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2023年8月31日木曜日

8月31日木曜日/元気が湧いてきた

◇ テレビ・読書

 早朝から眠ると、涼しくていくらでも眠れてしまいそうだった。起きあがり、ブログの更新をひとつ。録画していたテレビ番組をいくつか。昨夜の「あちこちオードリー」は、石塚英彦、彦摩呂、飯尾和樹という3人がゲスト。食リポの達人たちというわけだが、このメンバー、食リポ以外の話のほうがむしろ興味あるんだよな。石塚からは「まいう~」誕生の経緯が語られた。研ナオコが司会の「あ。た、り」というテレビ朝日の番組のなかで、石塚、パパイヤ鈴木、カワイ麻弓という3人が生意気な業界人という設定のコーナーがあり、そこでカワイ麻弓が「まいう~」と言い始めたのがそもそもだったのだ。業界人という設定だから出てきた言葉だったんだな。石塚はミッキー・カーチスにハンバーグをご馳走になったときに、「まいう~」とつい言ってしまったら、「懐かしいねえ~」と言われたって。

 火曜に放送された「アンタウォッチマン!」は西野亮廣の特集。サンドウィッチマンとは、2007年の「M-1」の最終決戦で戦った因縁がある。この年は歴史の分岐点といってもいいくらいの大会だったと思うが、それ以来、西野とサンドウィッチマンの共演はどのくらいあったかはわからないが、サンドウィッチマンからすると、キングコングみたいな存在は敵視する対象だったのではないかと思っていた。しかし、西野のほうは、負けた側なのに、サンドウィッチマンに対する負の感情はあまりなさそうだ。ノンスタ石田からは、西野は若手時代から同期に対する嫉妬心がなかったという証言が出る。あるいは、佐久間宣行による分析。「宮崎駿さんにおける鈴木敏夫さんみたいなひとがいたら、(実業家的なことは)別にやんないと思いますよ。でも、世の中のほぼすべてのクリエイターは、それをやってくれるひとがいたら聖人でいられるんですよ。あのひとはほんとビジネスのことを考えてない優秀なクリエイターだなってひとには、めちゃくちゃ清濁併せ飲むビジネスマンがついてくれてるんですよ。じゃないと生き残っていけない、っていうか無名で終わるんですよ、ゴッホみたいに。西野は自分でやってるってことなんですよね、両面を。ただ、芸人で西野のこと嫌いなやつなんていないんじゃないですかね。俺らも大好きだし。」

 今日の「徹子の部屋」は桂三輝がゲスト。「かつら・さんしゃいん」と読む。文枝の弟子のカナダ人落語家。徹子さんと会話をしているときには落語家らしさは感じられないのだが、「味噌豆」をやってみせるとさすがにプロの落語家の口調になるもんだ。普通の「味噌豆」だけでなく、旦那をイタリア人、丁稚を中国人にしたバージョンもやってみせたが、外国語でも、ちゃんと落語のリズムとメロディになっている。文枝の過去の出演回から、1980年放送、文枝が36歳のときの映像も流された。徹子さんから、文枝から三輝にあてた手紙も読まれた。

 午後、駅前まで出て、銀行に寄り、それだけですぐに帰ってくる。ラジオを聴きながら、ネットで調べものをする。金の問題を解決したかったからだが、クレジットカードを新たに作れないだろうかと、しばらく試みたこともなかったのだが、ダメモトで申し込んでみたら、これがなんと、あっさりと審査に通ってしまった。かつて、なにをどうやってもクレジットカードが作れない状況があったが、知らないうちに、カード会社に認められる人間に成長していたのであろう。ああ、こんなことでよかったのか。うそみたいに元気が湧いてきた。

 夜、部屋で読書。坪内祐三「同時代も歴史である 一九七九年」を読み終えた。2006年刊、文春新書。初出は「諸君!」の連載。2003年から2004年にかけて連載されたものだというから、もう20年前だ。P7-8「普通の長篇評論ではなく、単発の原稿をそのたびごとに書き継ぎ、それが連鎖的につながることで、一つの長篇としての形が見えてくる、そういう連載です。」「最初からテーマを絞ってしまったら、そのテーマについて深く考察することは出来ますが、ややもするとスタティックになってしまう。時代の風やゆらぎを受けることが少ない。同時代性が薄れてしまう(略)。」「つまり私は、同時代の風やゆらぎが感じられるジャーナリスティックな、しかもそれぞれの章を独立して読める、そのような長篇評論を、雑誌連載という形式を活かしながら、作り上げて行きたいと考えていたのです。」 坪内祐三のダイナミックな評論は面白いのだけど、しかし、この同時代性があるから読むタイミングが難しいという気もしていた。ここで扱われている「一九七九年問題」というテーマを、およそ四半世紀後に捉えた評論を、さらにその二十年後に読んでいるという距離を計りながら読んでいったわけだが、やっぱりちょっと難しいなと思った箇所がいくつかあった。もったいない読みかたをした。

