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2025年3月28日金曜日

3月28日金/アメリカのふしぎな論理

◇ テレビ・ラジオ

 今朝は雨降り、強風のため、ゴミを出す準備はしてあったのだが出すのはやめる。朝、目覚めるとやはりのどが痛い。まずいな。今日は老健の面会に行くつもりだったが、どうも疲れがたまっている。面会は明日に変更する。

 テレビ番組をいくつか。昨夜の「アメトーーク!」は「スタッフの接し方分からない芸人」。ウエストランド井口、ヒコロヒー、銀シャリ橋本、ダイアン津田、フジモン、さや香新山、宮下草薙草薙、囲碁将棋根建が出演、MC側には田村淳が座る。井口やヒコロヒーは売れない時代にスタッフに見下されていた記憶が強くあるようだ。大阪芸人はスタッフと仲良くしても面白くなければ意味がないと考える。フジモンは若いスタッフとの付き合いかたに悩んでいる。

 先週土曜に放送された「みのもんたさん、ありがとう! 元祖!スポーツ珍プレー好プレー大賞」という特番を録画しておいた。みのもんた追悼の4時間超生放送、司会はアンタッチャブル、三宅正治アナ、佐久間みなみアナ。審査員がなぜかいて、徳光和夫、芳根京子、井森美幸、磯山さやか、そのほかにアスリートたちも、ラモス瑠偉、清水宏保、谷亮子、上原浩治、吉田沙保里、田中史朗、内村航平、達川光男が並んでいる。てっきり、みのもんたがナレーションをやった「珍プレー好プレー」だけで4時間の特番なのかと思ったら、そういうわけではなかった。プロ野球以外のスポーツの珍プレー好プレーもある。アンタッチャブルが「珍プレー好プレー」のナレーションを入れていたこともぜんぜん知らなかったが、基本的にはみのもんたのスタイルを踏襲している。しかし、これはかったるい番組だ。みのもんた追悼だけだったら保存したかったが、これはざっと観ただけで消去する。

 昼はラジオ。「ビバリー昼ズ」をつけておく。「芸能IQクイズ」で、鶴太郎がゲストの「人生最高レストラン」からの問題につけ加え、鶴太郎が「マッチでーす!」というのを今の若いひとはマッチ棒だと思ってるという「水曜日のダウンタウン」の「みんなの説」を高田先生がしゃべっていた。なんの番組で観たかは忘れてしゃべってるんだろうが、高田先生は「水曜日のダウンタウン」も昨夜の「アメトーーク!」もどうやら観ている。

◇ 読書

 夕方から外出。とても暖かい。まず、昼食。吉野家に入り、牛プルコギ丼を食べた。50円引きクーポンがあったので、これを使いたかった。駅前の郵便局に寄り、振り込みをしなければならなかった。それから、ドトールに入り、読書をしていく。

 森本あんり「宗教国家アメリカのふしぎな論理」を読み終えた。2017年刊、NHK出版新書。「企業トップが学ぶリベラルアーツ」というシリーズの1冊のようで、中谷巌が主宰する「不識塾」の講義が書籍化されたもの。講義が行われたのは2016年5月、最初のトランプ政権誕生前、候補者となって、トランプ旋風が吹き荒れる最中だったようだ。この本はトランプ政権誕生後に出されている。「ファスト教養」という本を先月に読んだばかりで、ビジネスパーソンのためのリベラルアーツを謳った本を読むのもどうなんだとは思うが、今のトランプ政権が誕生した背景を知るにはとてもいい本だった。以下、引用をたくさん。

P17-18「本書では冒頭で述べたとおり、以上のような矛盾に満ちた現代アメリカを、とりわけ独自の宗教性に着目することで読み解くことを目的としています。というのも、アメリカ独特の思考や論理が形成されるうえで、「アメリカに土着化したキリスト教」という要素が決定的な役割を果たしているからです。(略)みなさんのなかに、「アメリカはキリスト教の本場だ」と思っている人があれば、その考えは今日からきっぱり捨てていただかねばなりません。キリスト教は、アメリカにとっても外来の宗教です。アメリカだけでなく、キリスト教はヨーロッパにとっても、いや、どこの国のどの文化にとっても、異質な外来宗教です。その外来の宗教が、土着化の程度に応じて変異するのです。」

P20「ポピュリズムの隆盛とは神学的に言うと、「正統」と「異端」の関係に変化が生じているということです。」

P26-27「(略)物事は多面的ですから、どんなことでも肯定的な面を見ようと思えば見ることができると言えます。ピール牧師は、今日まで続く自己啓発的なセラピーの元祖でもあります。つまり、同じ事実でも見方によって変わる。これぞ、「ポスト真実」の世界ではないでしょうか。半世紀以上も昔の彼の本に、今日しばしば話題になるこの論理が展開されているのです。それを多くの人が実行に移す。その意味で、ポジティブ思考というのは、「何かを記述する方法」ではなく「何かを行う方法」なのです。だから、それが正しいかどうかを第三者に認定してもらう必要がない。ここには、アメリカが生んだ哲学、すなわちプラグマティズムの伝統がよく表れています。プラグマティズムでは、ある命題が真理であるかどうかは、迂遠な議論によってではなく、「そう考えることでうまく機能するかどうか」で決まります。」

P30「ここで重要なのは、トランプの奇妙な信心深さは、アメリカ的なキリスト教の文脈ではけっして特殊な例ではないということです。そこに伏在しているのは、むしろ一七世紀のピューリタン――イギリス国教会を批判し、信仰の自由を求めて新天地に渡ってきたプロテスタント――以来、アメリカのキリスト教史に一貫して流れる神学的な論理です。」

P31-33「もともと聖書には、神と人間との関係を「契約」の概念で理解する要素が含まれています。(略)その中心的なモチーフはあくまでも「片務契約」、すなわち神は人間の不服従にもかかわらず一方的に恵みを与えてくれる存在である、という点です。(略)ところが、ピューリタニズムがアメリカに移植され、「土着化」するにつれ、次第にその強調点が転移して「双務契約」化します。(略)神は、正しい者には祝福を与え、悪い者には罰を与えます。因果応報、信賞必罰の論理です。そうするとどうなるか。ひとたび人間が義務を果たしたら、今度は神が義務を果たす番になる。つまり、正しい者は神に祝福を強要する権利をもつ、ということになるのです。(略)しかし、やがてこの論理は逆回転を始めます。「正しい者ならば、神の祝福を受ける」が逆になり、「神の祝福を受けているならば、正しい者だ」となるのです。」

P35「その固有の発展の結果、作られた福音が「富と成功」です。」

P41「じつは「申命記」のように単純な道徳論は、聖書のなかではやや例外的です。聖書に限らず、およそ宗教というものは、単純な道徳論を超えて、「善人なおもて往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」という逆説があるから宗教なのです。ところが、アメリカの歴史は、そのごく例外的なところから始まってしまいました。」

