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2023年9月9日土曜日

9月9日土曜日/赤坂・乃木坂

◇ テレビ

 早朝に目覚め、録画していたテレビ番組をいくつか。昨日の「徹子の部屋」は井上咲楽がゲスト。15歳のときに、ホリプロスカウトキャラバンで、Mr.ビーンのものまねをやって芸能界入りしたという。そのビーンのものまねを徹子さんの前でも披露した。昨夜の「ミュージックステーション」は1時間だけの放送。この番組はいつも特番ばかりで、1時間だけのほうが今や珍しい感じがする。鈴木アナが体調不良のため、代打に下平さやかが登場し、23年ぶりに司会をした。ランキング企画では、この5年間のストリーミング月間1位26曲を紹介。2020年5月に瑛人の「香水」が登場、6月に YOASOBI の「夜に駆ける」が1位になり、このあたりから面白くなってくるんだな。

◇ 浜松町・赤坂・乃木坂

 朝から都内に。今日も雨降り。あとの天気がわからず、パーカーを着ていく。浜松町を歩いていて、ベビーカーを押す若い夫婦とすれ違い、歩道が狭いから端によって立ち止まってあげたら、「ありがとう」だって。「ありがとうございます」だろう。ひとまわり以上は歳下の夫婦だとは思うが、風体から予備校生かなんかだと思われたんだろか。

 昼には赤坂に移動。このあたりならば、昼食は中国茶房8と決まっている。土曜でもランチをやっていた。ありがたい。ランチメニューの三色かけ飯を食べる。550円。杏仁豆腐も山盛りにして食べる。満腹。このあとはどこかでひと休みしようかと思っていたが、コーヒーも飲んでしまったし、もうなにも飲みたくなくなってしまった。ぶらぶらと、日枝神社に行ってみる。ここの大きな鳥居の前はよく通るのだが、本殿のほうには昇ってみたことがなかった。正面の階段にはエスカレーターがある近代的な神社。ぐるっとひとまわりし、お賽銭に10円投げて、また赤坂側に戻ってきた。












 赤坂から、今度は乃木坂に移動。トイレを探していたら、すぐ目の前に旧乃木邸があり、ここにあるかと飛び込んだ。16時に閉館する直前で、いいタイミングだった。旧乃木邸の敷地を下に抜けると、乃木神社があり、鳥居から外に抜ける。乃木坂駅周辺を訪れたのは今日が初めてかもしれない。ジャニーズ事務所がすぐ近くにあるということもわかり、ただ建物を眺めることしかできないのだが、せっかくだからその前も通ってみた。今日は別に報道陣がいたりということもないようだ。目の前が坂道(ここが乃木坂?)になっているのだが、その前の陸橋の上のほうが写真を撮りやすいと思い、そちらに登っていく。坂道を上から眺めていると、入り口にジャニーズのマークが有るのだと思うが、それを写真に撮った通行人がどうやら警備員に注意されていた。警備員は陸橋の上までは注意していたかはわからないが、無闇に写真を撮るのもまずいかなと思い、ビルの上部にあるロゴを撮るだけにする。










