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2024年2月14日水曜日

2月14日水曜日/広尾を歩く・読書論

◇ 広尾

 早朝、つけっぱなしだったラジオから、生島ヒロシの番組に池畑慎之介が出ている声がして、池畑慎之介が、目が覚めても横になる時間を作るというような話をしていたのを、なるほどと思いながら聴いた。からだを起こしていると背骨に負担がかかるその疲れがあるというわけだ。クルマのなかや電車のなかでよく眠ろうと、からだは疲れているのだろう。今日も朝から都内に。今朝はあたまが冴えていて、電車のなかで読書がずいぶん進んだ。昼には広尾のほうまで行くことになり、広尾なんて街はほとんど知らないから、駅の近くの商店街を端っこまで歩いてみた。広尾散歩通りという名前がついている。寿という焼き鳥屋に入り、ランチメニューのスパイシーチキンカレーを食べた。600円。これがなかなかにスパイシーすぎて、口内がぴりぴりし、水をたくさん飲んだ。スプーンをコップに差して出す店だった。

 広尾プラザというショッピングビルを覗き、向かいの広尾ガーデンにも行ってみると、こちらは2階に文教堂が入っている。近くに大きな公園があり、有栖川宮記念公園という。ニセ有栖川宮の結婚式というのがあったが、あの有栖川宮か。行ってみると、大きな池があり、木々の向こうには六本木ヒルズのてっぺんが見える。子どもたちが遊んでいて、日本人の子たちに見えたが、はしゃいでいる声が英語だった。敷地内には図書館もあった。

 帰りは東京駅のほうにまわり、八重洲のベローチェに入り、ひと休み。ラジオを聴きながら少し眠る。東海道線に乗り、横浜に戻ってきて、ビブレのブックオフに寄っていく。220円の文庫本を1冊、単行本を1冊買う。

◇ 読書

 帰りの電車内で、津野海太郎「読書と日本人」を読み終えた。これも図書館で借りた本。2016年刊、岩波新書。年末に読んだ「最後の読書」(2018/新潮社 → 2021/新潮文庫)から、今年に入ってからは「本はどのように変わっていくのか」(2019/SURE)を読み、津野海太郎の読書論を続けて読みたくなっている。出版順でいうと、この「読書と日本人」のほうが先だ。前半は「日本人の読書小史」として、読書という行為がどのように作られてきたのかを「源氏物語」の時代から探っていく。音読から黙読、仮名文字の普及による読書の変化。後半は「読書の黄金時代」と題し、自分にとってはこの後半のほうが面白く、興味があった。二十世紀という時代は、読書にとって、特殊で例外的な時代であったということ。特に、自分が体験してきた時代のなかでは、〈かたい本〉から〈やわらかい本〉へという変化が進んでいったということが書かれていた。80年代のニューアカブームは、津野海太郎は「〈かたい本〉の復権というよりも、〈かたい本〉が読書の中心にあった時代の終わりを告げる最後のお祭りという感のほうがつよい。」と書いている。その変化が、今は図書館にも影響を及ぼしているという。以下、気になった箇所の引用。

P20「科学史家の中山茂が、その著『パラダイムと科学革命の歴史』で、ヨーロッパの学問を推しすすめるエンジンは「論争」だったが、中国の学問では「記録の集積」が優先された、という意味のことをのべています。したがって中国の教育では、他人を説得する〈弁論力〉ではなく、紙や竹簡にしるされた先行者の言動(先例)を、繰りかえし声にだして読み、そのすべてを頭に叩きこんで、必要なとき瞬時に思いだせるようにすること、つまり〈記憶力〉がもっとも重視されることになる。」

P38「宮廷の女性たちを最初の読書とする『源氏物語』が、その後、定家にはじまり実隆や宗祇にいたる古典化運動をへて、伝統的な宮廷社会のそとの大名や一般の武士のあいだにまでひろまってゆく。いってみれば源氏読者の地方化、全国化です。そして、そのきっかけになったのが、生まれも定かでない連歌師と由緒ただしい宮廷貴族との階級差をこえた共同作業だったというあたりが、いかにも乱世ふうでおもしろい。」

P42「まずは仮名文字の普及に反比例して、貴族や僧侶など、専門知識人以外の一般の知識人の漢字能力が徐々におとろえを見せはじめたこと。そして第二に、この時代も終わりに近づくにつれて、それまで文字には縁のなかった下層武士や村の名主クラスの百姓、ひいてはその妻や娘までが、公文書をはじめとする、さまざまな文章を書いたり読んだりできるようになったこと――。」

P52-53「関連してもうひとつ、おおくの中世史家たちが見るところでは、公私を問わず、平仮名の普及によって文書のかずが増えるにつれて、文字から品格がうしなわれ、急速に読みづらくなってゆく傾向がめだつそうです。どうやらこのあたりから、人びとが文字にいだいていた「畏敬の感情」が薄れ、「文字にたいする社会の感覚」が変わってきたらしい。そう網野善彦も『日本の歴史をよみなおす』で指摘しています。」

