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2024年7月30日火曜日

7月30日火曜日/失われたGPC

◇ テレビ・雑誌・蕎麦・読書・ラジオ

 早朝、ゴミを出しに行ってから、ブログの更新をひとつ。少し眠りなおしてから、録画していたテレビ番組をあれこれと。今朝の「虎に翼」を観て、それから、先週金曜に(テレビ神奈川で)放送された「太田上田」(ゲスト・みなみかわ)と、同じく先週金曜に放送された「A-Studio+」(ゲスト・パンサー)を観る。楽天マガジンで雑誌のチェックをすると、「ニューズウィーク日本版」には櫻井翔のインタビューがあり、「徹子の部屋」の戦争特集に出演するようだ。「サンデー毎日」には、松尾潔による小泉今日子のインタビュー記事の続きが載っている。今回は内田裕也や筒美京平について話していた。この連載インタビューはまだ続く。

 午後から外出。今日はそれほど暑くはないか。横浜に出て、有隣堂を覗いてから、天理ビルの味奈登庵に入り、海鮮かき揚げつけ天そばを食べた。790円。そのあとはヨドバシカメラに寄る。パソコンにつないで使っているスピーカーが断線し、片側しか音が出なくなってしまったので、新しく買いなおした。ヨドバシカメラのゴールドポイントカードも、10代のころからもっていたカードだが、昨年末の財布の盗難により失ってしまった。この機に、ゴールドポイントカードのアプリをスマホに入れる。

 南幸のドトールに入り、読書をしていく。だいぶ長居してから出たが、もう少しで読み終わる本を読み終えたくて、駅のホームのベンチで読書を続けた。「認知症になった蛭子さん 介護する家族の心が楽になる本」を読み終える。2021年刊、光文社。どういう本なのか、読んでみるまでわからなかったが、こんなタイトルだが、「女性自身」で連載している人生相談をまとめた本の第3弾なのだ。認知症について語られているのは前半だけ。蛭子さんの妻である悠加さんの告白、悠加さんの悩みについて介護の専門家がアドバイスするコーナー、それから、蛭子さんのマネージャー、担当編集者の告白があり、つまり、本の半分は、認知症になった蛭子さんについて周囲のひとびとが語っている。蛭子さん本人が登場するのは後半からで、後半は蛭子さんの人生相談の傑作選、あいだには蛭子さんがボートレースに挑む様子に密着する企画が挟まっている。認知症とは関係のない部分だが、たけしと一緒に平口広美に会いに行った帰りに「今から蛭子さんの家に行きたいな」と言われたというエピソードは初めて知るものだった。

 夜に帰宅し、夜もまた、録画していたテレビ番組をいくつか。今日の「徹子の部屋」は友近がゲスト。8年ぶりの出演。今まで何回出てるんだろうか、2012年に出演した回ではダブル徹子さんになっていた。徹子さんは友近の「キャサリン」を気に入っている。今日の回では、父のエンディングノートをヒントにして、水谷千重子の公演ではオリジナルのエンディングノートを売っているという話をしていた。YouTube でやっている、昭和の2時間ドラマ風の映像も少し流される。

 録りためてあった「私のバカせまい史」を順番に観ているのだが、昨年8月に放送された回では、バカリズムがプレゼンターとなった「若者の〇〇離れ史」が面白かった。1972年の「若者の活字離れ」を「離れ元年」とし、1977年には「若者の文字離れ」があったといって、「創」の記事が紹介された。同年には、専門学校の台頭による「若者の大学離れ」。1985年には「若者のテレビ離れ」が言われていたという。そこからさらに、「離れ」から「戻り」に展開していくのがこの番組のさすがなところ。バカリズムのネタの世界だ。

 SNSから、後藤まりこと吉田豪が結婚という驚きのニュースが飛び込んできた。深夜1時からはラジオ。買ってきたスピーカーをパソコンにつなぎ、パソコンのラジコを使って「爆笑問題カーボーイ」を聴く。この前の「サンジャポ」とオリンピックを話題にしていた。ラジオを聴いていると、深夜2時前に少し大きな地震があった。番組中にも地震情報が入る。東京23区が震源と言っていたか、横浜は震度3だったようだ。ラジオを聴きながら眠る。

