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2022年4月6日水曜日

4月6日水曜日/通信サービスがない

◇ スマホ

 早朝にいったん目覚め、ダビングのセットをしてから、もう少しずるずると眠りなおす。今日も朝から都内に。家を出ようとしている直前に、スマホがなぜかネットにつながらなくなり、「無効なカードです。通信サービスはありません」という表示が画面の上部に出る。ついさっきまで使えていたのに、すぐに復旧するのかなと思ったが、まるでなおらない。こんなことは初めてだ。この状態で外出するのは不安だが、しかたがない。まず、東京駅まで行かねばならず、ネットがつながらないので、電車内は読書に集中するが、東京駅に到着してもネットは復旧しない。問題は、電話をする必要が生じた場合はどうすればいいのかだが、めったに電話なんかしないのに、こんなときにかぎってその必要が生じ、公衆電話を使うはめになるが、おそらく、使うのはおよそ二十年ぶりぐらいだったろう。かといって、二十年前にもそうしょっちゅう電話をかけていた記憶はなく、しかも、その時代はテレホンカードを使っていたはずだ。小銭を使って電話をかけるとなると、いったい何年ぶりになるのか。こんなときにかぎって財布に十円玉がないもので、泣く泣く五十円玉を使うしかない局面になるが、使用法の記憶もあいまいで、おそるおそる五十円玉を投入し、スマホを見ながら電話番号を押した。(通信はできないが、電話番号の確認はできる。) ところが、つながったと思ったら話し中だ。だめだと思い、受話器を置くと、うっかりしていたが、そのままもう五十円玉は戻ってこないのだ。基本的なことをまるで忘れていた。一瞬で五十円を失ってしまい、愕然とする。もう小銭はない。千円札を崩さなければ電話はかけられないが、これ以上、小銭を寄付する間抜けもないので、この件はあきらめ、とにかく、スマホをなおさなければどうしようもないと思った。ソフトバンクのショップを探そうと思うが、しかし、大手町では見当もつかず、八重洲に移動してみることにする。検索すればすぐに見つけられるのに、当然、それもできず、歩いて捜しまわるしかない。八重洲地下街にないかと思ったが、案内図を見てみると、ソフトバンクのショップは見つからない。ドコモのショップはあり、よっぽどそこで訊こうかとも思ったが、地下街はあきらめ、地上に出てみると、そういえば、ヤマダ電機があるじゃないか。ここならなんとかしてくれるのではと、スマホの売り場がある2階にあがり、店員さんに訊いてみると、相談に乗ってくれた。椅子に着き、担当の店員がやってくる。まずは登録状況の確認をするということになったが、その前に、SIMカードの接触の問題かもというので、いったん外して付けなおしてみると、なんてことはない、あっさりとなおってしまったようで、店員さんもかえって困ったような顔をしていた。教わってみれば、馬鹿みたいなものだ。


 その後、霞ヶ関に移動することになり、ダイソーに寄らねばと思っていたので、近くにダイソーはないかと検索すると、日比谷シティにあることがわかり、日比谷シティのダイソーまで歩くが、買う必要のあるものがいくつかあったのに、それらがいずれも見当たらない。のどが渇き、飲みものだけ買っていく。昼食を食べそびれ、新橋に出て、夕方頃にようやくまともな食事をする。ニュー新橋ビルの豚大学に入り、豚丼を食べた。750円。夜に映画を観たいと思っていたのだが、ダイソーにも寄らねばならず、そうなると、予定が難しい。「ガンパウダー・ミルクシェイク」を観るつもりでいたが、品川の劇場ならばレイトショーがあるのだが、品川にはダイソーがない。ダイソーには今日中にどうしても寄ってしまいたく、「ガンパウダー・ミルクシェイク」はあきらめ、別の映画を観ることにして、川崎に向かうことにした。

