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2022年11月21日月曜日

11月21日月曜日/「談志まつり」

◇ 岩本町・日比谷

 早朝、カンフェティで「ザ・東京漫才」のチケットの確認をしてみたら、戻りがあり、無事にチケットを予約する。してやったりだ。金曜に発売し、すぐに完売してしまったのだが、引き換え期限がすぎるのを狙っていた。忘れずにいてよかった。朝から高笑いが止まらない。

 朝から都内に。外に出ると、雨降り。予報ではすぐに止みそうなのだが、今、家を出るときには降っているから、しかたなく、傘を差して出るが、駅に着くまでにはほぼ止んでしまった。ちょっとの時間差で、余計な荷物が増えた。イヤホンの故障につき、電車内ではラジオを聴けず、読書をする。昼食は岩本町、随苑という店に入り、豚角煮チャーハンセットを食べた。850円。早々に食べ終わってしまい、もう出ようとしていたら、杏仁豆腐が出てきた。知らずに、危うく食いそびれるところだった。


 夕方、金を降ろす必要があり、どこの銀行に寄るのがいちばん都合がいいかと探し、内幸町に見つけた。そのあとには、日比谷公園を抜け、東京ミッドタウンに向かう。地下のセブンイレブンにイートインがあるとわかり、ここで時間をつなぐことにした。コンセントもあり、スマホの充電もする。イートインの利用は30分までと貼り紙がしてあったが、1時間近く居座り、読書をしていた。




◇ 落語会

 16時半過ぎ、よみうりホールに。今日11月21日は談志師匠の命日につき、恒例の「談志まつり」。ずいぶんご無沙汰のような感覚になるが、自分のツイッターを検索してみると、2019年以来。その翌年はコロナに突入する。没後十年の昨年はどうしてたんだっけと思っていたが、開催自体が3年ぶりなのだ。金もあったりなかったりだが、チケット発売時にたまたま金があったからよかった。しかし、以前ならば、こういう場には誰かしら知っているひとを見かけたものなのに、ロビーには知っているひとが誰もいない。働いているのは前座さんだとは思うが、前座さんが出るような会に足を運んでいないから誰もわからない。2階席だが、U字型になっている左列の先のほうの席だから、1階席の後方よりもステージに近いくらいだ。ステージには高座があり、いい表情をした談志師匠の写真パネルがぶらさがっている。場内には談志師匠の落語が流れていた。「反対俥」をやっているのはわかったが、そのあとの噺はなんだったろうか。

 17時開演。前座なし、まずはいきなり、平林が家元の扮装で登場した。さすが、直弟子はみんな家元の真似が上手い。噺は「味噌豆」。それから、小談志「大安売り」、談笑「堀の内」と続く。こはるさんの真打ち昇進が決まったんだそうで、それを談笑師匠のマクラで初めて知った。続く、キウイさん。キウイさんもよくウケていて、いいことなのだが、ここにもかつての立川流の会との空気の違いを感じる。キウイさんは昇太師匠の「ストレスの海」をやった。続く、談春は「百川」。仲入りになり、時計を見ると、18時20分。後半は雲水から。上方落語で、これは演目名がわからなかったが、あとで調べたら「秘伝書」という噺のようだ。そして、志らく師匠。マクラで、「笑点」の司会を引き受けるとしたら条件があり、座布団運びは談春、と言ったところで、スーツ姿の談春師匠がソデから飛び出してきた。高座にもたれかかり、ひとこと、ふたりで「M-1」出ようかって。談春、志らくがそろう会というのも珍しく、それも、今回の「談志まつり」は観なければと思った大きな理由だった。噺は「幇間腹」。志らく師匠が終わると、席を立つ客がけっこういたのはいやなもんだった。ワタナベの関係者ではとも思ったが。談之助は漫談。立川流の歴史を語る。見える席に野末陳平先生がいらっしゃるのがわかったが、陳平先生も里う馬師匠の前に退席してしまった。トリは里う馬「蒟蒻問答」で終わった。里う馬師匠の落語もじつは家元にそっくりなのだなということも、家元が亡くなる前には気がつけなかった。時計を見ると、20時過ぎ。退場は時間差になり、ロビーに出たら演目の写真を撮ろうと思っていたが、演目の貼り出しは、密を避けるためになしだって。まあ、われわれが落語会に通い始めたころは演目を貼り出す習慣なんてものはなかったのだが、習慣になれば、すっかりあてにするようになる。ロビーには、サンボマスターからの花があり、しかたがないからこの写真を撮った。


