2024年1月28日日曜日

1月28日日曜日/ウディ・アレンの自伝

◇ テレビ・ラジオ

 朝、大きい地震があり、起きあがる。本の山が盛大に崩れた。起きあがったついでに、ブログの更新をひとつ。それから、録画していたテレビ番組をあれこれと。今朝の「サンデージャポン」には、石田健、三木雄信、みちょぱ、小倉優子、藤森慎吾らが出演。まずは松本問題から扱う。昨夜の「Nキャス」では、吉本興業が独自調査を始めたことに注目していたが、この番組でも吉本の方針の変化に注目する。浜田のラジオでの発言も紹介される。VTR内では河西邦剛という弁護士がコメント、スタジオでは細野弁護士が解説した。

 藤森慎吾「僕としては、裁判の結果以前に、やっぱり今回こういうことがこう起きてしまった大きな要因のひとつとしては、やっぱりこう、普段からなにか常習化してたこういう遊びかただったりが、不誠実で、少しかっこ悪い部分あったなと、いうふうにはすごく思います。けして、僕もねえ、さんざん遊んできたっていうこともありますし。それこそ「文春」の記事に載ったこともやっぱりあったので、でもやっぱりあのう、そういうなかで、けっこうこう、気づかされたこともあるというか、やっぱり、当時、僕もこう、仕事が調子よくて人気者だって勘違いして、どこか女性に対して驕りがあったりとか、認識の甘さ、みたいのが実際にあったなって思うところもあるし、やっぱりそういうところがだんだんだんだん気づかずに麻痺して、おっきくなって、こういうかたちで露見してしまったのかなあっていうふうには、やっぱり思うんで、ほんとにまあ芸人全体にこういえる、いや全体というか、そういうひとたちもやっぱり一部いるとは思うので、やっぱり意識をこう、しっかりここで変えていかなきゃいけないし、立場だったり、権力がおっきくなればなるほど、それにともなう責任をしっかりと認めて、自分をより律していく行動が大事なのかなあというふうに思いました。」

 太田「この話になるとどうしても法廷で勝つか負けるかみたいなふうにこの番組なんかもそういうふうになりがちなんだけど、僕がずっと感じてるのは、「文春」で証言してる女性たちは、別に松本さんを犯罪者だっつって告発してるわけではなくて、こういうことがあって過去にこういうふうに言われたと、それが自分のなかで傷として残ってる。で、それは松本さんは意識してないかもしんないけども、わたしはあれは傷ついたんですよってことを、今まで言える状態じゃなかった、だけど、あれは傷だよねって思ってくれる社会になってもらえたら、自分はそれを、自分もやっぱり傷だったんだって、言えるって、そのことが彼女たちにとっては、もしかしたらいちばん大事なことで、彼女たちは松本さんをこてんぱんにやっつけて、そのなんていうのかな、立ちなおれないほどの打撃を与えようとしてるわけではないような気がするんですよ。とにかく自分の問題として、あれは傷だったんだから、傷だって言っていいですよね、この社会で、っていうことだと思うのね。だけど、「文春」の意向ってのはまたちょっとそことは違いますよね。個人はそれぞれ濃淡あると思うけど、「週刊文春」っていうのは、いわゆる、こういうことが過去に行われた、さあ、これどうなんでしょう、組織的な、っていう意味で、社会に一石を投じる、っていう意識があって、彼女たちそれぞれの本質と、今のこのみんなが話し合ってるテーマが、ちょっとズレていっちゃうことが、とっても、はたしてこれでいいのかなと思うし、こういうことあると、もうこれ、ここ数年ずっとそうだけど、やっぱりSNSの社会だから、「文春」が意図している以上に、なんていうのかな、わたくし刑みたいなことが、制御できないくらいに、広がっていきますよね。そうすっと、ひとりの人間がこてんぱんにやっつけられるみたいなことが起こり得るって、それはやっぱりわれわれ社会がこれをどういうふうに受け止めて、SNSをやってるひとたちも、そこは注意しないと、ひとを守れなくなっちゃうし、で、松本さん今回、こういうかたちで提訴したってことは、松本さん自身はファイティングポーズをとったんだと思うんですよね。松本さんていうひとは、要するに、自分の考えでたぶん、僕もまあ、つき合い長いっていうか、別にあの、共演NGではあったけど、(笑)よく知ってますから、そういう意味では。よくではないかもしんないけど、あの松本さんていうひとは、たぶん自分の考えでやってきたひとだから。この芸能界をサバイバルしてきて、で、勝ってきたひとだと思うから、それはいろんなひとが法的にこうだよとか忠告するかもしんないけど、それは松本さんが自分がやりかたを、たぶん、自分で考えたやりかたで正解だと思うのね。で、それは僕は心配してないんだけれども、むしろ、今、ちょっと心配なのは、あそこに出てくるほかの芸人たちが、今、どうしていいんだかわかんない状態に追い込まれてんじゃないかと思う。で、これをやったら松本さんに迷惑がかかる、みたいなことが、今もなお考えてるんだとしたら、それは、今、その局面じゃないよ、ってそれはもう、大袈裟にいうと、生きるか死ぬかだよ、お前らと。で、自分を守るのは自分しかいないわけだから、やっぱりそれは、そこを考えるんじゃなくて、自分がどうしたいかは自分で決めるべきだと思うし、この証言をしちゃったらもしかしたら迷惑がかかるみたいなことを考えてるんだとしたら、そこは考えるべきではなくて、自分のことだけを考えるべきだと思うし。よくあの、自助、共助、公助っていうじゃないですか。それは災害のときの鉄則なんだけど、やっぱり、自分が助けてほしい、自分が助かりたいっていうことを意思表示しないと、まわりが助けようと思ってる、いくら思ってても、助けらんないからね。だから、そのへんは、あそこに出てるほかの芸人たちも、松本さんは大丈夫ですよ、自分で戦うんだから。だけど、彼らが、今までの流れからすると、松本さんの不利になるんじゃないかみたいなことも考えるかもしれないけど、今は自分を守ることを考えてほしいなと思うね。」