◇ 読書

 今日はパーカーではやっぱり暑かった。横浜に戻り、有隣堂を覗いてからベローチェに入り、ひと休み。スマホの充電をしながら、しばらく読書をしていく。図書館で借りている、矢野利裕「今日よりもマシな明日 文学芸能論」を読み終えた。2022年刊、講談社。町田康論、いとうせいこう論、西加奈子論、そして、補論として、東京オリンピックのときの小山田圭吾の騒動について書かれた評論が収録されている。いずれも初出は「群像」。3人の作家のうち、自分にとっていちばんなじみがあるのはいとうせいこう。いとうせいこう論は理解しやすく、すいすいと読んだのだが、しかし、西加奈子は一冊も読んだことがなく、興味を保ちにくくはあったが、一貫して書かれていることは面白い。序論には「小説もまた《芸能》のいち形態である」と書かれてある。太田光の言葉を引用しつつ、「罪にも救いにも転じてしまうような《芸能》の潜勢力および、そのような《芸能》の危うく両義的な魅力」を、文学についても考える。「《芸能》は、罪にも救いにもなる。その奥底にあるのは、現秩序を攪乱し、変革する意思に他ならない。」「小説を論じるにあたっては、そのような変革の意思を見るべきである。(略)そして、そのためには、現状の社会では聞こえづらい声に対して、注意深く耳を傾けなくてはいけない。その人の内側に隠れてしまった声を。社会の周縁にある声を。」「このような考えは、エドワード・W・サイードの言う《知識人》の役割を連想させる。(略)サイードの知識人論は、社会の周縁にいる存在の声を「公的な場にとりあげなければならない」としている点において、これまで論じてきた《芸能》の機能と通ずる。(略)サイードが言うところの《知識人》は、社会におけるマイナーな存在として捉えられている。そのマイナー性に限って言えば、サイードが言う《知識人》には、芸人的な側面がある。」「ただ、それでもなお、僕が《芸能》という観点から、文学業界なり批評業界なりに介入しようとするのは、現在の《知識人》然とした小説や批評において、《芸能》的な攪乱の意思が乏しいと思うからだ。」「通常、《知識人》は《大衆》と対決するわけだが、《芸能》は基本的に《大衆》とともにある。サイードによる「独自の知識人像」にある程度共感するにせよ、「明晰に言語化できる能力」をもつ《知識人》のありかたは、最終的には《芸能》のありかたと重なることはないだろう。《芸能》とは、社会の周縁にいる存在の力にあると同時に、ときに差別を助長してしまうような、そんな「罪が集まった場所」(太田光)だからだ。《知識人》的な立場では結局、そのような移ろいやすさや危うさを捉えきることはできない。」

◇ ラジオ

 夜遅くに帰宅し、録画していたテレビ番組をいくつか。それから、先週の「SAYONARAシティボーイズ」を聴きそびれていたことを思い出し、深夜0時近くになってからタイムフリーで聴いた。斉木しげるが「ドリフターズ」というマンガの話を始めて、ドリフから、小野ヤスシの思い出話に移っていった。舞台「シカゴ」に小野ヤスシが1時間遅刻し、植木等に土下座して謝っていたことがあるという話だった。そこにシティボーイズも出演していたんだな。検索してみると、どうやら昭和58年のシアターアプルの公演のようだ。そのあとにはマンガのタイトルの話から、阿佐ヶ谷姉妹という名前はいいねと斉木が言い始め、シティボーイズという名前についても語られた。大竹によると、もともとはつかこうへいの野球チームの名前だったのだ。きたろう「ダサいと思ってつけたんだよ。だから、それが正面に受け止められちゃうと(略)」 大竹「しまいには都会的だとか言われ始めちゃったよ。」

2023年7月24日月曜日

7月24日月曜日/消滅したのだろうか





◇ 代々木上原・赤坂・渋谷

 朝から都内に。代々木上原まで行く用があり、ならば、近くに行く機会があったらぜひ訪ねてみたいと思っていたキャンドル・ジュンの店を、見物しようと、昨夜のうちに場所を確認しておいた。代々木上原駅の東口からすぐ、グーグルマップが示すところに行ってみると、しかし、それらしき店は不思議と見つけられない。行けばわかるだろうと思っていたが、外観を確認しておくべきだった。それとも、この騒動のために看板などは外してしまったんだろうか。とりあえず、その付近をぐるっと眺めるだけして、今度は鳥羽シェフの店を見物に行く。地図を見ると、本当に歩いてすぐの距離なのだが、こちらも店の看板は見当たらない。そろって消滅してしまったのだろうか。1階には串カツ屋があり、同じ建物だと思うのだが、鳥羽シェフの店は確認できなかった。用があるために、それ以上は時間をかけられず、わざわざ寄れたのだから、もっと入念に下調べをしておくんだった。



