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2024年2月17日土曜日

2月17日土曜日/無知学とは

◇ テレビ

 朝、録画していたテレビ番組をあれこれと。観そびれていた先週の「ワルイコあつまれ」を観ると、「子ども記者会見」に川合俊一が登場していた。なぜ今、川合俊一なのか。唐突な気がしたが、2022年から、日本バレーボール協会の会長という立場に就いているのだ。

 昨夜の「ネタパレ」は、ダウ90000、Gパンパンダ、カゲヤマ、5GAPが出演した。ゲストの斎藤工は5GAPとはつき合いが長いようだ。ダウ90000 は、蓮見、吉原、上原の3人によるコント。後半の「勝ち抜きパレード」には、ソマオ・ミートボール、十九人、家族チャーハンが出演し、家族チャーハンが勝ち抜いた。斎藤工は十九人に投票した。

 昨夜の「不適切にもほどがある!」第4話では、歌謡曲のコンプラがネタにされる。「さすが秋元、地獄に落ちるぜ!」というセリフに笑う。インティマシー・コーディネーターが導入されたドラマ撮影現場と、ムッチ先輩と純子のシーンが重なる仕掛けがドラマの山場。デリケートな問題を扱いながら、最後はミュージカルになってしまうのがやっぱりすごいところで、視聴者をうまく解放させている。

◇ 平沼橋・日ノ出町・横浜

 午前中から外出。平沼橋に出ると、歩道橋を渡った先、駅前の一角が更地になっている。ここにあった小さいお店、タバコ屋かなんかだったか、買いにくい雑誌をここでこっそり買った記憶があるが、もう30年前になるのか。その風景がつい最近まで変わらずに残っていたという気がする。

 平沼橋から野毛山まで歩いていく。中央図書館に寄り、借りる必要のある本があったのだが、検索機からレシートを出し、棚を探してみるが見つからない。誰かが勝手に持ち出してるのかと思ったが、カウンターで訊いてみたら、書架に入っているから出してくれるという。レシートに「書架」と書いてあるのはそういうことなんだ。知らなかった。10分から15分かかるというので、そのあいだにほかの棚を見て時間をつなぎ、4階のカウンターに戻ると、きちんと用意されていた。図書館の利用法にはまだまだ知らないことがある。ついでに、昼食もここで食べていく。図書館の1階別棟にある「ふれあいショップのげやま」を初利用。横浜市が運営している障害者が働くお店なのだが、営業時間が短く、なかなか寄る機会がなかった。カレーライスを食べる。700円。

 日ノ出町から横浜駅まで、ラジオを聴きながら歩いていく。叔父たちと待ち合わせる約束があり、会ってから店を探すが、土曜の横浜駅周辺はどこも混んでいて、落ち着くまでに苦労する。そごうの上階から順番に覗き、7階のカフェにようやく入れた。ひとりでは絶対に入らないような高級な店。アイスカフェオレとケーキをいただく。

◇ 読書

 叔父たちと別れたあとに、マクドナルドに入り、しばらく読書をしていく。図書館で借りてきた「現代思想」2023年6月号の「無知学/アグノトロジーとは何か」という特集に興味をもち、読んでみたくなった。「無知学」とはなんだろうか。最初に載っていた隠岐さや香と塚原東吾の対談がまず、とても刺激的な議論だった。以下、気になった箇所をいくつか引用。

P11 塚原「知という明るい光の下に、森羅万象から博物・人間精神の隅々まで照らし出すことによって、世の中は良くなるという発想がある。アグノトロジーやイグノランススタディが目指していることの一つはそちらに近くて、無知をあぶりだしたあと、そこについての知を充実させようという要請、すなわち新たな啓蒙が必要であるという主張も隠れていると、僕は思っています。新たな啓蒙は必要なのですが、無知学が新たな啓蒙主義であると言うと、それはそれでまずいところもあると思います。つまり、どこから、だれがどのように当てる光なのか、それはそもそも光なのかという問題が出てくる。」

P12 隠岐「啓蒙は確かに暴力的なものともなりえます。」

P13 塚原「アグノトロジーでは無知の状態に意味を認め、なかでも「有徳な無知」という概念を唱えています。有徳な無知というのは、知らないことを大事にしておこう、それ自体に意味と価値があるという概念です。」