P44「みなさんはかつて世界史の授業で、「明白な天命」(マニフェスト・デスティニー)という言葉に出会ったことがあるかもしれません。この言葉を最初に使ったのが、ジャーナリストのジョン・オサリヴァンでした。彼は、一八四五年にテキサス併合を「明白な天命」として正当化します。すなわち、アメリカの大陸横断的な拡大は、神から与えられた使命だというのです。」

P47「ただし、「富と成功」の論理は明らかに「勝ち組」の論理です。自分の「勝ち」を説明するには役立ちますが、「負け」を説明することは難しい。」

P50-51「ふりかえってみると、アメリカは「負ける」という経験をしたことがありません。(略)だから、いざ二一世紀に入ってアメリカ国家が相対的に沈降を始めると、彼らはどうして自分たちが負けているのかを理解できないのです。理解というより、納得ができない。負けるということを神学的に説明する論理が欠落しているからです。」

P52「その意味で、アメリカのキリスト教は逆説の福音がない。双務契約であれ、幸福の神議論であれ、すべて順接の論理なのです。」

P56「シンギュラリティやポスト・ヒューマンという発想は、アメリカの「勝ち組」の論理ときわめて親和性が高いように思います。「有限である」という負けを認められない。身体や死を超えて、無限の命を手に入れることが、「明白な天命」だと考えているのです。」

P56-57「ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』によれば、成功によって得た富は、遊興や放蕩に費やされることなく、禁欲的に生産活動へと再投資され、ますます資本が増大して富が蓄積されていくことになる。この無限軌道の論理こそが「資本主義の精神」の要です。でも、そこには目的という概念がありません。(略)絶えざる前進がすなわち神の栄光を表す、という信仰があるうちはいいですが、その信仰が消失したら、富の追求は理由もなくただ稼働し続けるだけの巨大なマシンと化すでしょう。」

P58-59「(略)アメリカのリバイバリズム(信仰復興運動)の主たる担い手は、各地をまわって伝道する巡回説教師たちでした。彼らの出自は人それぞれ。共通しているのは、彼らがどこかの大学を卒業したわけでもなく、どこかの教会で任命されたわけでもない、ということです。そういう学歴や資格をまったくもたず、自分の信仰的確信だけを頼りに、ある日どこからともなく町にやってきては、人びとを集めて、怪しげな説教をするのです。」

P64「日本で「反知性主義」というと、知性そのものを蔑視する態度と捉えられることが多い。しかし、この言葉が最初に登場した時には、もう少し違った意味も含まれておりました。本来の反知性主義は、知性と権力の結びつきが固定化することへの反発を身上としています。」

P68「当時の牧師たちは、みなハーバードやイェール大学出身の知的エリートで、牧師として招聘されると、その町全体の精神的指導者として確固たる地位を築きます。ところが、新手の説教者たちは、大学教育も受けておらず、牧師としての正規の訓練を受けたこともない。つまり、どこの馬の骨ともわからぬ輩が、外から乗り込んできては、広場や河原に人を集め、平穏な暮らしを興奮と熱狂に包んでは、町を大混乱に陥らせるのです。」

P70「インテリ牧師の長々と続く難解な説教に対して、巡回説教師は単純素朴な言葉で、人の心をわしづかみにするような説教を行いました。」

P72「学者パリサイ人のたぐい――これこそ反知性主義の決めゼリフです。どんな宗教でも、その出発点では、インテリの言葉ではなく、素朴で平易な感覚が尊ばれます。反知性主義の究極の出発点は、「学者」と「パリサイ人」、つまり当時の学問と宗教の権威者を共に正面から批判したイエスの言葉なのです。」

P77-78「(略)政教分離を定めたアメリカという国家の本当の目的は、宗教が宗教として栄えることでした。ここがアメリカ史で躓きやすい箇所で、専門家にもよく理解されていないことがある、難しいところです。」

P78-79「政教分離の影響がいちばん具体的に見えるのは、お金です。教会は、国民の税金によってまかなわれるのではなく、自分たちで集めた献金によって運営されねばならなくなった、ということです。(略)教会は、いきおい大衆に迎合する路線を取らざるを得なくなりました。」

P86「アメリカは、出発点において、旧世界を批判して、新しい国家を作るという気概に満ちていた国です。(略)その意味では、アメリカそのものに、旧世界であるヨーロッパに対するセクト型精神がビルトインされているわけです。そしてそれは、宗教的な情熱や確信と密接不可分のものです。」

P100「「富と成功」の福音を支える vox populi, vox dei(人の声は神の声)の論理からすると、トランプはたしかに「成功者」と言われているから、きっと神が祝福しているに違いない、という理屈になるのです。」

P101「トランプは反知性主義の大衆駆動力を最大限に利用しました。繰り返しになりますが、反知性主義は、単なる知性への反発ではなく、知性と権力との固定的な結びつきに対する反発です。その観点から見ると、彼の言動は、反ワシントンで反ウォールストリート、つまり現在の政治や経済の中枢にいるエスタブリッシュメントへのアンチテーゼという点で一貫しています。こうした反知性主義の系譜につらなる大統領は、アメリカの歴史を見るとトランプだけではありません。そもそもアメリカの大統領に選ばれるのは、必ずしも知性にあふれた人物というわけではありません。というよりも、見るからに知性的である、目から鼻へ抜けるようなエリートは、逆にあまり好まれない。どちらかと言えば、マイナス要因なのです。」

P102-103「「反知性主義」という言葉は、この一九五二年の大統領選挙を背景にして生まれたものです。(略)現代を生きる私たちも、トランプの勝利によって、「知識階級と民衆のあいだには、巨大で不健全な断絶がある」ことを実感したばかりです。」

P115-116「さて、アメリカ人の政治的熱狂も、外野から見ると理解に苦しむ特徴の一つです。(略)こういう熱狂の背景は、政治学を学ぶだけでは理解できません。これはすべて、前章で紹介したリバイバル集会そのままの姿です。大衆伝道が用いてきた手法がそっくりそのまま使われている。なぜかと言えば、選挙と伝道は、目的が同じだからです。つまり、どうやって人びとにアピールして心をつかみ、こちらの思うような決断をしてもらうか、ということです。ですから、昔ながらのリバイバル集会には、大衆動員のノウハウがいっぱい詰まっています。」

P124「しかし政権の中枢部分に反知性主義が侵入したいま、権威への反発はアメリカ国内というより、外へ向かいやすい。それが京都議定書やパリ協定といった国際条約への反発というかたちをとって現れるのです。」

P129「(略)アメリカには反知性主義と同時に、パラノイアすなわち偏執病的な傾向がある。自分はつねに誰かから攻撃されているのではないか、知らぬ間に危険が身近に追っているのではないか。そういう妄想思考がアメリカ政治には染みついている、とホフスタッターは指摘しています。これはほとんど陰謀論です。」