2023年1月17日火曜日

1月17日火曜日/チャーハンを食べた


◇ 日本橋・新橋・渋谷

 朝から都内に。東京駅から日本橋を通り、神田のほうまで歩いた。昼は新橋のほうに戻り、春夏冬という店に入り、ランチメニューのカレーチャーハンと小ラーメンのセットを食べた。750円。それから、南青山のほうに移動し、渋谷まで歩いた。新南口のベローチェに入り、ひと休み。ブレンドのレギュラーがついに280円になったか。スマホの充電をしながら、金の計算をする。外に出ると小雨が降っていた。


◇ 読書・テレビ・ラジオ

 帰りの電車で、福田恆存「人間・この劇的なるもの」を読み終えた。これは再読。新潮文庫。初めて読んだときにすごく刺激を受けたような記憶はあったのだが、なにに刺激を受けたのかあんまりよく覚えていなかった。坪内祐三の解説をいちばんよく覚えていた。薄い本だし、これはまた、ことあるごとに再読しよう。

 夜遅くに帰宅し、録画していたテレビ番組をいくつか。「さんま御殿」は今年注目の新星が集結し、勝俣州和以外は初登場という回だった。桂二葉、さや香、天才ピアニストらが登場。さや香石井の動きの面白さは漫才ではわからなかった部分だ。二葉さんは2回のチャンスを2回ともきちんと笑いにする。「踊る!ヒット賞!!」に選ばれる活躍だった。

 昨夜の「キョコロヒー」は「言ってみたいセリフ劇場」に石破茂が登場した。石破茂は、たまたま観ていた「演芸図鑑」でヒコロヒーのコントを認識したそうで、「なんって面白いのって思いましたね。「村の生贄」ってのは秀逸に面白かったねえ。近年、稀に見る面白い芸人さんですね。ものすごい印象が強烈でね。で、笑わせようと思ってやってない。ひたすらなんかこう重い雰囲気でやっとんだけどね。印象に残るね、じつに存在感のある、あれができるひとはほかに観たことがない。すごい! はい、ファンです。」

 タイムフリーで、今日の「ビバリー昼ズ」のオープニングを聴くと、東貴博が小西マサテルから本が届いたという話をしていて、その経歴を詳しくしゃべっていた。「ナインティナインのオールナイトニッポン」で知られる放送作家だが、そもそもは、その名前だけは知っている「チャチャ」というコンビだったということを、つい最近、週刊誌で知ったばかりだった。ラジオを聴きながら、楽天マガジンで雑誌のチェックをすると、「SPA!」の「エッジな人々」にウエストランドが登場していた。深夜1時からはオンタイムのラジオに。「爆笑問題カーボーイ」を聴きながら眠る。

2022年8月13日土曜日

8月13日土曜日/「まんが道」の再放送

◇ パソコン

 昨夜からパソコンが充電されず、原因がわからない。電源タップを交換し、ひとつのコンセントから電力をとっているから、電力が弱くなっているのではと思い、時間が経てば、充電器に電気が溜まるのかしらと考えていたが、朝を待っても状態は変わらない。今まで使っていた電源タップが熱で溶けていたことがわかり、怖いから、パソコンをつながないときはタップのスイッチを切っていたのもなにか関係しているだろうか。なんにしても、今日は台風だから外出しないつもりでいたのに、このまま一日、パソコンが使えないのは困る。家での作業はすべて止まってしまうし、ブログも更新できない。壊れるにしても、間が悪すぎる。なんとかならないかとスマホで検索し、調べてみるものの、ヨドバシカメラの相談窓口を利用するのがいちばん手っ取り早いとは思うのだが、台風の日にヨドバシカメラまで行くのはいやだ。明日になんとかするというのがいちばん楽なのだが、今日一日、パソコンは使わずに済ませられるだろうか。パソコンに悩まされながら、「ナイツのちゃきちゃき大放送」を聴いた。ラジオを聴きながら、30分ぐらい眠る。

