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2024年5月28日火曜日

5月28日火曜日/ChatGPT は何者だ

◇ 竹芝・大森

 深夜から眠らず、朝から都内に。予報のとおり、大雨になる。横浜から東海道線に乗るが、品川に着くまでのあいだにひどい貧血になった。あと少しで品川だと思い、なんとかがんばっていたが、到着する寸前には視界が真っ白になり、扉が開いたすぐ目の前にあったベンチに座り込む。満員電車に乗ることもひさしぶりだった。少し乗っていないとこんなに苦手になるかな。ベンチで少し休んでから山手線に乗り換えたが、山手線も大混雑していた。

 昼食は竹芝、小諸そばに入り、鴨ステーキ丼セットを食べた。680円。浜松町館のトイレは以前も利用したことがあるが、男女兼用の個室が並んでいる。未来すぎるトイレだ。浜松町館の2階のソファーで少し休憩するが、今日は朝からずっと頭痛がしている。気候のせいもあるだろうか。

 浜松町から京浜東北線に乗り、大森に移動する。雨が止み、雨が止んでいるうちに西友のブックオフに寄っていく。110円の文庫本を1冊、220円の文庫本を1冊、単行本を1冊買う。

 大森で読書をしていこうかというつもりで考えていたが、電車が混まないうちに横浜に戻ってしまいたくなった。眠りながら横浜に戻り、横浜で読書をしようというつもりだったが、その考えもなくなり、読書は電車のなかですることにした。終点まで往復して、読みかけの本を読み終えた。

◇ 読書

 図書館で借りている、スティーヴン・ウルフラム「ChatGPTの頭の中」を読み終えた。2023年刊、ハヤカワ新書。ChatGTP を使いこなしたいから役に立つかと思って読んでみたけど、そういう実用的な本ではなかった。しかし、ChatGPT を理解するにはとても面白い。以下、気になった箇所を引用。

P11-12「ChatGPT で驚異的なのは、たとえば小論文を書くときでも、基本的には「ここまでの文を受けて、次に続く単語は何か?」という質問を繰り返し、そのたびに1つずつ単語を追加しているにすぎないということだ。(略)では、実際問題として、小論文(でも何でも)を書きながら次に追加していく単語をどうやって選んでいるのか。普通なら「ランクの高い」単語、つまり「確率」が最も高い単語が選ばれるはずだと考えるだろう。だが、ここで不思議な魔術が登場する。理由ははっきりしていないのだが――いずれは科学的に説明できる日が来るのかもしれない――、常に最高ランクの単語を選んでいると、どうにも「単調な」小論文になるのが常で、「クリエイティビティを発揮する」ところがまったくなくなってしまうのだ(ときには、一言一句を変えずに繰り返すことさえある)。逆に、ときどきはランクの低い単語をランダムに選んでやると、「もっと興味深い」小論文ができあがる。(略)引き続き魔術めいた言葉を使うが、ランクの低い単語を使う頻度を決める「温度」というパラメーターが存在し、小論文を生成する場合には、この「温度」を0.8に設定すると最もうまく機能することが分かっている。」

P49「ネコとイヌを識別するニューラルネットを作るときには、たとえばヒゲを見つけるといったプログラムを書くわけではない。どれがネコでどれがイヌか、というサンプルを大量に見せて、そこから識別のしかたをニューラルネットに「機械学習」させるだけだ。ここで重要なのが、学習中のニューラルネットは見せられた個々のサンプルをもとにして「汎化」を行っているということだ。(略)なんらかの「汎用的なネコらしさ」だと私たちが考えるようなことに基づいて、ともかくも画像を識別しているのである。」