P136「反知性主義者とポピュリストはよく似ています。いずれも反エスタブリッシュメント、反権威を軸足にして、大衆の代弁者を自認するからです。しかし、ポピュリズムによって体制が変わった場合、当のポピュリストは反権威を維持することができるのでしょうか。それとも、ポピュリズムそのものが権威やエスタブリッシュメントに変質してしまうのでしょうか。この問題は、「正統」と「異端」の複雑な関係を問うことでもあります。もし「大衆迎合」という意味の悪しきポピュリズムが「異端」ならば、民主主義は異端に乗っ取られてしまった、ということなのかもしれません。しかしもし「正統」が大多数の人びとの意見と同義なのだとすれば、ポピュリズムはむしろ現代民主主義の「正統」だ、ということになります。」

P144「しかし二一世紀を迎えて、民主主義がその内部から崩壊する危険にさらされている現実を私たちは目の当たりにしています。この危険は、民主主義が外部の敵と戦っているうちは顕在化しませんでした。しかしじつは、当初から民主主義に内在していたものです。トドロフによれば、その危険とは「意志力の過信」、すなわち人間の「ヒュブリス」(思い上がり)のことです。」

P146-148「世界中の誰もが、善への能力と意思を用いて理性的な判断や選択ができるのなら、善なる世界を作り出すことができるのかもしれません。これがペラギウスの想定でしょう。しかし、それが人間の驕りや思い上がりでしかないことは、歴史を見れば明らかです。(略)ポピュリズムが蔓延する現在、近代が称揚したペラギウス的な人間観そのものを問い直す必要性があるのかもしれません。」

P149「第1章でお話しした「富と成功」の福音は、先述したペラギウス主義そのままと言っていいでしょう。つまり、過剰なまでの意志力崇拝です。そしてイーグルトンによれば、イギリスと比較して合衆国を特徴づけるのは、「なんでもできる精神」(can-do spirit)です。」

P153「(略)アメリカの自由意志崇拝は、自己責任論とも直結しています。「やろうと思えばなんでもできる」の裏返しは、「できないのはやる気がないからだ」です。(略)こういう人びとにとって、「人生とはみずからが作者となって生み出すストーリー」にほかなりません。イーグルトンによれば、自分の意思だけではどうにもならない運命を背負う「オイディプス王」のような人生の不条理は、平均的アメリカ人にとってはとても想像できません。そんなまだるっこしい文学や芸術は受け入れられないのです。アメリカがここまで意志力を崇拝するのはなぜか。それは、アメリカという国がそもそもの初めから、能動的で計画的な意思の発動によって作られた国だからです。つまり、国家そのものが意思の産物だということです。」

P154-155「(略)アメリカでは「神の前での平等」という宗教的確信のもと、非常に強固な平等主義の倫理が確立しました。(略)この平等主義がエンジンとなって、反エリート、反権威の精神が形成されてきたのがアメリカです。それは大衆の反感・反発も味方につけやすい。」

P157-158「ポピュリズムはむしろ、トドロフが見たように、意志力の過信、人間の思い上がりという面で捉えたほうが見通しはよくなるように思われます。民主主義やそれが前提する人間理解に内在する危険です。ただ、このようにポピュリズムを「悪」と捉える見方自体が、じつは体制側の「上から目線」ではないか、という意見を唱える人もいます。元大阪府知事の橋下徹氏はその一人です。(略)ポピュリズムを悪と捉える見方から、ポピュリズムを擁護する意見まで、このように意見が大きく分かれるのは、ポピュリズムの定義が共有されていないからです。」

P158-159「民主主義が未熟なところでは、民主主義はポピュリズムという手法を用いて前進します。(略)しかし逆に、民主主義が成熟した西洋型社会では、近年に見られるように、むしろ反動的な力をもちやすい。じつは、このような捉えどころのなさにこそ、ポピュリズムの特徴があります。」

P161「常識的な抑制や均衡に対するこうした反発は、しばしば反知性主義と一体になって表現されます。(略)そのためポピュリストは、服装から言葉づかいに至るまで、あくまでも自分が専門家集団の外部に立つアマチュアであることを強調するのです。」

P163「ポピュリズムのもつ熱情は、本質的には宗教的な熱情と同根です。」

P164「政治とは本来、妥協と調整の世界です。一方的な善の体現者もいなければ、一方的な悪の体現者もいません。しかし、ひとたび全国民の「声なき声」を代弁する立場をまとうと、彼らの闘争には「悪に対する善の闘争」という宇宙論的な意義が与えられ、にわかに宗教的な二元論の様相を帯びてくる。だからポピュリストの発言は、妥協を許さない「あれかこれか」の原理主義へと転化しやすいのです。」

P170-171「要するに、政党政治の王道を歩まずとも、インターネットという経路を通って政治の中枢にアクセスすることができるようになった。かつて異端だったらけっして手に入れることのできないものが手に入るようになったのです。「異端であることの代償が小さくなった」と言えるでしょう。人びとは正統である必要を感じず、正統であろうと努力もしません。「みんな違ってみんないい」のであって、むしろ正統であろうとする努力こそ、自分や周囲に抑圧をもたらす根本悪だと言われてしまうのです。」

P176「(略)アメリカはいままで世界全体のことを考えてきたけれど、とうとう国益優先主義になったのか、と考えるなら、それは政治的にはナイーブすぎます。率直に言えば、アメリカが自国を後回しにしてまで他国の利益を優先させたことなど、これまでにただの一度もありません。そして、それはアメリカに限らず、どこの国の指導者も同じです。自国の利益を第一に考えなければ、政治家としてはむしろ背任行為になるでしょう。」

P181「よく知られているのは、丸山眞男という戦後の政治学者の議論です。彼によると、共産主義には正統と異端があるが、全体主義にはありません。共産主義は、かつてソ連と中国がそうだったように、自分こそ真の共産主義だという「正統争い」をしますが、ドイツと日本が自分こそ真の全体主義だといって「正統争い」をしたという話は聞きません。一般に、「正統」というと、折目正しくきちんとしていて厳格なイメージですが、歴史をふりかえると、じつは正統はいい加減で大雑把です。逆に、異端となるのは、知的にもすぐれており、道徳的にも立派な人びとばかりです。」

P185「私が言う正統とは、このような社会全体を支える基礎的な信頼関係のことです。ふだんは気づかないけれど、誰もが前提してそのうえに生活世界を構成しているような信憑性の構造のことです。」

P187「アメリカ的な反知性主義の拠り所は、神の前でのラディカルな平等意識でした。つまり、政治の権力とは別のところで、自分のことを是認してもらえる権威の源泉があったのです。しかし日本では、そういう別の軸をもつ経験がほとんどありませんでした。異端からの挑戦を受けなければ、正統も育ちません。その結果、正統の側も、普遍的な理念や目的を提示できず、系譜や前例や手続きといった官僚的な正統性に依存してことを進めてしまうのです。前著『反知性主義』にも書いたことですが、教育社会学者の竹内洋は著書『大衆の幻像』で、日本にあるのは知性主義でも反知性主義でもない、どちらも中途半端な「半」知性主義だけだと言っています。」

