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2023年8月15日火曜日

8月15日火曜日/終戦記念日

◇ テレビ

 朝に起きあがり、録画していたテレビ番組をいくつか。日曜の「サンデージャポン」を火曜まで観ることができないというのもひさしぶりだ。どうもやることが多く、ばてている。トップは日大アメフト部薬物問題から。理事長である林真理子の経歴を紹介し、古い映像もいろいろと流された。林真理子と友人だという茂木健一郎を良原アナが取材する。林真理子、太田光代と話す機会があったという茂木健一郎のツイートが紹介されていた。それから、自民党のエッフェル塔写真だが、あの松川るいというひとは、今さら思い出したが、「劇場版センキョナンデス」に登場していたひとだ。あの映画のなかでは、わりと好印象をもったのだけどな。

 少し眠りなおし、午後、かつやに行ってくる。ロースカツ定食を食べた。627円。25周年感謝祭だとかで、今日まで150円引き。昼食どきのかつやはさすがに混んでいた。ついでに駅前まで、買いものをして、すぐに帰ってくる。

◇ ラジオ・テレビ

 タイムフリーで、これも聴きそびれていた「爆笑問題の日曜サンデー」を聴くと、オープニングには春とヒコーキが登場。そのあとの「カレンダーリクエスト」という企画では、満島ひかりがゲストだった。いつもはNHKで裏番組をやってるんだけど、高校野球の中継のために今日は休みなんだ。「石橋貴明のGATE7」は、2週にわたり、伊集院光がゲスト。最初の週はラジコで聴きそこねてしまい、これは YouTube で違法のものを聴いた。野球の話をする番組なのだが、最初の週では貴明のほうが話を脱線させ、伊集院が野球の話に戻そうとする。一昨日の2週目では、伊集院がサバンナ・バナナズについて語っていた。