 続いては、自民党の派閥と裏金の問題。スタジオでは岸博幸と後藤俊広が解説する。そのあとには、若新雄純の「週刊新潮」の記事を扱うのだ。しかし、若新なんてひとは、「サンジャポ」と「TVタックル」にはよく出ていたから知っているが、ほかにはどこかに出ていたんだろうか。若新からこの番組に宛てたコメントも読まれた。

 今朝の「ワイドナショー」は、田村淳、ヒロミ、泉谷しげる、最上もがというメンバー。オープニングは短めに終わり、CM明けにこちらもまず松本問題を扱う。しかし、今週はだいぶはっきりと松本寄りに問題を考えているように感じられた。淳は松本寄りであることを示しながら語ったが、それにしても、ちょっとこれはバランスが悪いな。

 午後から外出。二俣川まで歩きながら、先週金曜に放送された「トーキョー・エフエムロヒー」をタイムフリーで聴いた。少し前の「BRUTUS」の読書特集の話を今ごろしていた。ヒコロヒーは、お金がないころは本を買う金もなく、本棚を買う金もなく、区の図書館に通って本を読んでいたという。

 二俣川に到着し、ドン・キホーテのダイソー、ヤマダ電機で買いものをする。それから、読書をするためにサイゼリヤに入った。日曜の夜、あんまり長居しては顰蹙かとも思ったが、意外と混んではいないようで、待たされずに席に案内された。ドリンクバーとソーセージピザを食べる。600円。

◇ 読書

 サイゼリヤで、ウディ・アレンの自伝「唐突ながら」を読み終えた。2022年刊、河出書房新社。2段組、400ページを超えるボリューム。図書館で借りて読んでいたが、一回では読み終わらず、何度か借りなおしてようやく読みえおえたが、借りなおそうとしたら貸し出し中だったりもして、ずいぶん時間がかかった。いつから読み始めたのかといえば、去年の7月だ。序盤からとても面白く、ウディ・アレンならではなのは、なにかひとつ語るごとに、いちいちギャグが入ってくる。こんなにギャグがふんだんに盛り込まれている自伝がほかにあるだろうか。まるで、えんえんとウディ・アレンのスダンダップ・コミックを味わっているかのようで、それだけで終わればただひたすら楽しい本なのだが、しかし、後半になると、例のスキャンダルについてえんえんと書かれていて、読み進めるのがなかなかしんどくなった。猿渡由紀「ウディ・アレン追放」(2021/文藝春秋)を先に読んでいたから、登場する人物たちはよくわかっていた。ウディ・アレン本人が語っていることとも齟齬がないとは思った。だけれども、ウディ・アレンほどの映画監督が人生を語るのに、このスキャンダルにこれだけのページを割かなければならないのか。以下、関心があった箇所をいくつか引用。おもに、ウディ・アレンがなにを愛し、なにに影響を受けてきたか。