 赤坂のほうに移動し、昼食にする。中国茶房8に入り、ランチメニューの三色かけ飯というのを食べた。550円というこの安さ。杏仁豆腐もたっぷりいただく。そのあとは赤坂見附のマクドナルドでコーヒーを飲むつもりでいたが、中国茶房8で満腹になり、もうなにも飲みたくなくなった。山王パークタワーにベンチを見つけ、ここでひと休みしていく。帰りは渋谷に出て、センター街を抜け、まんだらけに寄る。階段の百均から文庫本を1冊だけ買った。スマホの充電をしたかったが、どうも疲れてしまい、渋谷にいる気にならない。横浜に戻り、ベローチェに入り、ここでスマホの充電をした。ラジオを聴き、少し読書。ビブレのブックオフにも寄り、110円の文庫本を5冊、220円の単行本を1冊買っていく。

◇ テレビ・雑誌・ラジオ

 夜に帰宅し、録画していたテレビ番組をあれこれと。今日の「徹子の部屋」(ゲスト・西川きよし&ヘレン夫妻)を観て、それから、昨夜に観そこねていた「27時間テレビ」のフィナーレを確認した。司会3組の「ほぼ1時間リレー漫才」という企画。まずはかまいたちの漫才から始まり、ダイアン、千鳥と続く。20分ずつやるわけではなく、7分ほどの漫才のリレーで2巡目に入った。残り14分で3巡目に入る。最後は千鳥が、漫才の最中にほかの2組を舞台に呼び込み、津田の「ゴイゴイスー」で締めた。この3組が司会ならば、漫才の企画をラストにもってきたのは好手だったかもしれない。グランドフィナーレは恒例の新人アナウンサーによる提供読み。しかし、津田のお母さんが歌う「時代」で終わるというのは、あまりにも内向きだ。

 ツイッターは、パソコンから開くと「X」になってしまっていた。スマホのアプリでは変化がまるでわからないのだが、アップデートされればこれもやがて変わるのだろう。その「X」から、森村誠一の訃報を知る。15時半頃には報じられていたが、夜遅くになってから知った。やっぱり、スレッズだけ見ていては、ニュースは知ることができないな。楽天マガジンで雑誌のチェックをすると、「週刊プレイボーイ」にスレッズの特集があった。週刊誌でスレッズが特集されるのは初めてではないだろうか。三上洋が取材に応えているのだが、スレッズは若者世代のユーザーは意外と少ないようだ。

 タイムフリーで、今日の「ビバリー昼ズ」を聴くと、12時台ゲストには三宅弘城が登場。聴きそびれていた先週月曜の放送も聴いた。こちらのゲストは松尾伴内。ラジオを聴きながら、深夜0時頃にはもう眠っていた。

2023年7月10日月曜日

7月10日月曜日/爆発事故の現場から



◇ 新橋・赤坂見附

 朝から都内に。新橋に出る用があり、せっかくだから、先日の爆発事故の現場を見物に寄っていく。昼は赤坂見附のほうに移動。ひさしぶりに中国茶房8に入り、ランチメニュー、Aセットの三色かけ飯を食べた。550円。システムを忘れていて、サラダとスープを自分でとってきてしまったが、自分でとらなくても1杯ずつはもともとついてくるんだっけ。杏仁豆腐も山盛りでいただき、満腹になる。



 帰りは赤坂見附から銀座線、渋谷に寄り、まんだらけの階段の百均から雑誌を1冊だけ、表紙に誰かのサインが入っている「Kamipro」を買っていく。電車が空いてるうちに横浜に戻ってしまおうと、東横線に乗るが、車内が涼しく、熟睡していたら元町・中華街まで寝過ごしてしまう。戻るときにもまた眠り、白楽からまた横浜に戻ってきた。東口のドトールに入り、ひと休み。地下の席は冷房がぬるかった。しばらく読書をして、ビブレのブックオフに寄ってから帰った。

◇ テレビ・ラジオ

 夕方には帰宅し、録画していたテレビ番組をいくつか。今日の「徹子の部屋」(ゲスト・佐良直美&安奈淳)を観て、それから、放送中の「ニュース7」を追っかけ再生で観てしまう。