 録画していた「徹子の部屋」を、まず、観そびれていた昨日の放送は海老名香葉子がゲスト。もうすぐ、90歳だとは。お元気だな。そして、今日の放送は傑作選。「戦争と私」というテーマで、三波春夫、加藤治子、高峰秀子、三代目江戸家猫八の過去の出演回の映像が流された。◆ 三波春夫の回は1977年放送。三波「とにかく、百日間、この陣地をわれわれは死んでも守らなきゃあならないって、そういう命令なんですよ。ところがとんでもない、5日間でもうそれこそお手上げですよ。退却しなくちゃならない。そりゃひどかったですよ、その、砲弾の音というのはすさまじかったですね。戦友が悲鳴あげるわけですよね。「あっ!」っつったら、まったく、肩から首からすぽーんとね、きれいになくなっちゃうんですよ。爆風ですね。それが目の前ですからね。じつにびっくりですね。」「あれは何日だったかな、たしか、(8月)14日の朝だったと思いますけどね。(略)僕ら、ぜんぜん知らんわけですよ。終戦をやっと知ったのが9月の9日の夜でした。でえ、そんときにね、ロシア語が聴こえるわけですね。目の前にくるんですよ、斥候がね。(三波春夫はにこにこして)斥候隊がね。5、6人きたんでしょうかね、あれ。入り込んできちゃったんですよ。きやがったなと思ってね。ちょうど手榴弾もってましたからね。ひとつ、(投げるしぐさ)投げたわけですよ。投げたら、それがほんとに、その朝の戦闘開始の音でした。」 徹子「それは三波さんがお投げになった?」 三波「ええ、投げた。したら、(にこにこしながら)びゅーっ、という独特の手榴弾の音でね。それから14日の激戦の火ぶたがきられましたけどね。ええ、そんとき、最後までロシアの兵隊がね、「ママ―、ママ―」って母親の名前を呼んでました。ニッポンの兵隊も「お母さん」っつってね。僕の戦友はね、僕にしっかりしがみつきながらね、「お母さん、お母さん、痛いよ痛いよ」って言いながら死んでいきましたよ。」「(略)だからそんときにまあなんという、戦争そのものの真っただ中ですから、もうなにも考える日もありませんね。自分がとにかく生きなきゃいけないんだ、相手を殺さなきゃならない、ってことですからね。ところがまったく、(にこにこしながら)顔も知らなきゃ名前も知らないやつと戦うんだから、戦争なんてじつに愚かなものだと思いましたよ。で、僕は非常に射撃が上手かったせいですかね、僕が撃つ弾がよく当たるんですよ。そうしたら、今度はソ連のほうでは飛行機を1台出しましてね。あのトーチカにいるのはその、大変その頑強なやつがいるってんでね。僕に向かって爆弾を落としましてね。ほんとに、まんまるいタドンみたいなのがすーっとくるわけですよ。それを見た瞬間にもうだめだったんですがね。ばあーっと、そのまま。3時間ぐらいよく寝てましたね。もうぜんぶコンクリートあたまからかぶっちゃいましてね。」 徹子「怪我は?」 三波「ええ、怪我はね、わずか、ここにちょっと傷が残ってますがね。(略)部隊長も誰もいないんですよ、僕が目が覚めたら。もう北詰(三波春夫の本名)は死んだもんだと思って。みんな、逃げて行っちゃってるわけですよ。(略)そりゃもう、さびしいもなにも通りこしてね、もううつろですね。背中は寒い、足の裏は寒いね。かすかにね、大砲の音が、どーんと遠くね、祭りの花火の音みたいに聴こえるわけですよ。足の裏から聴こえるもんですね、音って。そう思いましたね。耳が「あっ、これは浪花節やれなくなったな」と思いましたよ。」 ◆ 高峰秀子の回は1989年放送。高峰「もう戦後は終わった終わったってね、戦後は終わったかもしれませんよ、でも、戦前なのよ、もうね。戦後が終われば「前」なのよ。だから、けっしてね、ひとごとじゃないとわたしは思うんだけど、そういうこと言うと、古いババアだなんて言われるからね、あんまり言いたくないけど、絶対に、戦後が終わりゃあ戦前なのよ。」 高峰秀子は敗戦の日に特攻隊の慰問に行っていた話をする。長谷川一夫、山田五十鈴らと、1時間ぐらいのショーをやっていたのだ。玉音放送があっても、雑音でなにもわからず、ぴんとこないという感じだったという。戦争が終わったのに、特攻隊員たちはどんどん飛んで行ってしまったという話をしていた。◆ 三代目江戸家猫八の回は1978年放送。猫八は広島で被爆した体験を語る。兵隊として、死体を片づける作業をしていて、爆心地から2キロぐらいのところにいたのだ。猫八「ボーイングB29がきたわけですよ、そしたらね、四十代のね、二等兵がね、一つ星が、あとでみんな駆り出されたひとたちですよ。おとっつぁんみたいなひとがね、入ってきて、「(敬礼して)兵長さん、また飛行機がまいりました」って言うんですよ。「落下傘が落ちました」って言うんですよ。それが原爆なんですよ。その日はお天気でしたよ、8月6日の8時15分、晴天ですよ。太陽がさんさんと降り注いでる。それよりもっと明るかったんですよ。つまり、白い光線ってよく言いますけど。ぱあーっと明るくなった。なんだろうと思ってわたしね、おもて飛び出した途端に、どおんと音がしたの。後ろから爆風が、ばあーっときて、2メートルぐらい吹き飛ばされましたよ。これはなんかねえ、なんかわかんないけど怖いなと思ってね。臆病ですからね。すぐ、防空壕入って出てこなかったんですよ。そしたら、おもてで作業してた班長の兵隊が、兵舎に戻ってきたんですよ。「岡田(猫八の本名)、たしか、なんか、外出の支度してうろうろしてたけど、どうしたかな、あいつは。」「あいつはずるいからな。どっか逃げちゃったんじゃねえかな。」って、うわさしてるところへ「はい、ここにおります」って出てったんですよ、防空壕から。「あっ、やっぱりこいつだ。このやろう、このなかに隠れてやがった」って。とにかく、外出の支度してっからおもて行けって。見てこいって。」「だから、街へ出たときに、真っ黒に焼けただれたお母さんが赤ん坊を抱いて、それでもうとにかく、まだ小さい子もいるでしょ、ほかに。だから子どもの名を呼ぶね、おじいちゃんが孫の名を呼ぶ、奥さんが旦那の名前を呼びながら右往左往してる。まあ…、地獄ですね。地獄ですよ。ぜんぶ黒いですから。真っ黒ですよ、焼けたのが。それで、川んなかに熱くて逃げたひとが、そのまんまのこういうかたちでお亡くなりになってましたよ。わたし、今思い出してもね、泣けてきますよ。そりゃあ、二十何万というひとでしょ。なんの罪もないひとでしょ。僕ら兵隊ですからね。そのあと片づけに行くとねえ、やけどでただれたひとが道端へずーっと寝かされてんですよ。なかには目の見えないかたもいらっしゃる。足音が聴こえると、「兵隊さん、助けて。水ちょうだい。水ください」って言うの。だけど、水あげらんないんですよ。「軍医殿、水をやってもよくありますか!?」「いかん!」水やったら、ほら、なくなっちゃうでしょ。だから「いかん!」って言うんですよ。でも、このかたたちは、どうにもならないってことわかりますからね。目で、僕は軍医殿に、軍医殿に飲ませろとは言えないでしょう。目だけ(うなずいてみせる)。これでしょ? あったかくなっちゃった水筒の水を、「兵隊さん、おいしかったですよ」ってねえ。そのまんまですよ。何人も、何人も、わたしの水筒の水を飲んで息をひきとりましたよ。だから、わたしは、今だから言えますけど、そのひとたちがね、手を握りしめて、今、言っていいか悪いかわかりませんけど、「兵隊さん、かたきをとってください」ってみんな亡くなりましたよ。まあとにかく、僕はその地獄を見てきましたよね。それからその死体をぜんぶ、トラックへ積んで、太田川の堤防へ積みあげてるんですよ。どうしようもないですよ、だって。それで、ガソリンをかけて、荼毘に伏したわけですよ。そんなことってありませんよね。ですからね、再び、戦争はやっちゃいけません。」

