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2024年9月6日金曜日

9月6日金曜日/夏の終わりの長者町

◇ 日ノ出町・伊勢佐木町・長者町

 早朝に起きあがり、ゴミを出してくる。ペットボトル、瓶、缶、金属。それから眠りなおしたら、午前中がつぶれてしまった。昼はラジオ。「ビバリー昼ズ」を聴く。午後、録画していた「徹子の部屋」を観る。ゲストはカルーセル麻紀。現在、81歳。88歳の姉とふたり暮らしをしているという。「同じ歳の友だちがね、みんな出ないんですよ、電話に。使えないっていうの。」 ほんと、この年代はそう。うちの母を見ているとよくわかる。

 午後から外出。京浜急行の日ノ出町に出て、まず、中央図書館に寄り、4冊借りていく。野毛坂を下り、イセザキモールに抜け、ブックオフに寄る。110円の文庫本を1冊だけ買う。ドン・キホーテの向こうまで歩き、遅めの昼食にする。黄金という店に入り、もやしつけ麺と半チャーハンのセットを食べた。おもてのメニューには 680円と書かれていたのに、会計時に1010円というので一瞬動揺した。どうやら、ランチメニューが出しっぱなしになっていただけのようだ。レジの後ろの棚にそのメニューがしまってあるのが見えた。まあ、680円では安すぎるほどのボリュームではあったからいいんだけども。

 マクドナルドに入ろうかと思っていたが、混んでいてやめる。関内方面に戻るが、金を盗まれたドトールにはまだ入る気にならず、ましてや、今日はそのときと同じシチュエーションだ。となると、ベローチェが改装中だから行き場を失ってしまう。吉田町にミニストップがあったことを思い出すが、行ってみると、イートインスペースはいつの間にかつぶされ、物置のようになっていた。いよいよあてがなくなり、日ノ出町駅のほうに戻ってくる。イートインのあるコンビニはほかに見つけられず、ちょっと落ち着きたい用があったから困ったが、ひとまわりしてイセザキモールに戻り、大通りに進むと、バス停の近くにベンチを見つけた。ここに座って少し時間をつなぐことにすした。読書はまるでできなかった。

 今夜は長者町の試聴室その3にて、「MELODY KOGA ワンマンライブ ~夏の終わりのチー9タイム~」。20時開演に間に合うように到着する。カウンターに三沢さんではない別のひとがいたのだが、ドリンク代が多かったみたいで、あとで三沢さんが席まで500円を返しにきてくれた。MELODY KOGA さんのライブは今回はリズムが入り、前回も新境地だったが、ここ最近は新しい試みをしている。ここにくると誰かに会えるのだが、今日はサラダくんにひさしぶりに会えた。コロナ前以来だが、サラダくんは「ブックオフ大学」の感想をツイッターに書いてくれて、なのに、自分がツイッターを離れてしまったもんだからそれっきりになっていて、ちょっと気にしていたから会えてよかった。

 深夜に帰宅し、録画していたテレビ番組をいくつか。今夜の「ミュージックステーション」を早送りでざっと観る。「ネタパレ」には、宮下草薙、レインボー、真空ジェシカ、金の国、家族チャーハン、や団が出演。今週は珍しく、6組のネタを普通に放送した。いつもこれでいいんだけども。

 SNSから、浅草キッドのライブがもう発売されていて、とっくに売り切れていたことを知った。配信もあるんだけども、しかし、東洋館のキャパで、S席、A席、B席と差をつけているのは本当に意味がわからないよ。深夜に明日のゴミの準備をして、そのまま、朝までにブログの更新をひとつ。

2024年8月14日水曜日

8月14日水曜日/今年も寿町

◇ 寿町

 よく眠れず、朝にゴミを出してから、すぐに眠りなおしたかったが、母に話しかけられたら眠れなくなってしまった。それでもなんとか眠りなおし、目が覚めたら昼近くなっていて、すっかり時間がない。午後にあわただしく出発する。関内に出て、ローソンストア100 に寄り、ドデカミンだけ買っていった。

 今年も「寿町フリーコンサート」。去年、4年ぶりに本格開催され、ひさしぶりに訪れた寿町は交流センターの建物が建てなおされ、見違えるようにきれいになっていた。14時開演だが、少し遅れて到着する。今年のトップは渋さ知らズ。建物の上にあがって、スロープの途中から眺めていると、舞踏のメンバーがこちらのほうまで踊りながらやってくる。地べたで観るよりも、建物に登ったほうが風が吹いていて気持ちがいい。二番手は川口真由美。ここで会場をいったん離れ、ご飯を食べに行く。あまり遠くまで行っては戻るのが大変だから、寿町の入り口にあるボートピアの食堂を利用した。きつねそばを食べる。550円。食券機が新紙幣が使えず、ボートピアの受付でとりかえてもらう。ここのきつねそばはそこらへんの駅そばよりよっぽどうまい。会場に戻ると、つぎの出番は TEIYU CONECTIONS。2年連続の出場。去年観て初めて知ったが、じゃがたらのドラマーである中村ていゆうが率いるバンドだ。ボーカルは南流石。今年もじゃがたらの曲を連発する。しかし、のどがからからになってしまい、少し抜けて、自販機でトマトジュースを買って飲んだ。スロープの上と下を行ったりきたりしていたが、終盤は、広場の端っこに座ってライブを眺めていた。知り合いを見かけたが、動くのもかったるい。最後は遠峰あこと爛漫社中が登場。遠峰さんのステージもひさしぶりに観た。ツイッターをやめてしまったらいろんなひとと疎遠になっている。

 19時前に終演し、伊勢佐木町のほうに歩いていく。まいばすけっとに寄り、今季初のアイスモナカを買って食べた。ベローチェに入り、ひと休みしてから帰る。横浜駅までは歩き、歩きながら、先週土曜に放送された「HONMOKU RED HOT STREET」をタイムフリーで聴いた。1曲目に Ginger Root をかけていて、先週のヒコロヒーの番組でも、別の曲だったかもしれないが、Ginger Root の曲をかけていた。同じ週に別の番組で2回聴くと記憶に残る。

 帰りの電車内では読書を始めるが、隣りの席に大柄な男に座られ、それだけでも窮屈だが、どういうわけか目の前にも大柄な男たちが立ち、大柄な男に包囲された。この暑苦しい季節にはたまらない不快感だ。おかげで、読書がまるで進まない。

