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2021年7月4日日曜日

7月4日日曜日/芸能人を見た


◇ 貧乏暇なし

 朝から都内に。雨降り。7月だというのに、肌寒くてたまらない。浜松町から、ゆりかもめの竹芝駅のほうまで歩くが、竹芝なんて、過去に訪れたことはあっただろうか。昼食は内幸町になり、松のやで、味噌ロースかつ丼を食べた。590円。神谷町から日比谷線に乗り、中目黒から東横線で渋谷に出る。今まで気がついてなかったが、東横線を使って渋谷に出ても、地下鉄だけの料金と変わらない。改札が一緒なのだから、そりゃそうだ。まんだらけに寄り、階段の均一本だけ見ていくが、以前に寄ったときとあまり変わりばえがせず、なにも買わなかった。BAEMのなかを通って、反対側の扉から外に出ると、なんと、村上ショージに遭遇した。いや、無限大ホールのすぐ外だから、吉本芸人がいても不思議ではないのだけど、実際に目撃したのは初めてだ。しかも、ここでベテランに遭遇するのは珍しいんじゃないか。村上ショージは、ファン(かどうかは知らないが)との写真撮影に気さくに応じていた。

 道玄坂を横切り、古書サンエーにも行ってみるが、シャッターが閉まっていた。緊急事態宣言は終わったのに、貼り紙もなく、状況がわからない。雨降りでは、これ以上、歩きまわるのはわずらわしく、渋谷を離れ、東横線の各停で、のんびりと横浜まで戻ってきた。ビブレのブックオフにも寄る。ここもつい先日に寄ったばかりだが、店員が文庫本の棚の補充を始めたのを見て、ねばって3冊買っていく。横浜駅周辺はいよいよ人出が多くなってきた感じがする。どこか店に入るのも落ち着かない気がして、疲れてしまい、横浜駅を離れた。

 夕方には帰宅して、録画していた今朝の「サンデージャポン」を観た。テリー伊藤は今週から隔週の出演になるようだ。ラジオを聴きながら眠ってしまい、深夜1時過ぎに目覚めた。何時間眠っていたのだろうか。夜は寒くなり、部屋でパーカーを着る。

◇ 読書

 深夜、嵐山光三郎「桃仙人 小説深沢七郎」を読み終えた。2013年刊、中公文庫。いつの間にか手元にあった本で、山崎ナオコーラさんの本(「文豪お墓まいり記」)で引用されていて、この機に読みたくなった。深沢七郎について書かれた小説だが、あとがきまで読むと、この小説は深沢七郎が亡くなったときに書いたもので、とり乱していて冷静に書けなかったという。その乱れを知らないままに読んでしまったが、親しくしていたひとでもあっさりと斬り捨ててしまうひとだったという深沢七郎の性質が、この小説ではくり返し書かれていて、最後には嵐山光三郎も斬り捨てられる。巻末には赤瀬川原平との対談もあり、篠原勝之らも含め、このあたりの人間関係も知らないものだった。深沢七郎は、嵐山光三郎が出演していた「いいとも増刊号」を毎週観ていたという。「楢山節考」という小説は少し前にようやく読んだが、あまりぴんとこないまま読んでしまい、深沢七郎への理解が足りなかったかもしれない。赤瀬川原平との対談では、三島由紀夫が「変なユーモアの中にどすぐろいグロテスクなものがある。いやな小説だね。好感がもてない」といったという「楢山節考」評が語られていた。

2021年2月10日水曜日

2月10日水曜日/アマゾンレビュー

◇ レビュー

 ツイッターで「ブックオフ大学」を検索していたら、アマゾンのリンクを貼っているものがあり、そういえばと思い、アマゾンレビューを初めて確認してみたら、投稿がいくつかある。よく知らなかったのだが、星をつける場合は必ずレビューを書くというわけではなく、レビューが書かれているものは3件あった。星の少ないレビューはないのだが、そのうちのひとつを読んだら、なんと、自分の文章が名指しで酷評されているではないですか。ギャグで書いてあることをまるで理解していないクソマジメな意見に、なんだこりゃと最初は笑ってしまったが、よくよく考えたら迷惑な話で、だんだんむかむかしてきた。やり場がない怒りが湧き起こり、新年からまったくツイートをしていなかったが、ついつい、スクショに撮り、フリートで投稿した。