◇ 読書

 とりあえず、近代書房の向かいのベローチェに入り、ひと休み。スマホの充電をしながらラジオを聴き、それから、読書をする。中野翠「コラムニストになりたかった」を読み終えた。2020年刊、新潮社。初出は「小説新潮」の連載。1946年生まれの著者が、読売新聞社でアルバイトを始めた1969年から現在までをふり返るコラム。中野翠のコラム、いいなと改めて思うようになり、小林信彦が「週刊文春」のコラムをやめてしまった今は、中野翠をもっと追いかけておきたいという気になってきた。たとえば、書き手としてのこのようなスタンス。P209「当時としては順当に「エッセイスト」と名乗るところを、あえてコラムニストにしてのには、わけがある。私が書くもの、書きたいものは、少しばかり時評的だったり批評的だったりする。エッセイストと名乗るにはシミジミ感が薄く、エレガンスに欠ける。それで、ちょっと遠慮して(?)あえてコラムニストと名乗ることにしたのだった。」 P175「一九八五年に『サンデー毎日』の連載エッセーがスタートした頃から、私はライターとしての自分のスタイルについて、一つのイメージ(願望)を持っていた。ひとことで言うと、できるだけ正体不明のライターでいたい。男とも女ともつかない文章を心がけ、プライベートな事柄は極力抑え、世の中やエンターテインメントについての文章を中心に書こう。顔写真は極力避けよう。ナントカ賞とかナントカ委員といった権威的なものと無縁でいよう……と。」

◇ 映画

 ベローチェを出て、モアーズのダイソーに。買うべきものを存分に買い、それから、下階のブックオフにも寄る。しかし、いいものがまるでなく、110円の文庫本を1冊だけ買っていく。アゼリアのドラッグストアで栄養ドリンクを買い、飲んでから、ラゾーナの109シネマズに向かった。レオス・カラックス監督の「アネット」を、21時5分の回で観ることにした。小さめのスクリーンだったが、さほど混みもせず、中段、真ん中の観やすい席で観た。レオス・カラックスの過去作はあまりよく知らず、前作の「ホーリー・モーターズ」で初めて好きになったのだが、今作も非常に奇妙な映画で、ずっと可笑しかった。いや、可笑しいという反応が正しいのかもわからないが、アネットが登場するたびに、なんだこれはという気にさせられる。コメディアンが主人公というところにも興味をもっていた。医者を演じる俳優がどうも古舘寛治みたいだと思ったが、エンドロールに注意すると、やっぱり古舘寛治だった。

 


◇ テレビ・雑誌

 深夜1時前に帰宅し、録画していたテレビ番組をいくつか。昨夜の「さんま御殿」は3時間スペシャル。途中まで観ると、最初のブロックは二世特集で、片岡鶴太郎、小堺一機の息子が出演していた。この息子たちが、さんまと共演するというのがすごい。同じく、昨夜に放送された「刺さルール」は、リニューアルされ、クイズ番組の形式を借りた大喜利番組になった。爆笑問題のふたりと、せいや、ヒコロヒー、ニューヨーク嶋佐が回答者。波田陽区の現在に密着したVTRから問題が出るのだが、それはともかく、伯山が司会を務め、売れっ子のお笑い芸人たちの大喜利のジャッジをするというのがなんだか危なっかしい。

 テレビを観ながら、楽天マガジンで雑誌のチェックもする。ガーシーという名前をテレビやラジオでちょくちょく耳にするようになったが、どういう人物なのかを「FLASH」の記事でようやく知った。「週刊朝日」の「似顔絵塾」では、松尾貴史が、ナンシー関と伊丹十三の思い出を書いていた。伊丹十三が亡くなる前、松尾貴史主演でボードビリアンの映画を撮ろうとして、毎月打ち合わせをしていたという。この話は以前にもラジオ番組かなにかで聴いたことがあるが、実現しなかったことがつくづく惜しい。深夜3時前に眠る。

ブログ アーカイブ

5月20日土曜日/「THE SECOND」

◇ 神保町  朝から都内に。小雨だが、予報ではすぐに止みそうなので、傘はもたずに出た。気温も読めず、パーカーを着ていく。今夜は「THE SECOND」を観なければならないから、余力を残しておきたかったが、想定していたよりも時間に余裕が作れなかった。昼は神保町。土曜はランチをや...