 夜遅くに帰宅し、帰るなり、ウォーターサーバーの水の補充をする。先にやっておかなかったから、帰宅してすぐに冷たい水が飲めない。録画していたテレビ番組をいくつか。今日の「徹子の部屋」は傑作選「嬉し恥ずかしピン芸人の初登場」。出川哲朗(2017年放送)、小島よしお(2008年放送)、友近(2005年放送)、ヒロシ(2005年放送)の過去の出演回の映像が流される。

 疲れきっているのに、眠ろうとしても眠れない。部屋が暑いせいだ。深夜にブログをひとつ更新し、早朝近くなってからようやく眠る。

2024年8月12日月曜日

8月12日月曜日/「徹子の部屋」と戦争

◇ テレビ

 午前中がいちばん涼しいからよく眠れる。じわじわ暑くなってきたころに起きあがり、ブログを更新。録画していたテレビ番組をあれこれと。今朝の「虎に翼」は、ユミちゃんが大きくなって、別の子役になった。寅子、ハナエちゃんも老けづくりになり、いよいよ終盤になってきた感がある。

 昨夜の「おかべろ」は石原良純がゲスト。「夢で逢えたら」に出演した衝撃を語る。しかし、のちに野沢直子に会ったら、それをぜんぜん覚えていなかったという。

 観そびれていた「徹子の部屋」をまとめて観る。先週木曜は櫻井翔がゲスト。10年ぶりの出演。2014年放送、32歳のときに出演した回の映像も流される。櫻井翔は祖父が新聞記者だった。日曜には戦争をテーマにした「徹子の部屋」の特番があり、戦争体験を語るゲストたちの証言がここでも流されていた。加藤武(2010年)の回と千玄室(2010年)の回。先週金曜の「徹子の部屋」はオズワルドがゲスト。スタジオで漫才を披露するオズワルドだが、漫才の最中に、伊藤がこの空気ににやにやし始める。伊藤はネタを飛ばしていたようだ。オズワルドは「クレヨンしんちゃん」の映画の声優をやったからその宣伝で出演したんだな。今日の「徹子の部屋」は藤あや子がゲスト。

◇ 星川

 夕方から外出。外に出たほうが、風が吹いていて気持ちがいい。星川に出て、コーナンで買いものしていくが、やけに混んでいる。殺鼠剤だけ買っていく。ゆで太郎に入り、もりそばを食べる。430円。無料券でかき揚げもつける。駅前のマクドナルドに入り、ひと休み。「ハリスの旋風」5巻を読む。このボクシングのあたりが「あしたのジョー」の原型になっているんだろう。

 夜に帰宅し、夜もまた、録画していたテレビ番組をいくつか。日曜に放送された「徹子の部屋」の特番「「戦争」を忘れない」を観る。櫻井翔は昨年から黒柳徹子に連続インタビューを行っていた。戦争のことを体験者に訊いておかなければならないと思ったのは池部良がきっかけだったという。過去の回から、池部良(1993年)、淡谷のり子(1991年)、三波春夫(1977年)、海老名香葉子(1994年)の回が流される。三波春夫は戦場の体験を、にこにこと、まるで笑い話のように語る。つらい体験を笑い話にするというのは誰にでもあるのだけど、たとえそれが戦争であろうと、人間はそういうものなのだ。笑わせようというのではない、そうしないと本人が救われないのだろう。長女の三波美夕紀もこの番組のためのインタビューを受け、三波春夫のシベリア抑留生活を語った。櫻井翔は同世代の戦争の語り手として、千田豊実という画家、寿大聡という俳優を訪ねる。番組後半には徹子さんも東京大空襲の記憶を語った。過去の回から原爆の記憶も、三代目江戸家猫八(1988年)は広島、美輪明宏(1989年)は長崎の原爆の体験を語っていた。この猫八の話は別の回で流されていたときにも観たが、すさまじく壮絶なことを涙しながら語っている。TVer では櫻井翔と徹子さんの未公開の対談があるらしいのだけど、いや、それよりも過去回それぞれのフルサイズを配信してほしいくらいだ。

2024年8月1日木曜日

8月1日木曜日/ガンディーマジやばい

◇ テレビ

 今朝は涼しく、こんなに眠っていていいんだろうかというくらいに眠った。ブログの更新をひとつ。録画していたテレビ番組をあれこれと。今朝の「虎に翼」を観て、それから、昨夜の「水曜日のダウンタウン」を観る。先週の三つ子企画の続編として、三つ子を使ったドッキリ企画。宮下草薙の草薙に「同一人物無限出現ドッキリ」を仕掛けるが、草薙が鈍感すぎて、ぜんぜん面白くならなかった。後半は、ひさしぶりのあかつ企画「不要となったコロナ対策のアクリル板を回収しながら北上すればそのアクリルで作った船で津軽海峡渡れる説」。Ado がゲストの昨夜の「あちこちオードリー」も観る。

 SNSから、園まりの訃報。80歳だったとは驚いた。つい最近まで「徹子の部屋」に出ていたのに。今日の「徹子の部屋」は湯川れい子がゲスト。シャンソンの曲を公募した「エターナルソング・コンテスト」にて、志穂美悦子が「鬼無里まり」という名でシャンソン歌手デビューした映像も流された。

 テレビを観ながら、とんねるずの武道館ライブのチケットの抽選にようやく申し込んだ。第3候補まで申し込めるが、どうすれば当選確率があがるのかはわからない。もうひとつ、末広亭の余一会の立川流の会が今日発売だったのを忘れていた。気がついたときには完売。即完するような会じゃなかったと思うのに、うっかりしていた。これは一応、公演アラートに登録しておく。

 夕方から外出。横浜に出て、西口のすき家に入り、ダブルニンニク牛丼を食べた。680円。ビブレのブックオフに寄り、110円の文庫本を2冊買う。東口に移動し、ドトールに入る。いつもそうするように地下の席に降りていくと、どうも蒸し蒸ししている。冷房がついてないわけはないのだろうが、空気がやけにぬるいので、いつもは利用しない1階の席に移ることにした。

◇ 読書

 ドトールで、中島岳志「ガンディーに訊け」を読み終えた。2018年刊、朝日文庫。親本は2009年刊。2008年に放送されたNHK「知るを楽しむ」のテキストがこの本のもとになっていて、終章には南直哉との対談がたっぷりと収録されている。中島岳志の本を読むのはこれが何冊目になるだろうか、1975年生まれ、同い年の政治学者だが、政治に対する考えは中島岳志からずいぶん学ばせてもらっている。とても信頼できる書き手だと思っている。この本も付箋をたくさん貼りながら読んだ。以下、たくさん引用。

