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2021年7月15日木曜日

7月15日木曜日/「映画:フィッシュマンズ」

◇ テレビ・ラジオ・ニュース

 金の計算をしてみると、今月は余裕を作れたものの、9月に地獄を迎えることになりそうで、気が重い。すり減らした神経を、文章を書くことで治癒していくような感覚があり、このブログはいよいよ大事なものになってきた。午前中に、録画していた昨夜の「あちこちオードリー」(ゲスト・オアシズ)と、「はなつまみ」(ゲストMC・河合郁人)を観た。昼間はラジオ。「ビバリー昼ズ」を途中からつけ、続けて、「ナイツ ザ・ラジオショー」を聴く。オープニングで、昨日、水道橋博士と対談をしたという話をしていて、浅草キッドが京丸・京平と「テレビ演芸」で対戦したときの話があったようだ。それから、さまぁ~ずとも共演したそうで、さまぁ~ずは墨田区出身だから、ナイツよりもじつは浅草に詳しいという話をしていた。

 ツイッターを見ると、トレンドに小山田圭吾の名があり、なにかと思えば、オリンピック開会式の音楽を担当するようだ。ショーディレクターが小林賢太郎、音楽監督は田中知之で、小山田圭吾は複数いる作曲家のうちのひとり。検索してみると、30年近く前の「クイック・ジャパン」のインタビューで語っていたいじめの件を未だに引っぱり出されて非難されている。小林賢太郎もあの時代の「クイック・ジャパン」に推されていたが、このメンバーに依頼した人物はいったいどういう人物なのか。

 午後、ヤマトの営業所まで。それから、二俣川に出て、横浜駅に移動する。ビブレのブックオフに寄り、110円の文庫本ばかり、4冊買った。どこかで食べようと思いながら歩くが、食欲も中途半端で、決められない。つけ麺を食べたい気がして、ラーメン屋を見つけるたびに覗いてみるが、つけ麺はやけに値段が高い。つけ麺があるかわからない店もある。西口から跨線橋を渡り、平沼のブックオフにも寄る。こちらでは2冊買う。ハマのドン、藤木幸夫の本が買えた。もう歩くのもめんどうになり、ブックオフの隣りのガストに入り、から好し定食を食べた。読書をするが、しかし、あんまりのんびりしてもいられず、40分ほどで出る。会計時、店員の女の子が、楽天ポイントの加算にもたついていて、元気よくカードを返されたが、あとでレシートを見ると、どうもポイントがついてない気がする。明らかにごまかしたふうの元気のよさに、笑ってしまいそうになった。ツイッターからニュースを確認すると、東京の新規感染者数は 1308人に。