P67(サムライの読書について)「そのためには儒教にかぎらず、ほかにも多くの本を読んでじぶんを変え、じぶんを磨いてゆかねばならない。しかし、なにしろいくさに明け暮れて、本にしたしむ習慣などとは無縁に生きてきた者がほとんどですから、まずはそのための入門書、本はどのようにえらび、どう読めばいいのかという即効的なマニュアルがいる。そこで江戸時代をつうじて、そのたぐいの本がさかんに出版されることになった。」

P115「ある社会の遠い過去にあった最盛期を理想化していったことば。それが「黄金時代」ですね。したがって〈読書の黄金時代〉というと、歴史上、これ以前にはなかったし、そしてこちらがより重要なのですが、この先もおそらくないであろう読書の輝かしい最盛期という意味になる。」

P125「明治初期が〈新聞の時代〉だったことはすでにのべました。つぎがこの〈雑誌の時代〉で、それに後押しされるしかたで〈書籍の時代〉がやってくる。ただし念のためにつけくわえておくと、これまた日本だけに見られた特殊な現象ではなかった。さきほどのロジェ・シャルチエが、十九世紀のフランスでも〈新聞→雑誌→書籍〉という段階を踏んで生産や流通の近代化がすすんだとのべていますし、アメリカ合衆国でもまさしくそうだったらしい。」

P156「そしてこの過程に並行して、社会の各層で、読書を健全な暮らしを乱す悪徳の一種と見なす旧来の慣習が力を失ってゆく。都市だけでなく農村でも、頭ごなしに読書を禁じた二宮金次郎の親戚のおじさんや、「本ばっかり読みなんな」と息子を叱る中野重治や三木清の母親たちのような人びとのかずが減り、それにかわって「私たちの人生にとって読書というのは基本的によい習慣なのだ」と考える新しい常識が社会に根づきはじめた。〈二十世紀読書〉の基本となり、いまもまだなんとか生きのびているのが、この新しい常識なのです。」

P163「本にはじつはふたつの顔がある。ひとつは商品としての顔。そしてもうひとつが公共的な文化遺産としての顔です。出版社は本を売り買いする商品として生産し、図書館はその本から商品性をはぎとって、だれもが自由に利用できる公共的な文化遺産としてあつかう。だから書店では金を支払って買わなければならない本も、図書館に行けばタダで読めてしまう。このふたつの顔の実現不可能とも思える共存を、出版社と図書館の双方がそろっておおやけに承認した。〈見知らぬ他人たちとともに本を読む〉という二十世紀読書の基盤には、ひとつには、そうした二重性をゆるす寛容さと大胆な制度的決断があったのです。」

P166-167「ただし小型で軽い文庫本ならともかく、小さな活字で小説や評論をぎっしりつめこんだ部厚い円本を通勤電車で読むのは、なかなか楽ではない。いきおい、かれらの関心は「それほどの集中力を必要とせずに気軽に読めるものや短い時間で読み切れるもの」のほうへと流れ、それに応じて「新しいジャンルの読物」が登場してきた。ひとつは随筆・探訪・座談会・実話・手記などの、ひとまとめに「雑文」とよばれる軽読物。(略)そしてもうひとつが新興の大衆小説。さきにふれた時代小説や通俗小説です。(略)したがって総じていえば〈かたい本〉から〈やわらかい本〉へ――その半世紀後、一九八〇年代の流行語でいえば〈重厚長大〉型読書から〈軽薄短小〉型読書への移行です。」

P168「そのことともかかわって、もうひとつ例をあげておくと、〈おそ読み〉から〈早読み〉への変化。これも二十世紀にはいって私たちの読書に生じた特有のクセといっていいでしょう。(略)のみならず出版流通がととのって読みたい本が入手しやすくなり、電化によって夜でも本が読めるようになった。〈おそ読み〉から〈早読み〉への変化は、なによりもまず、こうした近代化プロセスがもたらした必然の結果だったのです。そして〈早読み〉はただちに〈多読〉につながる。少数の本を繰りかえし読む。それが前代の読書の基本的な姿勢だったが、それが出版近代化以後、大量生産された本をできるだけおおく読むことに変わる。この変化が決定的なものになったのが、大ざっぱにいって、やはり教養主義的読書の時代だったのです。」

P224「そして、こうした現象とも関連して注意しておきたいのが、そのしばらくまえから〈読書〉にたいする人びとの態度がゆっくりと変わりはじめていたことです。変化の理由は重層的ですが、この本の文脈でいえば、高度経済成長期ののち、出版点数がふえるにつれて人びとが大量の本にかこまれて暮らすようになったことが大きい。そんななかで、いつしか飢えの時代のきまじめな読書法の力が薄れ、おびただしい量の本といかに気分よくつきあうかという、いわば満腹時代の新しい読書法がもとめられるようになった。」

