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2021年8月11日水曜日

8月11日水曜日/源流には

◇ テレビ

 朝、録画していた「紙とさまぁ~ず」を観た。ゲスト不在、ゲストのアンケートの答えだけを見ながらトークする番組だが、今回のゲストは内田理央で、この番組はここまでずっと女性ゲストばかりだ。若い女性ゲストのアンケートをもとに、おじさんふたりで勝手に盛りあがっているという構図が可笑しく、しかし、女性アナウンサーも同じ場にいるため、男だけの会話にもならないのがうまくできている。次週のゲストは泉里香で、今週は初めて、2週にまたがずに1週だけで終わった。月曜の深夜は、さまぁ~ずの番組が続けてあり、「さまぁ~ず論」はゲストにも寄るが、ここ3週は児嶋一哉が出ていて面白かった。

 昨夜に放送された、所ジョージの「ファミリーヒストリー」も録画していた。この放送は楽しみにしていて、すぐに観たかった。母型の祖父が飴売りの芸人だったということにまず驚くが、70年代に、その映像が資料として残されているくらいのひとなのだ。所ジョージはそのことを知らずに、芸能の道に進むというのはいったいなんなんだろうか。いっぽう、父は整備兵をやっていて、戦後は警察予備隊にいたが、露天商だった母型の祖父は警察が嫌いだったため、最初は結婚を認めてもらえなかったという。この番組はいつもそうだが、両親の結婚の過程に今回も感動させられる。なにしろ、ここがいちばん本人の存在に係わるところで、タイムトラベルものの映画みたいに、結婚できなかったら所ジョージが消えちゃうという気にさせられる。後半は、所ジョージ本人の道のりになっていくが、ここにもやはり、両親それぞれと似た部分をどうしても感じていくことになるのだから、この番組の構成は巧妙だ。



 夕方、駅前まで買いものに出て、吉野家にも寄り、牛カルビ丼を食べた。読書をするため、ドトールに入り、アイスコーヒーとクイニーアマンを食べる。ツイッターからニュースを見ると、東京の新規感染者数は 4200人に。神奈川は 1565人。埼玉は 1227人。千葉は 955人。大阪は 1490人。感染者数は2週間前の結果だというのは、「グッとラック!」で北村義浩教授がさんざん言っていたことだが、オリンピックの影響がそろそろはっきりしてくる。神奈川は二千人以下に戻り、少しほっとする。

◇ 雑誌・映画

 ドトールでは、少し前にブックオフで買った、「本の雑誌」4月号の津野海太郎特集を読んでいた。佐久間文子によるロングインタビュー、本人のエッセイと「津野海太郎がつくった本25冊+3」、それから、近しいひとたちが寄稿している「私が知っている津野海太郎」、最後に年譜もあり。ぱらぱらと読むだけでは済まず、特集ページすべてを興味をもって読んだ。津野海太郎の名は、ちょうど、今年読んでいた「決定版 日本の喜劇人」のあとがきにも出てきたところだった。あの本の誕生に津野海太郎が関わっているとは、晶文社の本だから言われてみればそうかとも思うが、このあとがきを読んで改めて知った。植草甚一もそうだが、自分の好きなサブカルチャーの源流には、津野海太郎の存在がじつはとても大きい。特集では、小林信彦も植草甚一も、まだ浪人生だった高平哲郎に教えてもらったということが語られていて、それもすごい話だと思った。もし、高平哲郎が教えなかったら、サブカルチャーの歴史がまるっきり違ってしまっていた。

 夜に帰宅し、アマゾンプライムで映画を。大林宣彦監督の「さびしんぼう」を、昨夜に観ようとして中断してしまったが、その続きを今夜観た。しかし、今まで観た大林宣彦作品のなかでも、これはいちばん興味がもてなかった。富田靖子をなぜ白塗りにしたのだろう。大林作品では、未見の作品もまだたくさんあるが、叙情性よりも、「金田一耕助の冒険」や「HOUSE」のようなカオティックなもののほうが好きだ。

2021年1月25日月曜日

1月25日月曜日/バカリズムのファミリーヒストリー

◇ ラジオ

 今日も昼からラジオを聴いていた。「ビバリー昼ズ」のゲストは原田龍二。明治座の公演の話をする。「ナイツ ザ・ラジオショー」のゲストは神田伯山で、「ビバリー」のエンディングにも登場した。ナイツと伯山といえば、お年玉の一件がラジオリスナーにはおなじみだが、土屋は映画の撮影だとかでこういうときにかぎってスタジオにいない。電話でつないで、わざわざそのお年玉の一件を蒸し返すが、そもそもが強引な難癖なので、どうやっても発展のしようがないエピソードだ。寄席での関係性はリスナーにどこまで理解されているのかわからないが、ほかに聴きたい話はいくらでもある。

