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2022年3月15日火曜日

3月15日火曜日/日比谷公園



◇ 日比谷

 朝、梱包をひとつだけ、ぱっぱと作ろうとしていたら、注文がもう1点増え、あわただしくなった。今日も朝から都内に。霞が関から、昼は有楽町に移動し、適当に歩き、おでん屋たけしという店に入り、鶏天定食を食べた。858円。料理には満足したが、会計になぜか時間がかかる店で、千円札を出したら、厨房の奥にその千円札を渡し、お釣りがなかなか出てこない。あとから PayPay で会計をしたお客さんのほうが早く済み、現金の会計ってそんなに珍しいんだろうか。あんまりお釣りが出てこないので、忘れられたのかと思い、店員に訊ねてしまった。厨房の奥には、いったいなにがあるというのだろうか。そのあと、トイレに行きたくなり、トイレを探しに日比谷公園まで行ってみると、心地好くて、少しのんびりした。ベンチに座っているひとがとても多い。天気がいい日の日比谷公園は快適だ。

◇ 読書

 夕方には八重洲に移動し、ベローチェに入り、ひと休み。アイスコーヒーと、チョコチャンクスコーンを食べた。スマホの充電しながら、ラジオを聴き、聴きながら眠ってしまおうかと思っていたが、意外と眠くならず、読書をする。キネマ旬報社から出ていたムックのシリーズ、「アクターズ・ファイル」の「西島秀俊」を読んでいた。2006年刊。西島秀俊という俳優にどの段階で興味をもっていたかは正確には思い出せないが、北野武監督の「Dolls」に出演したときにはもう、好きな俳優だとは思っていたはずだ。細かいプロフィールをよく知らなかったが、篠崎誠によるインタビューを読むと、俳優になりたかったわけではないのになんとなくなってしまったような感じが、たけし的な世界にどうもなじむ。本格的な俳優デビューが「はぐれ刑事純情派」だったというのもここで初めて知ったが、どうやら、藤田まことにお世話になったということをいろいろなインタビューで語っていたらしく、このムックに収録されている黒沢清との対談でも藤田まことの話が出てくる。「藤田まことさんがすごくよくしてくださったことが大きかったですね。藤田さんは舞台出身で、台本をばんばん変えるんですよ、現場で。(略)で、その場で新しいセリフを5分で覚える、というようなことを日常的にやっていました。」「これは僕の思い込みかもしれないけど、上手くやることを藤田さんはそれほど認めてらっしゃらなくて。当然上手いということも必要なんでしょうけど、僕は初めて演技するわけで、当然ながらものすごく下手くそなんです。でもそのことをむしろ喜んでくださって、「今のよかった」と言ってくださったり。上手いことがいい演技では決してないということを教えられた気がします。」 

◇ 雑誌

 東京駅から東海道線に乗り、帰りの電車は眠ってばかりで、読書はできなかった。夜遅くに帰宅し、録画していた今日の「徹子の部屋」(ゲスト・大和田伸也&五大路子夫妻)を観て、「さんま御殿」を観て、テレビを観ながら、楽天マガジンで雑誌のチェックをする。「週刊朝日」を読むと、カトリーヌあやこのテレビ評コラムが「徹子の部屋」のロバートの回を取り上げていて、いつもは読まないコラムだが、この番組は自分も観たから読んでみると、じつに見当外れなことを書いている。「芸人の「墓場」徹子の部屋でロバート散る」という見出しからしてまるでわかっていないのだが、あの場は間違いなく、ロバートがイニシアティブを握っていたのだ。黒柳徹子が「芸人殺し」という前提から始めていることがまず、そんな一般視聴者のような認識を、週刊誌にテレビ評を書くコラムニストが得意げに語ってどうするのかと思うレベルであり、黒柳徹子に対する理解もなければ、深い興味もないのだろう。「週刊朝日」には、かつてはナンシー関がコラムを連載していたのだが、未だにナンシー関の不在を惜しまざるをえない。じつに情けないと思いながら、23時頃には眠った。