◇ テレビ・ラジオ

 夜に帰宅し、夜もまた、テレビ番組をあれこれと。「NHKニュース7」を観ると、ミャンマーで大地震があったというニュースを伝えていた。SNSからはぜんぜんその情報を目にしていなかった。

 今日の「徹子の部屋」はU字工事がゲスト。2011年以来、2度目の出演。漫才を披露すると、徹子さんになかなか好感触。栃木弁で会話してみてくださいという徹子さんのリクエストにすぐに応えていたのはさすがだった。学生時代に出演した 1996年放送「AHERA」の映像が流され、初めて観る映像ではないが、ウィキペディアには正式な結成が2000年になってるけれども、「浅草お兄さん会」に出ていたのはその前だったはずだ。都会に憧れ、横浜に住みたいと思っている福田は今は杉並区に住んでいる。

 今夜の「A-Studio+」は加藤シゲアキがゲスト。小説を書くようになったのは「A-Studio+」の二宮和也の回を観たのがきっかけだったという。

 先週と今夜の「スイッチインタビュー」を2週分、中川家礼二とピアニストの本田聖嗣の顔合わせ。番組は東京さくらトラムの車内で待ち合わせるところから始まる。本田聖嗣が礼二を指名したようで、初対面のふたり、同世代、電車好き同士の対談となる。本田聖嗣のマネージャーとして登場したのは南田裕介、本田聖嗣はホリプロ所属なのだ。礼二の妻がピアノ講師だというのもここで初めて知った。

 先週土曜の「NHKスペシャル」は「3世代が選ぶあの番組」という放送100年企画のひとつ、加藤浩次、鈴木奈穂子アナが司会を務め、今田美桜、糸井重里、ミッツ・マングローブが出演、NHKのアナウンサーたちも並ぶ。山川静夫が92歳でまだ元気なのだ。アナウンサーたちを前に番組を仕切ってみせる加藤浩次の司会術がすごい。加藤浩次が「ひょっこりひょうたん島」に反応するので、そんな歳だったかなと確認してしまったが、加藤浩次は1969年生まれ、6歳も上だとは意識したことがなかった。「ひょっこりひょうたん島」は1969年に終わっているのだが、再放送をやっていたのかもしれない。東京タワーの会場にも中継をつなぎ、そこには「オンエアバトル」の高山アナと小堺一機が登場した。「爆笑問題カーボーイ」で太田がこの場面を観た話をしていたが、小堺が思い出の番組として「少年少女ドラマシリーズ タイム・トラベラー」をあげていた、これは「時をかける少女」なのだ。

 「NHKスペシャル」をもうひとつ、「未完のバトン」という新しいシリーズが4月から始まる、そのプロローグにあたる番組。ヒコロヒーが出ていたので観ておきたくなった。

 深夜になってから、先週土曜の「ナイツのちゃきちゃき大放送」をタイムフリーで聴いた。「常連さん」には犬山紙子が初登場。11時台ゲストは森高千里。現在、55歳。25歳のお子さんがいるのか。ラジオを聴きながら部屋の掃除をする。ダイソーで買ったモップが役に立つ。少しモップをかけただけで、ほこりがかたまりになって出てくる。

2025年1月24日金曜日

1月24日金/カップルが突っ立っている

◇ ニュース・テレビ・ラジオ

 早朝に目覚め、スマホのNHKプラスから昨夜の「NHKニュース7」を観ると、中居正広の引退発表がここでも大きく扱われている。有料ファンクラブサイトで先に発表され、改めて、一般公開されるコメントを発表したという順序だ。「紅白」の司会をしている映像も流される。西条昇がコメントしていて、中居の「支障なく続けられることになりました」というコメントが炎上したことを引き、テレビの世界にいるうちにいつの間にか世の中の価値観の変化とずれてきている部分があったのではという話をしていたが、なんだか適当なコメントだな。それから、遠藤龍之介が民放連の会長としての定例会見のあとに取材に応じた映像、キッコーマンの茂木友三郎名誉会長のコメント、フジ・メディア・ホールディングスの金光修社長も会見していた。

 眠りなおしてしまい、やろうと思っていたことがちっとも片づかない。録画していたテレビ番組をいくつか。昨夜の「アメトーーク!」は「ナス大好き芸人」。博多華丸、ケンドーコバヤシ、友近、塚地武雅、銀シャリ橋本、なすなかにしが出演。MC側には東京03飯塚が座る。いいメンバーだったが、意外や、なすなかにしはレギュラー回は初登場だった。昨夜の「私のバカせまい史」は、バカリズムがプレゼンターの「GタンNーボ史」。今回は許可をとらずに研究対象にするという新しい試みで、人名をぜんぶイニシャルで表すというネタになっている。それはともかく、フジテレビの騒動以降、フジテレビの番組を確認するのはこれが初めてだったが、たしかにACのCMだらけになっている。

 昼はラジオ。「ビバリー昼ズ」を聴くと、高田先生、昨日はフジテレビをずっと観ていたようだ。エンディングには志らく師匠が明治座の告知に登場した。

◇ 面会

 午後から外出。時間はあったはずなのに、また余裕がなくなってしまった。三ツ境まで走ると、暖かくて、少し汗をかいた。三ツ境のバスターミナルからバスに乗り、長坂まで。火曜に乗ったときに途中で高校生がたくさん乗ってきたから、今日は用心して、出口に近い降りやすい席に座っていたが、今日は高校生はひとりしか乗ってこなかった。火曜が例外だったのか。ズーラシアでは乗客が増える。車内では、タイムフリーで、今日の「中川家 ザ・ラジオショー」のオープニングを聴いた。礼二が繁昌亭の八方の会で「親子酒」をやった話をしていた。

 老健に到着し、エレベーターで3階にあがると、いつもの席に母がいない。職員さんたちが探してくれたが、母はトイレに入っていた。着替えのスウェット上下2組を先に職員さんに渡し、そういえば、マスクももってこようと思っていたのに忘れてしまった。いつもの面会場所で話していたら、部屋を見たことがないでしょうといって、いったん、部屋に連れていかれたのだが、見たことのない上着が置いてあって、誰かがもってきてくれたようだ。母の写真がどこかに貼ってあるというので、探してみると、正月に書き初めをしたときの写真が貼り出してあった。30分ぐらいで失礼する。

 上白根町のはま寿司に寄っていく。鴨そばを頼んだら、やってきたお椀のフタを開けてみたら海老天そばだった。よその客のを取ってしまったかと一瞬不安になったが、そんなことはなく、たしかにこの席の前で止まったものだ。近くにいた店員さんを呼び、取り替えてもらった。鴨そばは店員さんがじかにもってきてくれた。豚塩カルビ、活〆ぶり、まぐろ二種盛りを食べ、715円。

