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2024年3月7日木曜日

3月7日木曜日/雑色・Jダンス

◇ 雑色・糀谷・蒲田

 朝から都内に。京浜急行の雑色という駅で初めて降り、糀谷のほうに歩いていくと、六又の交差点に出くわした。「TVタックル」の交通特集で紹介していたのはここだったかもしれない。昼食は糀谷駅の商店街、珍味楼という店に入り、日替わりランチの豚肉ともやし炒めの定食を食べた。スープ、サラダ、杏仁豆腐、アイスコーヒーがつき、690円。糀谷のブックオフに寄るが、買うものがなかなか見つからない。230円単行本をなんとか1冊選んで買っていく。この店はなぜか価格設定が独特で、消費税が10円高い。糀谷から蒲田まで歩き、蒲田のブックオフにも寄るが、こちらも買うものがぜんぜん見つからない。220円のコミック文庫を1冊だけ買っていく。蒲田から京浜東北線に乗り、横浜に戻ってくる。

◇ 読書

 横浜東口のドトールに入り、しばらく読書をしていく。図書館で借りている、若杉実「Jダンス」を読み終えた。2021年刊、星海社新書。ダンスに関する本をなにか読みたいと思っていたらこの本を見つけた。まず、風見しんごから始まるところにさっそく興味を惹かれたが、各章、主要人物の軌跡をたどりながら「Jダンス」の系譜をつむぎあげていく。LL BROTHERS、EXILEのHIRO、TRFのSAMと続き、芸能界におけるダンサーの位置がそれぞれ面白く、ある時代までは、ヴォードヴィリアン、つまり、芸人の領域のなかで理解されてきたその名残がどうやらあった。ジャニーズの重要性も語りつつ、この本のなかでは「Jダンス」の系譜をそのカウンターとして位置づけている。しかし、そのわりには、後半ではモーニング娘やAKBにやけにページが割かれていて、前半とは分離しているようにも感じたし、こういうのを読みたいんじゃないんだけどなと思いながらがまんして読んだ。以下、気になった箇所をいくつか引用。

P4-5「たとえば〝バックダンサー〟という呼び方、和製英語は近年つつしむ傾向がある。代わりに普及しているのが、海外での一般名称である〝バックアップダンサー〟〝バックグラウンドダンサー〟。〝支援(バックアップ)〟〝背景(バックグラウンド)〟として存在する、いちダンサーとしての主体性が尊重されていることを物語っている。」

P6「なお対象を成人にまでひろげるとストリートダンス人口は全国で600万人を超え、うちブレイクダンスの比率が最多という結果が出ている。参考までにエアロビクス~ジャズダンスの人口が410万人、サッカー人口は480万人。Jポップの名称にも影響を与えた(そしてJダンスにも)Jリーグの開幕(1993年)以降、横ばいがつづくサッカー人口だが、すでにストリートダンスに抜かれていた。」

P30-31「風見は帰国後、『週刊欽曜日』で振付を担当していた土居甫の前で踊ってみせるも、そこでの反応も芳しくない。(略)「シンゴちゃん、そういうのは舞台でやっちゃいけないダンスだよ」(略)土居が認める〝舞台でやっていいダンス〟とはタップやジャズダンス、バレエといった定番だった。」

P34-35「風見は実際にスポーツウェアを着て歌い踊っていた。(略)自前なのかスタイリストが用意したのか不詳な点はいくつかあるが、ひとつだけいえることはテレビ局内を徘徊するばあい、風見はその格好だったということである。そしてそのことが原因で問題を招く。〝運動着〟姿であることから警備員に呼び止められるという災難が何度かつづいた。(略)アメリカのグループ Run-D.M.C が、アディダスへのオマージュをラップした「My Adidas」をリリースしたのが1986年。つまり「涙の take a chance」が発表されてからの1年間は、すくなくとも日本のテレビ業界では、運動着を衣装とすることは常識的に認めていないも同然だった。」

P38-39「当初こそ風見の進路に懐疑的だった萩本も、風見の努力を見るにつけ気持ちが揺らぎはじめる。ブレイクダンスが〝最新のダンス〟であることは萩本にも理解できた。だがすべてがそれでおさまるという話ではない。ことに萩本にはヴォードヴィリアンとしての矜持があり、たとえ最新のダンスだろうとタップへのこだわりをあっさり手放すことなど考えにくい。「涙の take a chance」を用意したとき、萩本は「次の新曲こそタップで……」と風見に耳打ちしている。」

