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2024年3月15日金曜日

3月15日金曜日/母を連れていく

◇ 洋光台

 深夜にコインランドリーに行き、帰ってきてから、必要な書類があったために、えんえんと机まわりの片づけをしてそれを探していた。疲れてしまい、少し横になったら、そのまま、2時間ぐらい動けなくなる。午前中に外出し、平沼橋まで。昨日、置き配をしても大丈夫ですかとメールをして、その返事をいただいたのは深夜近くだった。承諾を得たので、早い時間に届けに行く。早い時間に届けなければと思ったわけではなく、今日は午後に予定があるから、この時間に届けるしかなかったのだ。お届け先のマンションはこの時間には管理人室も開いていて、ひとこと言っておこうかとも思ったが、不審がられてもめんどうかもしれないと思い、黙って置き配していった。すぐに平沼橋駅に戻り、急いで帰ってきたのだが、そうだ、チケットの引き換えもしておこうと思い出し、セブンイレブンに寄ってから帰った。

 午前中に帰宅し、今度はすぐに、母を連れて出かけなければならない。自分は同じかっこうですぐに出るだけだが、母の仕度に時間がかかり、予定よりも1時間遅くなるが、きっと予定よりも1時間は遅くなるだろうと想定し、1時間早く予定を組んでおいたから、待ち合わせの時間には数分遅れるだけで済んだ。洋光台の叔父宅まで。夕方まで滞在し、帰りはクルマで上大岡に送ってもらった。ガストに入り、母と食事。上大岡から京浜急行で帰ってくるが、母を座らせることができる電車を待っていたら、やたらと時間がかかった。疲れているせいか、母の会話は混乱している。こっちもへとへとに疲れた。今日のうちにやらなければならないことがあったが、もうあきらめることにする。

◇ ラジオ・テレビ

 夜に帰宅し、タイムフリーで、今日の「ビバリー昼ズ」を聴いた。オープニングのあとに、伊集院光が登場。「ビバリー昼ズ」の前の時間帯に新番組が始まるため、そのあいさつに、ほんの短い時間の出演だったが、高田先生とはすさまじい早口の応酬になる。そもそも、高田先生と伊集院の会話なんて、今まで聴いたことがあっただろうか。新番組は録音番組だが、生放送も実現するかどうか。12時台ゲストにはタイムマシーン3号が登場。高田先生のご指名だったようだ。番組後半には、福山雅治からこの番組にメッセージが寄せられ、松村邦洋の声かと思って聴いていたら本人だった。

 深夜、録画していたテレビ番組をあれこれと。深夜になって、ようやく今朝の「ブギウギ」を観る。「徹子の部屋」(ゲスト・野口健)も観て、それから、今日放送された「不適切にもほどがある!」第8話を観た。昭和の時代に喫茶「すきゃんだる」に訪れていた小泉今日子が、令和の現代に本人役として登場した。小泉今日子の読んでいる本が「怪盗ルビイ」とは気が利いている。彦摩呂の登場にも笑わされた。

2023年8月31日木曜日

8月31日木曜日/元気が湧いてきた

◇ テレビ・読書

 早朝から眠ると、涼しくていくらでも眠れてしまいそうだった。起きあがり、ブログの更新をひとつ。録画していたテレビ番組をいくつか。昨夜の「あちこちオードリー」は、石塚英彦、彦摩呂、飯尾和樹という3人がゲスト。食リポの達人たちというわけだが、このメンバー、食リポ以外の話のほうがむしろ興味あるんだよな。石塚からは「まいう~」誕生の経緯が語られた。研ナオコが司会の「あ。た、り」というテレビ朝日の番組のなかで、石塚、パパイヤ鈴木、カワイ麻弓という3人が生意気な業界人という設定のコーナーがあり、そこでカワイ麻弓が「まいう~」と言い始めたのがそもそもだったのだ。業界人という設定だから出てきた言葉だったんだな。石塚はミッキー・カーチスにハンバーグをご馳走になったときに、「まいう~」とつい言ってしまったら、「懐かしいねえ~」と言われたって。

