◇ テレビ・ラジオ
深夜に観ていた「THE SECOND」のことをスレッズに投稿してから寝ようとしていたら、けっこう時間を食ってしまった。早朝から眠り、それから、録画していたテレビ番組をいくつか。今朝の「サンデージャポン」には、磯山さやか、ゆうちゃみ、斎藤幸平、Aぇ!group の小島健らが出演。まずは水原一平の裁判の話題から扱う。ボヤジアン氏という新たなキーマンが現れた。ロスのボヤジアン氏の自宅を須田麻里江ジャーナリストが直撃取材する。スタジオでは湯浅卓が解説。若林有子アナがアメリカの刑務所に9年収監されていた井上ケイという人物を取材し、この人物はスタジオにも登場した。いつものことながら、磯山さやかにものまねがふられる場面にははらはらする。「虎に翼」(という概念?)のものまねをテレビで観るのは怖かったな。
午後はラジオ。「爆笑問題の日曜サンデー」をつけておく。14時台ゲストは伊東四朗。伊東四朗に会うと緊張するという太田。昭和40年生まれの太田は「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」のころは小学生で、ものごころついたときには、ドリフ、55号は自分にとっては大スターだったが、「伊東・小松コンビっていうのは、そこの王道ではないけれども」というと、伊東「それそれ、それがいいのよ、好きなのよ。」 太田「でも、つねに観てるっていう」 伊東「芸能評論家のひとに当時ね、言われたの。ドリフターズとクレージーキャッツはメジャーリーグだと。伊東と小松はマイナーリーグのリーディングヒッターだ。そういうの好きだねえ。」 太田「でもそれはもう、王道を狙おうっていう意識は当時、あんまりなくやってたんですか? 要するに、ど真ん中を…、ドリフを押しのけて…。」 伊東「そんなのひとつもない。どっちかっていったらファンだったから。」 それから、太田は三波伸介への思いを語り始める。芸人になりたいと思ったときに、もし弟子入りするとしたら三波伸介しかいないと思っていたと語る太田の話は、伊東四朗にとっては初耳だった。三波伸介も日大の芸術学部。太田は演劇をやっていたときに、井上ひさしのコント集が出たばかりだったといって、それを買って教科書にしたという。死刑執行人のコントは渋谷公会堂でやったときには会場が揺れるほどウケたという伊東。伊東「井上さんに書いてもらったことによって、僕らは延命しましたね。」「そういうひとに書かせてるってことが、なんか、申し訳ない気がしながら…、それで、中原弓彦(小林信彦)さんにも書いてもらったし、河野洋さんにも書いてもらったし、僕らついてましたね。途中で帰らないように旅館にカンヅメにしてあたしが見張りしてたっていうような、不遜なことをしてた時代がありましたよ。」 爆笑問題がテレビに出始めたころに、太田は伊東四朗が「最近、「お笑い」って言うでしょ? あの言いかた、僕、嫌いなんだよ。」と言っていたのをテレビで観ていた。伊東「「お笑い」っていうのはちょっと馬鹿にしてるように…。「お笑い草」につながっててね、いやなんだよ。」 太田「僕たちそのころ、「お笑い芸人」って言われながらテレビに出てたんで、伊東さん、もしかしたら俺らのこと嫌いなのかなあって、ちょっと思ったりもしてて…」というと、伊東「いやとんでもない。」 爆笑問題は小松政夫にはお世話になっていた。爆笑問題が「NHK新人演芸大賞」で優勝したときの審査員が小松政夫、その後、小松政夫が会長だった日本喜劇人協会の公演にも出演する。しかし、伊東四朗とはなぜか会って話す機会がなかなかなかったのだ。プロフィール紹介のBGMには、石原裕次郎「男の横丁」が選ばれる。伊東四朗が初めて舞台にあがったときにバックに流れていたのがこの曲だったという。プロフィール紹介のなかにTBSなのに「ザ・チャンス」が入ってなかったという伊東。