2024年2月26日月曜日

2月26日月曜日/憎しみを断ち切る意思

◇ テレビ・ラジオ・雑誌・音楽・映画

 朝、録画していたテレビ番組をあれこれと。今朝の「ブギウギ」は、タナケンが足を負傷したという記事が載った雑誌を近藤芳正がもってきた場面で終わった。

 昨夜の「ガキの使い」は、先週に引き続き、10人で「みんなのうた」をかぶらずに歌い切ろうという企画。企画はともかくとして、なんの記事で読んだか忘れてしまったが、その記事に書いてあったとおり、最後まで観ると、企画構成に松本人志の名前は残してあるんだな。

 昨夜の「ドキュメント20min.」は、小林克也と伊武雅刀がひさしぶりに会って短編映像作品を作るという企画。映像作品というか、コントかな。期待して観たが、別にたいして面白くはなかった。ナレーションはなぜか、ザ・マミィの林田が担当していた。

 土曜に放送された「ワルイコあつまれ」は、「子ども記者会見」のコーナーにサヘル・ローズが登場した。語られたのはあまりにも壮絶な体験だ。戦争で家族を亡くし、自分の本名も誕生日もわからないという。日本にやってきてからは、育ての母とともにひどい差別を受けていた。子ども記者から質問もあったが、それだけの壮絶な体験をしながら、サヘル・ローズはなぜそんなに笑顔でいられるのか。それは、憎しみを断ち切ろうという強い意志によるものだった。

 昼はラジオ。「ビバリー昼ズ」を聴く。12時台ゲストは飯島直子。楽天マガジンで雑誌のチェックをすると、「週刊ポスト」の巻頭グラビアページに東京漫才の特集記事。これは「ビバリー」でもしゃべっていた。高田先生、塙会長、神保喜利彦による鼎談が載っている。ほかのページには、タモリの名言を特集する記事や、近藤芳正とメッセンジャー黒田が「ブギウギ」を語る対談も掲載されていた。

 Spotify のポッドキャストで「松尾潔のBrush Up」を聴くと、ツイッターで、茂木健一郎が日本のバラエティについてまたなにか書いたようで、それが話題になっているのか。いや、ちらっと目にしてはいたのだが、まあ、たいした話ではないだろうと思い、もとのポストを確認することもしていなかった。松尾潔は茂木健一郎に単に同調するわけではなく、現在のバラエティにかなり理解を示したうえで問題点をあげていた。


 ここしばらく、ブログがぜんぜん書けずに苦しんでいたが、午後になってから、ようやくひとつ更新できた。午後にもまたテレビを観る。録画していた今日の「徹子の部屋」は、梶芽衣子がゲスト。50年前のレコードがロンドンでアナログ化されたという話題から始まる。梶芽衣子は高校生のころに「若い季節」に出演したことがあり、そのときの打ち上げで、遠慮して隅っこに座っていたら、「あなたたちなにそんなとこに座ってらっしゃるの。食べなさいよ。」と、徹子さんが声をかけてくれたという話もしていた。そのアナログ化されたという「梶芽衣子のはじき詩集」というアルバムは Spotify でも聴けた。

 深夜、アマゾンプライムで映画を1本。「暗闇でドッキリ」を観る。昨日観た「ピンクの豹」の続編と認識していたが、ウィキペディアにあたると、今作からクルーゾー警部が主役になり、続編というよりもスピンオフと言うべきもののようだ。スタイリッシュさと同時に、笑いはかなり馬鹿馬鹿しい。


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2024年2月14日水曜日

2月14日水曜日/広尾を歩く・読書論

◇ 広尾

 早朝、つけっぱなしだったラジオから、生島ヒロシの番組に池畑慎之介が出ている声がして、池畑慎之介が、目が覚めても横になる時間を作るというような話をしていたのを、なるほどと思いながら聴いた。からだを起こしていると背骨に負担がかかるその疲れがあるというわけだ。クルマのなかや電車のなかでよく眠ろうと、からだは疲れているのだろう。今日も朝から都内に。今朝はあたまが冴えていて、電車のなかで読書がずいぶん進んだ。昼には広尾のほうまで行くことになり、広尾なんて街はほとんど知らないから、駅の近くの商店街を端っこまで歩いてみた。広尾散歩通りという名前がついている。寿という焼き鳥屋に入り、ランチメニューのスパイシーチキンカレーを食べた。600円。これがなかなかにスパイシーすぎて、口内がぴりぴりし、水をたくさん飲んだ。スプーンをコップに差して出す店だった。