P53「それ相応の力をダンスに注ぎ、それ相応にダンスを売りにしてきたジャニーズ系は、LL BROTHERS の登場によってみずからの立場を見つめ直す機会を得たのではないか。この考えは、かならずしも空想の域におさまるものではない。当時の雑誌をあたっていると、彼らと『ダンス甲子園』の意外な〝接点〟を発見する。対象は兄弟ではなく山本太郎ではあったが、その山本が休養宣言をした回を受け、次のようなコメントを誌上から発信していた。(以下略、木村拓哉・香取慎吾・中居正広の発言)」

P93-94「同期のジャニーズならダンスに積極的だった田原俊彦の名をあげる業界人は多く、SAMも当時を回顧する際、彼の名前をたびたび持ち出す。(略)ただしムーンウォークにかぎらずブレイクダンスそのものをまるごと受け入れ芸能界で最初に披露したのは、おそらく原田真二だろうとおもわれる。(略)風見が「涙の take a chance」で発表する半年以上前のことになる。ただし原田も田原もソロであり、SAMのようにグループ(Riff Raff)としてストリートダンスに取り組むとなれば、これとはべつに話を用意しなければならない。かたや風見率いるエレクトリック・ウェーブはパワームーヴまで披露するなどBボーイ道に徹底していたこともあるため、Riff Raff との安易な比較も避けたい。おなじ欽ちゃんファミリーでもSAMがライバル視していたのは、勝俣州和やジャニーズ組とされる木野正人、中村亘利他が在籍していたCHA-CHAだった。」

P99「ただし本著の主題〝Jダンス〟に鑑みたとき、その系譜(とりわけ80年代)に錦織や田原という才能を不用意に入れたときに生じる違和感も避けられない。そもそも男性アイドル=ジャニーズの〝カウンター〟として登場したダンサーの歩みがJダンスの本道になったからである。」

P120-121「実際に小室はこの時代、〝渋谷〟に向けられたアンテナを日がな一日磨いていた。(略)渋谷系ではなく〝渋谷性〟。つまり一定の法則に従いまとめられる〝系統〟として渋谷文化を〝ファイリング〟していたのではなく、ハーメルンの笛吹きの洞穴のごとく都市の巣窟に吸い寄せられる若者たちの〝性質〟を〝ファインディング〟していた。」

P138-139「体内にリズムボックスを内包しているようにダンサーは常時ビート感を絶やさず、それをメトロノーム代わりに踊る。(略)小室はこれと似たような事象の対象者に〝クリック世代〟を命名している。その背景にゲームの影響があると力説。」

P164「きっかけは、足かけ9年指導にあたった『吉本印天然素材』。そこから得られた教訓が、モー娘。を指導する夏に自信をもたせることになった。〝ダンスとお笑い〟を本格的に融合させた『天素』はそれだけでも注目に値するが、内容もそれにたがわぬクオリティとして視聴者の目を釘づけにする。」

◇ テレビ・雑誌

 星川に移動し、コーナンで買いものしてから帰る。夜遅くに帰宅し、録画していたテレビ番組をいくつか。今日の「徹子の部屋」は傑作選「昭和を飾った時代劇スター」。大川橋蔵(1977年放送・48歳)、松平健(1979年放送・25歳)、高橋英樹(1983年放送・38歳)、杉良太郎(1988年放送・43歳)の過去に出演した回の映像が流された。淡谷のり子は高橋英樹の大ファンだったようだ。

 楽天マガジンで雑誌のチェックをすると、「紙の爆弾」にジャニーズから始まる性加害報道についての記事があり、松本人志の報道に関することも書かれている。「文春の女性記者が、松本に女性をアテンドしたというお笑いコンビ・クロスバー直撃の渡邊センスを東京・渋谷の劇場で『渡邉さんですか?』と直撃取材するも、その相手は作家のA氏。人違いだったんです。(略)吉本に否定されて謝るしかなかった。渡邉の顔も知らずに取材していたとは、文春もそんなものかと思いましたよ。」と、お笑いライターなる人物が証言している。記事の後半では、若林志穂による長渕剛の告発についても書かれている。問題の作品に参加していた早坂伸という映画カメラマンが若林志穂の投稿を裏付けるような反応をしたそうで、その投稿は知らなかったが、その早坂伸は「若林志穂さんの告発ってなんでこんなに広まらなかったのだろう。(略)何かよくわからない力学が働いた可能性がある」とも投稿していたという。「何かよくわからない力学」とはなんだろうか。