P61「だが一般的に言って、ニューラルネットを十分に訓練するには「大量のサンプルを見せる」必要がある。そして、サンプルが驚くほど反復的になるというのは、少なくとも一部の処理については、ニューラルネットの重要な知見になっている。実際、手持ちのサンプルをすべて、何度も何度も繰り返してニューラルネットに見せるのは標準的な手法だ。その「訓練の一巡分」(「エポック」という)ごとに、ニューラルネットは少しずつ違った状態となるので、なんらかの方法で特定のサンプルのことを「想い出させ」てやると、「そのサンプルを記憶させる」うえで有効だ(この点も、人間が暗記するときに反復が有効であるのと似ている)。」

P70-71「これまで、コンピューターにとって「基本的に難度が高い」だろうと想定される処理がいくつもあった。小論文の執筆もそのひとつだ。それが、ChatGPT などによって実現されているところを見ると、コンピューターがいたって強力になったに違いないと、とっさに考えそうになる。(略)だが、そう結論するのは正しくない。計算的に還元不能なプロセスは、やはり計算的に還元不能なのであり、たとえコンピューターが個々のステップなら苦もなく計算できたとしても、そのプロセス全体は依然としてコンピューターには根本的に困難なのである。そうなると、結論はむしろその逆になるはずだ。小論文の執筆のように、人間にはできてもコンピューターにはできないと考えられてきた処理が、実は計算処理の点から考えると、ある意味では思っていたより容易だということだ。言い換えるなら、ニューラルネットがうまく小論文を書けるのは、小論文の執筆というのが、これまで考えられていたより「計算処理的に浅い」問題だったからなのである。」

P88「結局のところは、人間の言語の特徴を「ニューラルネットでエンコード」しているのだと考えられる。だが今のところ、その機能の実態はまったく分かっていない。とどのつまり、ここでは「ChatGPT の脳を開いて」(とりあえずは GTP-2 の)、うん、中は複雑だ、理解できない、それでも最後には認識できる人間の言語を生成するのだ、ということを発見している段階だといっていい。」

P104「では、ChatGPT のようなシステムはどうやって、言語を扱えるほどにまで進化できるのか。実は、言語というものがその根本的なレベルでは見かけより単純だからだ、というのが私の考える基本的な答えである。」

P121-122「少し前までなら、(人間の)言語こそ、私たちの「世界モデル」を一般的に記述できる唯一の手段だと考えたかもしれない。数世紀前からすでに、特定のことがらについては形式化が始まっており、その基盤となるのは数学だった。だが今では、形式化に対してもっとずっと一般性の高いアプローチが進んでいる。それが計算言語である。」

P128「ChatGPT の個々の設計には、称賛すべき点がある。だが、つまるところ(少なくとも外部ツールを使う前までの段階では)、ChatGPT は蓄積してきた「一般通念」から「筋の通った文章のスレッド」の一部を取得している「だけ」だ。それでも、人間らしい結果になっているのは驚異的である。すでに述べたように、ここには科学的にきわめて重要な示唆がある。人間の言語は(そして、それを支えている思考のパターンは)、どうやら私たちが考えていたよりも単純であり、その構造はもっと「規則的」らしいということだ。」

◇ テレビ・ラジオ

 夜に帰宅する。空気が生暖かい。ひどい強風で、傘を何度もひっくり返しながら帰ってきた。録画していたテレビ番組をあれこれと。今朝の「虎に翼」では優三さんが死んでしまった。今日の「徹子の部屋」のゲストは中村獅童と獅童の子どもたち、陽喜くんと夏幹くん。

 今日の「#バズ英語」は、XXCLUB の映画コーナーに「猿の惑星/キングダム」のウェス・ボール監督が登場し、対面インタビューをする。番組終盤には「Every Second」という曲が世界的バズソングになっているというミイナ・オカベがスタジオに登場し、弾き語りで曲を披露した。ミイナ・オカベというひとの曲は、先週の「トーキョー・エフエムロヒー」でヒコロヒーが紹介していて記憶していた。 