 広尾プラザというショッピングビルを覗き、向かいの広尾ガーデンにも行ってみると、こちらは2階に文教堂が入っている。近くに大きな公園があり、有栖川宮記念公園という。ニセ有栖川宮の結婚式というのがあったが、あの有栖川宮か。行ってみると、大きな池があり、木々の向こうには六本木ヒルズのてっぺんが見える。子どもたちが遊んでいて、日本人の子たちに見えたが、はしゃいでいる声が英語だった。敷地内には図書館もあった。

 帰りは東京駅のほうにまわり、八重洲のベローチェに入り、ひと休み。ラジオを聴きながら少し眠る。東海道線に乗り、横浜に戻ってきて、ビブレのブックオフに寄っていく。220円の文庫本を1冊、単行本を1冊買う。

◇ 読書

 帰りの電車内で、津野海太郎「読書と日本人」を読み終えた。これも図書館で借りた本。2016年刊、岩波新書。年末に読んだ「最後の読書」(2018/新潮社 → 2021/新潮文庫)から、今年に入ってからは「本はどのように変わっていくのか」(2019/SURE)を読み、津野海太郎の読書論を続けて読みたくなっている。出版順でいうと、この「読書と日本人」のほうが先だ。前半は「日本人の読書小史」として、読書という行為がどのように作られてきたのかを「源氏物語」の時代から探っていく。音読から黙読、仮名文字の普及による読書の変化。後半は「読書の黄金時代」と題し、自分にとってはこの後半のほうが面白く、興味があった。二十世紀という時代は、読書にとって、特殊で例外的な時代であったということ。特に、自分が体験してきた時代のなかでは、〈かたい本〉から〈やわらかい本〉へという変化が進んでいったということが書かれていた。80年代のニューアカブームは、津野海太郎は「〈かたい本〉の復権というよりも、〈かたい本〉が読書の中心にあった時代の終わりを告げる最後のお祭りという感のほうがつよい。」と書いている。その変化が、今は図書館にも影響を及ぼしているという。以下、気になった箇所の引用。

P20「科学史家の中山茂が、その著『パラダイムと科学革命の歴史』で、ヨーロッパの学問を推しすすめるエンジンは「論争」だったが、中国の学問では「記録の集積」が優先された、という意味のことをのべています。したがって中国の教育では、他人を説得する〈弁論力〉ではなく、紙や竹簡にしるされた先行者の言動(先例)を、繰りかえし声にだして読み、そのすべてを頭に叩きこんで、必要なとき瞬時に思いだせるようにすること、つまり〈記憶力〉がもっとも重視されることになる。」

P38「宮廷の女性たちを最初の読書とする『源氏物語』が、その後、定家にはじまり実隆や宗祇にいたる古典化運動をへて、伝統的な宮廷社会のそとの大名や一般の武士のあいだにまでひろまってゆく。いってみれば源氏読者の地方化、全国化です。そして、そのきっかけになったのが、生まれも定かでない連歌師と由緒ただしい宮廷貴族との階級差をこえた共同作業だったというあたりが、いかにも乱世ふうでおもしろい。」

P42「まずは仮名文字の普及に反比例して、貴族や僧侶など、専門知識人以外の一般の知識人の漢字能力が徐々におとろえを見せはじめたこと。そして第二に、この時代も終わりに近づくにつれて、それまで文字には縁のなかった下層武士や村の名主クラスの百姓、ひいてはその妻や娘までが、公文書をはじめとする、さまざまな文章を書いたり読んだりできるようになったこと――。」