2024年3月5日火曜日

3月5日火曜日/ハヤシビーフを食べる

◇ テレビ

 朝、ブログの更新をようやくひとつ。このひとつの更新までに何日も書けなかった。ラジオを聴きながら、少し眠りなおす。それから、再送するクリックポストを大急ぎで作り、近所の郵便ポストの最初の集荷になんとか間に合わせた。

 録画していたテレビ番組をいくつか。今朝の「ブギウギ」は、スズ子がついにアメリカ行きになり、「福来スズ子お見送りショー」のステージで「東京ブギウギ」を歌った。そのあと、7分過ぎにようやくオープニング曲が流れる。月曜に放送された「キョコロヒー」は、この放送日の3月4日は差し入れの日ということで、勝俣州和とぼる塾田辺さんが差し入れ決戦をする企画。キサラの楽屋と、キャバクラの待機部屋の差し入れを考える。日曜の「NHK短歌」は、第1週はこれが1年のラストだった。ヒコロヒーがついに短歌を作る。来年度も同じメンバーで継続されるという発表もあった。

 なかなか家を出られず、夕方から外出。午前中は晴れていたが、雨降りになる。まず、二俣川に出て、ジョイナステラスの行政サービスコーナーに図書館の本を返却する。二俣川から横浜に移動。雨降りだから、外に出るのもわずらわしく、ジョイナス地下、ひさしぶりにカレーハウスリオに入り、ハヤシビーフを食べた。880円。二俣川に戻り、ドトールに入り、しばらく読書をしてから帰る。

 夜遅くに帰宅し、夜もまた、録画していたテレビ番組をいくつか。今日の「徹子の部屋」のゲストは、Mr.マリック・LUNA親子。マリックがメディアに出始めのころは忙しく、家族団欒の時間もなかったという。怖いお父さんだったんだろうか。

 今夜の「アンタウォッチマン!」はオンタイムで観た。藤子F先生生誕90周年、ドラえもん特集。スタジオにはサバンナ高橋が出演。VTRでは、元担当編集者の平山隆、映画のプロデューサーを務めた別紙壮一が証言をする。テレビ放映につながったとされるパイロットフイルムも流された。

 深夜1時からはラジオ。「爆笑問題カーボーイ」を聴きながら眠る。

2022年6月14日火曜日

6月14日火曜日/にせもの

◇ ブログ・ツイッター

 朝に目覚め、ブログの更新をしようとするが、やたらと時間を食う。普段は、このブログの下書きに、スマホからリアルタイムで日記を書き、それをもとに公開用の日記を再構成するという手順を踏んでいるのだが、(つまり、2種類の日記をつねに書いている。)下書きの日記を丁寧に書いてないと、非常に時間がかかる。記録しておきたい日ほど、書くことが増えるから、細かく書いてられないというパラドックスがずっとある。

 日記のために、自分の過去のツイートを確認しようとしてたまたま見つけたが、「ドジブックス」を名乗るアカウントがあることに気がついた。今まで見つけられなかったということは、最近になってこの名前にしたのだろうか。ドジブックスになりすましていったいなんの得があるのかと思うが、よせばいいのに、一応、見つけてしまった以上はフォローして、つながっておくしかない。まあ、外国人だったりしたら、話は通じないとは思うが。しかし、アイコンの顔も妙に気色悪いし、これが俺だと思われたらいやだよ。

◇ ラジオ・テレビ

 昼はラジオ。「ビバリー昼ズ」は、勝俣州和がゲスト。欽ちゃんの番組からデビューした勝俣は、東貴博とは、東がデビューする前からの古いつきあいなのだ。ラジオを聴きながら、1時間ぐらい眠ってしまった。眠気がひどい。「ナイツ ザ・ラジオショー」は途中から聴いた。14時台は、バカリズムがゲスト。ラジオを聴きながら梱包を片づけ、15時前に近所の郵便ポストまで投函に行ってくる。雨降り。今日は部屋が寒い。

 録画していた「徹子の部屋」は、池畑慎之介がゲスト。徹子さん、少し前にタワマンに引っ越したという報道が出ていたが、マンションを借りてるという話をここでちょっとしていた。