P230「売れない既刊本のなかでも、とくに売れなくなったのが〈かたい本〉です。従来、この種の本(おもに人文書)の出版社は、大小を問わず、その在庫を十年とか二十年という長い時間をかけて売ることで、経営をなりたたせてきた。つまりベストセラー狙いとは正反対のロングセラー商法です。ところが前世紀の終わりごろから、本をつくる側と読む側をひっくるめて、世間に「すぐ大量に売れる本が勝ち、売れるのに時間のかかる本は負け」という気分がひろがり、それにつれて「負け」と目された既刊本の在庫が動かなくなった。そのため従来どおりのロングセラー商法をつづけてゆくことが、きわめて困難になってしまったのです。」

P232「そしてこれらの「改革」の一環として、近年、図書館が新たに購入する本に占める〈やわらかい本〉の割合が激増し、その一方で〈かたい本〉のかずがますます減らされている。」

P256-258「いまの学生はたしかにあまり本を読まない。だからといってかれらが「もう本なんかなくてもいいや」と考えているのかといえばさにあらず。教室でなんどか試みたアンケートによると、むしろ「なくなっては困る」と感じている者のほうが圧倒的に多いのです。(略)もちろん実際には、かれらはあまり本を読んでいません。ただし、毎日新聞社が戦後つづけてきた読書調査によると、近年は、「このごろの若い連中はちっとも本を読まない」となげく老人たちのほうが若者以上に本を読んでないらしい。とすれば、なにも「若い連中」にかぎらない。中高年をふくむすべての日本人がしだいに本を読まなくなるなかで、かれらも本を読まなくなった。そう考えておくほうがより正確なようなのです。」

P260-261「あらためて整理しておくと、この〈黄金時代〉を実質的にささえてきたのが、大正から昭和にかけて資本主義的産業として再編された出版ビジネスです。直接の動力は「亜米利加型」のあられもない利潤追求。(略)ところが二十世紀も終わりに近づくにつれて、その資本主義が変質しはじめる。すなわち「すぐ大量に売れる本がいい本」という風潮が本の市場に定着し、そんな環境を自明のものとしてそだった人びとが読者の中心を占めるようになった。そして、おそらくはその結果として、ごく少数の「いちばん売れる本」に読者が殺到し、ほかの本はまったく売れないという極端な傾斜が市場に生じてくる。(略)蔓延するハリー・ポッター現象のおかげで、〈かたい本〉と〈やわらかい本〉の別なく、いつでも、どこでも、だれもがタダで多様な本を読めるという公立図書館の理念が、もろくも破綻しかけているのです。」

◇ テレビ・ラジオ

 夜遅くに帰宅し、録画していたテレビ番組をいくつか。今日の「徹子の部屋」は傑作選「生誕100年の名優たち」。淡島千景(1980年放送)、鶴田浩二(1978年放送)、乙羽信子(1981年放送)、赤木春恵(1982年放送)の映像が流れた。昨夜の「イワクラと吉住の番組」は「クイズふまんだらけ」の2回目。この企画、前回がすごく面白かったのだが、2回目も期待どおりの面白さ。前回と同じく、進行役はパンサー向井、回答者にはウエストランド井口に加え、鬼越トマホーク坂井、お見送り芸人しんいちが登場した。

 Spotify のポッドキャストで「松尾潔の Brush up」を聴くと、「不適切にもほどがある!」を話題にしていた。


2023年10月17日火曜日

10月17日火曜日/カツカレーを食べた

◇ 大手町・八重洲

 朝、ブログをひとつ更新し、それから、録画していた今朝の「ブギウギ」を観る。ジャルジャルの場面、ちょっとだけの出演だが面白く、コントの間合いだ。昼はラジオ。「ビバリー昼ズ」を聴くと、東貴博も鈴木おさむの断筆宣言を話題にする。「週刊文春」に書かれた文章のなかで、東貴博は永井準について書かれた部分に反応してみせる。

 午後から都内に。今日はまた暖かく、パーカーを着ているとやや暑いくらいだ。東京駅に出て、まず、昼食。大手町ビルヂングの日乃屋カレーに入り、カツカレーの七分盛りを食べた。870円。記憶がはっきりしないが、こんなに高かったかな。夕方には八重洲側に移動し、ベローチェに入り、ひと休み。スマホの充電をしながら、SNS徘徊。読書もしていく。

◇ テレビ・雑誌・ラジオ

 夜遅くに帰宅し、録画していたテレビ番組をあれこれと。今日の「徹子の部屋」は谷村新司追悼。1980年放送、31歳のときに出演した回の映像から始まり、35歳、41歳の映像、2001年放送、52歳のときにはアリスの3人で出演し、2009年放送、60歳のときには夫婦で出演していた。2020年放送、71歳のときに再びアリスの3人で出演したのが最後の出演だった。

 観そびれていた「週刊ダウ通信」をまとめて。9月11日、18日放送は、蓮見の「Forbes JAPAN 30 UNDER 30」受賞のお祝いに永野が登場する。蓮見の年表を永野が解説するのだが、これが盛りあがりすぎて、あとの企画がなしになった。蓮見が生まれた1997年に永野はホリプロ入り、蓮見が日芸に入学した2016年に永野はラッセンでブレイクした。ダウ90000 をサザンだと言い始める永野。そして、ゾフィーの悪口。永野「俺、キワモノなのに文化に造詣あるじゃん?」 9月25日、10月2日放送は、ロッチとのワンカットコントとそのふり返りトーク。このコントのシリーズはダウ90000 でなければできない企画だ。10月9日、16日放送は「お笑いラッキー王は誰だ?」という企画。三四郎、あばれる君が出演。