 放送中の「トーキョー・エフエムロヒー」をつけると、今回はラブレターズ塚本がゲスト。ラジオを聴きながら雑務。SNSを覗くと、今くるよの訃報。76歳。清水国明が都知事選に出馬するというニュースも。今夜は早めに眠る。

2024年5月14日火曜日

5月14日火曜日/増上寺で時間をつぶす

◇ テレビ・ラジオ・雑誌

 早朝に起きあがり、まず、ゴミを出してくる。ラジオをつけたまま、ブログの更新をしようとするが、つばさの党のニュースが気になり、ついつい聴いてしまった。ブログの更新ひとつにやたらと時間を食う。

 録画していたテレビ番組をいくつか。昨夜の「しゃべくり007」は、舘ひろしと柴田恭兵がゲスト。名倉潤が 19歳のときに「あぶない刑事」にエキストラで出ていたとは知らなかったな。まずは舘ひろしの歴史からたどられるが、クールスが原宿のレオンという喫茶店に集まっていた時代、柴田恭兵も原宿に住んでいて、その時期に舘ひろしを目撃しているんだな。クールスの水口晴幸もこのスタジオにきていて、観覧席に座っていた。柴田恭兵は小学校の同級生が東京キッドブラザースのマネージャーをやっていたのがきっかけで観劇し、入団する。当時の舞台の映像も流された。舘ひろしはセリフをぜんぜん覚えないそうで、俳優としての考えかたがまったく違うふたりだが、打ち解けるのに時間がかかったかと上田が訊くと、それはそれで魅力的だったと柴田恭兵が答える。舘ひろしが言うには、「あぶない刑事」は建物でいうと舘ひろしが土台みたいなもので、デザインをしたのは柴田恭兵と例えた。舘ひろしは、柴田恭兵に最初は「このひと、変な芝居するなあ」と思っていたそうで、柴田恭兵の芝居に対する嫉妬があったという。番組後半は「あの美女覚えてますか?」という恒例の企画。「あぶない刑事フォーエバー」で同僚役だった村田映里佳という女優が登場し、もうひとり、「あぶない刑事」の初回に出演していたという女優も登場したが、このひとはなんと、伊藤智恵理だった。現在のすがたからはそうとはわからないくらいだったが、有田は早くに気がついていたな。

 日曜に放送された「情熱大陸」は隈研吾に密着していたが、あんまり面白いドキュメンタリーにはなっていなかった。養老孟司の家を訪問し、別の場面では茂木健一郎のすがたもあったが、茂木健一郎はノークレジット。

 昼はラジオ。「ビバリー昼ズ」を聴くと、東MAXが昨日の伊東四朗と高田先生の会話を話題にしていた。12時台ゲストは真田ナオキという演歌歌手。吉幾三の弟子。

 楽天マガジンで雑誌のチェックをすると、「SPA!」の「エッジな人々」に松平健が登場していた。インタビュアーは吉田豪。稲川淳二との交流や、勝新太郎の付き人時代を語っている。「SPA!」では、東出昌大の連載エッセイも始まった。

◇ 浜松町・増上寺

 午後から都内に。横浜から東海道線に乗ろうとして、走れば間に合いそうだったが、つぎのでいいやと見送り、ホームに並んでいたら、時間になってもつぎの電車がこない。そのまま、10分ほど待っていたらようやく遅延を知らせるアナウンスがあり、到着までさらに10分ほどかかるというのでさすがに列を離れた。横須賀線のホームに移ると、電車がすぐにやってきた。1本見送ったばかりに馬鹿な時間を過ごしてしまったと思ったが、ところが、品川から山手線に乗り換えるつもりでいたら、電車は大崎に着いてしまう。横須賀線に乗ったつもりが、湘南新宿ラインに乗っていたのだ。大崎から山手線に乗り、浜松町にたどりつくのに、計算していたよりも30分は余計にかかるはめになった。