P15 塚原「科学史のなかでも江戸時代の科学や中国の数学、インドの天文学などを研究していると、やはりそれぞれに固有の知があります。その知が結果としてライプニッツやニュートン、そしてホイヘンスらと一緒だったとしても、それだけですべてが評価できるわけではない。ある場所で違う形で知を生み出してきたことの意味がある。これはだから無知学だけではなく、オルタナティブの知の歴史、非西欧の科学史という枠組みでのものの見方になると僕は考えています。」「すべての問題を知と無知の問題といったん結びつけることができるという意味で、僕はアグノトロジーは「係留・繁留点」になる、という言葉を使うのがいいと思っています。」

P16 塚原「科学史の観点から、もうひとつ言っておきたいのは、数学が無知の問題に大きく関わっているということです。(略)数値化されるものを、ガリレオは数学的な知としたこと、世界はまさに数学のことばで書かれている。そして数値化・数学化されえないものを無知と切り捨てたという観点から、科学史における無知の歴史は、再検討されるべきでしょう。何かを無視しないと数値化や数学が成り立つとは言えない、これがフッサールの指摘した、ガリレオによる「壮大な無知の創出」で、それこそが近代の「危機」の発端なのだと指摘していたのだと言えます。」

P16-17 塚原「僕が無知学を通じて言いたいことの一つに、部分が集まれば全体になるかというと、そうではないということがあります。(略)無知学で帰るところは、ソクラテスの無知の知ではないかなと僕は考えています。自分は何も知らないということを知るということです。」

P17-18 塚原「無知の知は倫理的な要請というよりは、思想的・哲学的な前提です。無知というところに係留点として綱を持っていたい。あるものが知とされるときに別のものが無知とされるのはなぜかを明確にしておいたほうがいい。」

P23 塚原「パブリック・アンダースタンディング・サイエンスという領域があって、そこでは無知であることの優越性を主張します。それもまたサイエンスの権威に対する一種のイコノクラズムですが、STSでも盛んに議論になるところです。つまり、自分が持っている生活世界の意識のなかで、おかしいと思うものは、科学の権威や国家のお墨付きの御用学者が何と言おうとも、おかしいと言えばいいという考え方で、実はそのような、知の発信者の立場性にまで気を配った感覚のほうが、さらなる合理性、いわばサンドラ・ハーディング的にいうなら、科学者の「弱い客観性」より、「強い客観性」をもつ、という考え方です。」

◇ テレビ

 夜に帰宅し、夜もまた録画していたテレビ番組をいくつか。「光る君へ」第6話は今日の再放送で録画していた。紫式部と清少納言の出会いがあり、清少納言を演じるのはファーストサマーウイカだ。「太田光のつぶやき英語」では、XXCLUB がジェーン・カンピオンにインタビューしていた。「ピアノ・レッスン」の4Kデジタルリマスター版が公開されるんだな。ジェーン・カンピオンからの質問に大島が適当にあいづちを打ってしまう場面があり、太田「命がけでやってないからこういうことになるんですよ。」

 今日の「Nキャス」は蘇民祭の生中継から始まる。この番組で追いかけているジュニアゴルフの須藤弥勒ちゃんは、なぜか相撲大会に出場していた。

2023年3月17日金曜日

3月17日金曜日/静かにしろ


◇ 病院

 朝に目覚め、まず、ブログの更新をひとつ。午前中、録画していたテレビ番組をいくつか観て、午後から外出する。もっと早く出ようと思っていたのに、もたついてしまった。横浜に出て、先に昼食を。ひさしぶりに松のやに入り、味噌ロースカツ定食を食べた。690円。

 ラジオを聴きながら歩き、市民病院まで。3ヶ月に一度の呼吸器内科の検診。14時40分の予約だが、数分遅れで到着した。病院の玄関には消毒液はまだ置かれてはいるが、手指の消毒は義務ではなくなり、任意になった。ほぼ待たされず、いつもどおり、診察は簡単に終わる。薬局に寄り、クスリをもらってからまた歩いて横浜駅のほうまで戻ってくる。


 ビブレのブックオフに寄ると、棚がやけにすかすかだと思ったが、棚移動の最中か。エッセイがあった棚に料理や服飾関係の雑誌がきて、エッセイはどこに行ったのかと思うと、コミックの並びに移されてしまっている。いや、コミックエッセイをコミックの並びに置くのはわかるが、活字のエッセイまで一緒にそっちに連れていく必要はない。この店はなぜだか、活字のエッセイとコミックエッセイを離れ離れにはしたくないようだ。買う本はなにもなく、しかし、CDの棚を見てみたら、いいものを見つけられた。550円のCDを2枚買っていく。跨線橋を渡り、平沼のブックオフにも寄ってみるが、こちらも買うものがない。110円の文庫本を1冊だけ、クーポンを利用し、10円で買う。