2022年2月2日水曜日

2月2日水曜日/「偶然と想像」など





◇ 東京・伊勢佐木町

 深夜から起きたまま、朝から都内に。東京駅の地下から二重橋前駅に抜けようとすると、地下通路が封鎖されていて、もとの状態は知らないのだが、通路がワクチン接種会場になっていた。しかし、丸の内ビルディング、三菱商事ビルの地下を進めば、通り抜けられるようにはなっている。昼食は、大手町ビルヂングの地下、米麺食堂という店に入り、鶏のフォーを食べた。880円。さほど、フォーが食べたかったわけではなく、フォーを注文するとカレーが食べ放題だというので、カレーを目当てにする。辛いかと思ったらそうでもなく、茶碗で2杯食べ、満腹になる。東京駅の近辺に用事があり、夕方には片づき、山手線に乗り、品川からは京浜急行に乗り換え、日ノ出町にたどりつく。ツイッターからニュースを見ると、東京の新規感染者数は2万1576人に。ついに2万人を超えたが、驚きも怖さもまるっきりなくなってしまった。

 日ノ出町からイセザキモールに出る。21時過ぎから映画を観るつもりでやってきたが、しかし、21時まで開いている飲食店はなく、どうやって時間をつなごうかと困ってしまう。ブックオフのそばを通ると、ブックオフはどうやら遅くまで開いているようだ。スマホのバッテリーも切れそうになり、まずは、スマホを充電できる店に入りたい。あとでブックオフに寄るとすると、ドトールが近くていちばん便利なのだが、コンセントがあるのかわからない。マクドナルドまで行ってしまうと、ブックオフに戻ってくるのがめんどうだ。イセザキモールの入り口にあるベローチェまで行ってみると、この店はよく寄るわりには記憶がなかったが、1階にコンセントが見えるのを確認し、安心して注文をする。ブレンドと、ブリオッシュクリームパンを食べた。やはり、ベローチェも 20時までの時短営業で、映画の時間まではいられない。20時にベローチェを出て、時間つなぎも兼ねてブックオフに。110円の文庫本、新書を各1冊、220円の単行本を2冊買う。「神奈月の顔芸103!!」をひさしぶりに見つけた。ツイッターを見ると、ブックオフ創業者の坂本孝の訃報があった。


◇ 映画

 イセザキモールを黄金町方面に進み、シネマジャック&ベティに。濱口竜介監督の「偶然と想像」をようやく観ることができた。昨年末に観そびれ、観たい観たいと思っているうちに、「ドライブ・マイ・カー」が海外で評価されてしまい、濱口竜介監督の名をこのあいだに認識したひとも多いんじゃないだろうか。21時5分の回。トイレに入りたく、20分前には劇場に到着し、チケットを買った。3列目の席に座るが、ふたつ隣りの席にはほかの客がいて、客席はなかなかまんべんなく埋まっている感じだった。上映前に、濱口竜介監督のあいさつを撮った映像が流れ、わからないから、これも映画の一部なのかと思ったが、そのあとに劇場の注意事項の映像が流れたから、映画とは別のものだとわかった。どの劇場でも流しているものなのだろうか。映画は3話オムニバスの短編集。それぞれの話がリンクしたりという仕掛けもなく、それぞれが独立した3話だった。ただし、テーマはリンクしている。3話とも、最少の登場人物による会話劇であり、それぞれに、ぞわっとさせられる展開があった。「ドライブ・マイ・カー」よりも、おそらく、誰が観ても面白い映画だろう。第1話の中島歩が演じていた男の不気味さは、「寝ても覚めても」の東出昌大にも通じ、あの映画では東出昌大の過剰な不気味さが可笑しくもあったが、それとも、なにを考えているかわからない人物というべきだろうか。その意味では、第2話の渋川清彦もそうだし、そういえば、「ドライブ・マイ・カー」の三浦透子もそうだ。この上映前に流れた、濱口竜介監督があいさつをする映像で、しゃべっているすがたを初めて観たが、濱口竜介監督もまた、なにを考えているのかわからない雰囲気があった。濱口竜介監督の作品では、素顔を隠蔽しているというと言い過ぎかもしれないが、なにか人生を演じているような人物たちが登場し、会話の駆け引きをする。不気味さ、不穏さがつねにある。

 