 浜松町にて、遅めの昼食。富士そばに入り、かつ丼を食べる。580円。本当は読書の時間を作るつもりでいたのが、電車の遅延のせいで計画が崩れた。読書はあきらめ、増上寺に寄り、時間をつぶすことになった。

 帰りは品川から京浜急行に乗り換える。夜遅くに帰宅し、深夜1時からは「爆笑問題カーボーイ」を聴き、聴きながら深夜2時前には眠った。

2024年2月7日水曜日

2月7日水曜日/未来すぎる

◇ テレビ・雑誌

 朝、ブログの更新をひとつ。SNSを開くと、「R-1」の準決勝進出者が発表されていて、お笑いナタリーの記事から確認した。芸歴制限が撤廃され、予選が豪華になったような評判をちらほら目にしていたが、残った顔ぶれを見ると、結局はいつもどおりのだめな「R-1」のようだ。予選の審査員たちは余興をピン芸だと思っているのか。漫才は「M-1」以降に進化したが、ピン芸は「R-1」以降に退化した。

 録画していたテレビ番組をあれこれと。今朝の「ブギウギ」では、草彅剛がついに「東京ブギウギ」をひらめく。昨夜の「イワクラと吉住の番組」は Stray Kids の特集。トレンディエンジェル斉藤、ロッチコカド、THE RAMPAGE 与那嶺が出演。「表情管理」という言葉をここで初めて知ったが、K-POPの世界ではよく使われている言葉なんだろうか。昨夜の「アンタウォッチマン!」は横澤夏子の特集。日曜の「笑点」もようやく観ると、演芸コーナーでは友近が西尾一男のコントを演じていた。

 放送中の「徹子の部屋」も追っかけ再生で観てしまう。ゲストは宮本亞門。前立腺がんの経験を語る。生まれも育ちも銀座だとは知らなかった。新橋演舞場の向かいの喫茶店が実家なのだ。スタジオの観覧席には宮本亞門の父のすがたがあった。

 楽天マガジンで雑誌のチェックをすると、「SPA!」の「エッジな人々」にはさんまと関根勤の対談が載っている。さんまが雑誌の対談に登場すること自体が珍しいが、「嫌われない法則」という新刊を出版した関根勤の指名によるもののようだ。「週刊大衆」には、つまみ枝豆が明かすビートたけし武勇伝という内容の記事があった。松本の性加害疑惑により、たけしの株があがっていると「テレビ局関係者」なる人物が語っている。本当かな。「週刊大衆」はしばらくチェックしそびれていたが、山田邦子の連載が始まっていた。今号で5回目。「女性自身」の「シリーズ人間」にも山田邦子が登場。

◇ 浜松町

 午後から都内に。浜松町に出て、まず、昼食。富士そばに入り、カレーカツ丼を食べた。680円。竹芝のほうに空中の通路を歩いて向かうと、下に浜離宮がよく見えてきれいだ。まだ明るい時間に初めて歩くことができた。浜松町館2階のトイレに寄ると、男女兼用の進歩的すぎるトイレだった。個室が5つ並んでいたのだが、間違いがないよう、よく確認してから入った。こういうトイレがあるとはニュースなどでは目にしていたが、さすがにこれは未来すぎるんじゃないかと思っていた。利用するにはためらいのほうがまだ大きい。

◇ テレビ・SNS

 夜になり、寄り道せずに帰宅した。夜にもまた、録画していたテレビ番組をいくつか。今日の「水曜日のダウンタウン」は恒例企画の「1週間予告ドッキリ」。「ドッキリにかけられた芸能人ランキング」はザ・マミィ酒井が2年連続1位となった。しかし、それにしても、VTRを観ているスタジオの声が、松本がいないだけで、やっぱりちょっと静かな感じがする。