 楽天マガジンで雑誌のチェックをすると、「サンデー毎日」のジャニーズ性加害問題の記事に、橘玲、石戸諭が寄稿していた。橘玲の文章には「自ら道徳的責任を引き受けた藤島ジュリー景子こそまっとうだ」との見出しが躍り、はっきりと擁護している。「SPA!」では「ゴーマニズム宣言」がジャニーズの会見について描いていて、ひさしぶりに読んでみると、けっこう真っ当なことを言っていると思った。しかし、検索してみると、小林よしのりは YouTube なんかでもいろいろ発言してるみたいだから迂闊に賛同はできない。

 タイムフリーで、聴きそびれていた「伊集院光のタネ」を順に聴いていく。先週火曜の放送では、パートナーを安田美香が務めている。この先、竹内香苗も出るようだし、もはや「伊集院光とらじおと」がそのまま引っ越したような番組ではないか。先週水曜は生放送。パートナーは棚橋麻衣というホリプロのアナウンサーだった。夫はTBSの社員なんだそうで、しかも、もともとはニッポン放送の社員だったというので複雑な経歴なのだが、その後、芸人になったというので誰かと思えば、鬼ヶ島のメンバーだったというので驚いた。ところが、鬼ヶ島が売れる前に脱退したという。ニッポン放送、鬼ヶ島を経て、TBSの社員になったという経歴。先週木曜の放送もパートナーは棚橋麻衣。前日の生放送のあとで収録したのかな。この日のテーマ、泥棒のエピソードが面白いメールばかり。

 深夜1時からは「爆笑問題カーボーイ」をオンタイムで聴いた。オープニングでは谷村新司について語られる。とても熱のこもった追悼だった。ラジオをつけたまま、ブログをもうひとつ更新し、ラジオを聴きながら眠る。

2023年5月23日火曜日

5月23日火曜日/聴いたのかわからない

◇ 東京

 朝から都内に。雨降り。また寒くなり、パーカーを着ていく。横浜から東海道線に乗り換えると、25分の遅延になっている。車内ではラジオを聴いていたからアナウンスを聴いていなかったのだが、ツイッターを覗くと、トレンドに「武蔵小杉」があり、なにかと思えば、信号トラブルにより東海道線が貨物線に誤進入したとかで、着くはずのない武蔵小杉に到着したということだ。これはなかなか珍しい事故なんじゃないか。25分遅れだが、電車は動いているからたいして問題はない。昼食は麹町の銀菜。ランチメニューの豚肉と木耳玉子炒めを食べた。858円。写真は撮りそこねた。そのあとは東京駅のほうに出て、八重洲のベローチェに入り、ひと休み。疲れてしまい、スマホの充電をしながら、ずっと音楽を聴いていた。

◇ テレビ・雑誌・ラジオ

 夜遅くに帰宅し、録画していたテレビ番組をいくつか。今日の「徹子の部屋」は、黒島結菜というよく知らない女優さんがゲスト。お父さんが 52歳だというので、どんだけ若いんだと思ったら、26歳だというんで驚いてしまったが、別に不自然なことはない。憧れの女優は高峰秀子なんだそうで、1983年放送、高峰秀子が出演した回の映像がかなりたっぷりと流された。これには観入ってしまったな。

 今日の「さんま御殿」は「ライバル路線が大激突」というテーマで、鉄道路線ごとにああだこうだとやりあう。ナレーションがなんで小日向文世なんだろうと思ったら、小日向文世は「ぶらり途中下車の旅」のナレーションをやっているのだね。さんまは「いいとも」に遅刻しそうになったときに、山手線に一度だけ乗ったことがあるという。

 楽天マガジンで雑誌のチェックをすると、「週刊朝日」の表紙の真ん中には「休刊まで、あと2号!」の文字がある。表紙が「ブラック・アングル」になっていて、これも初めてのことのようなのだが、そこに、東海林さだおやサザエさん、西原理恵子やナンシー関など、「週刊朝日」の誌面を彩ってきたイラストが大集合している。中身を読んでいくと、「週刊図書館」の欄には「次世代に遺したい一冊」という特集があり、執筆陣がおすすめの本を一冊ずつ紹介していた。もうひとつ、「「週刊図書館」の72年を振り返る」という斎藤美奈子と永江朗の対談もあり、どちらも次週に続く。

 そのほか、「ニューズウィーク日本版」には、ジャニーズの性加害問題について、デーブ・スペクターのインタビューがあり。「SPA!」の「エッジな人々」には岩崎う大が登場。インタビュアーはおぐらりゅうじ。つぎのページには岩崎う大の新連載が始まる。お笑いについて書いていくエッセイになるんだろうか。小学生のころ、通学路の新聞販売所に志村けんにそっくりなお兄さんがいて、本物かどうかという質問をはぐらかしていたという思い出を書いているのだが、唐突に、談志師匠の言葉が引用されている。