P12「私はもともとガンディーに対して、かなり懐疑的でした。ガンディーの構想の実現など、人類には不可能だと思ってきました。人間が欲望を乗り越えることなどできっこない、暴力のない社会なんて永遠にやってこない。そう強く思ってきました。実は、今でもそのような考えは、あまり変わっていません。人類は永遠に不完全だし、人間の能力には限界があると思っています。しかし、ガンディーとじっくり向き合ううちに、彼はそんなことなどすべてお見通しだということに気づきました。人間がどれほど多くの限界を持ち、様々なものに限定されて生きているのかについて、ガンディーほど真摯に考えた人物はいないということがわかってきました。そして、だからこそ彼は信仰の意義を説き、生き物すべての命の意味を深く問い続けたのだということに気づきました。ガンディーは、生まれながらの聖者ではありません。様々な欲望にまみれ、人の何十倍もの反省を繰り返しながら、ゆっくりゆっくりと思想を練り上げ、それを実践していきました。」

P33-34「「食べない」というのは、ある意味「塩の行進」と同じく非常にわかりやすい方法で、食べなければ衰弱して死ぬことは、誰にでもわかります。「このまま争っていたら、私たちのガンディーは本当に死んでしまうかもしれない」と思います。だから、争うのをやめる。「自分たちはこれでいいのか」と自己反省することになるのです。心の中にある宗教的なるもの・善良なるものが引き出されていくわけです。(略)しかし、例えば今の日本の政治家を見ても、自分の公約にそこまで真剣な祈りを捧げる人はいませんし、その人が食べないからといって政治が動くようなこともまずありません。ガンディーという人が、「断食」をすれば争いがやむだけの尊敬と信頼を受けていた人物だったからこそ、成し遂げることができた政治行為だったのでしょう。「断食」による政治解決という方法は、誰でも成功するものではありません。」

P35-36「彼は「機械から手作業へ」という近代と逆行する道筋を説きました。彼が批判したのは、イギリスの産業界だけでなく、機械に依存している近代社会そのものでした。機械に依存し、欲望を次々と搔き立てられる社会は、人々が物欲の奴隷になっている社会だと批判したのです。(略)ただし、彼は機械そのものを否定したのではありません。そもそも糸車も機械ですし、すべての機械を否定することは、近代社会では不可能でしょう。ガンディーは学生から「あなたは機械に対してすべて批判的なのですか?」と問われたとき、「私は機械に対してではなく、機械への狂信に反対しているのです」と答えています。つまり、すべてを機械に依存し、あらゆる欲望を機械の発展によって実現しようとする「狂信」に対して、ガンディーは批判の矛先を向けたわけです。そして、彼は静かに糸車を回す作業を重視しました。」

P40-42「「塩の行進」「断食」「チャルカー」と、ガンディーが独立への突破口を開こうとした三つの事例を挙げましたが、これらから浮かび上がってくることがあります。それは、「メタ宗教」ということです。いずれの出来事も宗教的な意味合いは大きいのですが、特定の宗教・宗派の教義というわけではありません。(略)だから、ガンディーは独立運動を推進する上で、特定の宗教イコンやモチーフは、使いませんでした。それよりもっと高次なレベルで人々を結び合わせる方法を模索したのです。そこで構想されたのが「メタ宗教」です。「メタ宗教」というのは、特定の宗教の教えを超えた普遍レベルの宗教のことで、ガンディーは個別的な対立を超えたところで普遍的な宗教的価値を共有しようと訴えました。そもそもガンディーは、ヒンドゥーとイスラームが、同じ真理を共有していると考えていました。またそれはキリスト教も仏教もスィク教もジャイナ教も同じで、究極的にはすべて同じ一つの真理を共有しているというのがガンディーの考えでした。(略)ですから、宗教は根源的な真理をしっかりと認識すれば、対立するはずがないとガンディーは考えていました。彼は、宗教対立を解決するために、宗教を排除したり空洞化したりするのではなく、その本源に迫ることによって、表層的な違いを乗り越えることができると訴えたのです。彼はそのような哲学を、「歩くこと」や「食べないこと」「チャルカーを回すこと」といった極めて具体的で日常的な行為によって表現しようとしました。彼の思想は、あくまでも机上の論理ではなく、すべてが行為となって表現されるものでした。しかも、その行為は極めて普遍的でシンプルなものです。誰でも理解できる行為です。ガンディーのすごいところは、まさにこの部分です。」

P45-46「実は、ガンディーが白い腰布一枚の着衣にこだわったことには、深いわけがありました。インドでは、どのような衣をまとっているかによって、その人の社会的属性(地域やカースト、人生の段階)を示すことがあります。(略)ガンディーはもともと弁護士でしたので、イギリス留学時代や南アフリカ時代の初期には、立派なスーツ姿でした。しかし、南アフリカでの活動の過程でインドの大衆的な服装に変化し、インドに帰国後は徐々に半裸のスタイルになっていきました。これはガンディーが、地域やカーストを超えたスタイルを追求した結果でした。さらに、半裸の姿は「無所有」の象徴でもあります。(略)彼の着衣には、明確な政治的メッセージが込められていたのです。さらに、眼鏡に坊主頭、半裸という姿は、「ガンディーとはこんな人だ」ということを人々に印象づけるにはもってこいでした。(略)ガンディーは、パフォーマンスの担い手という側面でも、やっぱり天才だったと思うことがあります。」

P49-50「ガンディーの「非暴力」は、時に「無抵抗」と誤解されることがあります。実際、少し前まで、ガンディーの主義を「無抵抗主義」と呼んでいたことがありました。が、これは正確ではありません。というのも、ガンディーは決して無抵抗だったわけではないからです。むしろ、「これは間違っている」と判断したことに対しては積極的に抵抗すると言ったほうが当たっています。ですから、「不服従」、あるいは「非協力」と表記するのがよいと思います。」

P51-52「ガンディーには常に他者を迎え入れる姿勢があります。そして、その相手に応じて言葉を発し、対話を通じて自らの信念を表現しようとしていきます。このような「受身」の姿勢の中に、ガンディーは積極的な側面を見出していたのではないかと、私は思います。とにかく前のめりになって何かをつかもうとするのではなく、静かに座ってチャルカーを回したり、ゆっくりと歩いたりしながら、何かを実現していこうとするガンディーは、「受身であることの積極性」を深く追求していたのではないでしょうか。これは、彼の哲学が否定形で表現されることが多いことと無縁ではないと思います。」

