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2023年9月7日木曜日

9月7日木曜日/真打トライアル

◇ テレビ

 早朝に目が覚める。昨夜は涼しかった。録画していたテレビ番組をいくつか。昨夜の「水曜日のダウンタウン」は「100万円争奪金網デスマッチ」という企画。オードリー春日、みなみかわ、あかつ、チャンス大城が挑戦する。この手の企画は嫌い。早送り。番組後半にプレゼンターとして登場したのは、なんと、田村淳だ。この番組には9年半ぶりの登場だという。淳がプレゼンしたのは「番宣CMでダウンタウンがガッツリ泣いてたら流石に視聴率爆上がり説」。スタジオで、ダウンタウンのふたりがそれぞれ泣いているかのようなカットを撮る。この番宣、目にはしていたけど、別になんとも思わなかった。

 昨夜の「あちこちオードリー」は博多華丸・大吉がゲスト。華丸大吉がたどってきた道のりがとても独特で、ここまで詳しく知ることも今までなく、大いに興味をもつ。もともとは福岡大学の落研の友だちだったふたり、それぞれの高座名は、大吉は「福々亭こまんど」、華丸は「福々亭さろん」といった。最初のコンビ名は高座名を合わせた「さろこま共同体」。NSプロダクションという事務所にスカウトされ、つけられた名前が「ヨッチャンオカチャン」「福大土木経済」。それから福岡吉本が発足し、そのタイミングで吉本所属となる。その発足時に一緒に所属したのがカンニング竹山。1989年に「吉本新喜劇やめよっカナ?キャンペーン」というのがあり、それがここにつながってくるんだな。そのキャンペーンであぶれた座員たちが博多温泉劇場で公演を行い、華丸大吉はそこに住み込みで裏方をやりながら出番ももらっていた、そこがデビューとなるわけだ。1991年には「どっちもどっち博多っ子倶楽部」という福岡ローカルの番組があり、竹山が司会に抜擢されるが、2、3回の収録後に竹山は失踪する。吉本は竹山と華丸をコンビにするつもりで、大吉はその番組でフロアディレクターをやっていたのだが、竹丸の穴を華丸大吉で埋めることになり、そのあとに始まった村上ショージ司会の番組「Doの夜はとことん」という番組では雛壇に座る。この番組が当たり、のちに村上ショージが抜け、華丸大吉がメインになった「とことんサンデー」という番組が大人気になった。それがデビュー2年目、21、22歳頃。しかし、それ以上に人気だったのがおタコプーだったという。1997年、「電波少年」がブームだったころに、「とことんサンデー」では大吉が1年間アメリカに行く企画を番組スタッフと進め、生放送で発表するが、福岡吉本の所長と番組の関係が悪く、所長が番組に怒鳴り込み、番組の枠が消滅することに。アメリカには吉本が行かせてやるという話になり、自宅で待機するが、吉本からはなんの音沙汰もなく、大吉はそのまま1年間休業するはめになる。結局、インドに40日間ぐらい行ってきてから復帰したというのだが、大吉はそのひまな時期に漫才のネタを書いていた。華丸はそのあいだ、FMのDJをやっていた。1999年からは「爆笑オンエアバトル」が始まる。福岡吉本の6年下の後輩、ヒロシのブレイクに刺激され、東京進出。2005年、華丸の児玉清のものまねが「細かすぎて」でブレイクし、翌年には「R-1」で優勝するのだが、このものまねはFMのDJ期に生まれていたというのだから、いったいなにが幸いするか。

 火曜に放送された「アンタウォッチマン!」は、とにかく明るい安村の特集。元はアームストロングというコンビだったが、このコンビが2000年結成なんだ。2007年の「M-1」の敗者復活戦は、アームストロングのつぎがサンドウィッチマンという順番だった。重い空気のなか、その空気を打ち破るようにウケたのがアームストロング。それがあったからサンドウィッチマンがウケたというわけか。もし順序が逆だったら、アームストロングが勝ちあがっていた可能性もあっただろうか。



◇ 六本木

 朝から都内に。昼には六本木のほうに移動し、交差点から芋洗坂を下っていくと、現場作業員風の兄ちゃんたちが、休憩時間にサイファーをやっていた。六本木はすごいな。蔦屋書店の手前からテレビ朝日の前にあがり、六本木ヒルズのほうに昇り、また交差点に戻ってきた。珉珉という店に入り、週替わりランチの牛バラ肉のトーチー炒めを食べた。800円。









