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2022年3月22日火曜日

3月22日火曜日/雪混じりの雨


◇ 霞が関

 昨夜、眠る前にダビングをしておく必要があったのに、忘れていて、眠ってしまった。早朝に目覚め、家を出る前にダビングをする。今日も朝から都内に。雨降り。寒い。疲れがひどく、だいぶ無感情になってきた。スケジュールを考えないと、ちょっと限界だ。有楽町から霞が関に移動し、昼食は某所食堂にて、牛すじカレーを食べた。460円。雨は雪混じりになる。夕方、天王洲アイルから帰ることになり、雨は小降りになり、傘を差さなくても平気なほどにはなるが、しかし、肌寒い。新馬場のベローチェに入り、ひと休み。ブレンドと、カレーパンを食べた。甘いパンが売り切れていたが、昼もカレーだったのを忘れていて、カレーパンを食べてしまった。スマホの充電をしながら、タイムフリーで、今日の「ナイツ ザ・ラジオショー」のオープニングを聴くと、途中にニュースが入り、この放送中に大きな停電があったようで、横浜市のうちの地域も含まれていた。うちは震災のときも計画停電にはまったく引っかからなかったくらいで、なんらかの理由で停電にできない地区なのではと思っているが、それでも少しは心配になる。

◇ 読書・テレビ・ラジオ

 新馬場から、京浜急行の各停に乗り、読書をしながら帰る。西村京太郎「十五歳の戦争 陸軍幼年学校「最後の生徒」」を読み終えた。2017年刊、集英社新書。西村京太郎の経歴に関心をもつことが今までなかったが、十四歳で、陸軍幼年学校に入学しているのだ。「子供が純粋で損得など考えないというのは嘘である。これから、どうするのが一番トクかを考えるのだ。どうせ十九歳になれば、兵隊になるのだが、階級は、一番下の初年兵(二等兵)である。やたらに、殴られると聞いていた。それなら、早くから兵隊になった方がトクに違いない。」 西村京太郎は昭和20年4月に入学するが、もちろん、その時点では8月に敗戦を迎えることは誰にもわからない。西村京太郎は1930年生まれ、小林信彦(1932年生)よりも2歳上で、同じ東京生まれだが、この2歳の差はなかなか大きい。前半の体験の部分は大いに関心をもって読んだが、後半は戦法の分析になり、ここはかなりわからなかった。

 最寄り駅まで戻ってくると、ゴミ箱がついに撤去されてしまっていて、以前から予告はされていたが、これは不便だ。夜遅くに帰宅し、録画していたテレビ番組をいくつか。「徹子の部屋」を、昨日今日の放送をまとめて2本、昨日の放送は宝田明追悼、今日の放送は反町隆史がゲスト。日曜の「笑点」もようやく観ると、演芸コーナーはミルクボーイ、大喜利の助っ人には市馬会長が登場。それから、タイムフリーで、先週金曜に放送された「村上RADIO特別版 戦争をやめさせるための音楽」を聴いた。いったん眠り、深夜に目覚めて、ブログの更新をひとつ。「村上RADIO」は月曜にも放送があり、これも聴いてみると、2月の再放送だった。バブルガム・ミュージックの特集。聴きながら、オンライン将棋を1局指し、眠りなおす。

2021年10月26日火曜日

10月26日火曜日/志ゑんさんの真打昇進披露

◇ ラジオ

 朝、脳がまるで働かず、ラジオをつけっぱなしにしていたら、「伊集院光とらじおと」のオープニングで、竹内香苗の息子が学校で「お笑い係」になったという話をしていた。最近の小学校には「お笑い係」というのがあるらしいとはちょくちょく耳にするのだけど、「お笑い」が「係」になるというのが、どうもまだうまく理解できないが、テレビに出ている芸人でも、たしかに、「係」として「お笑い」をやっているように感じられる場合はある。

 午後は「ナイツ ザ・ラジオショー」を途中まで聴いていた。14時からはいつものゲストコーナーにはならず、眞子さまと小室圭さんの会見が入り、出かけるまで聴いていたが、「眞子さん」という呼びかたは新鮮な響きだった。小室さんの母の元婚約者の代理人を週刊誌の記者がやっているという、およそ今までの皇室関係の会見ではないような話も出てくる。

