ラベル 橋爪大三郎 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 橋爪大三郎 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2024年5月3日金曜日

5月3日金曜日/橋本治展の客は生意気

◇ 石川町

 早朝に目覚め、ブログの更新をひとつ。今朝はやや寒い。録画していたテレビ番組をいくつか。一昨日に再放送された、みうらじゅんの「最後の講義」を録画しておいた。2019年に放送されたものだが、そのときには放送されていたことすら知らなかった。これを観てからもう少し眠りなおし、午前中から外出する。

 横浜から根岸線に乗り、石川町まで。まいばすけっとに寄り、パンをひとつ買って、歩きながら食べた。元町を通り抜け、元町・中華街駅からエスカレーターで上階に昇っていくとアメリカ山公園に出る。港の見える丘公園に向かう途中の建物がなくなっていたが、どんな建物だったかな。

 今日は天気がよく、港の見える丘公園はひとが多い。公園を抜け、神奈川近代文学館に到着したのは正午過ぎだった。お目当ては「帰って来た橋本治展」。14時からの講演を予約していて、その前に展示を観る。一般、700円。展示は3部に分かれ、第1部は「橋本治とその時代」。駒場祭のポスターがよく知られるが、橋本治のキャリアはそもそもはイラストレーターから始まった。東大では歌舞伎研究会だった。なぜ歌舞伎が好きかというと「『よく分からないもの』が好きだから」。「桃尻娘」で作家になったのは1977年、29歳のとき。1984年にはフジテレビのキャンペーンに出演する。橋本治をどの時点で知ったのか、記憶がはっきりしないが、橋本治はテレビに出ているひとだった。ここから先はどんどん多作になっていくんだな。1985年からはワープロを使用していたが、打つ速度が速すぎて基盤が壊れ、叩きすぎてキーボードが壊れ、プリントアウトの量が尋常ではないので、プリンタ部分も壊れた。さらには「ワープロで書くと文章が攻撃的になるから、小説には向かない」といって、早々に手書きに戻したという。第2部は「作家のおしごと」として、そのとおり、作家の仕事に焦点をあてる。四十代は古典に取り組みながら、評論と小説も書く。その仕事量のじつに厖大なこと。第3部は「橋本治美術館」。橋本治が編んだセーターも多数展示されていた。1時間ぐらいでまわり終え、パンフレットも買っておく。14時からの講演会までにはまだ時間があり、いったん外に出て、ベンチに座っていた。

 2階のホールにあがり、受付をすると、その脇でプレゼントを配っていた。あとでアナウンスがあり、このプレゼントの中身は橋本治所蔵のVHSビデオだとわかる。扇型の客席、入り口から奥になる右側のエリアに空席を見つけて席に着いた。「橋本治という時代」と題した講演、講師は橋爪大三郎。レジュメも配られ、メモを取りながら聴く。橋本治と同時代に、橋爪大三郎もまた東大の学生だった。東大の同級生たち、あるいはキャンパスの有名人たちとして、橋本治、芥正彦、加藤典洋、橋爪大三郎を並べる。芥正彦は「三島由紀夫vs東大全共闘」に登場していたひとだが、そういえば、あの映画には橋爪大三郎も登場し、芥正彦とは演劇仲間だったのだ。橋本治の「文体をめぐる格闘」の話が面白かった。テーマ以上に文体が重要という橋爪は、新しい文体をめぐる格闘として、加藤典洋、同年代の村上春樹、そして、橋爪大三郎自身の例を示す。大江健三郎や村上春樹が普遍性の側に抜け出ようとしたのとは正反対の方向を橋本治は向いているということを話していた。あるいは「編み物のように小説を書く」ということ。「何をつくりたいかという明確な志向と、根気と労力があれば完成する」のが編み物で、橋本治は小説もそのように書いているとする。橋本治の文章から「私が何を分析しないかと言えば、自分のあり方だけは分析しないんですもん。自分に関する疑いがないんですよ、ほんとに。…自分に不思議がないから、他人が不思議なんです。」という箇所を引用し、これは「自然科学者の態度」だとする。講演も終盤になり、橋本治の「恋愛論」を論じた千木良悠子というひとの文章について語っていると、客席から「違います!」という声があがった。なんと、声の主はその書き手、千木良悠子本人が客席に座っていた。まさか本人から解釈を否定されるとは。橋爪大三郎は動揺したようで、講演はどうもしまらないかたちになって終わる。最後に質疑応答の時間が30分ほどあり、今度はフリーライターのヤナギサワタケシと名乗るひとから質問が出たが、これに対する橋爪の答えにも、求めていた答えと微妙に違うというようなことを言われてしまい、橋本治展に集まるような客はなんだか生意気だ。そのあとに質問したひとは、橋爪のことをずっと「ハシモトさん」と間違い続けていた。