 鶴ヶ峰まで歩きながら、タイムフリーで、昨日木曜の「大竹まこと ゴールデンラジオ!」のオープニングを聴いた。パートナーはヒコロヒー。この日は中居の引退発表の速報があってから、さほど時間が経っていない放送だ。いつもよりも早い時間にそのニュースに触れていた。

 鶴ヶ峰のドトールに入ろうと、店の前に書いてある閉店時刻を先に確認しておきたかったが、カップルが突っ立っていて見ることができず、もう店に入ってしまおうとすると、そのカップルが先に店内に入っていくからむかっときた。そのカップルの直後に店に入っていくと、そのカップルは店に入ってから注文を考え始め、ケーキやらなにやら頼み、やたらと時間を食う。こっちはコーヒー1杯飲むだけなのに、つまらないことでいららいさせられた。ドトールで読書をしてから、夜遅くに帰宅する。

◇ テレビ

 夜もまた、録画していたテレビ番組をあれこれと。今日の「徹子の部屋」は山川豊がゲスト。ステージ4の肺癌を公表、その前には熟年離婚もしていた。鳥羽一郎からVTRでメッセージが届けられる。

 今日の「ミュージックステーション」はランキング企画から始まるが、「今週1番聴かれた曲TOP50」というついにオーソドックスなランキングになってしまった。50位から41位まではタイトルとアーティストを発表するのみ、そのあとは飛び飛びに音楽を聴かせるのだが、藤井風「満ちていく」は「紅白」の映像が提供されていた。50位圏外のB'zも、tuki.「晩餐歌」も「紅白」の映像が使われる。なぜこんなに「紅白」の映像を使うかな。オープニングに階段から登場するアーティストたち、それぞれのアーティスト自身がマイクをもってあいさつしながら降りてくるようになった。和田アキ子が20年ぶりに出演し、Da-iCE とコラボ曲を披露する。タモリと和田アキ子の共演は、今となってはバラエティ的なタモリが観られる貴重な機会だ。ランキング企画は、50位以内には Mrs.GREEN APPLE が12曲も入っていた。

 昨夜の「週刊さんまとマツコ」の特番では、マツコと安住紳一郎が12年ぶりの共演をした。名古屋に向かう新幹線の車内で、ふたりでトークをする。番組開始30分ほどのところでさんまがようやく合流。3人が名古屋のCBCテレビ「ゴゴスマ」の中継に映り込むサプライズをやってみせ、さらに生放送中のスタジオに乱入する。そのあとはそのまま「ゴゴスマ」のスタジオで収録し、石井亮次、野々村友紀子も残るが、このコーナーはすぐに終わってしまった。若狭敬一というCBCを代表するアナウンサーの「チャント!」という番組にも乱入し、今回はCBC特集なのか。ある芸能人の娘がCBCのアナウンサーだというので、誰かと思えば、斉藤慶子の娘だった。

 今日の「NHKニュース7」を観ると、石破の就任後初となる施政方針演説に「楽しい日本」という言葉があり、これは堺屋太一からの引用で、年始の「週刊現代」のインタビューを読んでいたから意味はよくわかるのだが、「楽しくなければ日本じゃない」みたいでなんかタイミングが悪くないか。そのフジテレビの問題は今日も扱われ、社内では経営陣の責任が議論になっていることが報じられている。

2024年11月14日木曜日

11月14日木曜日/面談

◇ 病院

 朝、ブログの更新をひとつ。録画していた昨夜の「ひっかかりニーチェ」を観て、昼はラジオ。「ビバリー昼ズ」を聴く。ナイツだけでなく、ミチコさんもとんねるずの武道館ライブに行ってたのか。

 午後から外出。曇り空。鶴ヶ峰のバスターミナルから上白根町まで。今日は老健施設の面談があり、病院を通りすぎ、歩いていく。14時から面談だが、15分前には着いてしまった。トイレに行きたくなり、向かいに商業施設が見えたが、行って戻ってくるには微妙な距離だからがまんすることにした。5分前に入り、窓口で面談にきたことを言うと、建物内は土足禁止で、玄関でスリッパに履き替えるのだった。エレベーター前の椅子に座って待っていると、担当の女性がやってきた。まずは施設の案内からということで、3階の病床に連れていかれる。エレベーターの前にはレクリエーションスペースがあり、部屋はそれぞれ病院と似たようなものか。いらっしゃるかたがたはうちの母よりもかなり高齢に見える。3階をひとまわりして、1階に戻り、今度は資料を見せてもらいながら説明を受けた。施設内での行事の写真があり、正月から雛祭り、花見、夏祭りなどを順番に見せられ、もういいよと途中で思ったのだが、そもそも、歩けるようになるまで、どのくらい入居することになるだろうか。そんなに長くは入居しないだろうと考えているのだがな。入居してみないとわからないこともおそらく多いだろう。説明はとてもていねいなものだった。外に出ると、15時前。トータル1時間ぐらいの面談だった。

 向かいにある商業施設のベンチに座り、SNSの巡回、日記の下書きなどをしていたら、40分ぐらい経っていた。それから病院に向かうが、その前になか卯に入り、こだわり卵カレーを食べる。580円。病院の前になか卯というのがルーティーンになっていて、これを崩してしまうとどうもゲンが悪い気がしている。上白根病院にはいつもと同じ時間に着いた。母は向かいのベッドの90歳のお婆さんとしゃべっていた。自分も何度かお話しているお婆さんだが、すっかり忘れられてしまっている。一応、母にも面談に行ってきたことを説明したが、このまま移ったら、どういう理解になるだろうか。

◇ ラジオ・読書・テレビ・雑誌

 鶴ヶ峰まで、歩きながらライムフリーで、先週金曜の「中川家 ザ・ラジオショー」のオープニングを聴いた。パンクブーブーが営業で手抜きしていたというのが炎上していたようだが、その話題から落語の話に移っていった。中川家はふたりとも落語をよく観ているようで、礼二が落語家の口調を再現してみせる。そして、落語家をさんざんいじってから、大阪の八方の落語会に礼二が出演することが明かされた。礼二は落語は初めてなのかと思ったら、月亭方正の神保町の会に出たことがあるようだ。八方の会のチラシの写真はコントで落語家を演じたときのもの。剛は礼二の高座を観に行こうと企む。

 鶴ヶ峰から横浜に移動し、平沼のブックオフに寄っていく。390円の単行本を2冊買う。アプリのクーポンを使っておきたいだけだったが、思いがけず、高値がついている本が買えた。東口のドトールに入り、ひと休み。少し眠ってから読書していく。

 篠原有司男「げんこつで世界を変えろ!」を読み終えた。2016年刊、サンポスト。「ザ・インタビューズ」というシリーズの1冊。インタビュアーは大貫祥子というサンポストのひと。サンポストがどういう会社なのかは知らない。この当時、篠畑有司男は84歳。今でも元気なはずだ。日本で初めてモヒカンにしたひとだが、そのモヒカン頭を最初に見せたのは田名網敬一だったのだ。60年代、ニューヨークにいた時代にやってきたのが赤塚不二夫。このあたりの人脈はみんなつながっているんだ。芸大名物の「よかちん」という裸踊りを見せたら、のちに赤塚不二夫とタモリが新宿でそれをやっていたという。