 昨夜の「まつも to なかい」は、今週は柄本明と古田新太がゲストだと思って楽しみにしていたのだが、今週は2部構成になっていて、前半には、とにかく明るい安村、ゆりやんレトリィバァが登場した。「ゴット・タレント」に出演したふたり。ゆりやんが出演して話題になったのは4年前だが、そのあとに2回応募して落されているとは知らなかった。バンクシーになりすまし、ウンコの絵を描いたら「ユニーク!」と言われて落とされたって。番組後半になり、いよいよ柄本明と古田新太という顔合わせ。まず先に柄本明が登場し、あとから古田新太が登場。このふたり、共演がないというのが意外だ。古田新太はこの日は舞台に出演したあと、焼酎を3杯飲んでからこの収録にやってきた。柄本明は古田について、「なんかな、古い芝居するひとだなあと思った。」「わりと大きいケレン味のあるねえ。ケレン味なんて、今、言葉使わないのかね。ケレン味ってのはなんだろうなあ。まあ、臭いっていうこととはちょっと違う。うん、だからいい意味での臭いみたいな。」 古田新太が、柄本、松本に、子どもとどんな話をしてるのかと訊くと、松本は13歳の娘とお笑いの話をしているんだそうで、ここはへええと思うところだった。柄本家は正月は奥田家と集まり、「爆笑ヒットパレード」を観ているという。そして、話題は柄本明と志村けんの関係について。柄本明から語られた、志村と初共演した「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」のエピソードがとても面白かった。松本は志村と、どんな会議をしてるのかを話し合っていたそうで、柄本もそのネタ作りの会議に参加したことがあり、その描写も興味深いものだった。古田新太からは演出家を経験した話もあり、ここは濃い内容の会話だった。

 タイムフリーで、今日の「ビバリー昼ズ」を聴く。「文藝春秋」で、代表的な日本人をあげるという企画があったそうで、高田先生があげた5人は、青島幸男、黒澤明、森繁久彌、古今亭志ん朝、沢田研二。談志、たけしは入れなかった。しかし、これが高田先生の本来の趣味なのだろう。12時台ゲストはモロ師岡。ヴェンダースの映画にあがた森魚と一緒に出てるんだって。

 Spotify で、松尾潔のポッドキャストを聴こうとするが、まだ更新されていない。いつも毎週2本更新されるうち、1本は更新されてるのだけど。

 スレッズは5日経ち、ちょっと落ち着いてきたか、新しいアカウントは見かけなくなってきた。いちばん最初にフォローしたウディ・アレンのオフィシャルアカウントはなくなってしまったのか。なぜだろう。インスタのアカウントはまだあるからいいんだけど、理由が気になる。

2022年9月26日月曜日

9月26日月曜日/デモ・新宿




◇ 永田町・赤坂見附

 朝から都内に。永田町の近くまで行く用があり、せっかくだから、自民党本部の様子を見ておきたくなった。本部の前には機動隊のクルマが停まっている。地下鉄の出口の近くと、ローソンの前にも機動隊のクルマはあった。明日は国葬。昼食は赤坂見附に出て、中国茶房8に入り、ランチメニューの鶏肉炒飯マーボー豆腐セットを食べた。550円。

 トイレに寄りたくなり、赤坂見附の地下通路に降りていくと、前を歩いていた男が、歩きながらいきなりゲロを吐き始めた。そんなことってあるのか。スーツ姿のサラリーマン風の男だ。うめき声をあげたかと思うと、壁のほうに寄り、マスクをべちょべちょにして嘔吐している。大丈夫かなとも思うが、それよりも、近寄りたくない気持ちのほうが強く、追い抜いてトイレに入ると、ゲロの男もあとから入ってきた。洗面台でマスクを洗い始めるのだが、ワイシャツもゲロまみれだし、汚えのなんの。すたすたとまた歩いてどこかに行ってしまったが、体調はいったいどうなってるんだ。