 以下にその部分を引用する。

この新書の弱点は、9人の執筆者の文章にばらつきがあることです。
 上述の「Z」氏の直後に続く佐藤晋氏の「私の新古書店」は、ブックオフに対する複雑な思いを当人の推測と妄想にみちた癖の強い文章で綴っていますが、いくつかツッコミどころがあります。
 ブックオフは入店すると複数の店員が「いらっしゃいませこんにちは」と判で押したように連呼するのが特徴ですが、これに対して「それなりの複雑な歴史があるのかもしれない」ともやもやした気持ちを吐露しています。しかしこの連呼は、万引き防止の声掛けとして知られているものではないでしょうか。私たち店員は常にあなたをそばで見ていますよ、と万引き犯をけん制する合図として始まったと聞いていますが。
 また店員は商品を五十音順に並べるだけだから、「最初の一音さえ判読できればなにも問題ない」と佐藤は言い切っています。ですが、それは事実ではないでしょう。佐藤正午と佐藤優と佐藤健一を作家の名前順で並べるときには、下の名前の最初の漢字まで正確に把握しなければならないはず。
 さらには、先の「Z」氏が「ビームせどらー」の詳細な歴史を紹介したあとなのに、「れーざーが出る」機械を手にした金儲けを目的とした人たちが店内にいる話をざっくりと紹介しています。この新書一冊を編纂するうえでリーダーシップを発揮するひとりの人がいなかったことが透けて見えました。

 ギャグで書いていることを「事実ではない」と言われても苦笑するしかないのだが、せっかくだから反論してやると、このレビュアーが書いていることも事実ではない。佐藤正午と佐藤優と佐藤健一を、正確に五十音順に並べているブックオフがいったいどこにあるというんだ。しかし、自分の書いたものはギャグであり、そのようなつもりで書いたわけではない。

 「ギャグ」という言葉もなかなか通じない言葉で、この際、使いたくない言葉ではあるが、「ボケ」だということにしてもいいだろう。たとえば、文章のなかでずっと「ボケ」ているのだと説明すればわかってもらえるのだろうか。これが「ツッコミ」型の文章だったらこのような文句はおそらく出ないのである。(砂鉄さんのはそうでしょう?) お笑い芸人がボケ役を演じると本当に馬鹿なひとなのだと思われてしまう時代がかつてはあったが、文章でボケると、ただ間違えていると思う読者がやっぱり一定数いるのだ。現代は文字情報が肥大している。そのような読者を先まわりして封じ込めるような書きかたをするというのもひとつの手だが、自分が文章を書くとしたら、そういうガードの堅い文章は嫌いだから、やりたくはなかった。だいいち、そんなことをしたらギャグが死ぬことになる。

 もちろん、なんの問題もなくギャグとして笑ってくれている読者が多数いることもエゴサーチにより発見している。このレビュアー氏は「いくつかツッコミどころがあります」と宣言しているとおり、本人は気の利いたツッコミをやっているつもりなのだが、自分だけが見破った気になれてしまうというところがまったくのひどい勘違いである。こういう人間は、手品を観ればトリックがわかったと得意げになり、落語を聴けばオチがわかったと声に出す、そういったタイプの人間である。

◇ 二俣川

 夕方、ヤマトの営業所まで。二俣川のくまざわ書店に寄り、雑誌の立ち読みをした。「キネマ旬報」の年間ベストテンをざっと目を通す。ドン・キホーテのサイゼリヤで、ドリンクバーとシナモンプチフォッカを注文し、2時間ほど読書をした。それから、ジョイナステラスのQBハウスで散髪を。夜になってから帰ってくる。

◇ 配信

 YouTube で「電波少年W」を初めて観た。期間限定の配信とは知らず、最初の2回は観逃してしまった。この回のゲストはテリー伊藤。過去の映像がかなり流れているようで、この部分はWOWOWの放送でないと観ることができない。土屋敏男ってひとは普段はこんなしゃべりかたをするんだということも知らなかった。

 アマゾンプライムで映画を1本。サイモン・ペッグ主演の「マン・アップ! 60億分の1のサイテーな恋のはじまり」を観た。イギリスのコメディというと、モンティ・パイソンのイメージがあまりにも強いが、この映画はアメリカのコメディの印象と変わらない。引き続き、近年の海外のコメディをいろいろと観ていきたいと思っている。

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1月20日木曜日/「G-1グランプリ」

◇ 赤坂  早朝に目覚め、Netflix で「全裸監督」の続きを観てから眠りなおすが、からだが痛くて、なかなか起きあがれない。ツイッターからニュースを見ると、オードリー春日、ナイツ塙もコロナ感染と。録画していた昨夜の「水曜日のダウンタウン」を観て、それから、出かけるまで、「伊集...