 夜遅くにブログの更新をひとつ。今日はずっと家にいたのに、ひとつしか更新できなかった。終戦記念日に戦争に関する映画をなにか観たいとも思っていたのだが、その時間もなくなった。深夜1時からはラジオ。「爆笑問題カーボーイ」を聴きながら眠る。

2023年5月23日火曜日

5月23日火曜日/聴いたのかわからない

◇ 東京

 朝から都内に。雨降り。また寒くなり、パーカーを着ていく。横浜から東海道線に乗り換えると、25分の遅延になっている。車内ではラジオを聴いていたからアナウンスを聴いていなかったのだが、ツイッターを覗くと、トレンドに「武蔵小杉」があり、なにかと思えば、信号トラブルにより東海道線が貨物線に誤進入したとかで、着くはずのない武蔵小杉に到着したということだ。これはなかなか珍しい事故なんじゃないか。25分遅れだが、電車は動いているからたいして問題はない。昼食は麹町の銀菜。ランチメニューの豚肉と木耳玉子炒めを食べた。858円。写真は撮りそこねた。そのあとは東京駅のほうに出て、八重洲のベローチェに入り、ひと休み。疲れてしまい、スマホの充電をしながら、ずっと音楽を聴いていた。

◇ テレビ・雑誌・ラジオ

 夜遅くに帰宅し、録画していたテレビ番組をいくつか。今日の「徹子の部屋」は、黒島結菜というよく知らない女優さんがゲスト。お父さんが 52歳だというので、どんだけ若いんだと思ったら、26歳だというんで驚いてしまったが、別に不自然なことはない。憧れの女優は高峰秀子なんだそうで、1983年放送、高峰秀子が出演した回の映像がかなりたっぷりと流された。これには観入ってしまったな。

 今日の「さんま御殿」は「ライバル路線が大激突」というテーマで、鉄道路線ごとにああだこうだとやりあう。ナレーションがなんで小日向文世なんだろうと思ったら、小日向文世は「ぶらり途中下車の旅」のナレーションをやっているのだね。さんまは「いいとも」に遅刻しそうになったときに、山手線に一度だけ乗ったことがあるという。

 楽天マガジンで雑誌のチェックをすると、「週刊朝日」の表紙の真ん中には「休刊まで、あと2号!」の文字がある。表紙が「ブラック・アングル」になっていて、これも初めてのことのようなのだが、そこに、東海林さだおやサザエさん、西原理恵子やナンシー関など、「週刊朝日」の誌面を彩ってきたイラストが大集合している。中身を読んでいくと、「週刊図書館」の欄には「次世代に遺したい一冊」という特集があり、執筆陣がおすすめの本を一冊ずつ紹介していた。もうひとつ、「「週刊図書館」の72年を振り返る」という斎藤美奈子と永江朗の対談もあり、どちらも次週に続く。

 そのほか、「ニューズウィーク日本版」には、ジャニーズの性加害問題について、デーブ・スペクターのインタビューがあり。「SPA!」の「エッジな人々」には岩崎う大が登場。インタビュアーはおぐらりゅうじ。つぎのページには岩崎う大の新連載が始まる。お笑いについて書いていくエッセイになるんだろうか。小学生のころ、通学路の新聞販売所に志村けんにそっくりなお兄さんがいて、本物かどうかという質問をはぐらかしていたという思い出を書いているのだが、唐突に、談志師匠の言葉が引用されている。

 先週の「爆笑問題カーボーイ」を聴き忘れていて、タイムフリーぎりぎりで聴いた。オンタイムで少しだけ聴いていたから聴いたような気になっていたのだけど、まず、田中の「FLASH」の記事についてしゃべっていて、これは記憶している。それから、太田夫妻が自宅から歩いていったという駒沢公園の餃子フェスの話。客が若者ばかりで、楽しんでいる様子に感極まってしまったという太田。そのあとには、ドラマ「だが、情熱はある」と「日曜の夜ぐらいは…」について熱く語っていた。

 少し前に部屋着をハーフパンツにしていたが、今夜は寒く、スウェットの長ズボンにまた替えた。深夜1時からは「爆笑問題カーボーイ」を聴きながら眠る。聴きながら眠ってしまうから、聴いたかどうかいつもわからなくなってしまうのだ。

ブログ アーカイブ

5月20日土曜日/「THE SECOND」

◇ 神保町  朝から都内に。小雨だが、予報ではすぐに止みそうなので、傘はもたずに出た。気温も読めず、パーカーを着ていく。今夜は「THE SECOND」を観なければならないから、余力を残しておきたかったが、想定していたよりも時間に余裕が作れなかった。昼は神保町。土曜はランチをや...