◇ テレビ

 今日はどうしようもないから、録画していたテレビ番組を観ていくしかない。昨夜の「タモリ倶楽部」には大塚愛が出演し、「世界のたこ焼きパーティー」という企画。今朝の「週刊フジテレビ批評」は、恒例の「夏ドラマ辛口放談」に、XXCLUB の大島育宙が初参加していた。(ドラマ考察の YouTube をやっている。) 大島のほかは、吉田潮、木村隆志、梅田恵子というメンバー。常連だったこじらせハスキーの橋爪ヨウコはいなくなってしまった。「ワルイコあつまれ」も観ると、「慎吾ママの部屋」のコーナーでは、宮澤エマが紫式部を演じていた。演技をする印象があまりないなと思ったが、そういえば、「鎌倉殿の13人」にも出ていたんだった。途中で観るのをやめたから忘れてしまっていた。ウィキペディアを見ると、香取慎吾とは、やはり、三谷幸喜の「誰かが、見ている」で共演しているのだが、これも1話だけしか観てないから忘れていた。

 水曜木曜の深夜に一挙再放送されていた「まんが道」を1話から順に観ていく。この2日間で全15話が放送される予定だったが、地震のニュースがあったために、9話までしか放送されなかった。続きの放送はいつになるのだろうか。このドラマはリアルタイムでも観ているのだが、ウィキペディアにあたってみると、1986年11月から「銀河テレビ小説」の枠で放送されている。ということは、小学5年生のときに観ていたのか。そのときに、原作は読んでいたのかどうか。中央公論社のぶ厚い愛蔵版が手元にあるのだが、何十年ぶりに取り出してみると、1986年10月初版になっているからドラマに合わせて発売されたのだろうか。しかし、手元にあるのは、1987年7月6版だから、明確にドラマの放送よりもあとに入手したものだとわかる。じゃあ、ドラマの翌年に読んだのかというと、よくよく記憶をたどってみると、初めて読んだときはどうも友だちに借りたような気もして、こうなるともう正確なことはわかりようがないのだが、原作との違いを感じながらドラマを観ていたような気もなんとなくしている。

 改めて観ると、子どものころには気がつかなかったキャストにも目が向く。喜劇人好きとしては、玉川良一が銭湯で浪曲を唸る場面だとか、桜井センリと犬塚弘が共演している場面などには心躍らされてしまうではないか。犬塚弘は「あばれはっちゃく」の教頭先生で知っていたが、桜井センリは当時は知らなかったんじゃないだろうか。編集者を演じるケーシー高峰は認識していたような気がする。そして、なんといっても、このドラマはイッセー尾形がすごくいい。満賀道雄の新聞社の上司にあたる人物を演じているのだが、原作でもこの変木さんというひとがもっとも印象に残っているし、満賀道雄が変木さんからさまざまな心得を教わるのと同じように、「まんが道」を読みながら、小学生だった自分も変木さんの影響を受けていたのだとすら思える。イッセー尾形は「意地悪ばあさん」のお巡りさんでもあったから、すでに親近感をもって観ていたのではとも思うが、いや、改めて観ると、一挙手一投足がすべて面白い。イッセー尾形の芝居に強く惹きつけられる。イッセー尾形だけでなく、この新聞社のひとたちのキャストは絶妙で、この新聞社のひとたちはこんなにいいひとたちだったんだというのは、小学生のころにはどこまで理解できていただろうか。子どものころには、当然、漫画家を目指す若者たちのストーリーに夢中になっていたはずだが、四十代のおとなの目で観ると、新聞社のだめな新人社員の物語に、わが身をふり返るようなところもあって、心打たれてしまう。木原光知子と小倉一郎の優しさに感動する。

◇ 読書

 「まんが道」は観始めたら止まらなくなり、結局、9話まで、録画したぶんはすべて観てしまった。23時からは「HONMOKU RED HOT STREET」をオンタイムで聴いた。