◇ 新宿

 夜は新宿に移動。国葬反対のデモの予定をあらかじめ調べておいたのだが、時間ができたので、新宿のデモに行ってみたいと考えた。しかし、スマホのバッテリーがピンチになり、新宿に移動する前に、赤坂見附のマクドナルドに寄り、1時間もいられなかったが、スマホの充電をしていった。月見パイを食べながら、少し読書もする。それから、丸ノ内線に乗り、新宿に移動するが、銀行にも寄る必要があり、そのあとにデモに向かうが、昼に食いすぎたせいか、トイレにも行きたくなった。デモは18時からだったが、15分ほど遅れて到着した。デモは新宿西口のすぐ駅前で行われていた。駅前はオーディエンスでごった返し、街宣車の上では福島みずほがしゃべっていた。「〇〇じゃないかー」というような意気込んでいるふうの言葉を、福島みずほは抑揚なく発し、語尾をだらしなく伸ばす。オーディエンスのなかにまぎれ込みながら演説を聴いていると、つぎに登場したのは小川淳也だ。今日、このデモを見物してみたいと思ったのは、小川淳也が登壇するという情報をツイッターから目にしていたからでもあった。小川淳也はしゃべり始めると、いきなり言葉に詰まり、オーディエンスからはしっかりしろという声も飛んだが、ゆっくりとした口調で、安倍元総理に哀悼の意を表した。これにはオーディエンスは困惑したような空気になったが、しかし、それとこれとは別だといって、力強い口調になり、国葬に反対する。やっぱり、小川淳也はとてもユニークな政治家であり、人間として信頼できると思った。このオーディエンスの輪の外側に向けて発信できる言葉と感覚をもっている。そもそも、そうでなければ、こんな街のなかで演説する意味なんて、本来はないはずじゃないか。対して、あとに登壇した女性は安倍批判をだらだらと語り続けた。マスコミのすがたももちろんたくさんあったが、最後まで残るわけではなく、デモをやっているという現象を伝えられればそれで仕事は終わりなのだろう。自分も 19時頃には離脱した。






◇ 読書・テレビ・ラジオ

 ブックオフに寄り、110円の文庫本を1冊、220円の単行本を1冊買っていく。もう1店、代々木のブックオフにも寄り、110円の新書を1冊だけ買った。帰りの東横線では各停に乗り、読書しながら帰った。宮沢章夫「アップルの人」を読み終えた。2009年刊、新潮文庫。「MACPOWER」の連載コラムをまとめた本だが、「MACPOWER」での連載にもかかわらず、デジタルとはまったく関係のない原稿がいくつかあったため、それらを除いた原稿が、2006年に単行本(「レンダリングタワー」)にまとめられたんだそうで、その単行本刊行後の連載原稿と、未収録の原稿を含め、改題し、文庫化されたのがこの本だという説明があとがきにあった。1956年生まれの宮沢章夫の50歳前後の原稿というわけか。ブログが登場したあたりの時代の空気を思い出しもした。遊園地再生事業団のホームページに書かれていた宮沢章夫の日記もよく読んでいた。更新されると知らせてくれるあれはなんといったか、名称も忘れてしまったが、それをチェックして、いくつものブログやホームページを巡回していた。およそ、20年前のこと。

 スマホのバッテリーは帰宅前に切れてしまった。夜遅くに帰宅し、録画していた昨日の「ボクらの時代」を観ると、熊谷真実、松田美由紀、松田ゆう姫という姉妹親子の組み合わせ。熊谷真実と松田美由紀は、山下達郎のライブに姉妹で招待してもらい、一緒にカラオケに行ったことがあるという話をしていた。シュガー・ベイブの時代から知る間柄のようだ。