 読書メーターに登録しようとして、日付を見て、今日は兄の誕生日だと気がついた。母に会う前に気がつけばよかったな。どうも疲れがひどいのか、鼻水が出るようになる。夜遅くに帰宅し、録画していたテレビ番組をあれこれと。今日の「NHKニュース7」と「徹子の部屋」(ゲスト・MISAMO)。それから、昨夜の「あちこちオードリー」は、塚地武雅、とろサーモン、ナ酒渚がゲスト。ナ酒渚なんて、なんでこんな変な名前にしたんだろう。

 Spotify のポッドキャストで、今日の「大竹まこと ゴールデンラジオ!」のオープニングを聴くと、パートナーのヒコロヒーがタクシーが道を間違えたとかで遅刻していた。もうひとり、光浦靖子も出演。カナダに戻るかもわからなかったが、出られることになったという。

 楽天マガジンで雑誌のチェックをすると、「週刊新潮」に「松本人志はどのテレビ番組で復帰するか」という見出しの記事があった。これを読むまで気にしてもいなかったが、万博のホームページにはまだアンバサダーとしてダウンタウンが載っているんだな。テレビ復帰の場として有力視されているのは「探偵!ナイトスクープ」ではないかと在阪準キー局関係者なる人物が証言している。「兵庫県尼崎市出身の彼は関西で絶大な支持があります。地元では、東京とは比べものにならないほど人々の目が温かいのです。」とは、今の兵庫県知事選のニュースを見ていてもそういうものかなと思える。「ナイトスクープのCM枠はいわゆる〝スポット〟で、毎回、決まったスポンサーが付いているわけではありません。」 そして、朝日放送は「M-1」の制作もしている。しかし、記事の後半では、当面のあいだは地上波の復帰は難しく、「動画配信サービスなどでの復帰が現実的」だとしている。今後の影響について、最後に吉川潮がコメントしているのだが、吉川潮にそんなことを訊いてもわかりゃしないだろう。そのほか、「週刊新潮」にはなぜか落語界の小さいニュースがよく扱われ、柳家東三楼の選挙戦の記事が載っていた。

2023年3月31日金曜日

3月31日金曜日/サービス精神がすごい


◇ 飯田橋・高円寺

 早朝に目覚めてしまい、ブログの更新をひとつ。しかし、これでは睡眠時間が短すぎる。朝から都内に。昼食は飯田橋、つい先日に入った天下一という店の上の階、ふくの鳥という店に今度は入ってみた。ランチタイムが始まる11時半を待ってから入り、カレーライスを食べた。味噌汁、サラダ、温泉玉子がつき、850円。おもてに出してあった写真よりもはるかにボリュームがあり、完食するのに苦労した。今日は寝不足で、胃が弱っているのかもしれない。

 午後は高円寺に移動。予定していたよりも早く到着することができ、めったにこない高円寺だから、古本屋をまわってみようと思い、グーグルマップで検索しながら訪ねてみるが、訪ねる店、訪ねる店、ことごとく閉まっていて、どうも間が悪い。サンカクヤマという店だけ開いていた。せっかくだからなにか買っていきたいと思い、外の棚から、岸川真の小説を買っていく。





 高円寺駅まで戻り、マクドナルドに入り、ひと休み。アイスコーヒーとアップルパイを食べた。いちご大福パイの提供期間はもう終わってしまったのか、一度しか食べられなかった。スマホの充電をしながら、タイムフリーで、今日の「ビバリー昼ズ」を聴く。12時台は中村芝翫がゲスト。金曜には珍しい大物ゲストだと思ったが、今、太田プロに所属してるのだね。エンディングまで聴いたら、中川家礼二も「立川流三人の会」にきていたと高田先生が話していた。クロストークはなし。そのあとには読書も。菊地成孔「次の東京オリンピックが来てしまう前に」を読み進めているのだが、切り取られているページがまた見つかった。こんな本はなかなか珍しいと思う。なんのために切り取っているのかよくわからないようなページなんだよ。



◇ トークライブ

 19時になり、高円寺パンディットに向かう。ここを訪れるのは2年ぶり、こしらさんと水道橋博士のイベント以来だ。今回は松村邦洋と福本ヒデのトークライブ。このイベントのことは「ビバリー昼ズ」で告知されていて知った。ドリンク代、500円を払って入場する。ドリンクはコーラをいただいた。狭い会場、30人程度の客席、正面の席は埋まっていて、壁際の横向きの席に着いた。最前列に陣取っているのは、どうやら、福本ヒデファンのおばさまたちだ。配信もあり、19時半開演。松村邦洋、福本ヒデが入場。ともに総理大臣のものまねをする同士という顔合わせだが、この珍しい顔合わせは福本ヒデの希望により実現したようだ。しかし、福本ヒデはものまね芸人というわけではなく、ニュースペーパーの公演のなかで、安倍晋三の役を演じているにすぎないため、メイクをしないと安倍晋三にはなれないようだ。対して、松村邦洋は、テーブルの上にはマネージャーが用意したらしいさまざまなカツラやキャップが並べられていたのだが、福本ヒデがそれらを使うように促すと、「のどで勝負」「仮装大賞じゃないんだから」と言って、なかなか使おうとしなかった。ここには松村のものまね芸人としての、意外なほどの矜持が見える。結局、使いはしたのだが、後半は、きっちりとメイクをした安倍晋三と、カツラをつけた小泉純一郎の対談になった。福本ヒデは会話をまじめなほうにもっていこうとするのだが、松村は「郵政解散」というワードが出ると、そこからピンク・レディー解散に話が飛び、たのきん解散、そこからマッチにつながり、「ヨコハマ・チーク」や「情熱☆熱風☽せれなーで」を小泉純一郎のままで歌う。さらには沖田浩之の歌まで歌い、ここまでいくと、小泉純一郎とはなにひとつ関係がない。これには涙が出るほど笑った。ほかにも、佐藤栄作の話をしていたかと思えば、佐藤B作の話になり、ABブラザーズから「A地点からB地点まで」と「恋のぼんちシート」を歌い出すに至るという展開もあった。福本ヒデ側が用意していた「桜を見る会」の写真をもとにトークをしていたのも面白かったのだが、松村のものまねはひたすらナンセンスに走る。記憶喪失のアントニオ猪木というネタにも爆笑。身をよじって笑っていると、福本ヒデがこちらを見て、プロレスを知らない若いひとも笑ってますよとぽろっと言っていた。自分のことを言っているのだと思ったが、別に若いひとじゃないし、それはいいのだが、なぜプロレスを知らないとわかるのか、その決めつけはなんなんだ。公演は2時間以上。途中、休憩を挟んだのだが、その時間に、松村の提案で、会場の全員で集合写真を撮ることになった。みんなで写真を撮るライブって、そんなのなかなかないだろう。松村邦洋のサービス精神がとにかくすさまじいライブだった。





