「ベスト3」は「芸能界で感謝しているひとベスト3」。3位はモト冬樹。「ギルガメ」でのキャラに困っていたときにアドバイスをもらったという。2位はなぎら健壱。なぎらは「ギルガメ」を本当は半年早く辞める予定だったが、岡田を育てるまで辞めないと言ってくれていたという。1位は出川哲朗。「ギルガメ」のキャラを1回きりの約束で「アメトーーク!」でやったときに、それを観ていた出川に伝統芸だからやるべきだと言われたという。天才だった飯島愛の思い出も最後に語られた。

 午後から外出。ずっと晴れていたのに、雨降りになってしまった。三ツ境のケンタッキーにひさしぶりに入り、月見ツイスターセットを食べた。890円。ここのケンタッキーは以前に利用したのは記憶にないくらいの昔だ。外からガラス超しに店内を見て、意外と広いことに気がついたが、利用してみたらなかなか居心地がいい。ここで読書をしていく。

◇ 読書

 ケンタッキーで、TVOD「政治家失言クロニクル」を読み終えた。2021年刊、Pヴァイン。TVODの本は以前に「ポスト・サブカル焼け跡派」を読んだが、これが2冊目の本になるんだろうか。「テキストユニット」という肩書きをほかに名乗っているひとがいるのかはわからないが、プロフィールには生年の表記がなく、そのくらい書いてもらいたい。ふたりの対談形式になっているのは前著と同じ。政治家の失言を時系列に語り、日本の戦後史を浮かびあがらせていく。自分が生まれて以降の時代には特に興味が湧くが、逢坂巌「日本政治とメディア」という本には80年代の政治番組について書かれているそうで、1983年の参院選では「タモリの選挙でいいとも!!」という番組があったという。また別のときの選挙特番では、おニャン子クラブと、安倍晋太郎、竹下登、宮澤喜一が共演したコーナーもあったようだ。以下、引用した箇所は政治よりもごく近年のSNSに関すること。

P130-131 パンス「ゼロ年代から起こっていた「炎上」や「祭り」に典型的ですが、あるトピックにワッと人が集まって、集団化した状態がひとつの現象として受け止められることが日常化しました。盛り上がるのですが、しばらくしたら完全に忘れ去られてしまう。そして次のトピックに移る。そうなると、歴史というか時間に対する感覚が変わっていくんです。現時点で起きている事象が過去からの系譜にあるという意識は希薄になり、なんなら非常に抽象化されて認識されるようになりました。(略)ちょっと前まで持ち上げられてたものでも、適当に何かレッテルを貼って拡散させれば印象をガラッと変えることができるようになりました。その場でどうバズるか――人をどう集めるか、つまり数字を取ることが重視されているので、時間やら系譜について考えるなんてまどろっこしい。そういう空間を、市民も政治家も同じように共有しており、「失言」もそこから生まれる。だからこそ、ある種反時代的かもしれませんが、時系列的にその「系譜」を追ってみます。」

P131-132 コメカ「個人的には複雑な気持ちがあって、理不尽な社会状況に対しては怒りを込めてそれぞれが自分の意見を言うべきだ、とぼくは2015年頃からネット上で盛んに言っていたし、今でもそのこと自体は否定したくない気持ちがある。ただ、SNSを通して大喜利的に定期提出されるネタに対して個々の怒りが動員・回収され、「祭り」として次々と消費されていく状況がいま現在間違いなくある。ある意味、怒りを自分自身=個人のものとして保持することが難しくなっているとも言える。自分がひとりの人間として感じていた怒りも、集団的な流れのなかに飲み込まれやすくなっている。大喜利化、つまりいま現在バズっているネタに対してひと言モノ申す、というやり方が一般化してしまったから、状況がループしがちなんだよね。議論が積み重ねられることなく、ひとつひとつの「祭り」が終わるたびに問題が忘れられていってしまいがち。」

P154 コメカ「現状を踏まえて改めて思うのは、自分が言いたいこと、そして怒りも含めた自分の感情を、如何に個人的な形で言葉に変えていくか、その方法論を見つけたい、ということ。SNSで日々行われているような、支持を集めている他人の言葉にひと言何か被せることで自分の意見とする、みたいな、いっちょ噛み的なやり方から離れる。クラスタ集団内でのコミュニケーションを通して自分の意見を固めていくようなやり方からも離れる。モノローグ的に自分の考えをひとりで少しずつ言葉にして、ゆっくりとしたスピードでいいからそれを少しずつ他人に伝えていく、というようなやり方がいいんじゃないかと思っている。」