 火曜に放送された「アンタウォッチマン!」は西野亮廣の特集。サンドウィッチマンとは、2007年の「M-1」の最終決戦で戦った因縁がある。この年は歴史の分岐点といってもいいくらいの大会だったと思うが、それ以来、西野とサンドウィッチマンの共演はどのくらいあったかはわからないが、サンドウィッチマンからすると、キングコングみたいな存在は敵視する対象だったのではないかと思っていた。しかし、西野のほうは、負けた側なのに、サンドウィッチマンに対する負の感情はあまりなさそうだ。ノンスタ石田からは、西野は若手時代から同期に対する嫉妬心がなかったという証言が出る。あるいは、佐久間宣行による分析。「宮崎駿さんにおける鈴木敏夫さんみたいなひとがいたら、(実業家的なことは)別にやんないと思いますよ。でも、世の中のほぼすべてのクリエイターは、それをやってくれるひとがいたら聖人でいられるんですよ。あのひとはほんとビジネスのことを考えてない優秀なクリエイターだなってひとには、めちゃくちゃ清濁併せ飲むビジネスマンがついてくれてるんですよ。じゃないと生き残っていけない、っていうか無名で終わるんですよ、ゴッホみたいに。西野は自分でやってるってことなんですよね、両面を。ただ、芸人で西野のこと嫌いなやつなんていないんじゃないですかね。俺らも大好きだし。」

 今日の「徹子の部屋」は桂三輝がゲスト。「かつら・さんしゃいん」と読む。文枝の弟子のカナダ人落語家。徹子さんと会話をしているときには落語家らしさは感じられないのだが、「味噌豆」をやってみせるとさすがにプロの落語家の口調になるもんだ。普通の「味噌豆」だけでなく、旦那をイタリア人、丁稚を中国人にしたバージョンもやってみせたが、外国語でも、ちゃんと落語のリズムとメロディになっている。文枝の過去の出演回から、1980年放送、文枝が36歳のときの映像も流された。徹子さんから、文枝から三輝にあてた手紙も読まれた。

 午後、駅前まで出て、銀行に寄り、それだけですぐに帰ってくる。ラジオを聴きながら、ネットで調べものをする。金の問題を解決したかったからだが、クレジットカードを新たに作れないだろうかと、しばらく試みたこともなかったのだが、ダメモトで申し込んでみたら、これがなんと、あっさりと審査に通ってしまった。かつて、なにをどうやってもクレジットカードが作れない状況があったが、知らないうちに、カード会社に認められる人間に成長していたのであろう。ああ、こんなことでよかったのか。うそみたいに元気が湧いてきた。

 夜、部屋で読書。坪内祐三「同時代も歴史である 一九七九年」を読み終えた。2006年刊、文春新書。初出は「諸君!」の連載。2003年から2004年にかけて連載されたものだというから、もう20年前だ。P7-8「普通の長篇評論ではなく、単発の原稿をそのたびごとに書き継ぎ、それが連鎖的につながることで、一つの長篇としての形が見えてくる、そういう連載です。」「最初からテーマを絞ってしまったら、そのテーマについて深く考察することは出来ますが、ややもするとスタティックになってしまう。時代の風やゆらぎを受けることが少ない。同時代性が薄れてしまう(略)。」「つまり私は、同時代の風やゆらぎが感じられるジャーナリスティックな、しかもそれぞれの章を独立して読める、そのような長篇評論を、雑誌連載という形式を活かしながら、作り上げて行きたいと考えていたのです。」 坪内祐三のダイナミックな評論は面白いのだけど、しかし、この同時代性があるから読むタイミングが難しいという気もしていた。ここで扱われている「一九七九年問題」というテーマを、およそ四半世紀後に捉えた評論を、さらにその二十年後に読んでいるという距離を計りながら読んでいったわけだが、やっぱりちょっと難しいなと思った箇所がいくつかあった。もったいない読みかたをした。

ブログ アーカイブ

4月21日日曜日/野毛大道芸

◇ 大道芸  朝、録画残量が足らず、数年前の番組を確認しては消去していく。こんなことのために、いったいいつまで忙しなく過ごしていくんだろうな。今夜までの録画残量をなんとか確保したら、今度は出掛ける支度をしなければならない。家を出るまではラジオをつけておく。「安住紳一郎の日曜天国」...