 有楽町ビルヂング地下のマクドナルドに入り、アイスコーヒーとチーズバーガーを食べた。読書の続き。ムトー清次「談志写真帖」を読んだ。2012年刊、彩流社。談志ファンにはおなじみの写真家の写真集だが、文章も多く添えられている。一緒に写っている顔ぶれも面白く、高座50周年記念パーティーの場には、川内康範、山城新伍、澤田隆治、玉置宏、西部邁、和田アキ子らのすがたが。別の場にはたけしが、若き爆笑問題が。談志師匠を囲む、アンジャッシュ、おぎやはぎ、テツandトモのすがたもある。いや、この本は今日でしか読めなかったな。

 東海道線に乗り、夜遅くに帰宅する。録画していた「しゃべくり007」は「群馬県人会」の特集。これは面白くないから、ざっと早送りして消去する。タイムフリーで、聴きそびれていた先週月曜の「ナイツ ザ・ラジオショー」を聴くと、14時台は、ふかわりょうがゲスト。木曽さんちゅうとコンビを組みそうになっていたというのは知らない話だった。深夜1時頃に眠る。

2021年11月30日火曜日

11月30日火曜日/「ザッツ・ア・プレンティー」


◇ 渋谷

 今日は朝から都内に。昼食は渋谷のセンター街で、米助という店に入り、甘辛揚げ定食を食べた。680円。食べたら急激に眠くなる。まんだらけに寄るが、先週も寄ったばかりで、なにも買うものなし。道玄坂を横切り、古書サンエーにも寄る。ここもたいがいなにも買わないのだが、一応、覗いていきたくはなる。渋谷駅の反対側に出て、新南口のベローチェに入り、アイスコーヒーと、あんぱんを食べた。読書をするが、眠気がひどくなり、あまり読めなかった。椅子から転げ落ちないように注意する。滞在時間、2時間ほど。疲れてしまい、このあとはまっすぐ帰った。

◇ テレビ

 夕方には帰宅し、録画していた、先週土曜に放送された「ドラフトコント2021」という特番を観た。かまいたち山内、オードリー春日、バイきんぐ小峠、千鳥大悟、又吉直樹という5名がリーダーになり、ドラフトでメンバーを選び、それぞれ5人ずつのチームでコントを披露するという企画。どんなもんかと思ったが、たいして面白い番組ではなかった。まず、ドラフトといっても、あらかじめ決められたメンバーを5チームに振り分けるにすぎず、ドラフト企画は「アメトーーク!」でもやっていたが、ドラフトにかぎれば、「アメトーーク!」は実際に番組を作るわけではないから、誰でも自由に選べる面白さがある。そして、なぜこの5名がリーダーなのかもわからない。そのくせ、コント作りのメイキングにやたらと時間を割いていた。観たいのはコントで、コントだけをぽんぽんと放送してくれるだけならばまだよかった。5組中、圧倒的にまとまりがよかったのはチーム又吉のコントだった。又吉、パンサー向井、空気階段もぐら、シソンヌじろう、丸山礼というメンバー。ピースのコントに感心したことはなく、期待せずに観ていたが、作家としてのキャリアがこの水準に高めたのか、セリフひとつとっても、じつに細やかな脚本だと思った。それぞれの配役もぴったりで、又吉は演出家としても見事なのではないだろうか。又吉の出番は稽古の過程で削られていったようだが、結果的に、これがいい効果を生んでいた。しかし、審査員たちにより優勝に選ばれたのは、チーム春日だった。こちらは空気階段かたまりが脚本を書いた。そのほかは、ジャンポケ斎藤、ノブコブ吉村、おいでやす小田というメンバーで、これも配役がうまく、それぞれの力量に遠慮なく頼ったという感じのコントだった。チーム小峠も面白く、小峠、大久保佳代子の表情の芝居に笑う。コメディアンを楽しむコントだった。チーム大悟は志村イズムの継承とあおりつつ、志村イズムをネタにしているメタコントだった。