P155 パンス「「数字を取る」ことを第一義的にしないというのが僕の考えです。目立とうとしないとか、多くの人に承認されるとか、そういう思考と逆をやってみたら、必然的に発する言葉も変わっていくのかなと。「反主流派になる」と言っても良いですが、それは「なんでも反対する」とか、最近の言葉で言うなら「逆張り」をやるとか、そういう行為とは違います。「逆張り」は、逆の層にアプローチして数字を取るということでしかないので。主流を外れることを恐れず、そのうえでどう他者とやり取りするかということだと思います。」

P197-198 コメカ「だから本当に当たり前の話ではあるんだけど、「個人として発言する」という態度をなんとか成立させないといけないわけだよな。結局いま現在の政治家の失言も、それに対するSNSでの批判や擁護も、どういう「クラスタ」に向けて言葉を提出するか、という意識に誰もがとらわれ過ぎているというか。いち個人としての自分の信念を表明することではなく、「クラスタ」からの歓心・アテンションを集めることばかりが目的化されるようになってしまった。戦後日本における政治家たちの失言の変化……というか言ってしまえば「劣化」とは、つまりそういうことだったのかなあと。とにかくアテンションを集めて数を取ることで、自分が寄って立つ「クラスタ」がでっかくなればそれでいいんだ、自分なりの信念も具体的な説明も必要ない、という態度の全面化。」

P198 パンス「もうSNSでは難しいんじゃないかと思うようになってきたな。たとえ「信念」があったとしても流れていっちゃうし、意見が合うところまでしか届かないし。意見を集めて、雰囲気を作っていくような効果まではあると思うけど、それ以上やるには、地道な作業が必要になっていくんじゃないかしら。その点は、昔も今も変わらない。とはいえ、インターネット自体がだめと言いたいわけでもなくて、ちょっとした工夫でどうにかなるのかなと思っているけれど。」

 夜に帰宅し、夜もまた、録画していたテレビ番組をいくつか。今夜の「しゃべくり007」は江口のりこがゲスト。6年ぶりの出演。江口のりこがテンションがあがる人物として、松尾諭も登場する。舞台で共演する松尾が、稽古中、江口のりこがなにでテンションがあがるかを調査する。

 Netflix で「サンクチュアリ」を続きを観る。仙道敦子の名がクレジットされているけど、どこに出ているのかわからず、第6話まで観て、ようやく認識できた。しばらく観ていなかったから若いころのイメージで探してしまっていたが、最近になって、また活躍しているんだな。

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2024年3月18日月曜日

3月18日月曜日/散文の基本

◇ 東京駅

 午前中から都内に。今日も風が強い。今日から寒くなるのかと思っていたが、まだ暖かいようだ。横浜から東海道線に乗り、東京駅まで。東京駅の丸の内側に出ることが意外とひさしぶりだなという気がした。夕方になり、遅めの昼食。地下通路にあるC&Cに入り、三元豚ロースかつカレーを食べた。750円。新大手町ビルのドトールに入り、ひと休み。モバイルバッテリーを使うようになり、そのおかげで、充電できる店をわざわざ探さなくていい自由を得られた。ラジオを聴きながら少し眠る。

◇ 読書

 帰りの電車内で、図書館で借りている、阿部昭「新編 散文の基本」を読み終えた。2022年刊、中公文庫。親本は1981年刊。文庫は、親本に関連エッセイ、対談を増補し、再編集したもの。阿部昭という作家は、岩波新書の「短編小説礼讃」をずいぶん前に読んだことがあり、それで知っているだけの作家だったが、この本を図書館で見つけ、読んでみたら大変面白かった。ここに書かれている文章観には、好きな考えかた、惹きつけられる考えかたが多々ある。自分の考えが補強されるような手応えが得られた気になった。後半は短編小説論。モーパッサン、チェーホフ、ルナール、国木田独歩、石川啄木、志賀直哉、菊池寛、芥川龍之介、梶井基次郎、三浦哲郎について論じられている。以下、気になった箇所をいくつか引用。

P12-13「それはともかく、私がいぶかるのは「自分を表現する」というようなすこぶる現代風の言いまわしにひそんでいる嘘についてである。ちょっと耳にしただけでも、この言い方にはずいぶん病的なニュアンスがあることがわかる。自分の中にある何かを言葉にしたくてたまらないといいたげなこの言い方には、何をすればよいのかがまるで判っていないための不安や、いらいらした気分や、自信のなさなどが隠されている。(略)ところが、書くということは、そんなあやふやな症状とは反対に、きわめて簡単かつ自明のことで、紙と鉛筆さえあればいいわけだから。」