P52-53「関連してもうひとつ、おおくの中世史家たちが見るところでは、公私を問わず、平仮名の普及によって文書のかずが増えるにつれて、文字から品格がうしなわれ、急速に読みづらくなってゆく傾向がめだつそうです。どうやらこのあたりから、人びとが文字にいだいていた「畏敬の感情」が薄れ、「文字にたいする社会の感覚」が変わってきたらしい。そう網野善彦も『日本の歴史をよみなおす』で指摘しています。」

P67(サムライの読書について)「そのためには儒教にかぎらず、ほかにも多くの本を読んでじぶんを変え、じぶんを磨いてゆかねばならない。しかし、なにしろいくさに明け暮れて、本にしたしむ習慣などとは無縁に生きてきた者がほとんどですから、まずはそのための入門書、本はどのようにえらび、どう読めばいいのかという即効的なマニュアルがいる。そこで江戸時代をつうじて、そのたぐいの本がさかんに出版されることになった。」

P115「ある社会の遠い過去にあった最盛期を理想化していったことば。それが「黄金時代」ですね。したがって〈読書の黄金時代〉というと、歴史上、これ以前にはなかったし、そしてこちらがより重要なのですが、この先もおそらくないであろう読書の輝かしい最盛期という意味になる。」

P125「明治初期が〈新聞の時代〉だったことはすでにのべました。つぎがこの〈雑誌の時代〉で、それに後押しされるしかたで〈書籍の時代〉がやってくる。ただし念のためにつけくわえておくと、これまた日本だけに見られた特殊な現象ではなかった。さきほどのロジェ・シャルチエが、十九世紀のフランスでも〈新聞→雑誌→書籍〉という段階を踏んで生産や流通の近代化がすすんだとのべていますし、アメリカ合衆国でもまさしくそうだったらしい。」

P156「そしてこの過程に並行して、社会の各層で、読書を健全な暮らしを乱す悪徳の一種と見なす旧来の慣習が力を失ってゆく。都市だけでなく農村でも、頭ごなしに読書を禁じた二宮金次郎の親戚のおじさんや、「本ばっかり読みなんな」と息子を叱る中野重治や三木清の母親たちのような人びとのかずが減り、それにかわって「私たちの人生にとって読書というのは基本的によい習慣なのだ」と考える新しい常識が社会に根づきはじめた。〈二十世紀読書〉の基本となり、いまもまだなんとか生きのびているのが、この新しい常識なのです。」

P163「本にはじつはふたつの顔がある。ひとつは商品としての顔。そしてもうひとつが公共的な文化遺産としての顔です。出版社は本を売り買いする商品として生産し、図書館はその本から商品性をはぎとって、だれもが自由に利用できる公共的な文化遺産としてあつかう。だから書店では金を支払って買わなければならない本も、図書館に行けばタダで読めてしまう。このふたつの顔の実現不可能とも思える共存を、出版社と図書館の双方がそろっておおやけに承認した。〈見知らぬ他人たちとともに本を読む〉という二十世紀読書の基盤には、ひとつには、そうした二重性をゆるす寛容さと大胆な制度的決断があったのです。」

P166-167「ただし小型で軽い文庫本ならともかく、小さな活字で小説や評論をぎっしりつめこんだ部厚い円本を通勤電車で読むのは、なかなか楽ではない。いきおい、かれらの関心は「それほどの集中力を必要とせずに気軽に読めるものや短い時間で読み切れるもの」のほうへと流れ、それに応じて「新しいジャンルの読物」が登場してきた。ひとつは随筆・探訪・座談会・実話・手記などの、ひとまとめに「雑文」とよばれる軽読物。(略)そしてもうひとつが新興の大衆小説。さきにふれた時代小説や通俗小説です。(略)したがって総じていえば〈かたい本〉から〈やわらかい本〉へ――その半世紀後、一九八〇年代の流行語でいえば〈重厚長大〉型読書から〈軽薄短小〉型読書への移行です。」