 東口のドトールに寄り、ひと休み。読書をするが、背後の席で、ひとりでべらべらべらべらしゃべっているおばさんがいて、じつに耳障りだ。聞き手のおじさんは口数が少なく、ババアがひとりで愚痴っぽいことを怒り半分でしゃべっている。ババアといってもたぶん自分と同世代くらいなんだけれども、しかし、背後の席なので、すがたかたちはわからなかった。ああ、いやだ。眠くなり、読書はいったん中断。仮眠しているあいだにべらべらババアはいなくなり、また読書に戻るが、今度はすぐ隣りの席の若い男が、ぶつぶつぶつぶつとずっと電話をしている。競馬の話をしているようなのだが、なにをそんなにしゃべることがあるのかと思うくらいにえんえんと続ける。これはだめだと思い、Spotify で雨音でも聴きながら読もうとするが、ここのドトール、席が地下になるから電波が弱い。なかなか再生されず、ようやく再生され、これで落ち着いて本が読めると思ったら、間もなくしたらぶつぶつ男は帰っていった。なんだこのやろう。

◇ マンガ・テレビ・ラジオ

 いましろたかし「原発幻魔大戦」の3巻「日本発狂編」を読み終えた。2013年刊、エンターブレイン。まわりがうるさいせいで、マンガ1冊読むのにやけに時間を食ってしまったが、しかし、情報量は多いマンガだ。当時のツイッターの空気が保存されている感じがある。リアルタイムで読んでいれば、もっと興奮させられたのかもしれないが、うまく感想が出てこないな。巻末には金子勝との対談あり、3巻とも対談の構成は九龍ジョー。

 雨の予報だったが、降られずに済んだ。夜遅くに帰宅し、録画していた「徹子の部屋」を観る。ゲストは池松壮亮。「シン・仮面ライダー」の公開に合わせた出演だったんだな。テレビになじまない口調、ふるまい。やっぱりこのひとは映画俳優だと思わされる。そして、それをそのまま受け入れられるこの番組も貴重だ。しかし、このようなインタビュー番組というのはそもそもそういうものではなかったか。スターの素顔をいかに引き出すかが番組の役割だったものが、今では、テレビ的なふるまいを要求する番組のほうが強くなっている逆転がある。お笑い芸人のほうが偉そうに見える場面が多々ある。

 もうひとつ、「チコちゃんに叱られる!」も、NHKと日本テレビのコラボ企画をこちらでもやるので録画しておいた。「ぐるナイ」から増田貴久、「笑点」から木久扇師匠が出演していたが、別に面白くはなかった。途中まで観て、消去する。

 タイムフリーで、今日の「ビバリー昼ズ」を聴くと、12時台のゲストに斎藤工が登場。竹中直人の監督映画のプロモーションか。金曜メンバーに斎藤工が混じっているというのも不思議な図なのだが、高田先生とは日本学園の先輩後輩の関係にあたる。この番組に出て、こんなにまじめに語るひとも珍しいというくらいにまじめに語っていた。

 ツイッターを覗いてみると、岸田戯曲賞の発表のニュースがあり、なんと、東葛スポーツの「パチンコ(上)」が受賞した。いやあ、驚いたな。これは嬉しい。もう1作、加藤拓也というひとと同時受賞だ。審査員の講評はまだ公開されないのか。

 パソコンの容量がいつの間にかいっぱいになってしまったようで、外付けハードディスクをつなぎ、データを移す作業をせざるをえないが、それ以前に、要らないアプリがなぜかいろいろあって、どんどんアンインストールしていったらそれだけでずいぶん容量が空いた。なぜ要らないアプリが勝手にインストールされてしまうんだろう。ブログの更新をしようとするが、書きあげられず、ポッドキャストを聴きながら深夜1時頃に眠る。

ブログ アーカイブ

1月25日月曜日/バカリズムのファミリーヒストリー

◇ ラジオ  今日も昼からラジオを聴いていた。「ビバリー昼ズ」のゲストは原田龍二。明治座の公演の話をする。「ナイツ ザ・ラジオショー」のゲストは神田伯山で、「ビバリー」のエンディングにも登場した。ナイツと伯山といえば、お年玉の一件がラジオリスナーにはおなじみだが、土屋は映画の撮影...