 昼に食いすぎたのがよっぽど効いたか、胃の調子が悪い。横になり、タイムフリーで、今日の「ビバリー昼ズ」を聴くと、恒例の太田からの手紙と新刊が届いたそうで、高田先生、太田の炎上についても語る。「あいつもワイドショーやってるからいろいろ大変なんだよ。こっちやって、こっちやって、いろいろなこと言うとさ、どっちからも文句がつくんだから、ああいう教会の問題なんかでもさ。そうすっと、こっちの問題もあるし、アンチはアンチでまたあるしなあ。両方あるから。まとまっちゃうからさあ、怖いんだよ。」「彼はやっぱ、孤独でひとりでいくねえ、昔のね、遠藤周作だとか今東光とか、そういうひとりぼっちのね、宗教家の作家が好きだとかっていうけど、(笑)ほんとそう思うな。」 その話から、小朝が「六人の会」を作ったときの談志師匠の言葉、「雑魚は群れたがる」を引っぱり出す。12時台は、阿部サダヲがゲスト。ラジオを聴きながら眠る。

2022年9月21日水曜日

9月21日水曜日/才能

◇ 新橋・赤坂見附

 早朝に目覚め、録画残量確保のために、朝っぱらから余裕なし。今日も朝から都内に。いざ家を出ようとしたときに、どうも今日は涼しいぞと感じ、そこでようやく天気予報を確認した。夜のことも考え、パーカーを着ていく。新橋に出て、それから昼には永田町に移動する。永田町にやってきたからには赤坂見附まで歩き、迷わず、中国茶房8に入り、ランチメニューの高菜炒飯・玉子とトマト炒めセットを食べた。550円。杏仁豆腐も食べたし、アイスコーヒーも飲んだ。




 午後は丸の内のほうに移動し、行列ができているのでなにかと思えば、美術館に行列ができていたのだった。丸の内パークビルディングの三菱一号館美術館、ガブリエル・シャネル展だとわかったが、平日なのにそんなに人気なのか。八重洲に移動し、ベローチェに入り、ひと休み。アイスコーヒーと、ブリオッシュクリームパンを食べた。それから、しばらく読書をする。昨日買った「ele-king」を今日はカバンに入れてきた。2019年刊、24号の「エレキングが選ぶ日本の名盤100枚」という特集を、ぱらぱらとつまみ読みしながら、その都度、Spotify で音源をチェックしていった。まあ、これが読書なのかはよくわからないが。ほかのページの、民謡クルセイダーズ、坂本慎太郎のインタビューも読む。

 ツイッターを開くと、今日はどうしても宮沢章夫のことを検索する時間が多くなる。ニュースでは、今朝、首相官邸の近くで、国葬に反対する焼身自殺を図った事件があったことを、午後になって知った。午前中から昼にかけて、わりとそのあたりをうろうろしていたのだが、そんな事件があったとはまるでわからなかった。

 東京駅から京浜東北線に乗り、どこかで座れるかと思ったら、ずっと混んでいた。鶴見で下車し、ブックオフに寄っていく。わざわざ寄ったが、あまり買うものなし。110円の文庫本、220円の単行本を1冊ずつ買っていく。

◇ テレビ・ラジオ

 夜に帰宅し、まず、録画していた「徹子の部屋」を2日分をまとめて観る。昨日火曜は中山秀征、今日水曜はあべ静江がゲスト。放送中の「水曜日のダウンタウン」も追っかけ再生で観てしまう。「お化け屋敷のルート中にお化けメイクされて捕えられてたらめちゃ助けてもらいづらい説」という企画で、棺桶に閉じ込められたおいでやす小田が閉所恐怖症だったために、ただお化け屋敷をまわるという違う趣旨のロケにして放送していた。おいでやす小田も自身が閉所恐怖症であることを今まで知らなかったようで、自身の症状に気がつき、スタッフに訴えたら、このようにすぐに対応はするんだなというのはわかる放送ではあった。ただでは起きない番組で、これは問題ないと判断したから放送したのだろうが、しかし、もし、症状に自覚がなかった場合はどうなるのだろう。