 映画の終了時刻を事前に調べておいたら、予定では、映画が終わってすぐに黄金町駅に向かえばスムーズに電車に乗れると考えていたが、劇場を出てから時間を見ると、もう電車の時刻になっていて、どうやっても間に合わない。上映時刻がずれていたのだろうか。つぎの電車までは 20分近く空くため、黄金町駅で待っていてもつまらないので、日ノ出町駅まで歩くことにする。飲みものだけ買っておきたく、まいばすけっとに寄り、それから日ノ出町駅に着くと、さほど待たずに乗れた。こんなに遅い時間に帰ることもひさしぶりで、帰りの電車は窓が開いていて寒かった。

 深夜0時過ぎに帰宅し、録画していた「あちこちオードリー」を観ると、オードリーがコロナ感染のため、傑作選になっていた。2020年6月に放送されたハライチの回のほぼ再放送で、この時期はまだこの番組を観ていなかった。昨夜の「刺さルール」は、男性ブランコと真空ジェシカという今が旬の2組の対決。男性ブランコが演劇サークルのルールを、真空ジェシカがお笑いサークルのルールをプレゼンし、どちらも面白かった。タイムフリーで、今日の「ビバリー昼ズ」を聴くと、昇太師匠がコロナから復帰していた。療養中の様子をしゃべるが、のどの痛み程度で、熱はなかったという。水曜しか聴いていないというリスナーがいるようで、高田先生がよくしゃべるのに驚いたというメールがいくつも届いたというのが可笑しい。

 ツイッターを見て知ったが、奇しくも今日は、キネマ旬報ベストテンが発表されていたようだ。1位は「ドライブ・マイ・カー」。志らく師匠が読者賞を獲っているのもびっくりで、何度目の読者賞かわからないが、最近は読んでいなかったので、あの連載がまだまだ人気があるとは知らなかった。ツイッターを見ていると、志らく師匠は本当に嫌われているようにしか思えなくなるが、現実にはそんなことはないのだ。ほっとしながら、深夜1時過ぎに眠る。

2021年4月5日月曜日

4月5日月曜日/雑誌を買っていた

◇ ラジオ

 昼間、「ラジオビバリー昼ズ」を聴くと、高田先生が有吉の売れてない時代のことをしゃべっていた。昨日の「日曜サンデー」も聴いていたようで、SAKURAI が出していたクイズを気に入っていた。そして、12時台にはなんと、今田耕司がゲストで登場する。先週に予告されてから、今日の放送は楽しみでならなかった。ここ最近、今田は舞台の宣伝であちこちに出演しているのだ。高田文夫と今田耕司という顔合わせは記憶になかったが、探り合う様子もなく、すんなりと話が弾むのには驚いた。高田先生が今田東野の若手時代についてしゃべっているのが珍しい。そういえば、談春師匠の会で一緒に舞台にあげられたこともあったのだ。今田が「談春兄やん」という呼びかたをしているのも新鮮だった。今田はさすがの面白さで、ブリーフ4の話に続き、最後に話したたけしのエピソードのすさまじさに爆笑。45分、一瞬も耳が離せない放送だった。


 夕方、ヤマトの営業所まで。ヤフーの天気予報は晴れになっていたのに、小雨が降っている。かまわず、傘をもたずに出たが、ジャンパーにTシャツだけではかなり肌寒い。二俣川に出て、くまざわ書店に寄り、「キネマ旬報」の大島渚特集を少し立ち読みしていく。宮沢章夫の「戦場のメリークリスマス」論が載っていた。ドン・キホーテのサイゼリヤに入り、やけに腹が減ってしまい、半熟卵のミラノ風ドリアを初めて食べた。食わず嫌いでなぜか今までは注文しなかったが、美味しかったから今後は選択肢に入れよう。ご飯ものではハヤシ&ターメリックライスをよく食べていたが、メニューから消えてしまったのだろうか。

◇ 雑誌

 今日は部屋から見つけた雑誌を読みなおしたくなり、カバンに入れてきた。今はなき「TITLE」と、もうひとつは「散歩の達人」のムック。ともに東京特集で、偶然にもどちらも2007年刊だった。古本売りになる以前に自分で買ったもので、そのときは新刊書店で働いていたから、気になる雑誌は片っぱしから買っていた。偶然のようだが、その時期に雑誌をよく買っていたというだけのことかもしれない。書店で働いてでもいないと、どんな雑誌が出ているかを隈なく把握するなどということはおそらく不可能だ。東京を特集する雑誌が 2007年に集中していたわけでもないと思うが、それらを部屋で見つけ、それがどうも、今の自分の関心に引っかかった。今もまた、東京を捉えなおすことに関心がある。