 夜は、録画が溜まっていた「アンタウォッチマン!」の、4月、5月の放送回をまとめて観ていた。まず、よしもと漫才劇場特集。それから、2週にわたり、清水ミチコ特集。その翌週は、ラランド特集。その翌週はまた、2週にわたり、芸人ラジオ特集。芸人ラジオの回は特に興味深い内容で、スタジオゲストの伊集院光が「ナインティナインのオールナイトニッポン」について語っていた部分は、ネットニュースでも話題になっていた。TBSラジオの「JUNK」ももちろん扱い、爆笑問題とおぎやはぎがVTRに登場した。たけしみたいなラジオをやりたかった太田と、生島ヒロシにあこがれていた田中との攻防が、爆笑問題のラジオをほかにないものにしているという分析には納得させられる。「JUNK」以前に、そういえば、爆笑問題は「UP'S」という番組だったころから始めていて、それ以前にも「オールナイトニッポン」のパイロット版をやっていたというのだが、それもなんとなくリアルタイムで聴いたような記憶がある。しかし、爆笑問題の「UP'S」が始まったときには、爆笑問題が今さらラジオを始めるのかという感じがした。当時は今よりも、深夜ラジオは若手のものであり、いずれは勇退していくものだった。後編では、オードリー、三四郎、ハライチがVTRに登場し、伊集院が藤井青銅について語る場面もあった。

2022年1月4日火曜日

1月4日火曜日/寒い・寒い・鶴ヶ峰

◇ ラジオ・雑誌

 何度か目覚めながら、朝7時半過ぎまで眠り、夢を見ていて、初夢だと思い、早朝には記憶していたが、眠りなおしているうちに記憶がぼんやりしてしまった。あんまりおめでたいような夢ではなかった気がする。まず、ブログの更新をひとつ。毎日毎日、こんなことに時間を費やしていていいのだろうか。昼はラジオ。「ビバリー昼ズ」は今日から通常運転。午後もそのまま、「ナイツ ザ・ラジオショー」を聴いた。相席ケイさんが談笑一門の新年会に参加した話をしていた。14時台は、ビックスモールンがゲスト。新メンバーのグリが、小学生のころからビックスモールンに憧れ続け、メンバーとして加入するまでの過程が、劇的というのかなんなのか、すこぶる面白さだった。

 楽天マガジンで雑誌のチェックをすると、「週刊プレイボーイ」のオール巨人の連載では、今年も「M-1」の総括をしていた。最終決戦で、オズワルドに投票した理由がていねいに説明されている。前年に、巨人は大きな声で突っ込むようにと、対して、松本は静かな感じがいいと、まるで逆の意見をしたことについて、巨人は部分的なこと、松本は全体的なことの指摘であり、けして違うことを言っていたわけではないとする。今回はそのふたつの意見を消化していたとの評価だが、2本目は前年のような「どっちつかずの漫才に戻ってしまった」といい、最終的には、1本目と2本目のトータルで判断したという。続いて、出場全組についてもていねいな評価が語られているが、文末には「来年は家で見ます。」のひと言があった。


◇ 鶴ヶ峰

 15時過ぎから外出。まず、かつやに寄り、カツ丼を食べた。ヤマトの営業所までDM便を出しに行き、二俣川に出て、それから、寒いからよっぽどどうしようかと思ったが、鶴ヶ峰まで歩いてしまうことにする。通り道にある本村神明社に寄り、五円でお詣りをしていく。寒いなかを歩いてきて、腹が冷えたせいか、おじぎをした途端に屁が出た。鶴ヶ峰に行きたかったのは、ブックオフに行きたかったからだが、ブックオフにたどりついたときには、すっかり手がかじかんでいた。まず、上階のダイソーで、手袋と、ついでに、腹巻きを買った。前々から、冬は腹巻きが必要だとずっと思っていたのだ。下階のブックオフに降り、鶴ヶ峰店はひさしぶりだったが、なかなかいいものが見つかり、わざわざやってきた甲斐があった。正月のウルトラセールは今日まで。4冊買い、550円から20パーセントオフ。

 ブックオフを出て、鶴ヶ峰駅のほうに歩いていく。ゆで太郎はつぶれてしまい、その場所は薬局になっていた。ミスタードーナツに入り、ブレンドと、ダブルチョコレートを食べる。ツイッターからニュースを見ると、東京の新規感染者数は 151人に。沖縄は 225人で、こちらも心配だ。大阪は124人、神奈川は55人になった。読書をするが、換気のために窓が開いていて、店内はずっと寒い。耐えられずに、1時間ほどで出た。