P53「さて「非暴力」という概念ですが、ガンディーは単に「暴力を使わないことがよい」と言っているわけではありません。「暴力を捨てる勇気を持つことが重要だ」と言っているのです。暴行の場面に出くわしたら、止めに入らなければなりません。見て見ぬふりをするのは非暴力の実践ではありません。彼は「非暴力を臆病の盾にしてはいけない」「卑怯者になるよりは剣をとれ」と言いました。」

P58-59「しかし、ここで困ったことが起こります。なぜならば、国家はどうしても暴力装置であるという側面を否定できないからです。ガンディーの思想は「非暴力」でありながら、インドの独立を要求していました。しかし、国家は紛うかたなき暴力装置です。主権国家体制において、国家は暴力を合法的に占有することのできる組織です。(略)ガンディーはこれをどう考えたのでしょうか? おそらく、彼はインドという国家を「暴力を超越した正義にコミットする国家」へと転換させたいと考えていたのだと思います。」

P60-61「ただし、ガンディーは近代国家の中枢である議会の存在を一貫して否定的に扱っています。(略)ガンディーの目には、議会の構成員である議員たちは「偽善者で利己主義者」というように映っていました。議員たちは、自らの利益を最優先して行動を起こすために、何一つとしてよいものを生み出さないというのです。ガンディーは、議会制民主主義に対して懐疑的だったということができるでしょう。なぜならば、それはマス(大衆)とマスメディアの熱狂によって大きく左右され、真の正義が実現される余地がほとんどないからです。」

P67-68「ガンディーは国家の機能を最小限にとどめ、おおよそは地域共同体の自治によって運営するべきであると考えていました。ある意味で、究極の地方分権論です。(略)これは、アナーキストが考える「コミューン」の発想に近い部分があると言えるでしょう。彼の反資本主義的側面を考慮すれば、その側面が一層、際立って見えるかもしれません。地域社会における相互扶助を説く点も、似ていると言えるでしょう。ただし、彼は左翼的な理性主義・合理主義を採りません。あくまでも人間の理性には決定的な限界があり、理性による設計主義では世の中はうまくいかないというのが彼の信念でした。そのため、彼は人智を超えたものに依拠することの重要性を説き、伝統や慣習、良識、神などを尊重しました。」

P71-74「ガンディーの不服従運動は、一般に「サッティヤーグラハ運動」と呼ばれているのですが、これは、「サッティヤー(真理)」と「アーグラハ(主張)」を掛け合わせた言葉で、「真理の主張」といった意味になります。ですから、非暴力や不服従のみを指しているわけではなく、もっと広い意味があります。(略)彼は、サッティヤーグラハについて興味深いことを言っています。彼は「歴史」という単語がヒンディー語と英語では、その語源的意味が異なることに注目し、サッティヤーグラハの真意について論じています。ちなみにヒンディー語で「歴史」は「イティハース」と言います。英語はもちろん「ヒストリー」です。(略)ガンディーは、ヒンディー語の「イティハース」の語源が「このようになった」という意味であることに注目しています。これは非常に重要な視点です。ガンディーにとって、「歴史」とは過去の特異な出来事の羅列などではありません。私たちが「いま」「ここで」「このように」生きている状況を暗黙のうちに導いてきたものこそが「歴史」であり、我々の言語や思考様式、良識、伝統など日常生活を支えるおおよそのものは、「歴史」が慣習を媒介として運んできた英知に他なりません。(略)要するに「サッティヤーグラハ」は、何か特殊な人間が説いたイデオロギーや主義主張なのではなく、日常生活の中に「歴史」を通じて継承されてきた良識とそれに基づく暗黙の行為の中に潜んでいるものなのです。」

P93「最近の日本の政治でとく言われる言葉で、私が常々疑っている言葉があります。それは「構造改革」とか「抜本的改革」とかいう言葉です。(略)しかし、そんな簡単に改革などできるはずがないのです。度外れた楽観的未来像や設計を描いて、それを実現したら理想的な社会が訪れるなんて、ありえないのではないでしょうか。これはガンディーの気の長い闘争を見ても、思うことです。世界は漸進的にしか変わりませんし、極端な改革や革命など秩序の崩壊を招くだけです。人間の理性を過信してはいけません。人間の不完全性を、我々は直視しなければなりません。」

P96「ここで、私はもう一つ、ガンディーの言葉を思い出します。それは「ウォーク・アローン(一人で歩め)」という言葉です。ガンディーらしい、いい言葉だと思います。彼は人々と協調しながら運動を進めましたが、一方で孤立や孤独を恐れませんでした。彼は人間の共同性と単独性の両方を重視しました。時に人間は静かに一人で神と向き合い、自問自答しながら歩まなければならないのだと思います。」

P145-146「ガンディーは、世の中にはヒンドゥー教やイスラーム教、仏教、キリスト教などいろいろな信仰があるけれども、究極的には目指すところは一緒であると考え、それをわかりやすいたとえで語りました。例えば、「山のたとえ」というのがあります。「山にはいろいろな登り口があるけれども、頂上は一つである」と言いました。我々は登り道の違いのほうにばかり目を向けがちですが、重要なのは頂上で、目指すところは一緒だと言っているわけです。いわく、「宗教は同じ場所に到達する別々の道です」。つまりガンディーが言いたかったのは、真理の唯一性とそれに至る道(=宗教)の複数性です。(略)世の中では、平和主義的に、「それぞれの違いを認め合いましょう」などと呼びかけることがあります。しかし、それを聞くたびに、私は「違いを認め合う」ところにとどまっていていいのかという気がします。これに対して、ガンディーはもう一つ先の、「差異を認めながら、同時に真理の同一性を求める」というところを目指しました。ちなみに、これを西田幾多郎に言わせると「多と一の絶対矛盾的自己同一」ということになります。この難しい言い方を、ガンディーは非常にわかりやすく言ったわけです。」

P149-150「彼の人生は、まさに実践する人生でした。理論で語るのではなく、身体を使って、足を使って行動しました。「口だけ」で「行動」が伴わない宗教家や政治家が多いので、その人生はよけい際立って見えます。ガンディーもそう考えていたのではないかと思います。彼の自伝には、こんなサブタイトルがついています。「真理へと近づくさまざまな実験」です。(略)実験ということは、試行錯誤ということです。試し続けるということです。途上にあるということです。すなわち、悟っていなかったということです。悟っていなかったから、模索していたのです。自分には欲望があって、悟っていないという自覚があったから、実験し続けたのです。」