◇ 渋谷・下北沢

 渋谷に出て、センター街を抜け、まんだらけに寄っていく。階段の百均から、2冊買う。松濤のベローチェに入り、ひと休み。音楽を聴きながら、しばらく眠る。読書もするが、あまり集中できない。冷房が寒い。それから、井の頭線に乗り、下北沢に移動。時間に余裕あり。ほん吉に寄り、外の棚から110円の文庫本を2冊買う。古書明日にも行ってみるが、こちらは休みだった。




◇ 落語会

 北沢タウンホールにて、今月も立川らく兵さんの真打トライアルの会を。当日精算、2500円。19時開演、前半が「らくだ」、仲入りを挟み、後半は「文七元結」。最後に志らく師匠の講評。「らくだ」はかなり面白いと思ったのだが、師匠はややきびしめだった。しかし、まったく心配していなかったが、無事に真打昇進決定となる。よかった。前日にらく兵さんとDMのやりとりをしていて、まあ、大きなお世話かと思いながらもちょっと提案をしていたのだが、やっぱり、それは果たされなかった。披露目までにどれだけ盛りあげられるかのほうを心配している。

 帰宅前に雨に降られた。昨日は傘をもっていたのに降られず、今日は傘をもっていない。濡れながら帰る。夜遅くに帰宅し、録画していたテレビ番組をいくつか。今日の「徹子の部屋」は、元高見山の渡辺大五郎がゲスト。そして、今日の「ニュース7」を観ると、ジャニーズ事務所の会見を扱っている。帰りの電車内で、SNSから情報は目にしていた。望月衣塑子の質問がひどかったようだが、このひともまたトラブルの多いひとだ。会見には、藤島ジュリー景子、東山紀之、井ノ原快彦が出席。藤島ジュリーは社長を辞任、東山が社長に就任し、年内で引退するという。しかし、このニュースでは見出し程度の映像しか流してくれなかった。深夜2時前に眠る。

2022年10月10日月曜日

10月10日月曜日/祝日はテレビを観る

◇ ブログ・ラジオ

 朝に起きあがり、ブログの更新をひとつ。すっかり、ブログに時間をかけすぎるようになっているが、今朝はすぐに書けた。数日前に更新したあるエントリーのアクセス数がやけに伸びていて、注目されるような要素があるとも思えず、奇妙なのだが、ついに全期間でトップになってしまった。どこかにリンクでも貼られた可能性も疑ったが、だとしたら、むしろ、もっとアクセス数が伸びてもいい気がする。原因がわからない。普段はまったくアクセス数が少なく、書いても書いても手応えがないのだが、その代わりに、自分のペースで更新していればいいというのが利点であり、そもそも、ブログを始めたのは、SNSの論理からは距離を置きたいという考えがどこかにあったことはたしかで、blogger はあまり検索に引っかからないというからこれを選んだくらいだ。知り合いにわざわざ知らせるようなこともほとんどしていないから、いったい、誰がどうやって、なんのためにこれを読んでいるのか。今どき、こんなブログを読むのはよっぽどの変人ではないだろうか。

 昼はラジオ。「ビバリー昼ズ」を聴くと、高田先生は「ナインティナインのオールナイトニッポン」もチェックしているようなのだが、その作家の小西マサテルが宝島社の「このミス」大賞を受賞したことを話題にしていた。12時台は、阿川佐和子がゲスト。「週刊文春」の連載対談から落語家との対談を集めたムックが出て、落語家以外では、(伯山がひとり講談師だが、)高田文夫と小沢昭一が収録されている。その話題から、小さん、談志のエピソード。「TVタックル」で共演するたけしとは、会うと「伊集院(静)さん、元気?」という会話をするという。祝日の今日は「ナイツ ザ・ラジオショー」はやっぱりお休み。先週もユーミンの特番があったが、今日はミッツ・マングローブによるユーミンの番組を放送していた。

◇ テレビ・読書

 今日は外出せず、録画していたテレビ番組をいろいろと観ていく。今日の「徹子の部屋」は、美輪明宏がゲスト。87歳の美輪が「光陰矢の如しというけど」と言うと、徹子さんも「美輪さんもそう?」と返す。会話を聴いていると、しゃべっている年代がやや食い違っていたようだが、「夢であいましょう」など、テレビ放送初期の番組で共演した話をしていた。美輪明宏と徹子さんで、互いに変顔をやってみせる場面もあった。

 昨日は「ワイドナショー」を観そびれてしまっていた。松本が不在の週、野沢直子が出演のほか、田村淳、武田鉄矢、ふぉ~ゆ~辰巳雄大というメンバー。猪木の訃報が扱われると、武田鉄矢からは、「金八先生」の裏番組がプロレス中継だったのだが、倍賞美津子が「金八」に出演していて、撮影現場に猪木が迎えにきていたという話が語られた。

