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2021年4月26日月曜日

4月26日月曜日/テレビ・ラジオ・YouTube

◇ テレビ・ラジオ

 あまり眠れず、早朝4時前に目覚め、録画してあった昨日の「ワイドナショー」を観た。チャーリー浜の訃報、野田クリスタルの自作ゲームが発売などのニュース。そのほか、スマホで写真撮影する際の、若い世代は持ちかたが違うというのは、松本と同じく、目からウロコだった。われわれはカメラのようにもってしまうが、真ん中にレンズがあるわけではないのだから、真ん中を握ってしまったほうが安定するということだ。今まで、まったく疑問に思うことがなかった。

 午前中にもう少し眠りなおし、11時半からラジオをつける。「ビバリー昼ズ」はU字工事がゲスト。午後は「ナイツ ザ・ラジオショー」。育休中の平野ノラに代わり、今月は鈴木拓がパートナーを務めている。14時台のゲストは三宅裕司。今週は熱海五郎一座のメンバーが連続で出演する。SETの前身、大江戸新喜劇の話題にもなり、三宅裕司から斉藤洋介の名が出た。塙さんと三宅裕司ならば、YMOに触れてほしかったとも思った。ラジオを聴きながら、楽天マガジンで雑誌のチェックもする。「週刊プレイボーイ」では、ひろゆきの連載対談が始まり、初回のゲストは志らく師匠だった。アカデミー賞の結果も気になり、ツイッターからニュースを見る。下馬評どおり、最優秀作品賞は「ノマドランド」になった。

 夕方、ヤマトの営業所まで。吉野家にも寄り、肉だく牛黒カレーを食べる。ワンオペだったのか、それとも奥にほかの店員もいたのかわからないが、店内にいるあいだ、出前館からの着信がばんばん鳴っていた。二俣川に出て、ドトールに入り、しばらく読書をしていく。しかし、どの本を読みたいということもなく、数冊をつまみ読みするのみ。今日は集中力なし。

◇ 再びラジオ・テレビ

 二俣川までの往復、歩きながら、タイムフリーで、土曜に放送された「アッコのいいかげんに1000回」を聴いた。志らく師匠がゲスト。談志師匠が出演した回の音声も流れる。夜に帰宅し、「いいかげんに1000回」を最後まで聴き、続けて、「東京ポッド許可局」も聴いた。土曜の放送にまだ慣れず、月曜になって思い出す。録画していた「しゃべくり007」は、米倉涼子がゲストだった。ネプチューンとは仲がよさそうだったが、そういえば、くりぃむしちゅーとは「明石家マンション物語」で共演していた。そのことには触れられもせず、当時は若手だったくりぃむしちゅーとの距離感がちょっと気になる。対決企画のコーナーにのみ登場した、鈴木浩介の司会も面白かった。

 アマゾンプライムで映画を観ようと思っていたが、どうもその元気がなくなり、代わりに、YouTube で、毒蝮三太夫が始めた「マムちゃんねる」を観た。初回は、古谷敏をゲストにトークをしている。毎回、この形式になるのだろうか。古谷敏というひとを知らなかったが、ウィキペディアを見ると、ウルトラマンのスーツアクターをしていたひとなのだ。当然、ウルトラマンのファンにはよく知られるひとなのだろう。ウィキペディアの記述を読んで驚いたが、60年代には、怪獣アトラクションを主催する「ビンプロモーション」という会社を設立したが、「1980年代に入ると集客力が落ち、1991年にビンプロモーションを解散。それに伴い負債を抱える。他人に迷惑をかけたという申し訳なさから知人と連絡を絶ち、特撮番組で活躍した経歴を伏せてビル清掃会社で働いた。表舞台から姿を消した為、一時は消息不明扱いで、死亡説等も伝えられた。」「2007年、成田亨の原画展を伝える新聞記事を見て会場を訪ね来場者名簿に記入して帰ると、未亡人から「ビンさんが来てくれるなんて」と涙声で電話がかかってきた。それがきっかけで数週間後、『ウルトラセブン』でアンヌ隊員を演じたひし美ゆり子から「ずっと捜していた」と連絡が入り、科特隊員を演じた桜井浩子ら円谷プロ時代の関係者との連絡を再び取り合うようになる。」という、なんとすさまじい人生なのか。現在の事務所の名前が「シンビンプロモーション」というのもいいと思った。