P20-21「だらだらと長ったらしく、あるいはくどくどとしつっこく、またデコデコと飾り立てた文章は、読むのも苦手だが、これもいまはじまったことではないから直りようがない。どうにでもお好きなようにといった格好でぶら下がっている形容詞というやつが、私は大嫌いだ。あとは、新かな、当用漢字で別に不自由しない。ザッパクな外来語、流行語のたぐいも、必要とあればどしどし取り入れたいと思っている。」

P29「小説も批評もむずかしくなる一方で、よほど専門的な関心がないとついて行けないようなものが多い。論議が論議を呼び、発明が発明を生んで、現代文学はますます専門家のものになってゆく。伝統的な書き方をかるく一蹴したような〝新しい〟小説が出てくると、その尻馬に乗った〝新しい〟批評家が「小説」が解体してゆくありさまを克明に分析して見せてくれる……。実験とか冒険とかいう名で呼ばれる現代文学のさまざまな試みが、今日ではもうそんなふうにしか人間をとらえがたいと言いたげな苦しげな表情をしていることに、読者もだんだん慣れてゆくのだろうか。」

P36「小説を読みながら、あるいは書きながら、私はよく「日記」と「手紙」というこの不朽のジャンルについて考える。率直な真実と、じかに相手に伝わる肉声という点で、この二つはあらゆる散文の土台である。」

P43-44「原則としていえば、好ましい言葉・嫌悪すべき言葉などというものがあるはずがない。好かれている、あるいは、嫌われているのは、言葉ではない。問題は、言葉そのものになく、そこに封じこめられた使い手(運び手)のニュアンスにあるのはわかりきったことだ。彼の自発性がどの程度のしろものであるのか、どの程度にその言葉を信用しているのか、軽蔑しているのか、その仕方が過不足ないものであるかどうか、等々といったことにかかっている。俗に言葉にうるさい趣味があるといわれる人が書いた文章というのは、すぐにわかるものである。私は勿論、そういう人たちの審美眼や潔癖には敬意を表するけれども、それこそ積年の恨みをのんだようなぐあいに文中に配置された或る一つのめざましい言葉が、散文の自由な流れをせきとめるように出っぱって、そこに小さな溜り水を作ってしまっているのを残念に思うことがある。その場所に、その言葉の代りに、もっと別の――その人から見れば――ずっとつまらない言葉が置かれてあったほうがよかったろうに、と思うことがある。」

◇ テレビ・雑誌

 夜遅くに帰宅し、録画していたテレビ番組をいくつか。昨日の「ワイドナショー」は、鈴木おさむが初登場のほか、今田耕司、武田鉄矢、ベッキーというメンバー。鈴木おさむがここで初めて旧ジャニーズ問題について、そして、松本人志の休業についても語った。番組後半には「R-1」チャンピオンの街裏ぴんくが登場した。

 今朝の「ブギウギ」では、美空ひばりをモデルにしたような水城アユミという歌手が出てきたのだが、母が蒼井優という設定になっていて、事実とは違う架空の人物になっている。和田勉のような人物も出てきて、これは中村倫也が演じている。

 楽天マガジンで雑誌のチェックをすると、「週刊ポスト」には「不適切にもほどがある!」効果で「トゥナイト」の特集記事があり、乱一世、南美希子、雪野智世の座談会が載っている。横山剣さんの連載では、浅野ゆう子の「セクシー・バス・ストップ」について書かれていた。熱海五郎一座の楽屋で浅野ゆう子とあいさつをしたそうだ。「サイゾー」の特集は「新しいテレビと芸能界」。コメカ氏がテレビとお笑いの関係を批評的に語っている。取材・構成はおぐらりゅうじ。更科修一郎による「不適切」およびクドカン論も面白かった。

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7月7日日曜日/都知事選はどうなった

◇ テレビ・ラジオ  朝、録画していたテレビ番組をあれこれと。昨夜の「Nキャス」で、チョコレートプラネットがTT兄弟で「アメリカズ・ゴット・タレント」に挑戦した映像を初めて観た。藤井聡太の棋王就位式には、同郷の瀬戸朝香が駆けつける。昨夜の「にちようチャップリン」は、先週に引き続き...