あの番組はピンク・レディーのピンチヒッターを居作昌果に頼まれたという。あるいは、欽ちゃんが番組を降りたときには「ピンチヒッターショー」もやっていた。伊東「正式に呼ばれるよりは、ちょっとやってくれるって言われるほうが、なんか気が楽というか。スタッフがみんな集まって、本日から始めますなんて言われると、急にやりたくなくなっちゃうからね。(笑)背中押されてやるのはいやだね。」 太田は笹山敬輔の新刊も読んでいた。その本を読み、伊東四朗からの影響を改めて確認したといって、爆笑問題の初期のコントを伊東に説明する。CMを挟んだあとも太田の質問はまだまだ続く。伊東の時代からだんだんコントの番組がなくなっていった流れについて、太田は、タモリ、たけし、さんまたちが出てきたことで、われわれもそれに影響を受け、そっちを支持した僕たちの世代のせいだと語る。しかし、太田自身は軽演劇をやりたいんだと熱を込めて語った。
15時過ぎから外出する。小雨。一応、傘をもって出る。星川に出て、保土ヶ谷図書館に寄る。1冊返却し、2冊借りていく。イオン天王町のフードコート、マクドナルドのアイスコーヒーとマックチキンを食べて、それから長時間、読書をしてから帰る。
夜遅くに帰宅し、夜もまた、録画していたテレビ番組をあれこれと。今朝の「ワイドナショー」は、瀧波ユカリが初登場のほか、田村淳、ヒロミ、石原良純というメンバー。水原一平の話題では、アメリカの刑務所生活の話をこちらでもやっていた。依存症のケアに関する話で、ヒロミは銃のライセンスをもっているから、何年かに一度は精神科に行ってチェックがあるんだって。番組最後は淳によるお城の特集。「穴太衆」という言葉すら知らなかったが、そのような伝説の石工集団がいたという。
昨夜の「Nキャス」には、コメンテーターにイェスパー・コールというひとが初出演していた。エアギター日本大会が中止になったというニュース。円安の影響で、渡航費や宿泊費を支払えなくなったという。ダイノジ大地が取材に応えていた。キダ・タローの訃報では、ほんの3年前、90歳のときに出演した番組の映像が流された。大阪桐蔭の応援曲「アルプス・キダ・タロー」というのは知らなかったな。そのあとはカスハラの特集。なかなか不愉快な話題だが、関心をもって観る。客の側にも店の側にもおかしなやつが多いという気がする。
昨夜の「お笑い向上委員会」を観ると、事件直後のウエストランド井口が出演していて、序盤はその話題ばかり。さんまがラジオの切り取り記事で炎上してたとは知らなかった。そのほか、ナイツ、マヂカルラブリー、マシンガンズ、ジェラードン、牧野ステテコなど、いいメンバーがそろっている。モニター横には中津川弦さんが登場。昨日はちょうど中津川さんの独演会があり、それに行っていた友だちからこの出演を先にDMで教わっていたからこれは早く観なければと思っていた。忘れていたが、そういえば、中津川さんは7年前にさんまの特番に出たこともあったんだった。モニター横にはもうひとり、ソマオ・ミートボールが一緒だった。手に汗握りながら観てしまうが、「閉店ガラガラ」では中津川さんが見事オンエアされた。ネタが長すぎて、ナイツからフォローが入る。「好きな熟女ランキングベスト3に変えてもいいよ」と塙さんから助け船が出たが、中津川さんは「ネタで」と断った。「面白いですよ!」から始まり、「げ~んさ~ん。イエーイ!」とオチを決めると、見守るようにしていたナイツのふたりも「イエイ!」と返してうなずき合った。「弦さんが有名な世界線なんだよ」と井口。塙さんが「人生でいちばん最初に行った風俗の名前なんだっけ?」とふると、「爆乳問題です。」と即答したのが見事にハマった。陣内「謝れ、爆笑さんに! タイタンに謝れ!」 中津川さんの「爆乳問題です」のセリフは番組最後にも使われた。