◇ ラジオ・テレビ
朝、ラジオを聴きながらブログの更新をしようとするが、だいぶ間が空いてしまうと調子がつかめない。「ナイツのちゃきちゃき大放送」をつけると、今日は塙さんがお休みで、代打を蛍原徹が務めていた。毒蝮さんの「ミュージックプレゼント」は「ちゃきちゃき大放送」では今日が最後になるのか。ウィキペディアを見ると「えんがわ」に移るようで、玉さん、外山さんのコンビが、マムシさんとの相性はやっぱりベストだ。「常連さん」のコーナーには松尾貴史が登場。蛍原と松尾貴史の共演は、松尾貴史の記憶によると約20年ぶりになるようだ。大阪万博の話題で、松尾「ああ、ごめんなさい、吉本のひとには言いにくいですよね。(笑)」 蛍原「いやあ、それはまあ、なんでも言ってください。(笑)」
録画していたテレビ番組をいくつか。昨夜の「ミュージックステーション」の3時間特番を、早送りしながらざっと観る。ランキング企画は「国民的憧れダンスソング」。神奈川県の高校のダンス部を、新しい学校のリーダーズがサプライズで訪問し、スタジオで「オトナブルー」をコラボした。高校生たちが一生懸命にやっていて、そのいなたいすがたに感動してしまう。そのあと、トークの時間では、出演者それぞれのやってみたいことを訊くコーナーがあり、BE:FIRST が「オトナブルー」を一緒に踊りたいと言い始め、出演者みんなで首振りダンスをやってみる。タモリはどうかなと思ったけど、タモリも首振りダンスをやってくれた。タモリ「さっき観てて、少し自分でもこころのなかでやってたんだ。」
◇ 読書
夕方から外出し、まず、吉野家に寄り、親子丼を食べた。547円。読書をするため、ライフのマクドナルドに入り、今度はアイスコーヒーと月見パイを食べる。川勝正幸「ポップの現場から」を読み終えた。2013年刊、東京ニュース通信社。「テレビブロス」の連載、25年分からセレクトされたコラム集。刊行年からちょうど10年が経つが、亡くなってから1年後に出されたこの本を今まで読んでいなかったのだ。できることならば、コンプリート版を出してもらいたいとは思っていた。川勝正幸のこのコラムをいったいいつから読んでいたのかと思い出してみると、「テレビブロス」を初めて買ったのは石野卓球のインタビューを読みたかったからで、どの号かもはっきりと特定できるのだが、その号が1993年、それから毎号買うようになり、川勝正幸のコラムもリアルタイムで読み続けていた。だから、多くのコラムは再会するように読んだが、植草甚一のベスト本や、クレイジーケンバンドが初めて紹介された回なんかはよく覚えている。いや、この連載コラムからどれだけ多くのことを教わってきたことか。今、10年以上が経ち、その不在の大きさを痛感させられる。ナンシー関以降には多くのエピゴーネンが現れたが、川勝正幸にはエピゴーネンすらいないではないか。以下、いくつか引用を。
P27(スチャダラパーとAKIについて)「両方に共通しているのは、①大人から軽蔑されてる日本の高度経済成長以降のジャンク文化の中から獲得した独自の批評精神②怒りを笑いで包むことで伝達力を強靭にする技③爆笑問題の太田君的な世間をナメた目、を持っていること。彼らとひと回り上の世代としてはちょっとズレると、いつ後ろから頭をガツンとやられかねない鋭さが怖うれしい限りなんである。」(1990年)
P37「ナンシーのテレビ/人物論デビュー以降、ブラウン管の隅をつつく文章は増えたが、その手の人々とナンシーとの差は大きい。彼女には、ブラウン管の隅をつつく以前に人を見る目があり、それと同時にそういうことに気づいてしまう自分を「何言ってんだか。私は」とテレるはにかみがあるのだ。」(1991年)
P73「映画、音楽、小説、芸術……についてその魅力を文章で表現することは、はなから負け戦を覚悟しなければならない。せめて引き分けに持ち込むためには、①文章そのものが面白い②作者も唸る楽しみ方が提示されている③身体に正直なことしか書かれていない、の三つが必要である。そのことを僕は'70年代に植草さんのエッセイで学び、いまだになかなか出来ないでいる。」