P168「そのことともかかわって、もうひとつ例をあげておくと、〈おそ読み〉から〈早読み〉への変化。これも二十世紀にはいって私たちの読書に生じた特有のクセといっていいでしょう。(略)のみならず出版流通がととのって読みたい本が入手しやすくなり、電化によって夜でも本が読めるようになった。〈おそ読み〉から〈早読み〉への変化は、なによりもまず、こうした近代化プロセスがもたらした必然の結果だったのです。そして〈早読み〉はただちに〈多読〉につながる。少数の本を繰りかえし読む。それが前代の読書の基本的な姿勢だったが、それが出版近代化以後、大量生産された本をできるだけおおく読むことに変わる。この変化が決定的なものになったのが、大ざっぱにいって、やはり教養主義的読書の時代だったのです。」

P224「そして、こうした現象とも関連して注意しておきたいのが、そのしばらくまえから〈読書〉にたいする人びとの態度がゆっくりと変わりはじめていたことです。変化の理由は重層的ですが、この本の文脈でいえば、高度経済成長期ののち、出版点数がふえるにつれて人びとが大量の本にかこまれて暮らすようになったことが大きい。そんななかで、いつしか飢えの時代のきまじめな読書法の力が薄れ、おびただしい量の本といかに気分よくつきあうかという、いわば満腹時代の新しい読書法がもとめられるようになった。」

P230「売れない既刊本のなかでも、とくに売れなくなったのが〈かたい本〉です。従来、この種の本(おもに人文書)の出版社は、大小を問わず、その在庫を十年とか二十年という長い時間をかけて売ることで、経営をなりたたせてきた。つまりベストセラー狙いとは正反対のロングセラー商法です。ところが前世紀の終わりごろから、本をつくる側と読む側をひっくるめて、世間に「すぐ大量に売れる本が勝ち、売れるのに時間のかかる本は負け」という気分がひろがり、それにつれて「負け」と目された既刊本の在庫が動かなくなった。そのため従来どおりのロングセラー商法をつづけてゆくことが、きわめて困難になってしまったのです。」

P232「そしてこれらの「改革」の一環として、近年、図書館が新たに購入する本に占める〈やわらかい本〉の割合が激増し、その一方で〈かたい本〉のかずがますます減らされている。」

P256-258「いまの学生はたしかにあまり本を読まない。だからといってかれらが「もう本なんかなくてもいいや」と考えているのかといえばさにあらず。教室でなんどか試みたアンケートによると、むしろ「なくなっては困る」と感じている者のほうが圧倒的に多いのです。(略)もちろん実際には、かれらはあまり本を読んでいません。ただし、毎日新聞社が戦後つづけてきた読書調査によると、近年は、「このごろの若い連中はちっとも本を読まない」となげく老人たちのほうが若者以上に本を読んでないらしい。とすれば、なにも「若い連中」にかぎらない。中高年をふくむすべての日本人がしだいに本を読まなくなるなかで、かれらも本を読まなくなった。そう考えておくほうがより正確なようなのです。」

P260-261「あらためて整理しておくと、この〈黄金時代〉を実質的にささえてきたのが、大正から昭和にかけて資本主義的産業として再編された出版ビジネスです。直接の動力は「亜米利加型」のあられもない利潤追求。(略)ところが二十世紀も終わりに近づくにつれて、その資本主義が変質しはじめる。すなわち「すぐ大量に売れる本がいい本」という風潮が本の市場に定着し、そんな環境を自明のものとしてそだった人びとが読者の中心を占めるようになった。そして、おそらくはその結果として、ごく少数の「いちばん売れる本」に読者が殺到し、ほかの本はまったく売れないという極端な傾斜が市場に生じてくる。(略)蔓延するハリー・ポッター現象のおかげで、〈かたい本〉と〈やわらかい本〉の別なく、いつでも、どこでも、だれもがタダで多様な本を読めるという公立図書館の理念が、もろくも破綻しかけているのです。」

◇ テレビ・ラジオ

 夜遅くに帰宅し、録画していたテレビ番組をいくつか。今日の「徹子の部屋」は傑作選「生誕100年の名優たち」。淡島千景(1980年放送)、鶴田浩二(1978年放送)、乙羽信子(1981年放送)、赤木春恵(1982年放送)の映像が流れた。昨夜の「イワクラと吉住の番組」は「クイズふまんだらけ」の2回目。この企画、前回がすごく面白かったのだが、2回目も期待どおりの面白さ。前回と同じく、進行役はパンサー向井、回答者にはウエストランド井口に加え、鬼越トマホーク坂井、お見送り芸人しんいちが登場した。