 平沼のブックオフにも寄り、スーパーで買いものをしてから夜遅くに帰宅した。録画していたテレビ番組を少し観て、明日のゴミの準備をしてから、深夜1時頃には眠った。

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2024年7月31日水曜日

7月31日水曜日/ひさしぶりのらくごカフェ

◇ テレビ

 早朝、ゴミを出しに行ってから、ブログの更新をひとつ。これでようやく昨年の大晦日までの日記が埋まった。ちょうど7ヶ月遅れの更新。眠りなおしてから、録画していたテレビ番組をあれこれと。昨夜の「アンタウォッチマン!」は「15秒後に分かる!ハっとする名言」という企画。ゲストは劇団ひとり。たけしの名言として、「芸人にとって、最強の武器は最高の常識人であること」「師匠が弟子を作るんじゃない。その逆で、弟子が師匠を作る。特に芸人の場合は。」という言葉が紹介されていたが、こういうのは出典を明らかにしてもらいたいんだよな。ほかにも「父親は子どもが最初に出会う、人生の邪魔者でいい。」「いつも現在が人生の絶頂期だ。こう考えりゃ、老いるのなんてまったく苦にならない。」というたけしの名言が紹介された。劇団ひとりがたけしに初めて会ったのはスープレックス時代に出演した「新橋ミュージックホール」だったんだな。

◇ 神保町

 午後から外出。横浜から東横線、渋谷から半蔵門線に乗り換え、神保町まで。すずらん通りのスヰートポーヅはついに建物ごとなくなってしまった。東京堂に寄り、すずらん通りの端から靖国通りを交差点まで戻ってくる。ひさしぶりに嵯峨谷に入ろうかと、店の前で迷っていたら、なかから出てきた見ず知らずのおじさんに「うまいですよ」と言われた。鶏せいろを食べる。750円。食券機がすっかり最新鋭になっていて、食券の番号がモニターに出される。店に入ったときにはほかに客がいなかったのだが、そばをすするような音がどこかからしていたのが奇妙だった。実際に誰かがそばをすすっているはずはなく、なんの音がそう聴こえるのか。

 交差点のドトールに入り、ひと休み。2階の窓際の席に座り、なんの気もなしに外の様子を眺めていると、少しのあいだにみるみると天候が悪くなり、どしゃぶりになった。雨が弱まったら出ていこうかと、スマホから雨雲レーダーを確認していたが、待っていてもどうも無駄なようだ。ドトールから走って飛び出し、横断歩道を駆け抜け、交差点の向こうのドラッグストアの軒先に避難する。もう一度信号が変わると、今度はらくごカフェまで走った。

 らくごカフェもとてもひさしぶりで、少なくとも5年以上ぶりだろう。雨に濡れ、1階のトイレで身づくろいをしてからエレベーターで5階にあがる。今日は「マコッサ!」という志らべさんの会。土曜のらく兵さんのパーティーで志らべさんに会い、週明けにちょうどこの会があったから行ってみようかという気になった。19時開演、5分前に到着。受付は青木さんでもなければ、いつもいた女性のスタッフでもない、知らないおじさんだった。小さい会場、椅子席はおおむね埋まっていて、サイドの席に座る。前半は「野ざらし」「汲みたて」の二席、仲入りを挟み、後半は「人情八百屋」。

 夜遅くに帰宅し、録画していた「徹子の部屋」を観る。ゲストは秋川雅史。そういえば、彫刻家としても二科展に入選するほどの腕前なのだった。スタジオでは「千の風になって」を歌った。

2024年7月26日金曜日

7月26日金曜日/新札は確実にピン札

◇ テレビ・雑誌・YouTube

 どうやら朝がいちばんよく眠れる。遅めに起きあがり、ブログの更新をひとつ。録画していたテレビ番組をいくつか。今朝の「虎に翼」は、画面端に東北の大雨の情報が出ていた。今日の「徹子の部屋」は平原綾香がゲスト。今度の「徹子の部屋コンサート」に出演するそうで、共演者に松平健の名があるのを見て、父の平原まことと宮川彬良がユニットを組んでいたという話をする。そのコンサートでは最後に「マツケンサンバ」をやっていて、「私のソウルミュージックです。」と言っていた。

 楽天マガジンで雑誌のチェックをすると、「週刊現代」の梅沢富美男の連載で都知事選のことを語っていた。名前は出さずに「今回2位になった候補者も、正直とてもうさんくさかった。」 中沢新一の連載でも石丸伸二を分析していた。

 東宝の YouTubeチャンネルが、野村萬斎と新しい学校のリーダーズの対談の動画を公開していた。野村萬斎は「もしも徳川家康が総理大臣になったら」の主演を務め、新しい学校のリーダーズは主題歌を担当している。野村萬斎はかねてから新しい学校のリーダーズの「箱推し」だったという。楽曲もよく知っているようだ。


 午後から外出。まず、かつやに入り、海鮮たまごチキンカツ丼を食べた。869円。かつやのフェア丼はつねに量が多いが、今日は腹が減っていたから食えるかと思ったが、かなり苦しかった。お茶をがぶ飲みしながらなんとか完食する。店を出て歩き始めると、のどのあたりで水面がたぷたぷしている感じがする。

 鶴ヶ峰に移動し、銀行に寄り、明日の祝儀に必要なお金を降ろしていく。前のひとが新紙幣を手にしていたのが見えたが、こっちはすべて旧紙幣で出てきた。ここで初めて気がつくが、祝儀はピン札でないとまずいんじゃないか。そういった作法のことをなんにも考えず、ただお金を用意すればいいと思っていた。あとで、別の銀行に寄り、両替機でピン札が出せないかと思ったが、両替機の使用は15時までで、間に合わなかった。こうなったら、せっかく出したお金だが、また入金して、引き出しなおしてみるしかないだろうか。ダメ元だが、ならば、ピン札が出る確率を考えると、お札の出入りが多そうな横浜駅の近くのほうがいいだろう。そのように知恵を働かし、横浜西口地下、エキニアの横浜銀行に行ってみると、なんてことはない、新札が出せるATMがあった。確率もなにもない、新札なら確実にピン札が出る。いったん入金し、ここで無事にピン札を手にすることができた。

 星川に移動し、ドトールに入る。読書をするつもりだったが、あまり集中できなかった。それから、イオン天王町に寄り、祝儀袋はダイソーで買った。スーパーで買いものしてから、夜遅くに帰宅する。

 台所を片づけ、日曜にウォーターサーバーが届くからその置き場所を作らなければならなかったが、明日はつぶれてしまうから、今夜中にやるしかない。もう一日余裕がほしかった。深夜にブログをもうひとつ更新してから眠る。