◇ 読書

 昼に読み終えようとしていた本を、帰宅してから読み終えた。松岡弓子「ザッツ・ア・プレンティー」を、談志師匠の命日に合わせて読んでいたが、結局、10日以上かかった。400ページ以上ある本だ。長女の弓子さんが、2011年11月21日、父・談志が亡くなるまでの日々を綴った日記を本にしたものだが、日記は震災の日、3月11日から始まる。そして、すぐに日付が飛び、3月21日に緊急入院、3月22日に気道確保の手術をしている。最後の高座となった、3月6日、新百合ヶ丘での一門会を客席で観ているが、それからわずか半月後のことだ。この本にはとにかく、談志師匠の病状の細かい変化が、介護する娘の立場からびっしりと記録されていて、こうなると、ただ介護される父親のすがたであり、読みながら、うちの父親が死ぬまでの状況も思い出されてならなかった。家族と過ごす談志、特に、「ザ・ノンフィクション」でも映されていた、孫と触れ合う談志のすがたというのは今まで知らないものだった。客の立場からすると、弟子から見た談志のすがたというのは多く伝えられていて、それがわれわれの知る談志像だが、家族に見せる談志というのは、少なくとも、談志師匠自らも客には発信していないすがたであり、家族の前でもつねに談志だったといえ、やはり、われわれのような客が知る談志とは違うものだ。病状を公表することはなかったが、この本を読むと、声が出なくなってからも、それにしては近所を歩いていたり、意外と、なにがなんでも隠そうという感じではない。療養中は「刑事コロンボ」をよく観ていたようで、ある日は「ゆきゆきて、神軍」や「ホテル・ルワンダ」を観てもいて、談志師匠の好きなミュージカル映画などを観ているすがたは想像できたが、こういう激しい映画を観ていた時期もまだあったのだと知ることができた。亡くなる前の夏に、銀座の美弥にお弟子さんを集めて会ったというのは知られる話で、よく語られもしているが、この本を読むと、この日以前にも、美弥には何度か訪れていて、そのときには店にはキウイさんがいて、談吉さんが付いていたりもしている。あるいは、6月には平林さんがどじょうすくいを見せにきたり、「週刊プレイボーイ」の対談で知ったが、ダンカンがお見舞いにきて、談志師匠と会っていることもこの本には書いてあった。7月には桂三木男(現・三木助)が、8月には吉川潮がお見舞いにきている。9月には石原慎太郎から電話があり、石原慎太郎が一方的に話すかたちで、談志師匠は受話器を耳にあてていたという。亡くなってから、あっという間にこの本が出版されたことも不思議だったが、あらかじめ出版するために日記をつけていたわけではなく、談志師匠が日記を書けなくなったから、代わりに弓子さんが日記を書き始めたというのがそもそものようだ。長らく読む気がしなかった本だが、読んでみれば、氷解するものはいろいろとあった。

 パソコンのラジコの地域判定がまた狂っていて、大阪になってしまった。なぜなんだろう。しかたなく、聴きそびれていた番組を、スマホのラジコで聴く。夜、外はすさまじいどしゃぶりになった。ブログをひとつ更新して、深夜1時前に眠る。

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5月20日土曜日/「THE SECOND」

◇ 神保町  朝から都内に。小雨だが、予報ではすぐに止みそうなので、傘はもたずに出た。気温も読めず、パーカーを着ていく。今夜は「THE SECOND」を観なければならないから、余力を残しておきたかったが、想定していたよりも時間に余裕が作れなかった。昼は神保町。土曜はランチをや...