 先週の「爆笑問題カーボーイ」を聴き忘れていて、タイムフリーぎりぎりで聴いた。オンタイムで少しだけ聴いていたから聴いたような気になっていたのだけど、まず、田中の「FLASH」の記事についてしゃべっていて、これは記憶している。それから、太田夫妻が自宅から歩いていったという駒沢公園の餃子フェスの話。客が若者ばかりで、楽しんでいる様子に感極まってしまったという太田。そのあとには、ドラマ「だが、情熱はある」と「日曜の夜ぐらいは…」について熱く語っていた。

 少し前に部屋着をハーフパンツにしていたが、今夜は寒く、スウェットの長ズボンにまた替えた。深夜1時からは「爆笑問題カーボーイ」を聴きながら眠る。聴きながら眠ってしまうから、聴いたかどうかいつもわからなくなってしまうのだ。

2023年2月13日月曜日

2月13日月曜日/値札を貼ってくれた


◇ 大手町・八重洲

 深夜から眠らず、早朝から、昨日の「サンデージャポン」と「ワイドナショー」を観ていた。ツイッターから、信藤三雄の訃報を知る。今日は朝から都内に。東京駅まで出て、昼食は、たまには知らない店を開拓してみようかと、ビルからビルへと地下通路を歩きまわってみるが、どこも混んでいるし、値段も高い。結局、決められず、おなじみの大手町ビルヂングに落ち着き、Bamboo という店に入り、肉野菜炒め定食を食べた。800円。天気予報をまったく気にしていなかったが、午後は雨降りになった。小雨だから、傘は買うほどでもない。八重洲のベローチェに入り、ひと休み。眠気で朦朧としている。音楽を聴きながら、しばらく眠る。読書も少し。

 京浜東北線に乗り、鶴見に移動し、ブックオフに寄っていく。220円の単行本の棚に、あるタレントのサイン本を発見し、ところが、値段を確認すると、220円の値札がついていなかった。すぐそばにちょうど店員さんがいたので、220円の棚にあったんですけどとダメモトで訊いてみたら、特に迷う様子もなく、220円の値札を貼ってくれた。柔らかい対応のお兄ちゃん、ありがたい。そのほか、110円の文庫本も1冊だけ買っていく。

◇ テレビ・ラジオ・読書

 雨に濡れながら、夜に帰宅する。録画していた今日の「徹子の部屋」は、秋野暢子がゲスト。闘病していたというニュースは目にしていたような気がするが、ステージ3の癌から復帰したというのはすごい。若いころには、左とん平の付き人のようなこともやっていたんだな。知らなかった。同じ事務所の先輩だった竜雷太からは、VTRでメッセージが届いた。

 タイムフリーで、今日の「ビバリー昼ズ」を聴くと、高田先生、昨日は玉川奈々福の会にゲスト出演し、能楽堂の舞台に立ったようだ。12時台は阿部サダヲがゲスト。聴きそびれていた先週火曜の「ナイツ ザ・ラジオショー」も聴くと、オープニングでは、去年の「たけし杯」が思い出せないという話をしていた。そのほか、東京二・たかしが再結成、改名し、「JJ京二・たかし」という名前になったという衝撃の情報も。

 眠る前に読書の続きを。葛西聖司「教養として学んでおきたい能・狂言」を読み終えた。2020年刊、マイナビ新書。狂言に関する本をなにか読んでみたいと思っているときに、この本をブックオフで見つけた。同じシリーズでは、堀井憲一郎が落語の本を出している。著者は元NHKアナウンサー。今まで意識的にチェックをしたこともなかったが、歌舞伎や文楽に関する著書も多いようだ。何度か狂言の舞台を観てみると、狂言を理解するには勉強が必要だと感じる。落語に関しては勉強らしいことはまったくしたことがなかったから同じように考えてしまっていたが、単純に、狂言よりも落語のほうが難しくないということもあるかもしれないが、落語の場合は、落語家自身が高座で落語についてしゃべることがあるから、高座に触れていれば自然と学習するようなところがあるんじゃないか。

2022年9月1日木曜日

9月1日木曜日/雨降りと金のピンチ

◇ 東京

 早朝に目覚めると、外はどしゃぶり。予報は雨ではなかったのに、どういうことだろうか。今日は朝から都内に。時間に余裕がなく、急いで家を飛び出るが、さっきまではどしゃぶりだったのがもう止みそうなってきたので、傘はもたずに出た。なにしろ、予報は雨ではないのだ。横浜から東横線に乗り、武蔵小杉から目黒線に乗り換えると、武蔵小山からすごく混雑する。混雑はいやだ。南北線直通、溜池山王まで乗り、改札を出て、地上に飛び出ると、まさかの雨降りだ。止まない雨もあるのか。