(集合写真は、後日、高円寺パンディットのツイッターアカウントに投稿された。)



 高円寺駅に戻ると、さっきまでいたマクドナルドの看板がなくなっていたので驚いた。今日が営業最終日だったんだ。そんなことはまったく知らずに利用していた。

◇ ラジオ

 帰りの電車内では、タイムフリーで、聴きそびれていた先週金曜の「中川家 ザ・ラジオショー」を聴いた。14時台はエド・はるみがゲスト。現在、博士号を取得しようと勉強しているんだそうで、すさまじいバイタリティと能力だ。笑いも忘れていないし、このひと、やっぱりちょっとすごいな。先週金曜の「あなたとハッピー」も聴く。一之輔さんが担当する金曜日に伊集院光がゲスト。この番組に登場は二度目か。ここのところ、伊集院がやけにニッポン放送に出るようになっているのが気になる。

 帰宅は深夜0時前になり、明日も朝早くから出かけるため、時間的な余裕がなにもない。どうやっても寝不足が続いてしまう。

2022年10月6日木曜日

10月6日木曜日/東戸塚・バス往復

◇ 音楽・テレビ・ラジオ・ポッドキャスト

 Spotify に、スチャダラパー「11」がいつの間にかあるのに気がつき、検索してみると、別に最近に配信開始されたわけでもなさそうなのだが、なぜ今まで気がつかなかったのだろうか。このCDは買いそこねていたのだが、坪井野球とかいう馬鹿に、CDのコピーをもらったんだった。だから、このアルバムは詞も確認できず、あんまり聴き込んでもいなかった。

 午前中、録画していた昨夜の「あちこちオードリー」(ゲスト・ラランド&空気階段)を観て、それから、ブログの更新をひとつ。たったひとつの更新に、ひどく時間を食ってしまった。昼はラジオ。「ビバリー昼ズ」から、午後は「ナイツ ザ・ラジオショー」。14時台は、タイムマシーン3号がゲスト。そのあとは文化放送に替えてみたが、「大竹まこと ゴールデンラジオ!」は今日も大竹まことはお休みのようで、理由をどこかでしゃべってるんだとは思うが、それを聴いていない。大久保佳代子と、パートナーにトンツカタン森本が登場。男性の声がもうひとり、アナウンサーだとは思うが、これもレギュラーの砂山圭太郎ではない。

 ラジオを聴きながら梱包を片づけるが、珍しく注文が多く、時間がかかった。おかげでラジオを多めに聴いたが、ラジオも終わってしまい、Spotify のポッドキャストを漁ってみると、「兵動大樹のおしゃべりDiary」という番組が始まっていた。先週から始まっていて、2回分が配信されている。1回15分ほどで聴きやすい。


◇ 二俣川・東戸塚

 夕方から外出。午後にはすぐ出るつもりでいたのに、すっかり遅くなってしまった。雨降り。まず、駅前の郵便ポストに寄り、品物を投函し、それから、吉野家で食べていこうとしたら、間が悪いことに、臨時休業で閉まっていた。雨のなかを、二俣川まで歩く。Tシャツの上にジャンパーを着ただけのかっこうで出てきたが、ちょっと寒いくらいだ。ひさしぶりに餃子の王将に入り、天津麺と餃子を食べた。店を出たら、雨は止んでくれていた。

 二俣川からバスに乗り、東戸塚に向かう。いつも、東戸塚からバスで帰ってくることはあるのだが、二俣川から向かうのは初めてだ。夕方のバスは混雑しているもので、いったん空くが、途中からまた混雑する。東戸塚に到着したときには、18時頃だったが、すっかり暗くなっていた。まずはオリンピックのブックオフに寄り、なんでもない日にくることもしばらくなかったが、いい本がごろごろ見つかり、わざわざやってきた甲斐、大いにありだ。東戸塚までやってきて空振りというのもよくあるから、今日は運がいい。110円の文庫本を6冊、コミック文庫を2冊、新書を5冊、220円の単行本を2冊買う。続けて、休まずにもう1店のブックオフにも寄る。こちらも期待したが、しかし、こちらは2冊しか買うものなし。マクドナルドに入り、ひと休み。月見パイを食べたかったが、販売終了していてがっかり。閉店まで読書をして、またバスで帰る。帰りも混雑していて、席が空いておらず、1本待てばよかったとも思ったが、だんだん空いていき、すぐに座れた。


◇ ラジオ

 行き帰りのバスのなかで、聴きそびれていた先週金曜の友近の「シン・ラジオ」の続きを聴いた。中川家礼二がゲスト。礼二が語る兄弟の関係が面白い。同じアニメで一緒になって笑うようなことはなかったが、変なこと(変なおっさんや変なおばさんのことなど)で一緒になって笑い合っていたという。ここがナイツやサンドウィッチマンとは違うところで、ナイツやサンドは昔読んだマンガの話をよくするが、中川家はしない。趣味でつながっているコンビではないからだ。この週は、礼二に合わせて、ちゃらんぽらん冨好さんは1時間遅い登場になった。(礼二の登場は予定よりも早かったのだが。)友近、礼二、冨好の会話の間合いが絶妙。この日の放送は曲もほとんどかけず、ずっとトークだった。礼二の好物だという、栗の話題をえんえんとしゃべっていたのも可笑しかった。いつもの放送も楽しいんだけど、友近と礼二の番組がもう1本欲しいくらいだ。番組最後には、来週(つまり、明日7日)は水谷千重子の公演がもともと決まっていたため、友近はお休みだという告知があった。水曜担当のイワイガワ井川が代打を務め、友近は電話出演はするようだが、じゃあ、冨好さんはどうなるのか。

◇ 読書・ラジオ・テレビ

 夜遅くに帰宅し、まず、読書の続きを。デイヴィッド・リンチ「大きな魚をつかまえよう リンチ流アート・ライフ∞瞑想レッスン」を読み終えた。2012年刊、四月社。「魚」というのはアイデアのこと。瞑想に関する部分はよくわからないと思いながら読んでいたが、巻末には訳者(早坂虹恵)によるあとがきがあり、ビートルズと瞑想の関係が解説されている。これをよく知らないから解釈が難しかったのだ。リンチ財団というのも知らず、リンチとビートルズのつながりも知らなかった。しかし、映画の具体的な話になるとシンプルな仕事論のようにも読め、ここは面白かった。「創造するには明快さが必要だ。」「アート・ライフとは、いいことを思いつくための時間を持つ自由のことだ。」「恐怖心を植えつけて、仕事を進めようとする連中もいる。でも、こんなのは飛んだお笑い種だ――哀れであり、愚劣だよ。」「観客のことばかり考えていたら、映画は作れない。それでも完成前のある時点で、任意の観客に映画を見てもらうのは、いい経験になる。」「芸術家が葛藤やストレスを理解するのはいいことだ。そこからアイデアが得られる。でも請け負ってもいいが、過度のストレスがあれば創造などできない。過度の葛藤もまた創造力の妨げになるだけだ。葛藤を理解しても、実際に生きる必要はないんだ。」「自己のアートを追い求めるにしても、暮らしていけないことには話にならない。だから働かざるを得ないけれど、クタクタになってしまえば、アートなんて創造できない。」