 Spotify のポッドキャストで「松尾潔の Brush up」を聴くと、「不適切にもほどがある!」を話題にしていた。


2023年11月27日月曜日

11月27日月曜日/Kアリーナ周辺を歩く

◇ みなとみらい

 昨日は昼は寒かったのに、夜はやけに暖かかった。朝から外出。桜木町に用があり、午前中にクイーンズのベローチェに入り、モーニングセットのカイザーサンドスクランブルエッグ・ベーコンを食べた。480円。しばらく読書をしていく。図書館で借りている、スージー鈴木「桑田佳祐論」を読み終えた。2022年刊、新潮新書。もとは「水道橋博士のメルマ旬報」の連載だったのだね。読みながら、Spotify で実際の楽曲にあたっていくのが楽しかった。初めて聴く曲もあったし、魅力を再発見する曲もあった。

 先週木曜のことだったか、Kアリーナで女性が刺されたというニュースがあり、のちに自作自演だったことがわかったが、Kアリーナ周辺はどのようになっているのかと改めて歩いてみたくなった。表通りのほうからはよく眺めているが、裏側にはまわってみたことがなかった。Kアリーナからしてみると、裏側のほうが正面ということなんだけれども。この裏側に公園があるということも初めて知った。貨物の線路をまたぐように、運河沿いに細長い公園がある風景を新鮮に感じた。Kアリーナが建つ前だって、こんなところは歩いたことがなかった。公園のすぐ前に搬入口があり、その上がステージにあたるのだろうか、リハーサルでもやっているようで音楽が漏れ聴こえてくる。

◇ ポートサイド地区

 Kアリーナの裏側(正面なんだけど)をぐるっとまわり、戻ってくる。昼食はまたOKの弁当。ここのところ、頻繁に利用している。和風唐揚げのり明太弁当、お茶と合わせて、400円弱。上階のイートインスペースで食べていく。それから、横浜駅まで歩き、ベイクォーターのマクドナルドに入り、ひと休み。ここでもまた読書。しかし、読書は早々に切りあげ、Kアリーナ周辺を歩いたついでに、今度はポートサイド地区も歩きたくなった。いったいいつぶりになるか、横浜駅にはしょっちゅうきているのに、こちらを歩く機会はなかなか作れないものだ。ポートサイド地区に出てみると、こちら側から見えるKアリーナはずいぶん近くに見える。ポートサイド公園も記憶とはずいぶん変化しているのではと思うが、さきほど、Kアリーナの裏手にあった公園の運河を挟んだ向かい側にあるのがポートサイド公園だった。この運河はシーバスの通り道でもあった。さて、そろそろ戻ろうかと考えていると、公園の端のほうに歩いていくひとがちらほらいて、どうやらそちらにも抜けるルートがありそうだ。公園の端っこまで進むと、橋の下を抜けるトンネルがあり、ここがなんと、ベイクォーターとつながっていた。いや、こんなトンネルがあるなんて今までまったく知らなかった。歩いてみないと気がつかないことはあるものだ。思いがけず、今日はたくさん散歩をすることになったが、昨日みたいな寒いだったらそんな気にはならなかったろう。体調も悪くない。

◇ テレビ・雑誌・ラジオ

 夕方には帰宅し、録画していたテレビ番組をあれこれと。今朝の「ブギウギ」を観て、それから、昨日の「ボクらの時代」を観る。ウエストランド井口、空気階段かたまり、ハナコ秋山という岡山出身の3人。昨日の「サンデージャポン」は、成田悠輔、松村沙友理、藤田ニコル、みちょぱらが出演。政治資金問題をトップに扱い、宮崎謙介・金子恵美夫妻が解説をする。そのあとには池田大作の死去、ビッグモーター問題、ジャニーズ問題、違法スカウトグループの問題。最後にはやす子とさゆりんごの食リポがあり、これは早送り。