P165(辛島いづみのインタビュー)「あるとき先生に、「川勝君は運動はできないけど、勉強はよくできるし、先生の言うことも聞くし、真面目だね」ってものすごく褒められたそうなんです。でも川勝さんはそれを褒められたとは取らずに、傷ついたらしくて。」「「冗談じゃない」と思ったんでしょうね。で、高校に入った途端、授業を聞かずに本ばかり読むようになった。お母さんが、「あの子の唯一の反抗は、本を読むことだった」って(笑)。真面目とは言われたくない。でも、不良にはなれない。じゃあ、「非暴力、不服従」みたいな。ガンジーかよっていう(笑)。そういった部分で、「不良への憧れ」がすごく強かったんだと思います。」
◇ テレビ・ラジオ夜に帰宅し、夜にもまた、録画していたテレビ番組をあれこれと。昨年末に放送された「笑いの正体」の3回目を観そびれていた。この回は中居正広が体調不良で不在、劇団ひとりが進行役を務めていた。そのほか、スタジオには、千原ジュニア、アンガールズ田中、高橋ひかるが出演。3回目のテーマは「ツッコミ」。VTR中、インタビューを受けているのは、博多大吉、小峠英二、三村マサカズ、後藤輝基、近藤春菜、銀シャリ橋本、オズワルド伊藤といった面々。大吉からはダウンタウン浜田の衝撃が、それから、ツッコミが弱いと言われていた大吉は、おぎやはぎの漫才を観たことが転機になったと語る。ダウンタウン、おぎやはぎの影響力は、多くの漫才師の共通体験としてあるだろう。面白いのは、三村マサカズが、試行錯誤ののちに、いかりや長介を意識するようになっていったと語っていたところだ。最後に、「ツッコミの正体」とは、と訊かれた三村の答え。「ほんとはね、「間」と「声のトーン」、の2個で押していこうとしたんですけど、笑うお客さんがいて、笑いじゃないですか。だから、笑うひとの「機嫌」て大事だなって、それも思い始めちゃった。「機嫌」て、意外と大事なんですよね、うん。自分が機嫌悪くても笑いとれないし、お客さんが機嫌悪くても笑いなんて生まれないわけで。ひとり機嫌悪いひといると、空気ってものすごい悪くなるじゃないですか。機嫌って大事だなって。だからもう、ずっと機嫌よくやっていたい。」
続けて、月曜に放送されたばかりの第4回も観た。第4回のテーマは「モノマネ進化論」。中居正広が司会のほか、スタジオには、劇団ひとり、アンガールズ田中、ヒコロヒーが出演。インタビューを受けているのは、コロッケ、松村邦洋、原口あきまさ、JP、キンタロー、博多華丸、ロバート秋山、せいや。番組終盤に「モノマネの可能性を広げる芸人たち」として、華丸、秋山、せいやを登場させたのだが、これはどうだろうか。ものまね史において「細かすぎて伝わらないモノマネ」はたしかに重要だが、その重要性についてはキンタローが語っていた。せいやは YouTube でものまねをやっているそうだが、しかし、せいやにはものまねの発明はあるだろうか。秋山がやっていることには発明がある。興味深いエピソードがいくつか。コロッケには上京前に、所ジョージ、タモリ、赤塚不二夫にものまねを観てもらった体験があり、所に「似てるけど、面白くないよね」と言われ、その言葉をきっかけに、やりそうでやらないものまねを始めた。松村邦洋は「カプリコーン」というショーパブで働いていたときに、栗田貫一がやってきて、「自分の声があってものまねやんなきゃだめだ」とアドバイスされたという。原口あきまさの「ニセモノはニセモノらしく」という言葉も、シンプルだが至言だ。
聴きそびれていた先週の「田村淳のNewsCLUB」をタイムフリーで聴いた。この日は、文化放送メディアプラスホールから公開生放送。ニュース解説は古谷経衡、そのあとのゲストのコーナーには大竹まことが登場した。入れ違いに出演した古谷経衡を指し、「古谷って、だめだよねえあいつ。」と大竹。なんのことかというと、古谷が「ゴールデンラジオ!」で「君たちはどう生きるか」を観なくていいと言ったことについてなのだが、しかし、大竹自身の感想は訊かれても濁していた。大竹のリクエスト曲が2曲、ひとつは、ジョーン・バエズ「雨を汚したのは誰」という曲で、核実験に抗議しているプロテストソングなんだな。もう1曲は、映画「ひまわり」のテーマ曲だった。それにしても、「ゴールデンラジオ!」が17年で長いと思ったら、田村淳のこの番組も15年もやってるんだ。この番組は、裏番組だったTBSの久米宏の番組が終了してからよく聴くようになったのだった。