2024年7月16日火曜日

7月16日火曜日/横浜まで行って帰る

◇ 横浜・天王町

 朝から外出。傘をもって出る。横浜駅、南口改札にて、11時に叔父たちと待ち合わせ。ジョイナス地下2階の店で、2時間ほど食事をしてから別れる。ひどい眠気だが、ひとりカラオケに行ってしまおうと、天王町のバンガローハウスに。2時間利用、そのあいだ、トイレに2回行く。外に出ると雨降りになっていた。夕方には帰宅する。

 録画していたテレビ番組をあれこれと。今朝の「虎に翼」と、今日の「徹子の部屋」(ゲスト・武田真治)を観て、それから、放送直後の「NHKニュース7」を観る。「さんま御殿」は追っかけ再生で観てしまう。「長男長女vs真ん中vs末っ子」という特集。トーマス・アイアトンというスタンダップコメディアンが初登場。大谷翔平の新しい通訳の弟なのだ。検索してみると、吉本所属のようだ。「真ん中」のチームで出ていた松村沙友里がなぜか13歳という設定になり、大活躍していた。

 夜、ブログの更新をひとつ。いったん眠り、深夜1時半頃に目覚め、ラジオをつける。「爆笑問題カーボーイ」を聴くが、聴きながら眠ってしまった。

2024年5月27日月曜日

5月27日金曜日/火の鳥のような存在

◇ テレビ・ラジオ・映画・音楽

 朝、ブログをひとつ更新するのに時間を食う。それから、録画していたテレビ番組をあれこれと。今朝の「虎に翼」は東京大空襲から敗戦という時代を描く。先週から激動の展開になっている。兄の直道が死んでしまった。昨夜の「だれか to なかい」は鈴木保奈美と戸田恵子がゲスト。戸田恵子は「古畑任三郎 vs SMAP」ではマネージャー役だった。戸田恵子は中居に芝居を強く薦める。

 昼はラジオ。「ビバリー昼ズ」を聴いていると、オープニングのあとにクレイジーケンバンドの「ハマのビート」をかけた。12時台ゲストはミッキー・カーチス。あたまを開くような大きな手術をしていたとは知らなかったな。今は北海道に住んでるのだ。エックスを見ていないから知らないことばかり。続く「ナイツ ザ・ラジオショー」はポカスカジャンがゲスト。漫才協会入会の経緯を話していた。はたけんじのバースデーライブに呼ばれたのがきっかけだったのか。

 午後になり、近所の郵便ポストまで投函に行ってくる。小雨。今日は外出らしい外出はせず、録画していたテレビ番組をつぎつぎに観る。今日の「徹子の部屋」のゲストはロザンナと万梨音の親子。ロザンナもあたまを開く大手術をしていたようだ。ヒデとロザンナで出演した1981年の回の映像が流れ、38歳の出門英が生まれたばかりの娘の話をしている。それを四十数年が経った今、妻と娘がこの「徹子の部屋」のスタジオで観ているのが感動的だった。この番組は芸能人のあらゆる人生の節目が映像に残されているかのようでびっくりする。その悠久のときの流れのなかを黒柳徹子だけが永遠に生き続けている。火の鳥のような存在である。

 先週木曜の「SONGS」は岡村靖幸と斉藤和義のユニット「岡村和義」の特集。1990年放送「ジャストポップアップ」に出演する岡村靖幸、1993年放送「BS流行歌最前線」に出演する斉藤和義の映像が流されたが、斉藤和義は「つきあってたおねえちゃんにふられましてですね。」って、まるでたけしみたいな口調でしゃべっている。思い出の街である吉祥寺を岡村靖幸と斉藤和義がふたりで訪ねるというVTRがあったのだが、それを観ている大泉洋がやたらと変な笑い声をあげる。大泉洋の笑いのツボはどうなってるんだ。若いころに住んでいたアパートを探したあと、ふたりは思い出のライブハウスである曼荼羅にたどりつく。そこで即興セッションが行われ、「コーポインマイライフ」というただのアパートの名前を岡村靖幸があの声で歌いあげる。

 観そびれていた「ガキの使いやあらへんで!」だが、3月に放送された「ハリウッドザコシショウものまねストラックアウト」では、レギュラーメンバーに加え、ケンドーコバヤシが出演していた。4月に放送された「ランジャタイのヒーロー教室」では、陣内智則が参加している。結局、松本がいないぶん、もうひとり加わるかたちにしている。

 今日の「NHKニュース7」を観ると、明日明後日は大雨に警戒だそうで、線状降水帯が発生する恐れがあるとのこと。まいったな。そのほか、蓮舫が都知事選に立候補を表明とのニュース、菊之助が八代目菊五郎を襲名というニュースなど。八代目が誕生しても七代目も菊五郎のままだというのはすごい。

 夜、アマゾンプライムで映画を1本。ウディ・アレンの「マンハッタン」を観た。いったい何年ぶりに観るんだろうか。なんとなく覚えている場面は多いが、こういう映画だったかなと新鮮に感じるところも多かった。ウディ・アレンの自伝を読んだせいもあるかな。W・C・フィールズの名前が出ていることにも気がつけた。初めて観たときにはおそらくあまりわからなかったダイアン・キートンの魅力が今はよくわかる。17歳の少女との恋愛というストーリー。なぜそっちにいくかなという結末だが、少女に情も湧いてしまうんだよな。しかし、この映画の語り口にただ浸りたくなる。

 SNSから、椎名林檎の新アルバムに新しい学校のリーダーズが参加していると知り、明後日の配信が楽しみになったのだが、インスタを見ると、どうやらもう先行配信されている。Spotify を確認してみたら、シングルとしてすでに7曲も配信されていた。新しい学校のリーダーズとのコラボ曲をさっそく聴いてみると、SUZUKA の歌声で始まり、音源だけ聴くと SUZUKA と椎名林檎のコラボ曲のようなのだが、これはいったいどんなパフォーマンスになるのか、歌番組での実演を観てみたくなる。もともと、新しい学校のリーダーズの H ZETTO M によるプロデュース曲なんかは、椎名林檎っぽい線を目指しているのかなと思っていたのだけど。

 Spotify のポッドキャストで、小川哲の「Street Fiction」の太田光がゲストの回を聴いた。昨年11月に配信されたもので、「笑って人類!」のプロモーションで出演しているのだが、読書遍歴についても語っている。小川哲が大学に入学したころには、「タイタンの妖女」の帯を太田が書いていた。