 会場には橋本治の妹さんもいて、今回の展覧会のポスターで橋本治が着ているのと同じアロハシャツを着ている。講演後に、外で妹さんと一緒に写真が撮れるという謎のサービスがあった。妹さんと写真を撮るために行列ができていて、通りすがりのひとが、誰なんだろうという目で不思議そうに見ていた。

 写真撮影には参加せず、港の見える丘公園を通り抜け、またアメリカ山公園に戻る。この公園では横浜トリエンナーレのイベントがあり、暗くなってから、並べられているロウソクが点灯されるのだと思うのだが、それまで待つ気にはならなかった。

◇ 中華街

 中華街に行ってみると、今日は獅子舞が出ている。どこかで昼食にしようと思うが、どこの店もずいぶん値上がりしてしまっているようだ。看板に書かれた値段の上から紙を貼り、新しい価格を書いている店がとても多い。それでも安い店はあり、関帝廟の脇、梅林閣という店に決め、ランチメニューの豚肉と野菜炒めを食べた。780円。食べていると、獅子舞のにぎやかな音がどうもこの店に近づいてきている。この店にやってくるんじゃないかと思い、これはせっかくだから、食べるペースもゆっくりにして、獅子舞を待つことにした。すると、期待どおり、獅子舞がやってきたので店内にいた客たちは大盛りあがり。中華街の獅子舞は何度も観ているが、自分が食べている店に獅子舞が入ってきたのは初めての経験だ。今年はいいことがありそうだな。

 中華街を出て、横浜スタジアムの脇のベローチェに入り、ひと休み。橋本治所蔵のVHSビデオをここで開けてみると、中身は中村錦之助の「宮本武蔵」だった。インスタに投稿し、それから、しばらく読書をしていく。

 夜遅くに帰宅し、録画していた「徹子の部屋」を観る。今日は桂由美の追悼だったが、過去に出演した映像ではなく、4月22日に収録したばかりだったのだ。すぐに眠りたいくらいだったが、明日出すゴミの準備をしてから深夜に眠る。

2021年8月13日金曜日

8月13日金曜日/涼しくなって

◇ テレビ

 昨夜は涼しく、心地好く眠れた。早朝に目覚め、録画していたテレビ番組をいくつか観る。まずは、一昨日の「水曜日のダウンタウン」を。喫茶店での打ち合わせ中に、隣席の老紳士にネタのアドバイスをされるが、その老紳士は、じつは、テレビ局の取締役だったというドッキリ企画。老紳士のアドバイスを受け入れるのかどうかというものだが、錦鯉、ジョイマン、クールポコがターゲットにされ、ジョイマンだけが受け入れず、意外に芯のあるところを見せた。しかし、ジョイマンへのアドバイスだけが社会性が強く、これが軽薄なネタだったなら、やっぱり、ひどいネタでも受け入れたかもしれない。また別に、社会性の強いネタは受け入れるのかというドッキリをやったとしたら、どういう結果になるだろうか。「あちこちオードリー」も観ると、こちらは、東京03とかが屋がゲスト。紳助の一件はもう、ついにおおっぴらに語られるようになったのか。

 昼は「ビバリー昼ズ」を聴いて、午後はまたテレビの録画を片づけていく。「お笑い実力刃」の録画はたまるいっぽうだが、今週は休止だったから、これで追いつけた。まず、2週前の放送は即興漫才の企画。4つのキーワードを使い、30分で漫才を完成させるという対決で、なすなかにし、ラニーノーズ、プラス・マイナス、Aマッソ、オズワルドという5組が出演した。なすなかにし、プラス・マイナスは早く作ってしまい、演じながら完成させるというやりかただったが、いっぽう、時間ぎりぎりまで台本を作っていたオズワルドは対照的だった。作家としての面と、演者としての面、どちらの比重が大きいか。続けて、先週の放送はチョコレートプラネットで1時間。コントだけでは捉えきれない、どうもルーツの見えないコンビだ。