 「あちこちオードリー」もすぐに観る。「諦めたこと発表会」という新企画に、ドランクドラゴン塚地、笑い飯西田、森三中黒沢が登場。今日の昼は「ナイツ ザ・ラジオショー」のゲストが鈴木拓で、これも聴いていたのだが、一日のうちにドランクドラゴンそれぞれの愚痴を聴くことになった。西田はオードリーよりも先輩のようにふるまっていたが、確認してみると、厳密な芸歴はわからないが、笑い飯とオードリーはともに2000年結成だ。西田のほうが歳上ではあるのだが、しかし、塚地のことを「塚地くん」と呼びそうになっていたのは、さすがに変だと思った。ドランクドラゴンのほうがはっきりと先輩だろう。「THE W」の審査員の話になると、塚地は「哲夫くん」と名を出すが、西田は塚地にタメグチ。若林が、テレビの世界は「輝いてる順」だという話をすると、黒沢が高田先生の「人気とは高さではなく長さだ」という言葉を紹介し、その言葉が書かれているニッポン放送のタイムテーブルの写真が出された。先生、また「ビバリー」で話題にするかな。

 スレッズから、bluesky の一般公開が始まったという情報を目にして、アカウントをさっそく作ってみた。ツイッター1強ではまずいと思うから、使うならスレッズと考えているのだが、しかし、SNSをこれ以上増やして、いったいなにを書けばいいっていうんだ。

2024年1月26日金曜日

1月26日金曜日/リズム音曲・東葛スポーツ

◇ 浜松町・新橋・北千住

 朝から都内に。まず、浜松町に出て、山手線の海側を汐留のほうに歩いていく。新橋駅を抜け、昼食はニュー新橋ビル、美食小屋に入り、肉野菜定食を食べた。600円。新橋三丁目のベローチェに入り、ひと休み。混雑している時間帯で、入り口からすぐの席しか空いていなかった。スマホの充電をして、ラジオを聴きながら少し眠る。SNSを開くと、なんと、林家正楽の訃報が飛び込んできた。読書もしたかったが、入り口の自動ドアから冷たい風が流れてきて、居心地がまったくよくない。腹がくだり、トイレを探して、日比谷シティまで歩いた。さらに日比谷まで歩き、東京ミッドタウン地下のセブンイレブンに寄り、「週刊文春」を買っておく。いったい、いつまで買い続けることになるかな。

 どこかで時間をつながなければと考えていたが、電車が空いている時間に移動してしまったほうがいいと思い、日比谷から千代田線に乗り、北千住に移動する。北千住の東口に出ると、マクドナルドがあり、ここに落ち着くことに決めた。ホットコーヒーとバタースコッチパイを食べた。読書をしたいが、まずは「週刊文春」を読む。松本記事は第4弾か。今度は、大塚里香さんという元タレントが実名で告白している。同席していた後輩芸人の名は伏せられているのだが、文春はいつでも名は出せるのだろう。後輩芸人本人にも直撃取材をしているが、はぐらかされている。文春はこの札を、いつ切るつもりだろうか。