 昨日の「ボクらの時代」は、博多華丸・大吉とタカアンドトシという4人の顔合わせ。それぞれ、福岡、札幌の、地方吉本1期生という共通点がある。そういえば、つい先日、「木梨の会」にも出演していたのに忘れていたが、華丸が売れるきっかけをつかんだのは「細かすぎて」の児玉清のものまねだった。これは知らなかったような気がするが、大吉ももともと、とんねるずに憧れていたのだという。

 昨日の「週刊さんまとマツコ」は、黒沢かずこがプレゼンするさんまのセカンドライフという特集。土曜の「お笑い向上委員会」は、松竹のメンバーの回が続き、オジンオズボーン篠宮の「口だけ男」に笑う。金曜の「A-Studio+」は、Creepy Nuts がゲスト。金曜には「刺さルール」の1時間スペシャルも放送された。伯山がラジオで言っていたとおり、伯山が不在なのだが、それについてはなんの説明もなく、せいやが司会を務めていて、番組もだいぶ終盤になってから、伯山からのメッセージのVTRが流れた。回答者はレギュラーメンバーに加え、箕輪はるかが登場。今回の目玉は、VTRに山口もえが田中にはサプライズのかたちで登場したことだった。およそ20年以上前、爆笑問題と共演していた、日本テレビの「号外!!爆笑大問題」の映像も流れた。

 それにしても、なんでこんなにたくさん録画しなきゃならないのかと思うほど、空けても空けても、録画残量がすぐに足りなくなる。その都度、DVDにダビングをするが、そのあいだに読書もしていた。R-指定「Rの異常な愛情」を読み終える。2019年刊、白夜書房。定期的に開催されたトークイベントを書籍化したもので、高木〝JET〟晋一郎が聞き手を務めている。1991年生まれのR-指定のラップ体験が語られていくのだが、この世代になると、スチャダラパーなんかはまるで出てこないのか。登場する楽曲を Spotify で確認しながら読んだが、餓鬼レンジャーなんかは今まできちんと聴く機会がなかった。そういえば、くりぃむしちゅーが参加している楽曲があり、知ってはいたが、聴いたことはなかったのだ。別のアルバムに収録されているスキット(コント)には、グレープカンパニーの作家が参加しているということも初めて知った。

 昨日の「笑点」は円楽追悼の放送になり、オープニングのアニメは円楽(楽太郎)の場面をつないで編集したものになっていた。大喜利のコーナーは「ありがとう円楽さん大喜利」として、円楽の席には紫の着物が飾られた。メンバーのあいさつで、山田隆夫はもう涙声になる。過去の円楽の回答傑作集が流され、そのあとには、円楽が司会をした回の問題が1問目に出題された。モニターを使い、円楽の音声が出題するという演出。つぎにもまた過去のVTRを挟み、それから出題という構成。最後には、円楽の座布団を十枚にした。

 そして、今日の昼にもまた、「笑点」の円楽追悼特番が放送された。文枝、談春、小朝のコメントがあり、日本テレビの秘蔵映像もたくさん流される。いちばん古い映像は、1977年に放送された「日本テレビ番組対抗歌合戦」に「笑点」チームで出ている映像なんだそうで、それ以前にも出演はしているが、映像は残っていないのだ。1988年放送、ビーチバレーのエキシビションマッチでは、円楽は江藤博利とのペアで出場。2003年には、好楽、木久扇と一緒に「天声慎吾」に。1984年には「おとこの台所」という料理番組に出演。2012年放送「家族、貸します ファミリー・コンプレックス」というドラマでは、田中麗奈の父親役を演じていて、セリフはたった22秒。番組後半では、8月の国立演芸場の復帰に向けたリハビリの様子を放送していたが、つらい映像をこんなにたくさん流さなければならないんだろうかな。「笑点」の楽屋を訪れたのは5月下旬と言っていたが、放送されたのはいつだったろう。番組では、円楽が高座に執着する理由を、円楽の過去の発言を引っぱり、歌丸との絆というストーリーにしてみせる。番組最後にはメンバーから言葉が贈られ、順に、小遊三、木久扇、たい平、宮治、山田隆夫ときて、そのあとに同じ一門の好楽、そして、昇太がいちばん最後だったが、昇太だけは落語家としての思い出を語らない。学生のころに見た楽太郎のバイクの広告がおしゃれでポップだったということだけを語った。

ブログ アーカイブ

5月20日土曜日/「THE SECOND」

◇ 神保町  朝から都内に。小雨だが、予報ではすぐに止みそうなので、傘はもたずに出た。気温も読めず、パーカーを着ていく。今夜は「THE SECOND」を観なければならないから、余力を残しておきたかったが、想定していたよりも時間に余裕が作れなかった。昼は神保町。土曜はランチをや...