 「まんが道」もさすがにぶっとおしで観ていたわけではなく、休みながら、その合間には読書もしていた。北杜夫「私はなぜにしてカンヅメに大失敗したか」を昼に読み始め、深夜に読み終えた。2012年刊、実業之日本社文庫。親本は1991年刊。それに、1992年発表、未収録の1篇が加えられた短篇集だ。北杜夫はどうも今まで縁がなく、1冊も読んだことがなかったのだが、初めて読むのがこの本でよかったのだろうか。しかし、今さらながら、すごくシンパシーを感じる部分があった。解説は坪内祐三。「私小説であるよりもこれは余談小説」「この種の余談小説を、読者を飽きさせずに描ける(語って行ける)作家は少ない。」 あるいは、作中にある「こんな妖しげなエッセイだか私小説」という言葉を引き、「そのような「妖しげなエッセイだか私小説」だかを書くことの出来る(た)最後の一人が北杜夫だ。」と評価する。坪内は、マーク・トウェイン以来のアメリカ文学の影響も指摘し、ほら話の系譜として、ともに純文学作家にしてユーモア作家であり、青山にゆかりがあるという共通点ももつ、小林信彦の名も挙げている。

2022年1月15日土曜日

1月15日土曜日/受験の季節



◇ 赤坂見附

 今日も朝から外出。外は寒い。電車を待ちながらラジオを聴き始めていたら、電車がきたのに気がつかず、慌てて乗り込んだ。東横線、渋谷から半蔵門線に乗り換え、永田町に用があり、すぐに終わり、とりあえず、赤坂見附でのんびりする。ランチの時間にはまだ早く、マクドナルドに入り、ひと休み。コーヒーが全サイズ100円だというので、ホットコーヒーのMと、昼食前だから迷ったが、カスタードパイも食べてしまう。ツイッターからニュースを見ると、試験会場で受験生が刺されるという事件があったようだ。読書をするつもりだったが、眠くなり、音楽を聴きながら少し眠る。ほどよい時間で昼食に行くつもりでいたが、カスタードパイを食べたのがやっぱり効いたか、ちっとも腹が減らず、読書を続けて、3時間も長居した。昼になると、さすがに店内は混雑し、騒がしくなった。

 13時前に、中国茶房8に。腹が減らないが、ランチタイムにせっかく赤坂見附にいるのだから、この店に入りたいのだ。ランチメニューBセットの、豚肉白菜漬と春雨の炒めを食べる。580円。満腹。食い過ぎで苦しくなる心配もしたが、とりあえずは大丈夫。



 赤坂見附から、銀座線で渋谷に移動し、まず、古書サンエーに寄るが、なにも買わない。道玄坂を横切り、まんだらけにも寄り、階段の百均の棚を覗くと、「週刊プレイボーイ」のバックナンバーが4段を埋め尽くしていた。これだけ大量にあると、かえってチェックをしたくもなくなるもので、ほかの棚から「SPA!」の新創刊号を見つけ、これだけ買っていく。スマホの充電をしておきたく、新南口のベローチェに入る。読書の続きをするが、しかし、眠くて進まない。試験会場の事件が気になるが、続報によると、東大の門の前で起きた事件だったようだ。試験会場の外での事件ならば、70代の男性が切られたというのもわかる。そして、第一報では加害者も受験生なのかと思ったが、受験生ではなく、高校2年生のようだ。

 コーヒーを飲み過ぎたか、腹の具合が悪くなった。渋谷から東横線に乗り、横浜に戻ってくる。ビブレのブックオフにも寄り、4冊買っていく。ツイッターからニュースを見ると、東京の新規感染者数は 4561人に。沖縄は 1829人、広島は1212人、愛知は 1480人、大阪は 3692人、兵庫は 1191人、京都は 725人、北海道は 695人、千葉は 945人、埼玉は 1173人、神奈川は 1538人という具合に、いちいちメモっていてはきりがないが、最多を更新しているところも多く、感染は各地に及んでいる。

◇ 読書

 帰りの電車内でも読書を続け、小林信彦「東京少年」を読み終えた。2008年刊、新潮文庫。親本は2005年刊。小林信彦の自伝的三部作の、これが一作目にあたる。いずれ読もうと思って手元にそろえてあったが、やっぱり、「週刊文春」の連載が終わったせいで小林信彦ロスなのか、なかなかとりかかれずにいた本が、なぜかすいすいと読めてしまった。具体的な内容を確認せずに読み始めたが、疎開体験を描いた自伝的小説であり、小説といっても、かなりエッセイ的に書かれている。文庫の解説を坪内祐三が書いているが、小林信彦には「冬の神話」という疎開体験を描いた小説があり、今作はその40年後に書かれた、つまり、セルフリメイクともいえるもので、普通の小説のかたちをとらずに別のことを描こうとしている。疎開小説の傑作として、柏原兵三「長い道」が並べられているが、この「東京少年」の第一部で描かれていた疎開先での子どもたちの人間関係は、まさに、「長い道」を原作とした、藤子不二雄A「少年時代」で読んだ世界とも共通していた。ウィキペディアにあたると、藤子不二雄Aは小林信彦の2歳下にあたる。