 ずぶ濡れになるほどではないものの、全身を湿らせながら、昼には紀尾井町から麹町のほうに移動し、マイカリー食堂に入り、ごろごろチキンカレーを食べた。580円。


 夕方には大手町のほうに行くことになり、八重洲に移動し、ベローチェに入り、ひと休み。スマホの充電をしながら金の計算をすると、どう計算してもピンチである。試しにもう一度計算してみると、不思議なことにやっぱりピンチだ。夏をどう過ごしたかが秋の生活を決めるといっても過言ではないが、今年の夏は暑かった。まともな神経をとりもどすには必要なくらいに、なにもしない時間があったことは事実だ。ツイッターを開くと、香川照之が「THE TIME」を降板とのニュースが目に入ってきた。状況が一転したかたちだが、新たに暴行疑惑が出て、トヨタがCMを控える判断をしたことが効いたか。香川照之も生活が苦しくなるだろう。

◇ 横浜

 東海道線に乗り、横浜に戻ってくる。今日はレイトショーで映画を観るつもりでいたのだが、金の心配をし始めると、だんだん怖くなってきた。今の状態でのんきに映画を観るとは、客観的に見れば、正気の沙汰ではないのではないか。しかし、いつまでもみみっちく過ごしていては、精神がおかしくなりそうだ。考えが行ったりきたりしているときは、実際の行動も行ったりきたりするもので、横浜駅の周辺を無駄に歩きまわった。外に出ると、大粒の雨が降り始めた。とりあえず、脳に栄養を与えてやりたいと思い、地下のコンビニで、栄養ドリンクとシュークリームを買って食べた。それから、地下のドトールに入ろうとするが、満席で入れなかった。雨から避難してきたひとたちだろう。幸か不幸か、金がないのだから、コーヒーなんか飲まなくてもかまわない。ジョイナス地下2階のベンチに座り、ひと休みする。もう映画を観てしまおうという考えで、ベンチで上映時間を待っていたのだが、上映30分前になり、やっぱり、映画は観ないで帰ることに決めた。どうもやってることがおかしい日だったが、無駄な時間を過ごしたのか、それとも、雨宿りとして必要な時間だったのか。

◇ ニュース・テレビ

 ツイッターから香川照之の続報をまた目にするが、NHK「香川照之の昆虫すごいぜ!」も降板、再放送なしの処置となったか。この番組は、ついに一度も観ないうちに封印される番組になってしまった。こういうことがあるから、テレビ番組は手元に録画保存しておく必要がある。それにしても、風向きが変わるときは一気に変わる。風向きが変わらないときは、なにも変わらないとも思える。

 夜遅くに帰宅し、部屋に入ると、サーキュレーターがつけっぱなしになっていた。今日はまったくだめな日だな。録画していたテレビ番組をいくつか。今日の「徹子の部屋」は、伊東美咲がゲスト。このひと、ひさしぶりに観たけど、こんな感じだったっけと思うような雰囲気だった。丁寧語が過剰であり、女優の感じではなく、実業家のような口調だと思った。神田うのと親友だということも知らなかったが、現在は、臨床心理士を目指して勉強しているのだという。昨夜の「あちこちオードリー」(ゲスト・オズワルド&大久保佳代子)と、それから、「キョコロヒー」も観た。「キョコロヒー」は時間帯昇格の発表もあり、これは先にネットニュースで知ってしまった。そのあと、アマゾンプライムで映画を観始めるが、眠気がひどくなり、半分も観ないで中断した。23時半頃には眠る。

2022年4月6日水曜日

4月6日水曜日/通信サービスがない

◇ スマホ

 早朝にいったん目覚め、ダビングのセットをしてから、もう少しずるずると眠りなおす。今日も朝から都内に。家を出ようとしている直前に、スマホがなぜかネットにつながらなくなり、「無効なカードです。通信サービスはありません」という表示が画面の上部に出る。ついさっきまで使えていたのに、すぐに復旧するのかなと思ったが、まるでなおらない。こんなことは初めてだ。この状態で外出するのは不安だが、しかたがない。まず、東京駅まで行かねばならず、ネットがつながらないので、電車内は読書に集中するが、東京駅に到着してもネットは復旧しない。問題は、電話をする必要が生じた場合はどうすればいいのかだが、めったに電話なんかしないのに、こんなときにかぎってその必要が生じ、公衆電話を使うはめになるが、おそらく、使うのはおよそ二十年ぶりぐらいだったろう。かといって、二十年前にもそうしょっちゅう電話をかけていた記憶はなく、しかも、その時代はテレホンカードを使っていたはずだ。小銭を使って電話をかけるとなると、いったい何年ぶりになるのか。こんなときにかぎって財布に十円玉がないもので、泣く泣く五十円玉を使うしかない局面になるが、使用法の記憶もあいまいで、おそるおそる五十円玉を投入し、スマホを見ながら電話番号を押した。(通信はできないが、電話番号の確認はできる。) ところが、つながったと思ったら話し中だ。だめだと思い、受話器を置くと、うっかりしていたが、そのままもう五十円玉は戻ってこないのだ。基本的なことをまるで忘れていた。一瞬で五十円を失ってしまい、愕然とする。もう小銭はない。千円札を崩さなければ電話はかけられないが、これ以上、小銭を寄付する間抜けもないので、この件はあきらめ、とにかく、スマホをなおさなければどうしようもないと思った。ソフトバンクのショップを探そうと思うが、しかし、大手町では見当もつかず、八重洲に移動してみることにする。検索すればすぐに見つけられるのに、当然、それもできず、歩いて捜しまわるしかない。八重洲地下街にないかと思ったが、案内図を見てみると、ソフトバンクのショップは見つからない。ドコモのショップはあり、よっぽどそこで訊こうかとも思ったが、地下街はあきらめ、地上に出てみると、そういえば、ヤマダ電機があるじゃないか。ここならなんとかしてくれるのではと、スマホの売り場がある2階にあがり、店員さんに訊いてみると、相談に乗ってくれた。椅子に着き、担当の店員がやってくる。まずは登録状況の確認をするということになったが、その前に、SIMカードの接触の問題かもというので、いったん外して付けなおしてみると、なんてことはない、あっさりとなおってしまったようで、店員さんもかえって困ったような顔をしていた。教わってみれば、馬鹿みたいなものだ。