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2024年5月23日木曜日

5月23日木曜日/よみうりランドは遠い

◇ 雑誌

 あまり眠れず、朝早くに楽天マガジンで雑誌のチェックをすると、「週刊新潮」のモノクログラビアに猿之助が犬の散歩をする写真が載っていた。驚くほど、ずいぶん痩せ細ってしまっている。「週刊文春」では一之輔さんの連載が始まった。「新・家の履歴書」の欄には塩見三省が登場。塩見三省の経歴をよく知らなかったが、面白い名前がたくさん出てくる。津野海太郎の弟がジャズ喫茶の仲間だったのがきっかけで演劇に触れるようになり、演劇の世界に入ってからは、周辺には、岸田今日子、別役実、武満徹、谷川俊太郎、安部公房といったひとびとがいた。西荻窪から勝どきに引っ越すと、中野翠や南伸坊を見かけるようになったという。構成は岸川真。

◇ 読売ランド前・町田

 朝早くから外出。大和経由、小田急線に乗り、読売ランド前駅で降りる。この駅で降りるのは初めてだ。よみうりランドに近い住宅街に用があったのだが、駅名は読売ランド前でも、よみうりランドからはじつはかなり遠い。午後になってから読売ランド前駅まで戻り、駅前の箱根そばに入り、ミニ海老&かき揚げ丼セットを食べた。720円。

 町田に移動し、町田ターミナルプラザのドトールに入り、読書をしていく。図書館で借りている、三品輝起「すべての雑貨」を読み終えた。2023年刊、ちくま文庫。親本は2017年刊、夏葉社の本だから、期待して読んだのだが、どうもあんまりぴんとこない内容だった。この本が書かれたのち、コロナ禍を経過して、状況が変わったせいもあるだろうか。

 ミーナ町田のGUに寄り、買いものをしていく。GUのアプリをついにスマホに入れて、会員登録したのだが、500円引きクーポンもあり、このほうがぜんぜん得だ。なぜ今まで入れなかったかな。それから、ブックオフにも寄り、閉店時刻が迫っていたが、390円の単行本を1冊、雑誌を1冊、220円の文庫本を2冊、110円の文庫本を5冊買っていく。

◇ ラジオ・テレビ

 帰りの電車内は、タイムフリーで、聴きそびれていた先週金曜の「中川家 ザ・ラジオショー」のオープニングを聴いた。いろいろなハラスメントの話題になり、その流れのなかで、礼二が落語家でも弟子が師匠をパワハラで訴えたことがあったと言うと、剛はその一件を知らず、とても驚いていた。中川家自身は師弟関係は経験していないのだけれども。

 夜遅くに帰宅し、録画していたテレビ番組をいくつか。今朝の「虎に翼」を観ると、寅子が法律事務所を辞めてしまっていた。めまぐるしい展開。今日の「徹子の部屋」は松平健がゲストの予定だったが、中尾彬追悼に差し替えになっていた。1985年放送、42歳のときに出演した回の映像から始まり、最後は2018年、75歳のときに夫婦で出演していた。

2024年5月1日水曜日

5月1日水曜日/お寺に問い合わせ

◇ テレビ・生活

 早朝に起きあがり、ゴミを出してくる。眠りなおしたかったが、眠れなくなり、ブログの更新をひとつ。それから、録画していたテレビ番組をあれこれと。昨夜の「新しい学校のリーダーズの課外授業」は和太鼓を習う企画。90分の稽古で、さまになってしまうのがすごい。指導する和太鼓奏者たちが4人の習得の早さに本気でびっくりしていた。月曜に放送された「キョコロヒー」は、錦鯉まさのりさんの疑問を解決する企画「まさのりは知りたいよ」の第2弾。今回もまた、崎陽軒の山本さんが崎陽軒以外の疑問にもつきあうのが可笑しい。前回、会社員はいつ区役所に行ってるのかという疑問がヒコロヒーから出たが、崎陽軒の山本さんは横浜駅の行政サービスコーナーが便利だという。昼休みに利用できたというのだけど、そうか、崎陽軒だからあのすぐ近くに勤めてるのだね。

 今日の「徹子の部屋」は追っかけ再生で観てしまう。ゲストは黒田アーサー。中村メイコを芸能界の母と慕っていたというのは初めて知る話だった。はづきと結婚すればこの家族の一員になれると思ったことがあるそうだ。

 今日は朝から雨降り。思いのほか、肌寒い。映画を観に行きたかったが、家のことが片づかず、雨降りで外出するのも億劫になり、やめてしまう。音楽を聴きながら昼寝する。

 法要のことでお寺に問い合わせをしなければならなかったのだが、なにしろやり慣れないことだからなかなか手をつけられず、あとまわしにしていた。パソコンに向かい、お寺のホームページの問い合わせフォームから、2時間ぐらいかかって、ようやくメッセージを送信する。いや、実際に文面を作る時間は短かったのだけど、書き出すまでに馬鹿みたいに時間がかかった。マイナンバーカードを再発行したその交付通知書も届き、今日、区役所まで受け取りにいけたらと考えていたが、よく見ると予約制で、それもめんどうなのだが、来週水曜の16時半で予約する。一応、少しづつ片づいてはいるが、まったく牛の歩みだ。

 夜になってから、スーパーに買いものに行ってくる。依然、雨降り。寒い。1時間ぐらいで帰ってくる。眠気がひどく、早めに眠る。気疲れもあるか。深夜に起きあがり、朝までにブログの更新をもうひとつ。

2024年4月22日月曜日

4月22日月曜日/コメダからドトール

◇ 桜木町・みなとみらい

 雨降り。朝から外出。今日も桜木町に。横浜駅のホームが遅延のために大混雑していた。2本見送ってから乗る。仕事がすぐに終わり、ランドマークプラザのコメダ珈琲店に入り、モーニングセットを食べる。カフェオレに山食パン、いちごジャムとたまごペースト。600円。コメダに入ること自体がかなりひさしぶりだったが、コメダのジャムは塗られた状態で出されるんだったっけ。変な組み合わせにしてしまったかと思ったけど、意外とこの組み合わせも美味い。ラジオを聴きながら少し眠り、しばらく読書をしていく。

 クイーンズスクエアから地下に降り、マークイズのダイソーに寄りたかったのだが、その前に、地下のくまざわ書店も覗いていく。雨は止み、外に出ると、やや薄ら寒い。昼食にするにはたいして腹は減らず、今日は読書を決め込み、パシフィコ横浜ノースのドトールに入ることにする。コーヒーとジャーマンドックだけ食べておく。