P13「そう、この自伝の主人公は、厭世的で、ギャングスターを愛する、無学な男だ。」「あと、恥とも思わないからいっておくと、読書は好きじゃなかった。妹は本好きだったが、怠け者のぼくには本なんて楽しくなかった。そりゃそうだろう。ラジオや映画のほうがはるかに刺激的だ。」

P19「ぼくには学問的な資料から情報を切り取って私物化する才能がある。深遠すぎて自分には理解できないくせに、作品のなかで使って、あたかも分かっているかのようなインチキの印象を与えて、おとぎ話を破綻させないようにしているんだ。」

P46「ぼくは知識人と誤解されているが、ここにもうひとつの誤解がある。小柄だし、黒縁眼鏡をかけているせいで、あまり運動神経がよくないと思われている。だが、それは間違いだ。ぼくはメダルをとれるくらい足の速い有能な野球選手で、プロになる道も考えていたんだが、思いがけずギャグライターとして雇われることになって、その夢は消えてしまったんだ。」

P55「(略)フォークナーやカフカには苦戦したし、T・S・エリオットやもちろんジョイスはもっとつらかったが、ヘミングウェイやカミュはとても面白かった。シンプルだから感情移入できたんだろう。ただ、ヘンリー・ジェイムズは、かなり努力したものの最後まで読めなかった。メルヴィル、エミリー・ディキンソンの詩は大好きで、時間をかけてイェイツの生涯について学んだおかげで、彼の詩を楽しめるようになった。フィッツジェラルドはまあまあだったけど、トーマス・マンやツルゲーネフは大好きだ。『赤と黒』もとても面白くて、特に若い主人公が人妻を口説きに出るかどうか悩み続ける件は夢中で読んだ。この部分を参考にして、ブロードウェイの喜劇『ボギー!俺も男だ』を書いて、ダイアン・キートンと共演した。社会学者チャールズ・ライト・ミルズの本や、J・P・ダンリーヴィーの『ザ・ジンジャー・マン』も読んだし、多形倒錯については古典学者ノーマン・オリバー・ブラウンの本で学んだ。」

P57「ぼくはキートンよりもチャップリンが好きだ。多くの映画評論家や映画を学ぶ学生は納得しないだろうが、監督としてはキートンのほうが優れていても、チャップリンのほうが面白いと思っている。チャップリンはハロルド・ロイドより面白い。ロイドが繰り広げる偉大な視覚的ギャグは見事だけど、ぼくははまらなかった。」「好きな女優はアイリーン・ダン。それにジーン・アーサー。スペンサー・トレイシーの演技は常にとてもリアルだったが、『パットとマイク』はいただけない。」「レニー・ブルースにはあまりひかれなかったが、ぼくの世代が熱狂したコメディアンだ。(略)ここではただ、大衆は魅了されたが、意外なことにぼくは魅了されなかった作品や人々をいくつかあげておこうと思う。『お熱いのがお好き』や『赤ちゃん教育』はどちらも面白いと思わなかったし、『素晴らしき哉、人生!』も好みじゃなかった。正直、かわい子ぶった守護天使なんて絞め殺してやりたいくらいだ。『めぐり逢い』もまったく好みに合わなかった。ヒッチコックは崇拝しているが、どうしても『めまい』はみていられないし、ルビッチにもほれこんでいるが、『生きるべきか死ぬべきか』を面白いと思ったことはない。でも『極楽特急』は、宝飾職人ファベルジェが作ったインペリアル・エッグくらい感動した。」

P57-58「ぼくの好きなミュージカルは――『雨に唄えば』、『恋の手ほどき』、『若草の頃』、『バンド・ワゴン』、『マイ・フェア・レディ』。『巴里のアメリカ人』は好きになれない。レッド・スケルトンはもちろん、エディ・ブラッケンやローレル&ハーディに笑わせてもらったことはなかった。いうまでもなく、マルクス兄弟やW・C・フィールズは絶対的に偉大だ。『殺人幻想曲』の映画に出ているレックス・ハリソンや、レスリー・ハワードが監督と主演を務め、ウェンディ・ヒラーと共演した映画版『ピグマリオン』も好きだ。『ピグマリオン』は史上最高の喜劇だと思うし、シェイクスピアやオスカー・ワイルド、アリストパネスのどんな喜劇よりもずっと好きだ。ただアリストパネスの喜劇はときどき、ぼくの敬愛するジョージ・S・カウフマンやモス・ハートを思い出させる。『ボーン・イエスタデイ』にはすっかり夢中になったけど、その主な理由はジュディ・ホリデイとブロデリック・クロフォードが出ているからだ。一方で、『独裁者』や『殺人狂時代』は全然面白くなかった。ぼくはチャップリンが蹴ったゴム風船の地球が上がったり下がったりするのをみても、このシーンが喜劇の天才を証明する一例とはまったく思えないんだ。」