2021年3月27日土曜日

3月27日土曜日/皇居







◇ 皇居

 朝から都内に。丸の内まで行く用があり、そのあとに神保町に寄るつもりでいたが、予定よりもずいぶん時間が空いてしまった。まずは昼食。以前に気になっていた大手町ビルヂングの地下に行ってみるが、土曜だから、ランチタイムでも開いてる店は少なかった。玉乃光酒蔵という店に入り、生姜焼き・中落ちセットを食べる。

 せっかく時間があるので、神保町まで歩いてみることにするが、皇居のまわりを通って行きたくなった。普段、都内では電車移動ばかりなので錯覚するが、地図で見ると、こんな距離なのかと改めて気がつくということがけっこうある。神保町は御茶ノ水と水道橋のあいだにあるという感覚があり、飯田橋は隣りの駅だからと思い、神保町の帰りに飯田橋まで歩くということをよくやっていたが、大手町から神保町に行くほうがじつは近いくらいだということに最近になって気がついた。JRで移動しようとすると、東京駅までは東海道線(京浜東北線)だから、中央線(総武線)は別のエリアという感覚になる。しかし、半蔵門線ならば神保町のつぎが大手町なのだから、そこで気がついてもいいものだ。神保町に行く場合は、渋谷から半蔵門線に乗る。ところが、大学時代はJRで通学していたので、神保町には御茶ノ水駅から歩いて寄っていた。どうやらその感覚が未だに残っている。

 東京を歩くことが増えると、どうも皇居が気になるようになっていく。というのも、知らない街を歩く際にはグーグルマップを必ず見るようになったからで、スマホをもたない時代にはそれはなかった。スマホをもつようになって初めて、自然に皇居を意識するようになっていった。となると、周辺を歩いてみたいと思うが、それだけのために時間を作るのもいやだという貧乏性で、なにかのついでに歩ければと考えるが、ついでに皇居のまわりを歩こうということにはなかなかならない。なぜなら、電車で移動したほうが楽だからである。しかし、貧乏性であるから、短い距離ならば、電車に乗らずに歩いてしまおうと考える。なおかつ、時間があるという条件がそろっているならば、今が歩くときだということになる。

 今日は気候もよく、絶好の散歩日和でもあった。散歩するひと、ジョギングするひと、外国人の観光客も多い。自分はついでに歩いているだけの貧乏性だが、ほかのひとびとはゆるやかな時間を過ごしている。豊かな水があり、緑があり、石垣があり、橋がある。それらと隣り合わせに近代的なビル群があるという風景は、どこを切りとっても飽きることがない。







◇ 神保町

 竹橋を過ぎ、九段下の手前あたりから皇居を離れ、神保町に着いたときには13時前だった。古本屋をまわるのが目的なのに、すでにたくさん歩いてしまい、ひと休みしたくなった。矢口書店に寄り、外の棚からテレビ番組の台本を2冊買っていく。それからベローチェに。アイスコーヒーを飲み、少し眠ってから読書をした。2時間半ほど、たっぷり休んでからまた古本屋に。ベローチェを出て、靖国通りのひとつ裏の通りから白山通りに進む。こちらの通りはあまり丹念に歩いたことはなかったが、ベローチェのすぐそばにあるアカシヤ書店に惹かれて入ってみる。囲碁将棋関係が中心だが、その周辺の趣味の本も扱っていて、自分の興味の範囲だと、手品に関する本なんかも充実していて面白かった。

 神保町ではそれ以上の買いものはせず、例のごとく、今日も飯田橋まで歩いた。大手町から飯田橋まで歩いてきたのだと思うと、なかなかの距離だ。ブックオフでもあまり買うものはなく、単行本を2冊だけ。総武線、山手線で渋谷に移動し、まんだらけにも寄った。ここでは百均から1冊。






 夜に帰宅し、録画してあった今朝の「サワコの朝」を観る。この番組の終了はつくづく惜しい。最終回のゲストはなぜか米倉涼子で、通常営業のまま終わった。観そびれいていた「伯山カレンの反省だ!!」の最終回もようやく観た。こちらは先週20日の放送。最後は講談で見事に締めた。23時からはラジオをつけ、「HONMOKU RED HOT STREET」を聴きながら、深夜0時前に眠った。

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5月20日土曜日/「THE SECOND」

◇ 神保町  朝から都内に。小雨だが、予報ではすぐに止みそうなので、傘はもたずに出た。気温も読めず、パーカーを着ていく。今夜は「THE SECOND」を観なければならないから、余力を残しておきたかったが、想定していたよりも時間に余裕が作れなかった。昼は神保町。土曜はランチをや...