◇ 読書

 図書館で借りている、輪島裕介「昭和ブギウギ 笠置シヅ子と服部良一のリズム音曲」を読み終えた。2023年刊、NHK出版新書。輪島裕介の著書は以前から読みたいとは思っていたのだが、これが初めて読む著書となった。「ブギウギ」の放送開始に先駆けて出版された本だが、それにしては内容が濃く、野心的な本だった。著者は前口上として、近代日本大衆音楽史の暗黙の前提となっていることがらを転覆させてやろうという野心を語り、前提とはすなわち、敗戦を文化的断絶とする歴史観、東京中心の文化史観、西洋音楽受容史としての近代日本音楽史、レコード中心の大衆音楽史である。それらに対する挑戦がこの本にはある。笠置シヅ子が活躍した時代には「レコード歌手は基本的に録音に特化し、ステージで歌うことは必ずしも多くなかった。」なんていうことも、これを読むまでは考えたこともなかった。「笠置シヅ子と服部良一のコンビは、録音のために曲を作るというより、舞台での実演(あるいは映画)のために作られた曲を事後的にレコードに録音した。」 そして、その実演の場は、大阪でこそ独自に形成されるものであった。以下、気になる箇所をいくつか引用。P22「学校で教わる歌ではなく、また、入場料を払って見に行く芝居や映画でもなく、ましてや高価な蓄音機で「洋楽」を聴くのではなく、巷で人々が歌い踊る芸、つまり歌舞音曲を通して、彼女の基本的な感受性が培われ、また日常的に自ら歌い踊っていた。そのことの意味を考える上で、実家が銭湯だったことはきわめて重要だ。」 P29「(略)松竹少女歌劇は、在来の劇場経営の発想に基づき、歌舞伎も浪花節も映画も等しく興行種目として扱う松竹が運営していた。それゆえ、松竹の歌劇は宝塚と年齢においてはほぼ同じ少女によって構成されながら、宝塚の「良家の子女」イメージと結びつく「未熟さの系譜」からは逸脱するものとして、都市庶民層の自覚的な職業意識を伴って演じられていたといえる。」 P122-123「服部良一が笠置シヅ子のパフォーマンスに及ぼした重要な影響として、彼女の発声法を矯正したことがある。つまり、少女歌劇でも規範となっていた西洋芸術音楽に由来するベルカント唱法ではなく、日常的な話し声に近い「地声」で歌うよう指導したのだ。」 なお、著者の文章は堅っ苦しいものではなく、くすぐりがときどき入り、ユーモアがある。「現代大阪で最も重要なギタリストの一人」と、吉本新喜劇の松浦真也の名を出しているのは本気かよくわからなかったが、別のページでは「本当は「芸人」と「音楽家」という区別自体を撤廃したいと考えている。」とも書いている。これらを包摂するための概念として、著者は「リズム音曲」という言いかたを提唱している。

◇ 演劇

 北千住の西口に移動し、丸井の上階に。シアター1010稽古場にて、東葛スポーツの公演「相続税¥102006200」を観る。19時開演、15分前に到着。当日精算、3500円。チラシも半券もなにもなし。場内は舞台を囲むようにコの字型に椅子が並べられていて、入り口から奥にあたる上手側の席に着いた。開演前には、ピラミッドの建築に関するドキュメンタリーみたいな番組がスクリーンには流されていて、舞台上にはピラミッドがある。開演するとまず、音圧に圧倒される。出演者もろくに確かめていなかったが、ピラミッドから登場したのは長井短だ。東葛スポーツのオートフィクション路線は続き、今作は金山家の相続税をテーマにしている。実際の現金 5000万円を舞台の真ん中に置き、公演中は本物の警備員をずっと立たせていた。川﨑麻里子はのどががさがさ、それもネタにつながっていたのだが、岸田賞の審査員だった野田秀樹いじりに笑わされる。しかし、今作は迫力にまでは至らず、ラップのスキルが高い俳優がもっといるといいんだけどなとはたびたび思うことなのだけれども。警備員は、途中、もぞもぞしていて眠そうにしていた。東葛スポーツの出演者のなかで、このひとだけはサングラスをかけず、しかも、出ずっぱりで、ずっと突っ立っていなければならない。どの俳優よりも負担が大きい。上演時間は80分ほど。終演しても警備員は札束に張りついたまま、むしろ、終演後に客が動き出してからのほうが、上演中よりもあたりを見まわし、目を光らせていた。

◇ テレビ・ラジオ

 夜遅くに帰宅し、録画していたテレビ番組をいくつか。今朝の「ブギウギ」には、友近がついに登場。産婦人科の看護師さんの役だった。愛助の母であり、村山興業の社長を演じる小雪からは「笑いを世の中に広げるのはええ。せやけどな、肝心の世間の常識が学べてないがな。せやからなんも考えんと、無責任に子ども作ったりするのや。」なんていうセリフが飛び出し、村山興業が吉本だとは知らない視聴者も少なくないだろうが、まるで、松本問題が重なるかのようなセリフだ。ドラマにとっては余計なノイズなのだが。