 夜、ラジオを聴きながら、オンラインの将棋を1局。90分かけて、6級に勝つが、こんなに時間を喰うようになってくると、気軽に始めるわけにもいかなくなる。楽天マガジンで雑誌のチェックもする。「週刊ポスト」の広瀬和生の連載が、ナツノカモさんのことを書いているのにはちょっと驚いた。深夜になり、アマゾンプライムで映画を1本。「戦場のメリークリスマス」を観たくなった。ずいぶん昔に一度観て、あまりよくわからなかった記憶があるが、観なおすと、俳優たちの演技に強烈に惹きつけられる。たけしで始まり、たけしで終わる映画だった。深夜3時頃に眠る。

2021年3月10日水曜日

3月10日水曜日/蔵前





◇ 蔵前

 朝から都内に。昼食は蔵前になり、すき家でビビンバ牛丼を食べた。隅田川テラスのベンチで、ひと休みする。今日は春のような暖かさ。周辺を歩いてみて、浅草、両国との距離感が初めてつかめた。蔵前駅の地下鉄の出口を出てすぐのところに、御蔵前書房という古本屋がある。写真では見たことがあったが、とんでもなく年季の入った店だ。棚が傾いてしまっていて、店の奥に入っていっていいものか。というよりも、店全体が傾いている。外からは店の奥は見えず、会計をする際はこの奥に入っていくのだろうが、まるで洞窟にでも入っていくような探検家の気分がする。手前のほうの棚を眺めると、あまり手入れがされないまま、長らく売れ残っていそうな本が多く、そのなかにもこれはと思う本はあるが、さすがに安くはない。なにか買うものがあればと思ったが、なにも買わなかった。

◇ 読書

 夕方には横浜駅まで戻り、ムービルのモスバーガーに入る。テリヤキチキンバーガーを食べ、コーヒーを飲み、読書をしてから帰る。

 野坂昭如「俺の遺言 幻の「週刊文春」世紀末コラム」を読み終えた。2016年刊、文春文庫。「週刊文春」連載コラムのなかから、単行本化されていない1995年以降のものを厳選した文庫オリジナルで、1999年の最終回まで掲載されているから、まさに世紀末コラムだ。編者は坪内祐三。坪内も連載していた「週刊文春」のバックナンバーを整理しているうちに、野坂のその時代の時評が衰えていなかったことを発見する、その過程が解説に書かれている。こんな本は、坪内祐三でなければ編まれない。野坂昭如は2015年に亡くなり、坪内祐三は2020年に亡くなった。

 夜に帰宅し、もう少し読書をする。奇しくも、コラムの名手をもう一冊、小林信彦「コラムは笑う」を読み終えた。1992年、ちくま文庫。こちらは1983年から1988年に「キネマ旬報」に連載されたコラム。編集部の要望により、映画以外の批評にも触れる〈エンタテインメント評判記〉というかたちをとったそうで、この時代に少年だったものとしては、テレビの話が特に面白い。具体的には、とんねるずやたけしについての評価が。あるいは、たけしに「理解不能な中傷」をされたという一件(P204)はこれを読むまで知らなかったし、また、談志師匠が「週刊サンケイ」に連載していた映画評に強い共感を示している(P378)ところには感慨も湧いた。ほかにも、高田文夫の落語、円丈の「御乱心」、「ゆきゆきて、神軍」などなど、楽しく読んだ。

(★目次では見つけられない箇所だけ、ページを記しておきます。自分で探しなおすときのために。)

 

ブログ アーカイブ

5月20日土曜日/「THE SECOND」

◇ 神保町  朝から都内に。小雨だが、予報ではすぐに止みそうなので、傘はもたずに出た。気温も読めず、パーカーを着ていく。今夜は「THE SECOND」を観なければならないから、余力を残しておきたかったが、想定していたよりも時間に余裕が作れなかった。昼は神保町。土曜はランチをや...