◇ パソコン
昨夜からパソコンが充電されず、原因がわからない。電源タップを交換し、ひとつのコンセントから電力をとっているから、電力が弱くなっているのではと思い、時間が経てば、充電器に電気が溜まるのかしらと考えていたが、朝を待っても状態は変わらない。今まで使っていた電源タップが熱で溶けていたことがわかり、怖いから、パソコンをつながないときはタップのスイッチを切っていたのもなにか関係しているだろうか。なんにしても、今日は台風だから外出しないつもりでいたのに、このまま一日、パソコンが使えないのは困る。家での作業はすべて止まってしまうし、ブログも更新できない。壊れるにしても、間が悪すぎる。なんとかならないかとスマホで検索し、調べてみるものの、ヨドバシカメラの相談窓口を利用するのがいちばん手っ取り早いとは思うのだが、台風の日にヨドバシカメラまで行くのはいやだ。明日になんとかするというのがいちばん楽なのだが、今日一日、パソコンは使わずに済ませられるだろうか。パソコンに悩まされながら、「ナイツのちゃきちゃき大放送」を聴いた。ラジオを聴きながら、30分ぐらい眠る。
◇ テレビ
今日はどうしようもないから、録画していたテレビ番組を観ていくしかない。昨夜の「タモリ倶楽部」には大塚愛が出演し、「世界のたこ焼きパーティー」という企画。今朝の「週刊フジテレビ批評」は、恒例の「夏ドラマ辛口放談」に、XXCLUB の大島育宙が初参加していた。(ドラマ考察の YouTube をやっている。) 大島のほかは、吉田潮、木村隆志、梅田恵子というメンバー。常連だったこじらせハスキーの橋爪ヨウコはいなくなってしまった。「ワルイコあつまれ」も観ると、「慎吾ママの部屋」のコーナーでは、宮澤エマが紫式部を演じていた。演技をする印象があまりないなと思ったが、そういえば、「鎌倉殿の13人」にも出ていたんだった。途中で観るのをやめたから忘れてしまっていた。ウィキペディアを見ると、香取慎吾とは、やはり、三谷幸喜の「誰かが、見ている」で共演しているのだが、これも1話だけしか観てないから忘れていた。
水曜木曜の深夜に一挙再放送されていた「まんが道」を1話から順に観ていく。この2日間で全15話が放送される予定だったが、地震のニュースがあったために、9話までしか放送されなかった。続きの放送はいつになるのだろうか。このドラマはリアルタイムでも観ているのだが、ウィキペディアにあたってみると、1986年11月から「銀河テレビ小説」の枠で放送されている。ということは、小学5年生のときに観ていたのか。そのときに、原作は読んでいたのかどうか。中央公論社のぶ厚い愛蔵版が手元にあるのだが、何十年ぶりに取り出してみると、1986年10月初版になっているからドラマに合わせて発売されたのだろうか。しかし、手元にあるのは、1987年7月6版だから、明確にドラマの放送よりもあとに入手したものだとわかる。じゃあ、ドラマの翌年に読んだのかというと、よくよく記憶をたどってみると、初めて読んだときはどうも友だちに借りたような気もして、こうなるともう正確なことはわかりようがないのだが、原作との違いを感じながらドラマを観ていたような気もなんとなくしている。
改めて観ると、子どものころには気がつかなかったキャストにも目が向く。喜劇人好きとしては、玉川良一が銭湯で浪曲を唸る場面だとか、桜井センリと犬塚弘が共演している場面などには心躍らされてしまうではないか。犬塚弘は「あばれはっちゃく」の教頭先生で知っていたが、桜井センリは当時は知らなかったんじゃないだろうか。編集者を演じるケーシー高峰は認識していたような気がする。そして、なんといっても、このドラマはイッセー尾形がすごくいい。満賀道雄の新聞社の上司にあたる人物を演じているのだが、原作でもこの変木さんというひとがもっとも印象に残っているし、満賀道雄が変木さんからさまざまな心得を教わるのと同じように、「まんが道」を読みながら、小学生だった自分も変木さんの影響を受けていたのだとすら思える。イッセー尾形は「意地悪ばあさん」のお巡りさんでもあったから、すでに親近感をもって観ていたのではとも思うが、いや、改めて観ると、一挙手一投足がすべて面白い。イッセー尾形の芝居に強く惹きつけられる。イッセー尾形だけでなく、この新聞社のひとたちのキャストは絶妙で、この新聞社のひとたちはこんなにいいひとたちだったんだというのは、小学生のころにはどこまで理解できていただろうか。子どものころには、当然、漫画家を目指す若者たちのストーリーに夢中になっていたはずだが、四十代のおとなの目で観ると、新聞社のだめな新人社員の物語に、わが身をふり返るようなところもあって、心打たれてしまう。木原光知子と小倉一郎の優しさに感動する。
◇ 読書
「まんが道」は観始めたら止まらなくなり、結局、9話まで、録画したぶんはすべて観てしまった。23時からは「HONMOKU RED HOT STREET」をオンタイムで聴いた。
「まんが道」もさすがにぶっとおしで観ていたわけではなく、休みながら、その合間には読書もしていた。北杜夫「私はなぜにしてカンヅメに大失敗したか」を昼に読み始め、深夜に読み終えた。2012年刊、実業之日本社文庫。親本は1991年刊。それに、1992年発表、未収録の1篇が加えられた短篇集だ。北杜夫はどうも今まで縁がなく、1冊も読んだことがなかったのだが、初めて読むのがこの本でよかったのだろうか。しかし、今さらながら、すごくシンパシーを感じる部分があった。解説は坪内祐三。「私小説であるよりもこれは余談小説」「この種の余談小説を、読者を飽きさせずに描ける(語って行ける)作家は少ない。」 あるいは、作中にある「こんな妖しげなエッセイだか私小説」という言葉を引き、「そのような「妖しげなエッセイだか私小説」だかを書くことの出来る(た)最後の一人が北杜夫だ。」と評価する。坪内は、マーク・トウェイン以来のアメリカ文学の影響も指摘し、ほら話の系譜として、ともに純文学作家にしてユーモア作家であり、青山にゆかりがあるという共通点ももつ、小林信彦の名も挙げている。