 ラジオは切りあげ、外出する。暖かいと思い、パーカーを着ていったん出るが、夜は寒くなるかと心配になり、引き返して、ジャンパーに着替えた。電車のなかで、ツイッターを見て、白土三平、岡本鉄二の訃報に驚いた。兄弟の訃報に、一瞬、意味がわからなかったが、4日違いで相次いで亡くなったのだ。

◇ 渋谷新南口

 東横線に乗り、渋谷にたどりつき、めったに出ることはない新南口に出てみると、渋谷でもこちらは落ち着いている。東横線の改札から出るにはなかなか便利だということにも、今さら気がついた。小諸そばに入り、鶏から丼セットを食べた。570円。それから、ベローチェに入るが、食べたいパンがなく、アイスコーヒーのみ。渋谷で時間をつなごうとすると、どの店も混んでいて困るのだが、新南口は空いているうえに、ベローチェ、ドトール、マクドナルドが狭い範囲に集まっていて、選択肢が多い。なおかつ、騒々しい若者もいない。そもそも、新南口に用がないからめったにこないのだが、これならば、むしろ、新南口に用を作りたくなるほどだ。コンセントがあり、スマホの充電もする。

 バッテリーの心配がいらないから、安心して、楽天マガジンで雑誌のチェックをする。「サンデー毎日」では中野翠が、「週刊朝日」では下重暁子が、それぞれの連載コラムで小三治のことを書いていた。下重暁子は、やなぎ句会に参加したこともあり、それから、小三治だけでなく、談志師匠とも親しかったという。新幹線のなかで、談志師匠が「田辺茂一伝」を推敲している場面に偶然出会ったときのことも書かれていた。





◇ 落語会

 じっとしているのも退屈になり、ベローチェを早めに出て、コンビニでパンをひとつ買い、食べておいた。新南口から線路のすぐ反対側に移動したかったが、いったん、渋谷駅の中心まで戻らねばならないのがややめんどうだ。それとも、簡単に移動できるルートがどこかにあるのだろうか。

 大和田さくらホールに、志ゑんさんの真打昇進披露の会を観に行く。今年は、落語会にはめっきり行かなくなってしまっていて、手帳を確認してみると、今日の会がまだ二度目だ。年間百公演ぐらいは通っていた時期からすると、こうなるとはまったく思いもよらない。たった一回は5月に、これも志ゑんさんの会で、真打昇進を賭けた会だった。文化総合センターの裏の扉から建物に入ろうとすると、使用禁止になっていて、しかたなく、正面にまわる。やや早めにと思い、18時40分には着いたら、開場が遅れていた。開演15分前に入場でき、入っていこうとすると、入り口すぐのところにらく次さんがいて、少し会話ができて嬉しかった。ツイッターをやめたことを心配してくれていた。チケットの半券は自分でもぎり、プログラム、チラシも、テーブルに並べてあるものを自分でとっていくかたち。ロビーには、真打認定証が飾ってあった。客席はまだソーシャルディスタンス仕様で、両隣りは空いている。チケットを買うのが遅くなり、自分の席はやや後方、真ん中の席だった。