 その後、霞ヶ関に移動することになり、ダイソーに寄らねばと思っていたので、近くにダイソーはないかと検索すると、日比谷シティにあることがわかり、日比谷シティのダイソーまで歩くが、買う必要のあるものがいくつかあったのに、それらがいずれも見当たらない。のどが渇き、飲みものだけ買っていく。昼食を食べそびれ、新橋に出て、夕方頃にようやくまともな食事をする。ニュー新橋ビルの豚大学に入り、豚丼を食べた。750円。夜に映画を観たいと思っていたのだが、ダイソーにも寄らねばならず、そうなると、予定が難しい。「ガンパウダー・ミルクシェイク」を観るつもりでいたが、品川の劇場ならばレイトショーがあるのだが、品川にはダイソーがない。ダイソーには今日中にどうしても寄ってしまいたく、「ガンパウダー・ミルクシェイク」はあきらめ、別の映画を観ることにして、川崎に向かうことにした。

◇ 読書

 とりあえず、近代書房の向かいのベローチェに入り、ひと休み。スマホの充電をしながらラジオを聴き、それから、読書をする。中野翠「コラムニストになりたかった」を読み終えた。2020年刊、新潮社。初出は「小説新潮」の連載。1946年生まれの著者が、読売新聞社でアルバイトを始めた1969年から現在までをふり返るコラム。中野翠のコラム、いいなと改めて思うようになり、小林信彦が「週刊文春」のコラムをやめてしまった今は、中野翠をもっと追いかけておきたいという気になってきた。たとえば、書き手としてのこのようなスタンス。P209「当時としては順当に「エッセイスト」と名乗るところを、あえてコラムニストにしてのには、わけがある。私が書くもの、書きたいものは、少しばかり時評的だったり批評的だったりする。エッセイストと名乗るにはシミジミ感が薄く、エレガンスに欠ける。それで、ちょっと遠慮して(?)あえてコラムニストと名乗ることにしたのだった。」 P175「一九八五年に『サンデー毎日』の連載エッセーがスタートした頃から、私はライターとしての自分のスタイルについて、一つのイメージ(願望)を持っていた。ひとことで言うと、できるだけ正体不明のライターでいたい。男とも女ともつかない文章を心がけ、プライベートな事柄は極力抑え、世の中やエンターテインメントについての文章を中心に書こう。顔写真は極力避けよう。ナントカ賞とかナントカ委員といった権威的なものと無縁でいよう……と。」

◇ 映画

 ベローチェを出て、モアーズのダイソーに。買うべきものを存分に買い、それから、下階のブックオフにも寄る。しかし、いいものがまるでなく、110円の文庫本を1冊だけ買っていく。アゼリアのドラッグストアで栄養ドリンクを買い、飲んでから、ラゾーナの109シネマズに向かった。レオス・カラックス監督の「アネット」を、21時5分の回で観ることにした。小さめのスクリーンだったが、さほど混みもせず、中段、真ん中の観やすい席で観た。レオス・カラックスの過去作はあまりよく知らず、前作の「ホーリー・モーターズ」で初めて好きになったのだが、今作も非常に奇妙な映画で、ずっと可笑しかった。いや、可笑しいという反応が正しいのかもわからないが、アネットが登場するたびに、なんだこれはという気にさせられる。コメディアンが主人公というところにも興味をもっていた。医者を演じる俳優がどうも古舘寛治みたいだと思ったが、エンドロールに注意すると、やっぱり古舘寛治だった。

 


◇ テレビ・雑誌

 深夜1時前に帰宅し、録画していたテレビ番組をいくつか。昨夜の「さんま御殿」は3時間スペシャル。途中まで観ると、最初のブロックは二世特集で、片岡鶴太郎、小堺一機の息子が出演していた。この息子たちが、さんまと共演するというのがすごい。同じく、昨夜に放送された「刺さルール」は、リニューアルされ、クイズ番組の形式を借りた大喜利番組になった。爆笑問題のふたりと、せいや、ヒコロヒー、ニューヨーク嶋佐が回答者。波田陽区の現在に密着したVTRから問題が出るのだが、それはともかく、伯山が司会を務め、売れっ子のお笑い芸人たちの大喜利のジャッジをするというのがなんだか危なっかしい。