 タイムフリーで、そういえば、「村上RADIO」を聴こうと思っていたことを忘れていたが、検索してみると、9月25日日曜日の放送だったが、なぜかインターFMでも 30日金曜日に放送されていて、こちらを聴くことができた。「山下洋輔トリオ再乱入ライブ」の模様を放送していて、これを聴きたかったのだ。村上春樹のほか、都築響一、菊地成孔も座談会に登壇し、豪華にして、なんとわくわくする顔合わせだろうか。聴き逃さなくてよかった。

 深夜、寒くて眠れなくなり、録画していたダウ90000 のドラマ「深夜1時の内風呂で」を観てしまう。先週水曜の深夜に放送されたものだが、ようやく観ることができた。ダウ90000の8人のほかは、勝村政信がただひとり出演し、お父さんを演じている。「白黒アンジャッシュ」を観たおかげで、メンバー個々が認識できるようになり、それ以降、ダウ90000 を観るのがより楽しくなっている。

2021年10月30日土曜日

10月30日土曜日/追われる

◇ テレビ・ラジオ

 朝、録画していた昨夜の「タモリ俱楽部」を観た。ケンドーコバヤシ、朝日奈央が、怖い話っぽい話しかたを怪談師に教わるという企画だったが、登場していた怪談師の話は素人臭く、まるでたいした話術だとは思えなかった。しかし、おそらく、お笑いと同じように、話術だけではなく、ネタに定評があったりということもあるのだろう。怪談をネタと呼んでいいのかはわからないが。

 タイムフリーで聴いた、昨日の「中川家 ザ・ラジオショー」のオープニングは、前日に放送された「アメトーーク!」の「双子のパパ芸人」の話題から、礼二、剛、それぞれの子育てエピソードになり、それから、さんまが新幹線で赤ちゃんをあやしているのを目撃した話になった。この番組は、さんまの知られざるすがたがときどき話題に出る。9時からは、「ナイツのちゃきちゃき大放送」をオンタイムで聴くが、やるべきことがあり、途中で切りあげた。

 今日は一日、明日までに仕上げる必要のある作業に追われ、昼以降の記憶がはっきりしない。夜になり、スーパーまで買いものに行き、それから、録画していた「Nキャス」をすぐに観ると、渋谷のハロウィンの様子などを伝えていた。

 深夜、ツイッターで目にした、パルト小石の訃報にただただ驚く。

2021年6月5日土曜日

6月5日土曜日/「日本の喜劇人」を読む(4)

◇ ラジオ

 昨夜から眠らず、早朝にブログの更新をひとつしてから、「木梨の会」を聴きながらようやく眠った。10時前に目覚め、テレビの録画の確認などをする。午後は「田村淳のNewsCLUB」をつけておく。今朝の「ナイツのちゃきちゃき大放送」はタイムフリーで聴いた。同じくタイムフリーで、昨日の「中川家 ザ・ラジオショー」も聴いた。間寛平がゲストで、中川家とはつきあいの深い間寛平だから、ほかの番組に出るときとはトーンも違い、若いころの不祥事の話などにもなり、とても面白かった。礼二が子どものころに観ていた新喜劇の思い出話をしていて、由利徹の名が出たのを意外に思いながら聴いていたが、由利徹の「ワレコワレコ」というギャグを、間寛平がきちんと受けずにちょっと馬鹿にしたような態度をしたそうで、若い間寛平が由利徹を慌てさせたというエピソードだったが、どうも変だと思いながら聴いていた。しかし、いろいろ検索してみると、どうやらこれは由利謙というひとの間違いだ。由利徹だというから、由利徹が吉本新喜劇に出たことがあったのかとか、礼二が由利徹をわかっていないような話しぶりにもがっかりしそうになったが、ただの言い間違いだとわかれば納得もする。由利謙というひとの詳細はわからない。

◇ 読書

 午後、ヤマトの営業所まで。二俣川に出て、ドン・キホーテのサイゼリヤに入り、チョリソーとハンバーグの盛り合わせを食べた。ライスを初めてスモールにしてみたが、実際に、見事にスモールサイズだと思うような量が皿に乗せられていた。読書をするが、眠気で朦朧とし、なかなか読み進められない。今朝は4時間も眠っていないのだ。小林信彦「決定版 日本の喜劇人」を読み進める。第四章は「占領軍の影」と題し、トニー谷、フランキー堺について書いている。異端のトニー谷にたっぷりページを割き、邪道芸人を書き留めておこうという小林信彦の意思がここにはある。同様に、泉和助についても、「喜劇史の裏面の人物の一人として、その名を留めておきたい。」という意図がはっきりしている。

◇ テレビ

 夜に帰宅し、注文の品が1点、まだ届かないという問い合わせがあり、伝票を探し、状況の確認をして返信をした。録画していた「徹子の部屋」45周年スペシャルを、放送が終わってすぐに観る。録画の都合があり、ひとまず半分まで。さんまの出演を楽しみにしていたが、5年前の40周年のときにも出ているというのを知らなかった。今回で6回目の出演だというが、どういうわけか、「徹子の部屋」はつねにチェックしているのに、さんまの出演回は一度も観たことがない。2011年に地デジ化して以降は、地デジに対応する録画機を買っていなかったので、しばらく、テレビを観る量は極端に減っていた。5年前の40周年はその時期にあたる。それ以前の出演になると、自分がまだ「徹子の部屋」を意識的に観るようになる以前の、本当に子どものころである。今回の出演だが、大竹しのぶの名場面集などは面白かったが、ひとの部屋に呼ばれているのに、終始、さんまは自分の部屋のようにふるまう。後半などは「お笑い向上委員会」のようになり、番組全体の作りもさんまを中心にしているかのようで、普段の「徹子の部屋」とはスタッフは同じなのだろうか。普段の「徹子の部屋」の穏やかなトーンで会話をするさんまを観たかったのだが、80歳過ぎの黒柳徹子にばんばん突っ込むというのはあんまりいいものではなかった。さんまの番組に黒柳徹子が出演しているのであれば、黒柳徹子の可笑しさは引き出され尽くしていたとも思えるが。

 少し忙しくしていると、ラジオはついつい聴きそびれてしまうもので、先週の「HONMOKU RED HOT STREET」をタイムフリーでようやく聴いた。小林旭の「どんぐりころころ」を流すようないい番組である。続けて、23時から、今週の放送をオンタイムで聴いた。聴きながら、深夜0時前には眠っていた。

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