 今日は朝から雨降りで、少し寒いくらいになってきた。なんという気候の変動だろう。出かけるのも躊躇していたが、夕方、かつやまで行って、豚ロースタレカツと牛焼肉の合盛り丼を食べた。よっぽど食欲がないと、これはなかなか食べられないと思っていたが、今日は涼しく、今日なら食べられると思った。スーパーで買いものしてから帰る。ツイッターからニュースを見ると、東京の新規感染者数は 5773人に。神奈川は 2281人。埼玉は 1696人。千葉は 1089人。大阪は 1561人。福岡は 951人。沖縄は 721人。

◇ ラジオ・読書・映画

 タイムフリーで聴いた、火曜の「ナイツ ザ・ラジオショー」は、ヒコロヒーがゲストだった。近畿大学の落研出身だということを今さら知ったが、大学から金をもらうためだけに存続しているような、麻雀ばかりやっているだらしない落研だったというので、いよいよ親近感が湧く。そんな落研でも、ヒコロヒーは落語をやったことがあるようだ。

 部屋で読書も。島田雅彦「小説作法ABC」を読み終えた。2009年刊、新潮選書。小説論かと思って買っておいたが、読んでみたら、(小説家を職業にするための)ビジネス書みたいな本だった。タイトルに反して、ABCよりも先のことばかりが書いてあり、なんだかこざかしくないかと思いながら読んでいた。その当時の旬の作家の文章が多く引用されていて、その目配せもいやらしい。

 アマゾンプライムで映画を1本。公開時に観そびれてしまった「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」を観た。三島由紀夫の本はどういうわけか縁がなく、一冊も読んだことがないが、この映画は観たいと思っていた。三島由紀夫の映像を、ここまでじっくり観たこともなかったから、それがまず面白かった。こういう声で、こういうしゃべりかたで、こういう表情、しぐさをするというのを初めて知った。四十代半ばの僕らの年齢でも、三島由紀夫というのは国語の教科書で知るような名前だったから、明治の文豪たちの仲間のように子どものころは錯覚をしていたが、つい数年前まで生きていた人物だとイメージできるようになったのは、おそらく、もっとおとなになってからだったはずだ。この映画を観ると、三島のスター性がわかるし、それがわかると、三島の自決の衝撃というものが初めて生々しく迫ってくる。討論会は、芥正彦という人物が登場して、白熱するが、寺山修司とも関わりがあったこの人物は、もしかしたら、名前くらいは目にしたことはあったかもしれない。赤ん坊を抱いた若き芥正彦は、じつに魅力的な論客として現れるが、現在のインタビューが出ると、態度も口調も、どうもつまらない老人になってしまったように見え、この芥正彦のすがたこそが、全共闘の結末だという感じがした。もうひとり、木村修というひとは、穏やかなおじいさんになっていて、時間をかけて、おそらくなにかを受け入れたのではないか。この映画では、さまざまな人物が登場し、証言をするが、橋爪大三郎が、芥正彦の演劇仲間だったということにも意外性があった。この討論のひとつの見どころは三島の誠実さで、意見が対立するからといって、学生たちを相手に、追い込んだりするようなところがまったくないということを、内田樹が熱を込めて指摘していた。

 ツイッターのトレンドを見ると、メンタリストDaigo がホームレスへの差別発言で炎上しているようだ。発言を確認もせずに批判をする気もなく、そんなことに労力を使いたくもないのだが、この件にかぎらず、ホームレス差別が問題になるたびに思い出すのは、「その男、凶暴につき」の冒頭のシーンだ。観なおしたくなり、YouTube を検索してみたら、その冒頭のシーンだけを切りとった動画があった。ホームレスに暴行を加えた少年たちのひとりの家に、たけし演じる刑事が踏み込んでいく。この映画が公開されたのは平成元年だが、ホームレスを襲撃する事件が社会問題化したのは80年代で、もう30年以上も経っているというのに、今もなお、たけしのこの怒りが有効であるという現状は非常に情けないものだ。そう思いながら、深夜0時半過ぎに眠った。

ブログ アーカイブ

4月21日日曜日/野毛大道芸

◇ 大道芸  朝、録画残量が足らず、数年前の番組を確認しては消去していく。こんなことのために、いったいいつまで忙しなく過ごしていくんだろうな。今夜までの録画残量をなんとか確保したら、今度は出掛ける支度をしなければならない。家を出るまではラジオをつけておく。「安住紳一郎の日曜天国」...