 土曜に放送された「ものまね王座決定戦」は年末恒例のトーナメント戦。まずはAブロックからEブロックまで、4組ずつが対戦する。Aブロックでは、レッツゴーよしまさが小林幸子と美川憲一のものまねで「もしかしてPARTⅡ」を歌い、終わったあとに「僕は、純度100パーセント、ザ・ものまねをやりたかったです。」と言っていたのがかっこよかったのだが、Aブロックは米津玄師のものまねをした松浦航大が1位になった。Bブロックは、なんといっても、ミラクルひかるの工藤静香がふざけきっていて素晴らしかった。ミラクルひかるには神田愛花が100点をつけたが、しかし、勝ち抜けたのは B'z のものまねをした NASUMI。Cブロックでは、栗田貫一が森進一のものまねで「いとしのエリー」を歌い、これぞ、ものまね芸人の矜持。この矜持を受け継いでいるのがレッツゴーよしまさであり、ミラクルひかるだ。ところが、Cブロックを勝ち抜いたのは、堂本剛のものまねをした成田寛巳。Dブロックでは、布施辰徳が五木ひろしのものまねで絢香の「三日月」を歌い、これもクリカンイズムかと思ったが、この曲は五木ひろし本人もカバーしているようだ。ビューティーこくぶ、よよよちゃんという巧者が並ぶが、Dブロックは倖田來未のものまねをしたありさブリリアントが勝ち抜いた。Eブロックは、JP、ななみなな、ほいけんたを押さえ、エハラマサヒロが勝ち抜け。エハラマサヒロは「リトルマーメイド」のセバスチャンを演じた上條恒彦のものまねだった。エハラと松浦航大はともかく、この5名の決勝戦はしょぼすぎるだろうと思ったが、敗者復活枠が2名あり、1位は高橋洋子のものまねをしたななみななだったが、2位はレッツゴーよしまさとほいけんたが同点だった。ほいけんたとレッツゴーよしまさがジャンケンをして、さんまのものまねで「アミダばばあの唄」を歌ったほいけんたが決勝進出を決めた。7組による決勝戦、松浦航大の和田アキ子から始まり、ありさブリリアントの安室奈美恵、エハラマサヒロの山崎まさよしと続き、ななみなながここで十八番のドリカムを出してきた。成田寛巳はTMレボリューション、ほいけんたは爆風スランプ、ラストは NASUMI という無名のひとになり、ただでさえ誰だよと思うのに、MAN WITH A MISSION のものまねをして、ますます誰だかわからない。優勝はななみななに決まり、途中まではどうなることかと思ったが、これは悪い結果ではない。

 楽天マガジンで雑誌のチェックをすると、「週刊ポスト」には「ブギウギ」のふせえりに注目した記事が出ていた。たけしの連載は3ページの拡大版。映画公開に合わせたのかと思えば、この連載の新刊が出るようだ。「週刊現代」で始まった堀井憲一郎の連載は、やっぱりテレビについて書いていくコラムだ。2回目では「ブギウギ」のあとの華丸大吉のコメントに着目し、きっちりとネタっぽくしあげている。このふざけたコラムを読む感覚、ひさしぶりに味わうもので、こういうコラムがたくさん載っているのがかつての「テレビブロス」だった。

 タイムフリーで、土曜に放送された「ナイツのちゃきちゃき大放送」のニュースの部分を確認すると、池田大作の訃報は扱っていなかった。「常連さん」は丸山ゴンザレス。Spotify のポッドキャストで、松尾潔のRKBラジオのコーナーを聴くと、最新回では「レコード大賞」を話題にしている。毎週2本あるもう1本では小室哲哉について話していて、ZONEはもともと小室哲哉と松尾潔が一緒にプロデュースするはずだったという秘話があった。

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ブログ アーカイブ

4月18日月曜日/それぞれの戦争

◇ 飯田橋  深夜に映画でも観るつもりだったが、朝まで眠ってしまった。タイムフリーで、土曜に放送された「田村淳のNewsCLUB」を聴く。湯川れい子がゲストなので、これは聴いておきたかった。この番組の出演は、なんと、湯川れい子の逆指名によるものだったようだ。湯川れい子は 1936...