 テレビを観ながら、楽天マガジンで雑誌のチェックもする。ガーシーという名前をテレビやラジオでちょくちょく耳にするようになったが、どういう人物なのかを「FLASH」の記事でようやく知った。「週刊朝日」の「似顔絵塾」では、松尾貴史が、ナンシー関と伊丹十三の思い出を書いていた。伊丹十三が亡くなる前、松尾貴史主演でボードビリアンの映画を撮ろうとして、毎月打ち合わせをしていたという。この話は以前にもラジオ番組かなにかで聴いたことがあるが、実現しなかったことがつくづく惜しい。深夜3時前に眠る。

2022年3月17日木曜日

3月17日木曜日/1時間早かった


◇ 新日本橋・八重洲・新木場

 昨夜は地震があり、ろくに眠れないまま、朝から都内に。また少し肌寒くなり、セーターを着ていく。横須賀線に乗り、新日本橋まで。着いてから気がついたが、予定を勘違いしていて、1時間早く着いてしまった。眠くてしかたがなかったのに、もう1時間眠れたのか。革財布を拾うようなこともなく、とりあえず、ベローチェに入り、モーニングセットのカイザーサンドスクランブルエッグベーコンを食べた。440円。ここで少し仮眠する。早起きは三文の得とはいうが、眠っていたほうがよっぽど得だ。昼は八重洲にたどりつき、CELTSという店に入り、チキン南蛮を食べた。700円。それからまた、ベローチェに入り、ひと休み。あたまがどんよりする。夜にはどういうわけか、新木場まで行くはめになり、デイリーヤマザキで、コロッケパンを買って食べた。




◇ 読書・テレビ・ラジオ

 ヤフーの乗り換え案内で、料金の安いルートを探し、新木場から有楽町線に乗り、新富町と築地は同じ駅の扱いになり、ここで日比谷線に乗り換えるが、いったん地上に出て、やたらと歩かされることになり、これは別の駅で乗り換えたほうがよかった。中目黒から東横線に乗り換え、横浜まで戻ってくる。電車内で、嵐山光三郎「口笛の歌が聴こえる」を読み終えた。2003年刊、新風舎文庫。親本は1985年。いずれ読まなければとずっと思っていて、だいぶ前から手元にあった本だが、この本、読むまでずっとエッセイだと思い込んでいた。嵐山光三郎の自伝的青春小説なのだ。おおっと思う人物の名が出てくるたびに付箋を貼りながら読み進めていたが、最後まで読むと、巻末にはご丁寧に人物索引が載っていた。唐十郎との関係は、これを読むまでぜんぜん知らなかった。唐十郎はこの文庫の解説も書いている。安西水丸とも古いつきあいで、最初は本名(?)で登場していて、途中でこれは安西水丸なのではと気がつく。嵐山本人だけが実名でなく、どれが嵐山なのかよくわからずに読んでいたが、あとがきを読むと、ふたりの登場人物が嵐山の分身ということだ。嵐山光三郎といえば、われわれの世代にとっては「いいとも増刊号」編集長であり、テレビに出ているひととして認識したのだが、今の時代からすると考えられないくらいに、あの時代は、なんだかわからないひとがたくさんテレビに出ていた。まさにその時代に最初の単行本は出ている。

 夜遅くに帰宅し、録画していたテレビ番組をいくつか。今日の「徹子の部屋」は、五木ひろしがゲスト。後半には村治佳織も登場する。昨夜の「あちこちオードリー」は、ニューヨークと井上咲楽がゲスト。番組30分過ぎたあたりで、緊急地震速報が入っていた。観そびれていた先週の「ゴッドタン」は「コンビ大喜利グランプリ」という企画。ラランド、真空ジェシカ、モグライダー、錦鯉が出演する。モグライダーは先日の「刺さルール」でも大喜利をやっていたが、ともしげの馬鹿な面白さは「刺さルール」ではまるで引き出されていなかった。タイムフリーで、聴きそびれていた先週の「問わず語りの神田伯山」もようやく聴くと、海老蔵批判のツイートについて、名前は出さずにだが、喜利彦氏のことをしゃべっていたのにははらはらさせられる。ラジオを聴きながら、オンライン将棋を1局指し、深夜0時前に眠る。

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1月25日月曜日/バカリズムのファミリーヒストリー

◇ ラジオ  今日も昼からラジオを聴いていた。「ビバリー昼ズ」のゲストは原田龍二。明治座の公演の話をする。「ナイツ ザ・ラジオショー」のゲストは神田伯山で、「ビバリー」のエンディングにも登場した。ナイツと伯山といえば、お年玉の一件がラジオリスナーにはおなじみだが、土屋は映画の撮影...