 今日放送された「中川家 ザ・ラジオショー」が気になり、タイムフリーで聴いた。「吉本鎖国」についてしゃべっているというネットニュースを目にしたからだが、これは冒頭にちょっと触れている程度だった。「吉本鎖国」というのがSNSではずいぶん騒ぎになっているようだが、まとまった正確な情報が見つけられない。いったい、どこから広まった話なんだろうな。

2023年9月9日土曜日

9月9日土曜日/赤坂・乃木坂

◇ テレビ

 早朝に目覚め、録画していたテレビ番組をいくつか。昨日の「徹子の部屋」は井上咲楽がゲスト。15歳のときに、ホリプロスカウトキャラバンで、Mr.ビーンのものまねをやって芸能界入りしたという。そのビーンのものまねを徹子さんの前でも披露した。昨夜の「ミュージックステーション」は1時間だけの放送。この番組はいつも特番ばかりで、1時間だけのほうが今や珍しい感じがする。鈴木アナが体調不良のため、代打に下平さやかが登場し、23年ぶりに司会をした。ランキング企画では、この5年間のストリーミング月間1位26曲を紹介。2020年5月に瑛人の「香水」が登場、6月に YOASOBI の「夜に駆ける」が1位になり、このあたりから面白くなってくるんだな。

◇ 浜松町・赤坂・乃木坂

 朝から都内に。今日も雨降り。あとの天気がわからず、パーカーを着ていく。浜松町を歩いていて、ベビーカーを押す若い夫婦とすれ違い、歩道が狭いから端によって立ち止まってあげたら、「ありがとう」だって。「ありがとうございます」だろう。ひとまわり以上は歳下の夫婦だとは思うが、風体から予備校生かなんかだと思われたんだろか。

 昼には赤坂に移動。このあたりならば、昼食は中国茶房8と決まっている。土曜でもランチをやっていた。ありがたい。ランチメニューの三色かけ飯を食べる。550円。杏仁豆腐も山盛りにして食べる。満腹。このあとはどこかでひと休みしようかと思っていたが、コーヒーも飲んでしまったし、もうなにも飲みたくなくなってしまった。ぶらぶらと、日枝神社に行ってみる。ここの大きな鳥居の前はよく通るのだが、本殿のほうには昇ってみたことがなかった。正面の階段にはエスカレーターがある近代的な神社。ぐるっとひとまわりし、お賽銭に10円投げて、また赤坂側に戻ってきた。












 赤坂から、今度は乃木坂に移動。トイレを探していたら、すぐ目の前に旧乃木邸があり、ここにあるかと飛び込んだ。16時に閉館する直前で、いいタイミングだった。旧乃木邸の敷地を下に抜けると、乃木神社があり、鳥居から外に抜ける。乃木坂駅周辺を訪れたのは今日が初めてかもしれない。ジャニーズ事務所がすぐ近くにあるということもわかり、ただ建物を眺めることしかできないのだが、せっかくだからその前も通ってみた。今日は別に報道陣がいたりということもないようだ。目の前が坂道(ここが乃木坂?)になっているのだが、その前の陸橋の上のほうが写真を撮りやすいと思い、そちらに登っていく。坂道を上から眺めていると、入り口にジャニーズのマークが有るのだと思うが、それを写真に撮った通行人がどうやら警備員に注意されていた。警備員は陸橋の上までは注意していたかはわからないが、無闇に写真を撮るのもまずいかなと思い、ビルの上部にあるロゴを撮るだけにする。