 19時に開演すると、前座さんの出番はなく、いきなり、志ららさんが登場する。駆け足で高座にあがり、持ち時間が短いことを説明し、10分弱で「鰻屋」をやった。高座返しもそのまま志ららさんがやり、二番手は談笑師匠。志ゑんさんのことはもちろん、眞子さま、小室圭さんの結婚の話題などをしゃべり、「初天神」をやった。悪趣味なサゲ。続いては、志らく師匠。「やかん」をやったが、ギャグはおそらく、20年以上は昔に作ったものをそのままやっている。ここで仲入り。すぐ後ろの席の客が、高座の写真を撮りまくっていて、ずっとシャッター音が聞こえていたが、まあ、こういう会だと思ってあきらめるしかないが、前方の席にも、写真を撮っている客がちらほら見えていた。特に、真ん中あたりにいた若い会社員風の連中は、写真は撮るが、噺はろくに聴いていないふうなだらしがない姿勢で座っていて、真ん中だからそれが目立ってしかたがない。落語会になんかきたことがない客がほとんどだったんじゃないだろうか。仲入り後は口上。志ららさんが司会で、下手から、談笑師、志ゑんさん、志らく師、市馬師が並ぶ。そういえば、なぜか後ろ幕もないし、市馬師匠がいるからなんとかかたちになっているが、どうもしまらない。立川流は、きれいな口上のかたちは、やがて誰もできなくなるのではないか。演芸に戻り、つぎは松元ヒロ。衆院選の真っ最中でも、変わらず、いつもと同じようなネタをやる。市馬師匠は「穴どろ」。特に乗り出して聴いていたわけではなかったが、それなのに、すっと惹き込まれていって、噺の魅力を自然に感じることができる落語だった。トリはもちろん、志ゑんさん。「粗忽長屋」をやった。真打昇進は一門のなかでは遅れたが、四十代も後半になり、志ゑんさんのキャラクターがいいほうに働いている感じがする。志ゑんさんの評価は歳をとっていくほどに良くなるのではと思っているが、口上で、師匠が誰よりもきびしいことを言うから、客のほうもそうかと思ってしまう。横並びで見てみると、けしてつまらなくはないし、下手でもないと思う。21時前には終演。会場の利用時間の都合のせいか、2時間以内のこじんまりした会に収めた。



 どこにも寄らず、すぐに東横線に乗り、各停で、のんびりと帰ってきた。23時前に帰宅し、録画していた「さんま御殿」を観た。「わかり合えない男と女」というテーマで、エルフ荒川、ものまね番組にも出ていた奇跡が初登場。泉ピン子、原田龍二夫妻、蛍原徹、陣内智則、蛙亭など、いい布陣で面白かった。もう中学生に期待したが、意外と活躍しなかった。昨夜の「しゃべくり007」を観ると、前半は、後藤真希がゲストだった。江戸川区の出身ってのは知らなかったな。後半は、永野芽郁がゲストで、これはちょっと観ただけで消去した。深夜1時からは「爆笑問題カーボーイ」を聴き、聴きながら、深夜2時過ぎに眠った。

2021年10月10日日曜日

10月10日日曜日/小三治の訃報

◇ 訃報

 早朝に目覚め、まず、ブログの更新をひとつ。午前中に「サンデージャポン」を観て、午後はラジオ。「爆笑問題の日曜サンデー」をオンタイムで聴いた。14時台のゲストは國村準。ラジオを聴きながら、ようやく、ワクチン接種の予約をする。予定が作れないのと、単にめんどくさいのとで、ずいぶん遅くなってしまった。10月半ばまではなにも予定は入れられず、10月20日に1回目を。しかし、昨日の振り込みの失敗があり、途端に金が心配になってきた。こんなことでペースを乱されてはたまらない。ツイッターからニュースを見ていて、小三治の訃報にびっくりする。Yahooニュースは13時45分、その1時間後に知った。ラジオをずっとつけていたのに、ラジオからはそのニュースは流れなかった。

 午後、近所の郵便ポストまで投函に行き、それから、録画していた今朝の「ワイドナショー」を観た。ハライチ岩井が出演していて、今年は「M-1」ラストイヤーで、1回戦から出場しているというので驚く。オープニングでは、おぼん・こぼんについても扱った。そのあとは、「キングオブコント」で優勝した空気階段が出演し、「キングオブコント」とは別のコントを披露した。松本に憧れの芸人を訊かれ、かたまりは「爆笑問題の太田さん」と堂々と答えた。松本「シンクロニシティといっていいのかなんなのか、みんな、見事に、ストーリー性のあるコントが集まったじゃない? これはなんなんだろう、今年から急にと思って。」 岩井「「キングオブコント」のほうが劇場寄りになったような感じがするんですけどね。なんか、テレビでやるコントっていうよりは。」

 夕方、1時間ぐらい眠り、夜にまた、スーパーまで買いものに行ってくる。ツイッターからニュースをチェックすると、毎日新聞に矢野誠一のコメントが出ていた。志ん朝、談志、小三治が亡くなり、「三巨頭がいなくなった」と語っている。続けて、「今の若い噺家は、おしなべてうまい。しかし、下手だけれども、どこか面白い人がいないといけない」って、それ、小三治とは関係ないんじゃないか。市馬会長のコメントも各紙に出ていた。「「もうあんなに沢山、薬を飲まなくてもいいんだな」と思うと、少しだけほっとします。」というのは、身近で見ていたひとならではの言葉だ。