 タイムフリーで、昨夜の「爆笑問題カーボーイ」を聴こうと思っていたが、そういえば、「大竹まこと ゴールデンラジオ!」を聴かなければならないと思い、Spotify のポッドキャストで聴いた。オープニングから聴き始めると、今日は、大竹まこと、壇蜜、いとうあさこというメンバー。いつもどおりの世間話があり、21分を過ぎたあたりで、いつもならニュースに移るところだが、その前に、宮沢章夫が亡くなったことに触れた。まず、砂山アナからニュースとしても伝えられ、大竹は静かに語り出した。「わたしたちはあれだよね、まあ、コントを自分たちで作ってて、「お笑いスタ誕」に出て、そのあと、宮沢なんかと出会って、舞台を繰り広げていくんだけど、宮沢章夫と十年間やったかな。座付き作家みたいになってくれてね。演出も担当して。そのあと、三木聡ってのがきて、三木聡で十年。彼も作演出みたいなことをやってくれて。彼らがいなかったら、宮沢たちがいなかったら、今のシティボーイズはないと。」 そして、大竹は、ラフォーレ原宿に砂を何トンも敷き詰めた「砂漠監視隊」のコントの衝撃を語り、そのあとにはいつもどおりにニュースに移っていく。

 番組はいつもどおりに進み、15時台の「大竹紳士交遊録」のコーナーで、改めてたっぷりと宮沢章夫を偲ぶ時間があった。いつものきたろうに加え、急遽、放送を見学にきたというえのきどいちろうも出演する。「いやあ、がっかりだったな、宮沢。」と、きたろうは切り出した。きたろう「才能に惚れるっていう感じの付き合いだったよね。」 大竹「才能の前にはひれ伏すしかないなと思ったことがあったね。」 竹中直人が多摩美の同級生だった宮沢章夫を連れてきたという経緯をえのきどいちろうがふたりに振ると、ラジカルガジベリビンバシステムの前からの関わりが語られた。「大威張りの宮沢くん」(表記不明)というシリーズがあったそうで、きたろう「宮沢をもっと前に出したい出したいって思ったんだよね。あんまりに面白いから。」 大竹「十年間、宮沢と一緒にやってたんだけど、やっぱしあれだよね、宮沢の考えがどんどん進んでいくなかで、どんどんアートっぽいことにあたまんなかが近づいていくわけね。俺たちは、なんかちょっとこの、笑わせたいほうにこだわっていく…。だから、ずっこけたり、みたいなことをやるのを、宮沢は「どういう意味でずっこけてるんですか?」って言われるわけよね。」 あるいは、大竹「お金に直結するような話じゃなかったんだよね。」 きたろう「お金のことなんかなんにも考えてなかったね。儲からないしね。ただ面白いことを作りたいって。それに対してね、宮沢がね、真剣なのに驚いたよ。」 えのきどいちろうとラジカルとの関わりは、まずはライターとしてだったようだが、ここに川勝正幸の名も登場する。ラジカルにあった「参加性」、そして、宮沢の笑いは「考えかたの提示」だったとえのきどは指摘する。

 きたろう「宮沢もまだサブカルだから知らないかたがまだ大勢いると思うんだけど、どんだけすごいひとだったかっていうことをね。」 大竹「今、わたしたちがここにこうしてくだらないことをしゃべってられるのも、宮沢がいなかったらもう絶対にありえない話。あいつがいなかったら。」 きたろう「爆笑問題の太田が、シティボーイズぜんぜんつまんなかったですよ、「お笑いスタ誕」のころ。宮沢に会ってからですよ、シティボーイズはって、はっきり言いやがって。お前、観てたのか、俺たちの前のコントをって言ったけど、いやつまんなかったですよとか言ってた。」 大竹「でもあれだよね、それはそうかもしんないけど、10週は通ってるんだからね。宮沢がいなくても。」

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5月20日土曜日/「THE SECOND」

◇ 神保町  朝から都内に。小雨だが、予報ではすぐに止みそうなので、傘はもたずに出た。気温も読めず、パーカーを着ていく。今夜は「THE SECOND」を観なければならないから、余力を残しておきたかったが、想定していたよりも時間に余裕が作れなかった。昼は神保町。土曜はランチをや...