2023年2月6日月曜日

2月6日月曜日/社会的・宇宙的







◇ 日比谷・霞が関

 朝から都内に。新橋から日比谷公園まで歩き、それから、霞が関の某所に。昼食は味好という店に入り、Bランチの厚切りロースのあんかけカツ煮皿というのを食べた。650円。西新橋のベローチェに入り、ひと休み。タイムフリーで、今日の「ビバリー昼ズ」を聴くと、オープニングではもちろん、「笑点」の一之輔さんを話題にする。「ナイツ ザ・ラジオショー」のオープニングも聴くと、こちらでは早坂営業の話をえんえんとしたあとで、ようやく一之輔さんに触れていた。

◇ 読書

 帰りの横須賀線で、谷川俊太郎「詩を書く」を読み終えた。2006年刊、思潮社・詩の森文庫。特にこの本というわけでもなく、谷川俊太郎の本をいくつか買ってあったので、順に読んでいこうと思い、まずはこれを読んだ。詩についてのエッセイや批評が収録されているのだが、初出の年にはかなり幅があり、(見落としてなければ、)新しいものでは90年代の文章から、「ぼくは詩をつくることには、社会的(ソシアル)な意味があると同時に、宇宙的(コスミック)な意味があると考えたい。」と書いている文章は1955年に発表されたもので、どうやらこれがいちばん古い。谷川俊太郎はまだ二十代前半だ。以下、興味をもった箇所の引用。P91「頭の中の考えは、時にひとつのイメージであったり、予感のようなものであったり、ごく短い言葉の断片であったりして、無時間的だ。だがいったんそれが文章になり始めると、考えはひとつの形と流れと方向を与えられて時間的になり、私たち自身の肉体と強くむすびついてくる。話す口や舌、書く手や腕、そして呼吸と心臓の鼓動、そうしたものが知らず知らずのうちに、文章を制御する。脳そのものがすでに睡眠のリズムや、私たちをとりまく環境のリズム――季節や日常生活のリズムに支配されていることは否定できない。」 P92「文章というものを意識したわれわれいわゆるもの書きにとっては、文章において望ましいリズムを発見することは、そのまま自分たちの生きることのリズムの発見に通ずる。難しいのはどんなリズムを択ぶかということではない。音楽と違って文章では好きなリズムを択ぶということはほとんど不可能である。それは自分の外部にあるものではなく、内部にあるものだから。」 これは1976年、谷川俊太郎四十代半ばの思考。

◇ テレビ・ラジオ

 二俣川のビックカメラに寄り、録画用のDVDを買ってから帰宅する。夜、録画していたテレビ番組をいくつか。今日の「徹子の部屋」は草刈正雄がゲスト。番組終盤に、長男が亡くなっていることに触れていた。たまたまだが、つい最近、ズットズレテルズのウィキペディアを見ることがあって、このことを知ったばかりだった。「徹子の部屋」では、長男が音楽活動をしていたことには触れられなかった。土曜に放送された「太田光のつぶやき英語」は AIArt の特集。佐々木俊尚がゲスト。XXCLUB のコーナーでは、「対峙」という映画のフラン・クランツ監督にインタビューをしていた。

 Spotify で聴いている「東京ポッド許可局」の「読んできた雑誌論」が面白かった。鹿島さんの話に共感するところが多い。ポッドキャストを聴きながら眠る。


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1月20日木曜日/「G-1グランプリ」

◇ 赤坂  早朝に目覚め、Netflix で「全裸監督」の続きを観てから眠りなおすが、からだが痛くて、なかなか起きあがれない。ツイッターからニュースを見ると、オードリー春日、ナイツ塙もコロナ感染と。録画していた昨夜の「水曜日のダウンタウン」を観て、それから、出かけるまで、「伊集...