 夜にまた、ブログの更新をひとつ。深夜0時過ぎには眠る。

2021年6月2日水曜日

6月2日水曜日/「日本の喜劇人」を読む(3)

◇ ラジオ・テレビ

 週末はばたばたと忙しく、タイムフリーで、「ナイツのちゃきちゃき大放送」の後半をようやく聴いた。木村昴がゲストで、たてかべ和也のエピソードは「はなつまみ」でも聴いているのに、もう一度聴いてもまた感動する。落語をやっているという話もあり、志ら乃さんの名前も出た。月曜の「ズーム」を聴くと、志らく師匠がオープニングで、伯山にいじられていることについてしゃべっていた。昼はオンタイムで「ビバリー昼ズ」。12時台には市馬師匠が登場し、5月は落語応援月間だったが、今週はボーナストラックということになる。午後は録画していたテレビ番組をいくつか。今日の「徹子の部屋」はモーリー・ロバートソンがゲスト。日曜の「週刊さんまとマツコ」も観る。この番組の形式がまだわからないが、今週はトークだった。ロケ企画よりも、こっちのほうがいい。

 夕方になる前に、ヤマトの営業所まで。週末あたりからやけに注文が多くなり、2週間前なんかは、誰かに悪評でも流されてるのかと不安になるくらいに注文が止まってしまった日があったが、考えてみると、緊急事態宣言の延長の影響か。しかし、神奈川県にいるとあまり変化を感じない。二俣川に出て、松屋に入り、厚切りトンテキ定食を食べる。ジョイナステラスの無印良品に寄り、Tシャツを買っておく。くまざわ書店にも少し寄り、それから、西友のイタリアントマトに入り、読書をする。


◇ 読書

 小林信彦「決定版 日本の喜劇人」を少しずつ読み進めている。かさばる本なので、遠出するときにはカバンに入れていけない。今日みたいに、なにも予定がない日に一章ずつ読んでいくしかない。第三章は森繫久彌について。有名な「森繁病」について書かれている章で、この章は新潮文庫版で何度か読みなおしている。初めて読んだときには誤解したが、「森繫病」とは森繫を批判する言葉ではなく、森繫によって、ペースを乱された喜劇人たちに対する皮肉である。(最近では、四十代のお笑い芸人から「ダウンタウン病」という言葉をたびたび耳にする。) この章で、その時代のおもな喜劇人たちに一気に触れられ、伴淳三郎、三木のり平については、ここでは突き放した書きかたをしている。代わりに、小林信彦がここで評価しているのは、有島一郎、堺駿二、益田喜頓といったひとたちで、新潮文庫版で「日本の喜劇人」を初めて読んだときには喜劇史の教科書のように読んだが、むしろ、教科書的な喜劇史に対する反発がかなりあるというのが今となってはわかる。

 第三章を読んだあとは、これもちびちび読み進めていた夏目漱石「坊っちゃん」(新潮文庫)も読み終えた。まあ、普通に読めば一気に読める小説だが、「坊っちゃん」は小学生のときに初めて読み、何年か前にそれ以来に読みなおしたが、これは今一度、じっくりと読みなおしておきたいと思っていた。これも小林信彦の影響である。

 西友で買いものして、夜に帰宅する。少し忙しくしていると、テレビ番組の録画がどんどん溜まっていく。残量確保のため、ざっと観て、つぎつぎに消去していく。昨日放送された「知恵泉」という番組は、永六輔の特集だと知り、録画しておいたが、これは保存する。黒柳徹子が出演。VTRには矢崎泰久も登場した。深夜0時前には眠ろうとしていたのに、ぜんぜん眠れず、これはだめだと思い、またテレビを観る。「はなつまみ」を観て、深夜2時前にようやく眠る。

ブログ アーカイブ

5月20日土曜日/「THE SECOND」

◇ 神保町  朝から都内に。小雨だが、予報ではすぐに止みそうなので、傘はもたずに出た。気温も読めず、パーカーを着ていく。今夜は「THE SECOND」を観なければならないから、余力を残しておきたかったが、想定していたよりも時間に余裕が作れなかった。昼は神保町。土曜はランチをや...