◇ テレビ

 夜に帰宅し、録画していた、年末の「アメトーーク!」の5時間半特番を観た。さんまの出演がすっかり恒例となり、この番組では、売れっ子若手芸人たちと共演する。松本が、お笑いを五輪書になぞらえているのを何度か聴いたことがあるが、さんまからも五輪書という言葉が出る発言があり、松本とのお笑い観の違いを考えたくなる。さんま「笑いの五輪書なんてものは1ページで終わりやから。あとはもう、ノートやから。新しいもの入れたり、言葉を考えたりするだけのことやから。」

 5時間半特番のすべてを観るのは大変なので、「家電芸人」と「運動神経悪い芸人」はざっと早まわしにする。いずれも、好評企画だからこそ、この年末特番のなかに組み込まれているのだが、この長時間特番のなかにあるために、ずっとまともに観たことがない。最後の「アメトーーク大賞」も年末恒例で、むしろ、この部分さえ観ておけば、この番組どころか、お笑い界全体の潮流すらもだいたいつかめるようなものだ。出川のカースタントと、江頭の逆バンジーもあり、「笑ってはいけない」は休止になったというのに、この企画はまるでそれに抗うかのようだが、お笑い界の潮流は、表面的には世間の目を気にしながらも、実態はこちらにあるのではと読める。大賞には麒麟川島が選ばれ、「ラヴィット!」など、この番組外での活躍も含めた受賞という感じだったが、意外や、川島はここで感極まるすがたを見せる。出川の最後の言葉もエモーショナルであり、番組内でふり返られるのは通常回のみだったが、本来ならば、この番組のこの年いちばんの事件は、まぎれもなく、雨上がりの解散だったはずだ。

◇ ラジオ

 タイムフリーで、聴きそびれていた年末のラジオ番組をいくつか。先週火曜放送の「劇団ひとりと鈴木保奈美のオールナイトニッポンGOLD」をようやく聴いた。もちろん、映画「浅草キッド」を宣伝するための番組だが、わりとなんでもないような会話から始まっていた。劇団ひとりが、マキタさんから「浅草キッド」がよかったという連絡があったことをしゃべっていたが、後半には柳楽優弥が電話出演し、柳楽優弥も、マキタさんからメールが届いたことを明かしていた。エンディングには「ハイサイおじさん」と「SOULコブラツイスト」が続けて流れた。

 先週水曜の「ナイツ ザ・ラジオショー」は、勝俣州和がゲストで、これも面白い話をしていた。まず、食レポのテクニック批判がなかなか痛烈で、食べ終えてからコメントを言うのならばわかるが、食べながらコメントを言うのは嘘だと語る。しかし、スタッフに要求されればそれもできるというから、タレントとしてはプロフェッショナルだ。そのあとには、勝俣がバラエティ番組に出始めた時代には存在した派閥について、さらに、アイドルだった CHA-CHA の時代の話と、さかのぼるように語られた。

 深夜に、昼間に寄った神社を検索して確認しようとすると、鶴ヶ峰に、大谷翔平が参拝した神社というのがあると知った。寄った神社とは別の神社で、鶴ヶ峰稲荷神社というのがそれなのだが、先に知っていれば、こちらにも寄りたかった。地図を見ると、そういえば、何年か前にこの付近でお祭りがあり、露店が出ているのをたどっていったらこの神社にたどりつき、お詣りしたことがあった。はまれぽの記事(2018年)によると、大谷翔平とのゆかりは地元のひとにもあまり知られていないようだが、現在はどうだろうか。

 夜に本を一冊読み終えたかったが、時間が足りずにあきらめる。ブログの更新をもうひとつしようとするが、これも書きあげられなかった。ことごとくだめだ。深夜1時過ぎ、「爆笑問題カーボーイ」を途中からつけると、のいる・こいるの話をしていた。ラジオを聴きながら眠る。

ブログ アーカイブ

4月21日日曜日/野毛大道芸

◇ 大道芸  朝、録画残量が足らず、数年前の番組を確認しては消去していく。こんなことのために、いったいいつまで忙しなく過ごしていくんだろうな。今夜までの録画残量をなんとか確保したら、今度は出掛ける支度をしなければならない。家を出るまではラジオをつけておく。「安住紳一郎の日曜天国」...