今日も昼からラジオを聴いていた。「ビバリー昼ズ」のゲストは原田龍二。明治座の公演の話をする。「ナイツ ザ・ラジオショー」のゲストは神田伯山で、「ビバリー」のエンディングにも登場した。ナイツと伯山といえば、お年玉の一件がラジオリスナーにはおなじみだが、土屋は映画の撮影だとかでこういうときにかぎってスタジオにいない。電話でつないで、わざわざそのお年玉の一件を蒸し返すが、そもそもが強引な難癖なので、どうやっても発展のしようがないエピソードだ。寄席での関係性はリスナーにどこまで理解されているのかわからないが、ほかに聴きたい話はいくらでもある。
◇ 今日の読書
夕方になる前に、ヤマトの営業所まで。コーナンで買いものする必要があり、二俣川から星川に移動するが、まずはドトールで読書をしていく。
年末に買ってあった「青山真治と阿部和重と中原昌也のシネコン!」を読んだ。2004年刊。体感的にはもっと以前の本のような気がしていたが、ゼロ年代の始めもいよいよひと昔前に感じるようになってきたな、という感慨が四十代の人間としてはある。つい先日読んだ「黒沢清の映画術」に、黒沢清の大学の後輩として青山真治の名が出てきて、その流れで今さら読もうという気になったのだが、自分よりも少し歳上のこの3人は当時はまだ三十代だ。ここでなにを評価して、誰に毒づいているか。そこにこの時代の空気がある。「黒沢清の映画術」は2006年刊で、この本と2年しか違わないことに意外な感じを受けたが、黒沢清のほうが(当たり前だが)はるかにおとなだった。
◇ テレビ
夜、録画しておいた、バカリズムの「ファミリーヒストリー」を観た。この番組はいつもそうだが、今回も大いに感動させられた。都会的な芸風のようで、じつは荒っぽい土地で育ったひとだということはなんとなく知ってはいたが、福岡県田川市という炭鉱の町の出身なのだ。父方の祖父はもともとはこの炭鉱で働いていて、日中戦争では輜重兵というかなり有能な人物に与えられる職務についていたという。この町の風土というのがまたすさまじく、戦後の景気が悪化した時期には「スリの学校」ができたという話には笑わされた。一時期は韓国にわたり、裕福な暮らしをしていたようだが、戦後は財産を没収され、ゼロからの再出発となった。そこからさまざまな商売を始めていくこの祖父のバイタリティがすごいが、最終的には弁当屋で成功する。バカリズムの父は、集団就職で十代のころから川崎の工場で働いていたが、この弁当屋を継ぐために帰郷するのだ。その時期に母とお見合いをするが、強烈な祖父を見て、一回断ったというのが可笑しい。このあたりは藤子・F・不二雄のマンガのように、タイムマシンに乗って、結婚前の両親を目撃しているようではらはらする。
後半は母方の家系をさかのぼるが、母方の祖父もまた別の種類の強烈な人物で、大変な資産家だったが、戦後、時代が急激に変化すると、賭けごとにのめりこんで財産を使い果たしてしまったという。バイタリティにあふれる父方の祖父とは逆に、母方の祖父は坊っちゃん気質で、生きる賢さのないひとだった。借家住まいで貧乏な暮らしをしていたという少女時代に過ごした土地を、番組では、バカリズムの母と妹が訪ねていく。坂道の途中にあるその住まいから、階段を登っていくと山の奥まで通じていて、母はそこに寝転がっていろいろなことを空想していたという。母は詩を書くのが得意な少女で、当時の先生のもとにも訪ねていくと、作家になるのではと思われるほどに文章が上手かったそうだ。こういう母から今のバカリズムは生まれた。祖父母は離婚し、生きる賢さがなかった祖父は哀れな最期を遂げる。
バカリズムと同い年(1975年生まれ)なので、バカリズム(英知)の誕生以降は、自分の家族のその時期の状況と重ね合わせながら観ていく部分もあった。実家の弁当屋は、コンビニの時代になると経営が傾き、40歳だった父は工場に転職するが、45歳で亡くなってしまう。その1ヶ月後には、続けて祖父までもが亡くなる。母は家を売り、団地に引っ越し、新たな仕事についた。その年が1993年、高校三年生だ。野球部だったバカリズムが福岡大会に出場した映像が残っていたが、今よりも男っぽい、野球少年の雰囲気がある。空想癖のあった母の血を引くいっぽう、負けず嫌いの父の教えがバカリズムには生きている。父の死に、母からは落ち込んでいるように映っていたが、自分自身にはその感覚はなかったというが、ごく普通の18歳の少年の感覚としてはそこはむしろリアルだと思った。番組は最後に、両親の新婚時代が映されたフィルムを見せる。母が日記を26年間も書き続けていたことも明かされ、バカリズムが芸人を始めたころの様子が細かく記されていた。文章が上手かった少女は、ずっと文章を書き続けていたのだ。バカリズムは現在45歳であり、父が亡くなった年齢とちょうど同じだ。