 夜に帰宅し、録画していたテレビ番組をいくつか。昨夜の「タモリ俱楽部」と、それから、「ネタパレ」を観た。オジンオズボーン篠宮の「大林ひょと子」のキレのよさに笑う。「週刊フジテレビ批評」では番組審議会があり、岡室美奈子のドラマ評が面白い。タイムフリーで、今朝の「ナイツのちゃきちゃき大放送」を聴くと、「常連さん」のコーナーの前に、受験生刺傷事件のニュースが飛び込んでくる。早めに眠るが、深夜に目覚め、Netflix で「全裸監督」第4話を観た。

2021年3月10日水曜日

3月10日水曜日/蔵前





◇ 蔵前

 朝から都内に。昼食は蔵前になり、すき家でビビンバ牛丼を食べた。隅田川テラスのベンチで、ひと休みする。今日は春のような暖かさ。周辺を歩いてみて、浅草、両国との距離感が初めてつかめた。蔵前駅の地下鉄の出口を出てすぐのところに、御蔵前書房という古本屋がある。写真では見たことがあったが、とんでもなく年季の入った店だ。棚が傾いてしまっていて、店の奥に入っていっていいものか。というよりも、店全体が傾いている。外からは店の奥は見えず、会計をする際はこの奥に入っていくのだろうが、まるで洞窟にでも入っていくような探検家の気分がする。手前のほうの棚を眺めると、あまり手入れがされないまま、長らく売れ残っていそうな本が多く、そのなかにもこれはと思う本はあるが、さすがに安くはない。なにか買うものがあればと思ったが、なにも買わなかった。

◇ 読書

 夕方には横浜駅まで戻り、ムービルのモスバーガーに入る。テリヤキチキンバーガーを食べ、コーヒーを飲み、読書をしてから帰る。

 野坂昭如「俺の遺言 幻の「週刊文春」世紀末コラム」を読み終えた。2016年刊、文春文庫。「週刊文春」連載コラムのなかから、単行本化されていない1995年以降のものを厳選した文庫オリジナルで、1999年の最終回まで掲載されているから、まさに世紀末コラムだ。編者は坪内祐三。坪内も連載していた「週刊文春」のバックナンバーを整理しているうちに、野坂のその時代の時評が衰えていなかったことを発見する、その過程が解説に書かれている。こんな本は、坪内祐三でなければ編まれない。野坂昭如は2015年に亡くなり、坪内祐三は2020年に亡くなった。

 夜に帰宅し、もう少し読書をする。奇しくも、コラムの名手をもう一冊、小林信彦「コラムは笑う」を読み終えた。1992年、ちくま文庫。こちらは1983年から1988年に「キネマ旬報」に連載されたコラム。編集部の要望により、映画以外の批評にも触れる〈エンタテインメント評判記〉というかたちをとったそうで、この時代に少年だったものとしては、テレビの話が特に面白い。具体的には、とんねるずやたけしについての評価が。あるいは、たけしに「理解不能な中傷」をされたという一件(P204)はこれを読むまで知らなかったし、また、談志師匠が「週刊サンケイ」に連載していた映画評に強い共感を示している(P378)ところには感慨も湧いた。ほかにも、高田文夫の落語、円丈の「御乱心」、「ゆきゆきて、神軍」などなど、楽しく読んだ。

(★目次では見つけられない箇所だけ、ページを記しておきます。自分で探しなおすときのために。)

 

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5月20日土曜日/「THE SECOND」

◇ 神保町  朝から都内に。小雨だが、予報ではすぐに止みそうなので、傘はもたずに出た。気温も読めず、パーカーを着ていく。今夜は「THE SECOND」を観なければならないから、余力を残しておきたかったが、想定していたよりも時間に余裕が作れなかった。昼は神保町。土曜はランチをや...