◇ テレビ・雑誌

 夕方には帰宅し、録画していたテレビ番組をあれこれと。今日の「徹子の部屋」は傑作選「梨園の輝くプリンス達」。寺島しのぶ・眞秀親子(2017年放送)、尾上菊之助・丑之助親子(2019年放送・2022年放送)、市川團十郎・新之助親子(1995年放送)、市川右團次・右近親子(2018年放送)の過去の出演回の映像が流れる。

 昨日の「ワイドナショー」には、s**t kings の shoji というひとが初登場。まったく知らないひと。そのほか、田村淳、石原良純、平井理央が出演。エンディングでは、能登を訪れた淳が被災地の復旧すらまだままならない状況を映した映像が流された。

 楽天マガジンで雑誌のチェックをすると、「週刊ポスト」の横山剣さんの連載では、ヤングジャパンの社員だった時代のことがまた語られていた。クールスRCがヤングジャパンに移籍したタイミングで、末端スタッフだった剣さんらも横滑りした、というのはアリスの回で語られていたが、そのヤングジャパン系列の事務所に所属していたという佐野元春との関わりは初めて知るものだ。

2024年4月11日木曜日

4月11日木曜日/うちの家の話

◇ 親類

 今日は昼前に叔父たちと横浜に集まる予定になっていたのだが、母が友だちと約束したらしく、母は母で、正午に横浜で待ち合わせをしたという。その友だちから叔父に連絡があったようで、昨日の夜遅くにそれを知らされたのだが、前日にそんなことを言われても困る。中止にできないかとも思っていたのだが、今朝になってみると、やはり、母は行く気になっているようなので、叔父たちとの待ち合わせよりも母を送り届けるほうを優先することにした。しかし、家を出るまでにまず時間を食う。パスモを入れてある小さいカバンが見つからず、財布はあるので、しかたがないからパスモはあきらめ、切符を買うことにする。なんとか出発したが、この時点でもう、待ち合わせの正午には間に合わない。駅のホームから、母に友だちに電話をしてもらった。待ち合わせ場所の高島屋前には約20分遅れで到着し、母の友だちと無事に合流させる。それから、叔父たちの待つ店に向かう。ベイクォーターにあるアロハテーブルという店にいるというので、西口から東口に移動した。店には、父の弟がふたりと母の弟がひとり。うちの父だけがとっくに死んでいて、代わりに息子が参加している。叔父たちとこうやって会うことも今まではあまりなく、初めて教わる話が多かった。どうやらうちは相模ゴムの創業者と親戚らしい。母方の祖父が岩崎小弥太の書生だったということも初めて知った。うちはいい家でもなんでもなく、子どものころは狭い家に住んでいたものだが、曾祖父の代にはどちらも立派な家だったようで、だんだんしぼんで現在に至るようだ。母の弟と父の下の弟が同い年で、中学の同級生にミッキー吉野がいたことは知っていたが、その当時からミッキー吉野が目立っていた話も初めて詳しく訊けた。

 母が友だちと別れるというときに電話があり、また高島屋まで迎えに行き、ベイクォーターに連れてきた。叔父たちと別れ、母を連れて帰宅したのは夕方になる。へとへとに疲れてしまい、横になってラジオを聴いた。少し経ってから、また改めて駅前まで買いものに行ってくる。

◇ テレビ・雑誌

 夜、録画していたテレビ番組をいくつか。今日の「徹子の部屋」は吉田鋼太郎がゲスト。「トットてれび」では森繫久彌を演じていたが、徹子さんが「あのひと、きっと女好きそうだから森繫さんにあってんじゃない?」と推薦してくれたんだそうだ。

 楽天マガジンで雑誌のチェックをすると、「週刊新潮」に晴の輔さんの記事が載っていた。「笑点」の新メンバーになるまでには伏線があったといって、BS日テレの「笑点特大号」の大喜利に10回以上も出演しているというのがその根拠なのだが、談志が辞めて以降は「立川流の落語家が番組に出演する機会はついぞなかったという」という書きかたも厳密ではなく、どうもわかったようなわからないような記事だ。ほかのページには、水原一平に出版エージェントが接触しているのではという記事もあり、回顧録を書いて映像化でもされれば弁済金にあてられるというのだが、そんな話、それこそ水原一平のようなギャンブル好きにはたまらないだろう。

 「女性セブン」には「虎に翼」に関する記事があり、ドラマのなかの石田ゆり子はじつは老けメイクをしているのだと知り、これにはちょっと驚いたな。現在、54歳。年相応のいい雰囲気の女優になったと思っていたんだけど、本当はまだまだぜんぜん若いのかよ。

2024年4月2日火曜日

4月2日火曜日/眼がしゃきっとする

◇ 新橋

 早朝に目覚め、ラジオをつけると、東北で大きな地震があったようだ。津波の心配はないようだが、震度5とは大きい。もう少し眠り、朝早くから都内に。やや肌寒く、服装が難しいが、Tシャツの上にジャンパーを着ていく。ひどい寝不足。新橋に用があり、まず、ニュー新橋ビルのスギ薬局に寄り、メガシャキと一本満足バーを買って食べた。メガシャキというのを初めて飲んでみたが、本当に眼がしゃきっとする。昼食は弁当。帰りは夜になる。

◇ テレビ

 夜遅くに帰宅し、録画していたテレビ番組をあれこれと。まずは今朝の「虎に翼」を。女中さんの役、知ってるような顔なんだけど誰だったかなと思いながら観ていたら、田中真弓だと思い出した。声はもちろんよく知っているが、本人の演技は初めて観る気がする。今日の「徹子の部屋」はバンドネオン奏者の三浦一馬がゲスト。「さんま御殿」は「友達すぐ作れる人 VS 作れない人」というテーマ。ヤーレンズ、はるかぜに告ぐが初登場、それぞれコンビが反対側の席に座った。そのほか、「作れる人」側には、ヒロミ、浜口京子、シソンヌ長谷川らが、「作れない人」側には、伊沢拓司、鈴木蘭々、竹内由恵、山之内すずらが座っていた。浜口京子がやたら面白い。ヤーレンズ楢原の話はどうも他人事に感じられない。

ブログ アーカイブ

8月19日木曜日/田中康夫の演説を聴く

◇ ラジオ・雑誌  今朝もまず、ブログの更新をひとつ。それから、聴きそこねていた「ザ・ラジオショー」を聴いていく。今週はナイツが夏休みで、月曜の代打はニッチェ、火曜は中川家、水曜は三四郎が務めた。(パートナーは通常どおり) まずは、火曜の中川家の日から聴いておきたかった。オープニ...