◇ 今日の読書

 夕方になる前に、ヤマトの営業所まで。コーナンで買いものする必要があり、二俣川から星川に移動するが、まずはドトールで読書をしていく。

 年末に買ってあった「青山真治と阿部和重と中原昌也のシネコン!」を読んだ。2004年刊。体感的にはもっと以前の本のような気がしていたが、ゼロ年代の始めもいよいよひと昔前に感じるようになってきたな、という感慨が四十代の人間としてはある。つい先日読んだ「黒沢清の映画術」に、黒沢清の大学の後輩として青山真治の名が出てきて、その流れで今さら読もうという気になったのだが、自分よりも少し歳上のこの3人は当時はまだ三十代だ。ここでなにを評価して、誰に毒づいているか。そこにこの時代の空気がある。「黒沢清の映画術」は2006年刊で、この本と2年しか違わないことに意外な感じを受けたが、黒沢清のほうが(当たり前だが)はるかにおとなだった。

◇ テレビ

 夜、録画しておいた、バカリズムの「ファミリーヒストリー」を観た。この番組はいつもそうだが、今回も大いに感動させられた。都会的な芸風のようで、じつは荒っぽい土地で育ったひとだということはなんとなく知ってはいたが、福岡県田川市という炭鉱の町の出身なのだ。父方の祖父はもともとはこの炭鉱で働いていて、日中戦争では輜重兵というかなり有能な人物に与えられる職務についていたという。この町の風土というのがまたすさまじく、戦後の景気が悪化した時期には「スリの学校」ができたという話には笑わされた。一時期は韓国にわたり、裕福な暮らしをしていたようだが、戦後は財産を没収され、ゼロからの再出発となった。そこからさまざまな商売を始めていくこの祖父のバイタリティがすごいが、最終的には弁当屋で成功する。バカリズムの父は、集団就職で十代のころから川崎の工場で働いていたが、この弁当屋を継ぐために帰郷するのだ。その時期に母とお見合いをするが、強烈な祖父を見て、一回断ったというのが可笑しい。このあたりは藤子・F・不二雄のマンガのように、タイムマシンに乗って、結婚前の両親を目撃しているようではらはらする。

 後半は母方の家系をさかのぼるが、母方の祖父もまた別の種類の強烈な人物で、大変な資産家だったが、戦後、時代が急激に変化すると、賭けごとにのめりこんで財産を使い果たしてしまったという。バイタリティにあふれる父方の祖父とは逆に、母方の祖父は坊っちゃん気質で、生きる賢さのないひとだった。借家住まいで貧乏な暮らしをしていたという少女時代に過ごした土地を、番組では、バカリズムの母と妹が訪ねていく。坂道の途中にあるその住まいから、階段を登っていくと山の奥まで通じていて、母はそこに寝転がっていろいろなことを空想していたという。母は詩を書くのが得意な少女で、当時の先生のもとにも訪ねていくと、作家になるのではと思われるほどに文章が上手かったそうだ。こういう母から今のバカリズムは生まれた。祖父母は離婚し、生きる賢さがなかった祖父は哀れな最期を遂げる。

 バカリズムと同い年(1975年生まれ)なので、バカリズム(英知)の誕生以降は、自分の家族のその時期の状況と重ね合わせながら観ていく部分もあった。実家の弁当屋は、コンビニの時代になると経営が傾き、40歳だった父は工場に転職するが、45歳で亡くなってしまう。その1ヶ月後には、続けて祖父までもが亡くなる。母は家を売り、団地に引っ越し、新たな仕事についた。その年が1993年、高校三年生だ。野球部だったバカリズムが福岡大会に出場した映像が残っていたが、今よりも男っぽい、野球少年の雰囲気がある。空想癖のあった母の血を引くいっぽう、負けず嫌いの父の教えがバカリズムには生きている。父の死に、母からは落ち込んでいるように映っていたが、自分自身にはその感覚はなかったというが、ごく普通の18歳の少年の感覚としてはそこはむしろリアルだと思った。番組は最後に、両親の新婚時代が映されたフィルムを見せる。母が日記を26年間も書き続けていたことも明かされ、バカリズムが芸人を始めたころの様子が細かく記されていた。文章が上手かった少女は、ずっと文章を書き続けていたのだ。バカリズムは現在45歳であり、父が亡くなった年齢とちょうど同じだ。

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5月20日土曜日/「THE SECOND」

◇ 神保町  朝から都内に。小雨だが、予報ではすぐに止みそうなので、傘はもたずに出た。気温も読めず、パーカーを着ていく。今夜は「THE SECOND」を観なければならないから、余力を残しておきたかったが、想定していたよりも時間に余裕が作れなかった。昼は神保町。土曜はランチをや...