◇ 映画

 桜木町まで歩き、コレットマーレの地下の西友で飲みものだけ買い、上階の横浜ブルク13 で、「映画:フィッシュマンズ」を観た。この映画をいつ知ったのかは忘れてしまったが、なにはなくとも、この映画だけは観ておかなければならないと思っていた。1階に貼ってあったポスターが、「100日間生きたワニ」と並んでいて、たちの悪い冗談のようだった。この映画こそ、主役が死ぬことがわかっている。映画は、墓参りのシーンから始まった。1999年3月、佐藤伸治の死は、当時、新聞記事で知った。祖母が新聞を読んでいて、若いひとが死んじゃったと驚いているので、誰かと思えば佐藤伸治だった。葬儀の様子など、この映画で初めて知ることが多く、もちろん、当時はネットのある時代ではないから、死後、積極的に情報を得ようという発想もなく、音楽雑誌などを待たねばならなかったが、しかし、それでもそれらをあんまりチェックしていたという記憶もないのは、なにかやっぱり、それがいやだったのか。個人的には、前年には友だちが死んでいた。そういえば、友だちと同じ日に死んだのが Xの hideで、佐藤伸治よりもマスコミの扱いははるかに大きかったが、若いミュージシャンの訃報が続くような感覚もあったかもしれない。90年代末の空気というのを、先日の「昭和50年男」を読みながらも、思い返していた。映画は、残されたさまざまな映像と、現在の映像、近しいひとたちの証言が、組み合わさって進んでいく。YO-KING が登場したのが意外だったが、佐藤伸治とは一緒に少年野球をやっていたそうで、それも知らなかった。佐藤伸治の母のすがたを見るのも初めてで、幼少期の佐藤伸治のことなど、今まで考えたこともなかった。いや、訃報のあとは、佐藤伸治のことを考えるどころか、フィッシュマンズの音楽すら、気軽には聴けなくなってしまった。フィッシュマンズをいつの段階で知ったのかというと、初めて買ったアルバムは「ORANGE」で、中古で買ったから時期がはっきりしない。買った店は覚えているのだが、そのとき、すでに「空中キャンプ」は出ていただろうか。フィッシュマンズといえば、3人になってからの印象が圧倒的に強いのだが、いちばんよく聴いたアルバムは「ORANGE」だ。過去のアルバムをそれから中古で買いそろえ、「空中キャンプ」もおそらく中古で買った。音楽雑誌のインタビューなどを追いかけるようになったのはそのあとで、それからの情報はわりと知っているのだが、「宇宙日本世田谷」は発売を楽しみにしていたから新品で買ったことは間違いないが、こう思い返してみると、思い入れには釣り合わず、金をあんまり使っていないということに気がついてしまったが、それはさておき、フィッシュマンズというバンドの存在をただ知っただけならば、おそらく、それよりももっと早いはずだ。映画のなかでは、横澤彪のレコード会社からデビューすることが語られる場面があり、その後、ドラマのタイアップ曲を出すことになり、その宣伝をする場面もあるが、この映画で改めてわかったのは、フィッシュマンズであれ、最初はやはり、当たり前といえば当たり前だが、売れたいと思っていたということだった。別の場面では、柏原譲が、同期のウルフルズやスピッツに比べると売れなかったということを語っている。ファンならば、フィッシュマンズはそんな次元のバンドじゃないと思ってるけど、佐藤伸治にしても、売れないことを気にしていたんだということには新鮮に驚かされた。特別なバンドになる以前のフィッシュマンズがこの映画にはたっぷりと収められていて、当時のメンバーにしたって、その後のフィッシュマンズがどうなるかなんて知らない。この映画は、メンバーが辞めていく歴史でもあった。学生時代からの仲間が辞めたり、バンドは売れないというなかで、あのフィッシュマンズになっていく。佐藤伸治が、曲よりも詞を先に作っていたということにも驚いたが、詞は初期のころからすでに素晴らしい。それがあの音になっていったのは、プライベートスタジオの存在が大きかったというのも改めてわかった。スペースシャワーの番組に出演して、そのことをしゃべっている映像もいくつか使われていたが、当時、それらを観ていて、知っていたかもしれないが、そこに至る経緯はそのときにはわからない。しかし、この映画を観て新たな印象をもったのは「宇宙日本世田谷」というアルバムで、あの名盤が、じつは、柏原譲の脱退につながっていく。佐藤伸治の死後に発売された「男達の別れ」というライブ盤を長らく誤解していたが、あの別れは、柏原譲の脱退を指していたのだ。それもわからないくらいに情報をチェックしていなかったのかと思うが、1998年12月にこのライブがあり(映画には、ライブでの佐藤伸治のセリフが印象的に登場する)、翌年3月には佐藤伸治が亡くなる。脱退からのその期間が短く、3人組のイメージがいつまでも強いのだが、最後は佐藤伸治と茂木欣一の2人組だったのであり、この映画のもうひとりの主役はまぎれもなく茂木欣一だった。この映画にはさまざまな人物が登場するが、茂木欣一だけが、佐藤伸治と同じように、今もなお、純粋な眼をしている。現在、スカパラという超ポピュラーなバンドのメンバーであるせいもあるだろうが、この眼は辞めていったメンバーにはなかったもので、茂木欣一はやはり最後まで残るひとだったのだと思わせる。辞めていったメンバーのほうが、ある面では、まともな人間の眼をしていた。3時間弱という長さの映画だが、いつまでもこの続きを観ていたいくらいだった。

 Spotify で「男たちの別れ」のライブ盤を聴きながら、みなとみらいを横浜駅まで歩いて帰ってきた。夜遅くに帰宅し、録画していた「NHK MUSIC SPECIAL」、「松本隆 50年 時代と人をつないだ作詞家」を観てから眠る。

 

 

2020年12月12日土曜日

12月12日土曜日/小松政夫の訃報

◇ ラジオ

 家にいるときはたいがいラジオをつけっぱなしにしていて、土曜日はまず、朝から「ナイツのちゃきちゃき大放送」をつけておく。午後はTBSから文化放送に切り換え、「田村淳のNewsCLUB」をつけておくことが多くなった。この番組が終わる時間まで家にいることはなかなかないのだが、今日はそのあとの、伊東四朗と吉田照美の「親父・熱愛」が気になる。15時前にはやっぱり外出したのだが、スマホでこの番組を歩きながら聴いた。