◇ 読書

 今日はパーカーではやっぱり暑かった。横浜に戻り、有隣堂を覗いてからベローチェに入り、ひと休み。スマホの充電をしながら、しばらく読書をしていく。図書館で借りている、矢野利裕「今日よりもマシな明日 文学芸能論」を読み終えた。2022年刊、講談社。町田康論、いとうせいこう論、西加奈子論、そして、補論として、東京オリンピックのときの小山田圭吾の騒動について書かれた評論が収録されている。いずれも初出は「群像」。3人の作家のうち、自分にとっていちばんなじみがあるのはいとうせいこう。いとうせいこう論は理解しやすく、すいすいと読んだのだが、しかし、西加奈子は一冊も読んだことがなく、興味を保ちにくくはあったが、一貫して書かれていることは面白い。序論には「小説もまた《芸能》のいち形態である」と書かれてある。太田光の言葉を引用しつつ、「罪にも救いにも転じてしまうような《芸能》の潜勢力および、そのような《芸能》の危うく両義的な魅力」を、文学についても考える。「《芸能》は、罪にも救いにもなる。その奥底にあるのは、現秩序を攪乱し、変革する意思に他ならない。」「小説を論じるにあたっては、そのような変革の意思を見るべきである。(略)そして、そのためには、現状の社会では聞こえづらい声に対して、注意深く耳を傾けなくてはいけない。その人の内側に隠れてしまった声を。社会の周縁にある声を。」「このような考えは、エドワード・W・サイードの言う《知識人》の役割を連想させる。(略)サイードの知識人論は、社会の周縁にいる存在の声を「公的な場にとりあげなければならない」としている点において、これまで論じてきた《芸能》の機能と通ずる。(略)サイードが言うところの《知識人》は、社会におけるマイナーな存在として捉えられている。そのマイナー性に限って言えば、サイードが言う《知識人》には、芸人的な側面がある。」「ただ、それでもなお、僕が《芸能》という観点から、文学業界なり批評業界なりに介入しようとするのは、現在の《知識人》然とした小説や批評において、《芸能》的な攪乱の意思が乏しいと思うからだ。」「通常、《知識人》は《大衆》と対決するわけだが、《芸能》は基本的に《大衆》とともにある。サイードによる「独自の知識人像」にある程度共感するにせよ、「明晰に言語化できる能力」をもつ《知識人》のありかたは、最終的には《芸能》のありかたと重なることはないだろう。《芸能》とは、社会の周縁にいる存在の力にあると同時に、ときに差別を助長してしまうような、そんな「罪が集まった場所」(太田光)だからだ。《知識人》的な立場では結局、そのような移ろいやすさや危うさを捉えきることはできない。」

◇ ラジオ

 夜遅くに帰宅し、録画していたテレビ番組をいくつか。それから、先週の「SAYONARAシティボーイズ」を聴きそびれていたことを思い出し、深夜0時近くになってからタイムフリーで聴いた。斉木しげるが「ドリフターズ」というマンガの話を始めて、ドリフから、小野ヤスシの思い出話に移っていった。舞台「シカゴ」に小野ヤスシが1時間遅刻し、植木等に土下座して謝っていたことがあるという話だった。そこにシティボーイズも出演していたんだな。検索してみると、どうやら昭和58年のシアターアプルの公演のようだ。そのあとにはマンガのタイトルの話から、阿佐ヶ谷姉妹という名前はいいねと斉木が言い始め、シティボーイズという名前についても語られた。大竹によると、もともとはつかこうへいの野球チームの名前だったのだ。きたろう「ダサいと思ってつけたんだよ。だから、それが正面に受け止められちゃうと(略)」 大竹「しまいには都会的だとか言われ始めちゃったよ。」

ブログ アーカイブ

4月21日日曜日/野毛大道芸

◇ 大道芸  朝、録画残量が足らず、数年前の番組を確認しては消去していく。こんなことのために、いったいいつまで忙しなく過ごしていくんだろうな。今夜までの録画残量をなんとか確保したら、今度は出掛ける支度をしなければならない。家を出るまではラジオをつけておく。「安住紳一郎の日曜天国」...