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2021年2月21日日曜日

2月21日日曜日/ヤンキー論


◇ 貧乏暇なし

 朝から都内に。天王洲アイルから移動し、御成門で昼食となったが、まわりに飲食店があまりない。ほかに選択肢がなく、ココイチでチキンにこみカレーを食べた。今日は暖かい。ブックオフのアプリのクーポンがあるため、帰りに大森に寄る。大森には先週もきていたのに、そのときにクーポンを使えば手間がなかった。ベローチェでひと休みしてから西友のブックオフに寄るが、先週に寄ったばかりのわりには、今日はけっこう買うものがあった。500円のクーポンを使うのに、最初の画面に利用条件が書かれていなかったのでいくらの買いものでも使えるのかと思っていたが、使えるのは千円以上からだと会計時に初めてわかった。画面を進めるとたしかにそう表示されていた。会計は千円弱になり、わずかに足りない。レジに商品を預け、もう1冊探しに売り場に戻るが、この1冊がなかなか決められず、やたらと時間を食った。大森海岸駅から京浜急行の各停で、のんびりと読書をしながら帰ってきた。

◇ 今日の読書

 斎藤環「世界が土曜の夜の夢なら」を読み終えた。角川文庫。2015年刊。親本は2012年刊。精神科医によるヤンキー論だが、インテリによるヤンキー分析にはいやらしさも感じていて、警戒しながら読んだが、それについてはまさに文庫版のあとがきにも書かれていた。大衆蔑視ではないかという批判があったが、それは誤解であると強調している。軽蔑的な表現をしていても、そこにはつねに「我が裡なるヤンキー性」が射程に入っているのだと。たしかに、読んでいくと、ヤンキー性について肯定的に語られている部分もあり、最後には綾小路翔との対談も収録されている。この対談がなければもっと単純な本かと思い、読まなかったかもしれない。ヤンキーの美学はヤンキーでない人間にも広く共有されていて、そこに本質的な差異はなく、じつは「おたく」とも地続きのものであるということが最初のほうには書かれている。さまざまなサンプルが挙げられ、最後には古事記や天皇にもたどりつく。ヤンキーの根底にあるバッドセンスから、日本論にもなっていく。日本文化は保守的な「深層」と流動的な「表層」の二重構造であり、それが自由主義と集団主義の奇妙な折衷になっている。ヤンキー文化のなかではメタレベルが欠如していて、シャレとマジの境界があいまいになっていくという指摘はとても重要だと思った。また、ある部分ではダイノジのトークが引用されていて、初出は2010年でそういう時代かと思ったが、このトークの引用元がなんと、のていさんのブログである。よっぽど知らせようかと思ったが、ツイッターで検索してみると、刊行時にすでに知らせているひとがいた。版元からは本人には知らされないものなのだ。

 夜に帰宅。録画していた「サンジャポ」を観る。田中がついに復帰という放送だが、意外とあっさりと通常モードになった。「日曜サンデー」もタイムフリーで聴く。ここで語られていた救急搬送された際の症状の記憶はとてもリアルなものだった。

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5月20日土曜日/「THE SECOND」

◇ 神保町  朝から都内に。小雨だが、予報ではすぐに止みそうなので、傘はもたずに出た。気温も読めず、パーカーを着ていく。今夜は「THE SECOND」を観なければならないから、余力を残しておきたかったが、想定していたよりも時間に余裕が作れなかった。昼は神保町。土曜はランチをや...