 小松政夫の訃報に呆然としたという伊東四朗。小松政夫も、自身の健康状態についてはなにも伝えていなかったというわけか。短く触れただけで、2時間のこの番組を明るくお送りしましょうという切り換えが見事だった。オープニングはオンタイムで聴き、後半のコーナーをタイムフリーで改めて聴いたのだが、どういうわけかこの日のゲストはたまたま伊藤蘭である。当然、小松政夫の話になるだろうと思って聴いたが、伊東四朗は小松政夫のことをまるで語ろうとしなかった。伊藤蘭が小松政夫の名を出しても話をそらしてしまうのだが、最後の最後に、伊藤蘭が新曲を紹介してイントロが流れ始めたときに「小松、聴いてるか~」のひとこと。これで充分だった。

 今朝の「木梨の会」でも小松政夫の訃報に触れていたことをツイッターで知り、これもタイムフリーで聴いた。「悲しいお知らせ! オレの大好きな小松政夫さんが亡くなっちゃいました。」としゃべり出す。伊東四朗も木梨憲武も、しめっぽさのかけらもない。「親父・熱愛」では、伊東四朗たちの番組を観ていたのがとんねるずで、とんねるずのコントに呼ばれたというそのときの話も少ししていた。会話からははっきりとはわからなかったが、伊東四朗と小松政夫が呼ばれたのだろうか。憲武は、小松政夫のギャグのニュアンスからの影響についてもしゃべっていた。

◇ 今日の読書

 小松政夫の「昭和と師匠愛 植木等と歩いた43年」という本がたまたま手元にあり、この機に読んだ。昼に読み始め、深夜に読み終える。小松政夫は自伝的な本をいくつも出していて、重なっている内容もおそらく多いだろうと思っていたから急いで読もうという気にはならなかったが、読んでみればそれぞれ新しく知ることは書いてある。この本はタイトルのとおり、植木等との師弟関係が中心であり、いかにも人情噺風なので敬遠していたのだが、しかし、小松政夫の語り口は本質的には明るく、乾いていると思う。去年読んだ「時代とフザケた男」という本は底抜けに面白い本だったが、どこに焦点をあてるかは編集者のセンスだろうか。もちろん、植木等の付き人時代や、それ以前のセールスマン時代のこともとても面白く、「のぼせもんやけん」という本なんかは(比喩でもなんでもなく、本当に)読んでいるとみるみる元気になってしまった本だったが、四十代の人間としては、それ以降のリアルタイムで知っている時代のほうにより強い関心がある。

 「昭和と師匠愛」に書かれていたことで新発見だと思ったのは、「ひょうきん族」との関わりである。伊東四朗&小松政夫コンビの番組に「影響を受けた」と横澤彪は語っていたそうで、そう考えると、腑に落ちるところはいろいろと出てくる。また、「時代とフザケた男」のほうには、「いいとも」は小松政夫&タモリのコンビで始めようとしていたという話もある。タモリが昼の顔にいきなり抜擢されたということがよく伝説的に語られるが、たしかに、小松政夫とのコンビのほうが現実的に思える。小松政夫が断ったからたまたまそうなったので、断っていなければまったく別の歴史があった。横澤彪はおそらく、小松政夫にもその時代の新しい笑いを期待していた。

 「Nキャス」でも小松政夫の訃報を扱っていたが、たけしは小松政夫の笑いを、温かい笑いのように語っていた。欽ちゃん、ドリフと並べて、伊東四朗&小松政夫の笑いは、たけしが対抗してきた笑いであると。たけしの感覚ではそうだったのかもしれないが、しかし、伊東四朗&小松政夫の笑いもやはり、欽ちゃんやドリフに対するカウンターの側だったのではないか。

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5月20日土曜日/「THE SECOND」

◇ 神保町  朝から都内に。小雨だが、予報ではすぐに止みそうなので、傘はもたずに出た。気温も読めず、パーカーを着ていく。今夜は「THE SECOND」を観なければならないから、余力を残しておきたかったが、想定していたよりも時間に余裕が作れなかった。昼は神保町。土曜はランチをや...