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2024年7月23日火曜日

7月23日火曜日/土地を売るというので

◇ 西新宿

 早朝に目覚め、ゴミを出してくる。この時間はまだ涼しい。まだ眠いが、今日は朝から外出するから、眠りなおしてしまわないように注意しながら少し横になっていた。家を出る時間になり、予定どおり、母を連れて出発する。今日は普段のいい加減なかっこうではなく、小ぎれいなかっこうをしていないとまずいと思い、新しく買った襟付きのシャツを着ていく。乗り換えが少ないよう、東横線直通から副都心線直通と、直通づくしで新宿三丁目まで、丸ノ内線に乗り換え、西新宿にやってきた。

 アイランドタワーに集合。集まったのは叔父夫妻たちと不動産屋、うちが所有する土地に住んでいるご家族たち。父方の曾祖父母の代からもっている東京の土地が、防災のために道を広げる必要があり、東京都が買ってくれることになった。今日はその契約のための集まりだ。うちは曾祖父母の代はどうやらかなりいい家だったらしく、自分が幼いころは見る影もなく、祖父母は散らかった家に住んでいたが、よく思い出してみれば大きい家ではあり、金持ちの名残りはあった。聞くところによると、祖父の代で台なしにしたらしい。祖父は兄弟が多く、姉だか妹だかはサガミオリジナルの社長のところに嫁いだらしいが、関東大震災のときにしっかりしていた兄たちが死んでしまい、だらしがない祖父が生き残ったということだ。その祖父の子、3人兄弟の長男がうちの父で、その土地の権利を3兄弟がもっていた。うちは父が死んでいるから権利者が母になっているのだが、母が高齢になり、兄は馬鹿だから、弟の自分に役目がまわってきたということになる。

 だだっ広い会議室のようなところに通され、ロの字型に並べられたテーブルに着く。こういうことはよくわからないから、言われるがままに片っぱしから書類にハンコを捺していたのだが、ハンコを間違えていたようで恥をかいた。不動産屋が代わりにやりなおしてくれた。この大仕事が終わったあとには、叔父夫婦たちと食事をした。新宿野村ビルの50階にある「祢保希」と書いて「ねぼけ」と読む店に入った。自分では絶対に入らないような店で、母の喜寿のお祝いをしようというから、しかたなく高級な料理を食べた。

 西新宿から、きたときと同じルートで母と一緒に帰ってくる。電車内、SNSを開くと、小原乃梨子の訃報が飛び込んできた。母は若いころにテレビ局で働いていたことがあって、小原乃梨子と知り合いだという話を小さいころに聞いたことがあったが、その証拠を見たことがない。この訃報で 88歳だとわかったが、母よりもだいぶ歳上だ。スマホのこのニュースを母に見せてみても、なんだかよくわかっていないようだった。

◇ テレビ・ラジオ

 夕方には帰宅し、すぐに眠る。1時間ぐらいで目が覚め、録画していたテレビ番組をあれこれと。今日の「徹子の部屋」は Ado がゲスト。番組初のリモート出演だというのだが、CGのドラえもんが出演したことはあったが、あれはリモートみたいなもんじゃないのか。裏声を使うようにという Ado の指導で、徹子さんが「うっせぇわ」を歌ってみせた。

 今日の「さんま御殿」は「おひとり様満喫女子」というテーマ。渡辺直美が5年ぶりに出演のほか、ヒコロヒー、紅しょうが、あのちゃん、柏木由紀、皆藤愛子、重盛さと美、鈴木砂羽らが出演。「お風呂キャンセル界隈」っていう言葉は知らなかったな。風呂に入ってないことが言いやすくなったんだって。

 タイムフリーで、聴きそびれていた先週火曜の「ナイツ ザ・ラジオショー」をようやく聴く。14時台ゲストに談春師匠が登場。ケイさんがいる火曜だったのがよかった。立川流は前座時代に三太良太に言われて木馬亭に出ていた時代があったという、これは初めて知る話だった。

 深夜1時からは「爆笑問題カーボーイ」を聴く。恒例の梅雨明け宣言の話から始まり、そのあとは「サンジャポ」に出演した安野貴博の話になった。太田は安野貴博の小説も事前に読んだうえで臨んでいたんだ。太田は同じ日の「日曜サンデー」のゲストだった泉房穂の本も読んでいて、単に読むだけでなく、内容も詳細に説明できるほどに読み込んでいる。あの仕事量をこなしながら、なぜそんなに本が読めるのか、本当に不思議だ。安野貴博の妻は太田の「笑って人類!」を読んでいて、ピンチョンみたいだと言われたという。あのひとは元文藝春秋の編集者なのだね。

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4月18日月曜日/それぞれの戦争

◇ 飯田橋  深夜に映画でも観るつもりだったが、朝まで眠ってしまった。タイムフリーで、土曜に放送された「田村淳のNewsCLUB」を聴く。湯川れい子がゲストなので、これは聴いておきたかった。この番組の出演は、なんと、湯川れい子の逆指名によるものだったようだ。湯川れい子は 1936...