P71「当時、ぼくの文体は概して滑稽な感じで、ユーモア作家のマックス・シュルマンの影響をもろに受けていたが、もちろんシュルマンのような作家におよぶわけもない。」

P72「ぼくにとってボブ・ホープがどんな存在かはいくら語っても大げさにはならない。幼い頃から大好きで、今でも彼の映画を飽きずにみている。」

P152「ただ、一市民として政治に関心があるのは確かだ。ジョン・F・ケネディと争って民主党予備選挙に立候補したアドレー・スティーヴンソンのために街角に立ってビラ配りをしたこともあったし、ジョージ・マクガヴァンやユージーン・マッカーシーのために選挙運動やショーを行ったこともある。ぼくがだれのために運動しているのかを確かめて、その対抗馬に賭けるといい。」

P340「こんなことをきかれることがある。「朝起きて、自分が面白くなくなっていたらどうしようと不安になることはありませんか」 答えはノー。面白さっていうのは、シャツみたいに身につけるものじゃないんだ。シャツだったら、目覚めてすぐにはみあたらないことだってあるだろう。でも面白さは、単に本人が面白いやつか否かというだけで、面白いやつは、面白い。物やいっときの熱狂と違って、失うことはない。もし目が覚めて、面白くなくなっていたら、それはぼくじゃない。だからといって、朝起きて、気分が悪いとか、世界が憎いとか、人類の愚かさが腹立たしいとか、虚ろな宇宙が気に入らないなどと思うことがないわけじゃない。というか、じつは毎朝、ぼくはそう感じているんだ。でも、だからといってユーモアがかき消されるわけではなく、そこからぼくのユーモアが生まれてくるんだ。」

P349「この回顧録では覚書として、ぼくにとってのお気に入りの名前をざっとあげておきたい。グルーチョ・マルクス、W・C・フィールズ、エレイン・メイは間違いなく面白いし、S・J・ペレルマンは同時代の地球でもっとも面白い人類だと思う。ああ、あと忘れちゃならないのが『ポゴ』。ウォルト・ケリーが描いたこのコミック・ストリップは天才のなせる業だ。」

 サイゼリヤを出て、ジョイナステラスのQBハウスで散髪してから帰る。ここの受付が20時までだったために、サイゼリヤでは時間を気にしていなければならなかった。今回もまた、4ヶ月ぶりの散髪。いつも値段を忘れてしまうのだが、1000円カットだと思っていたら、今や1350円もとられる。同じおじさんに切ってもらうことが続いていたが、今日はもうひとりのおばさんの理容師に切ってもらった。

◇ テレビ

 夜に帰宅し、夜もまた、録画していたテレビ番組をいくつか。「まつも to なかい」は、今日の放送からついに松本が消えた。中居正広ひとりになった初めての放送。中居が冒頭に5分ぐらいのひとりしゃべりをしたのが見事だった。ゲストは秋元康と二宮和也。さすが、秋元康も冒頭の中居のひとりしゃべりに注目する。中居と秋元康の関係は、そういえば「うたばん」があったか。トークはおもにアイドル論となった。次週からはさすがに代役をたてるのか。中居は、松本の穴は中居が埋めるから、中居の穴を埋めるようにオファーをしてくれと言っていた。番組を最後まで観ると、この収録後に決まったことなのか、来週からは「だれか to なかい」にリニューアルされるとの予告があった。

 観そびれていた「ガキの使い」を3週分。先週、先々週は、ひさしぶりの「ハイテンション ザ・紅白対抗戦」。前編には、ココリコ田中、ヨネダ2000、鈴木もぐら、高木ひとみ〇、アタック西本、牧野ステテコ、有村昆、キンタローが登場。ちゃんと男女に分かれた「紅白」になっている。高木ひとみ〇とキンタローが異常な可笑しさ。後編はオダウエダ植田から始まり、ザ・マミィ酒井、金田朋子、和田まんじゅう、あぁ~しらき、ココリコ遠藤が登場、紅組のトリは島田珠代、白組のトリは月亭方正が務めた。そして、今日の放送を観ると、予告では恒例の「山-1グランプリ」だったのだが、予定が変更になり、「ほんこんの顔面テイスティング」という企画が放送された。どういう事情で差し替えになったんだろうか。ここにはまだ松本がいる。

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12月24日日曜日/「M-1グランプリ2023」

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